~封~


東子とうこの親父が、父さんと共闘してた?」


 足元の銀次ぎんじに、しゅうが驚いた顔で言った。

 

「そうじゃ。直之なおゆき賢二けんじに頭を下げたんよ」

「頭を下げてまで…? なんで?」

三代みしろは実際、きらわれ者じゃった。しかし、直之が世間の色眼鏡いろめがねまどわされんことは、お前もよく知っておろう」


 しゅうは、父の顔を思いかべた。誰ともへだてなくせっする。会ってみないと、どんな奴かわからないだろ、と直之はよく言っていた。


「二人で行動しなきゃならないほど、悪魔が強かった?」

「それはない」

「なら、なぜ?」

霊剥れいはぎのため。その、保険ほけんとでも言うべきかの」

「保険…」

「ま、なんじゃ、見た方が早いよ」

「…なにを?」


 銀次ぎんじはヒョイッと小さな体を起こし、両手りょうてでわしゃわしゃと毛繕けづくろいをした。


刀闘記とうとうきを見るんじゃよ。立神秋」


 銀次はあくまで自然のながれで語った。急にフルネームを言われると思わなかった。が、ここは茶化ちゃかすところではない。自然体ながらもするどい気迫が銀次から伝わった。


「かすみ、蔵の鍵を秋に」

「はい…、秋、蔵の場所はわかる?」

本堂ほんどううらにある小屋みたいなとこでしょ?」

「本堂で待ってて。鍵、持っていくから」

「わかった」


 かすみは鍵を取りに。秋は本堂へ。

 銀次は、秋の身体をよじ登って右肩みぎかたに乗った。



「蔵にけば体がほこりっぽくなるからシャワーは後じゃの。まずは、本堂の火に帰還報告をせい」


銀次に言われながら、秋は本堂に行く。かすみが一晩中ひとばんじゅう、座っていた座布団ざぶとんに正座をし両手りょうてを合わせた。


昨晩さくばんは、あつかったのぉ」右肩の銀次がこぼす。

秋は、合掌がっしょういた。


「火、れた?」

「あーそりゃーもうユラユラとな」

「母さん、熱くて大変だったよね」

「なぁに。お前のことをおもえば、なんてことない」

「ねぇ、じいちゃん」

「ん?」

「緑色の光で、体をいや現象げんしょう…知ってる?」

「それも黄泉巫女よもつみこかの」


 銀次ぎんじは、少しかんがえてから、こたえた。


「魂移しができる人種…?」

戦国せんごく時代じだいに、白魔はくまと人間の、戦争せんそうみたいなんがあったのは、知っとるよな?」

「うん。くわしくは知らないけど…」

「そん時に、刀を持たずに〝黄泉守護術よもつしゅごじゅつ〟のみでたたかった人間達を、そう呼んだ」

「それって、陰陽師おんみょうじじゃないの?」

「ちと——いや、全く違う。陰陽師も刀をるし、そもそも守護術は使わん。それに巫女みこは女しかなれんよ」

「つまり、守りの魔法まほう特化とっかしたのが、黄泉巫女よもつみこ?」

みおが、もしかしたら、その黄泉巫女かもしれない」

「じゃとしたら、純血じゅんけつの黄泉巫女じゃの」

「純血?」

「今は…、ほとんど、おらんはずじゃがの…」


 黄泉巫女が女しかなれないのなら、おそらく要ではなくみおの母の方に、黄泉巫女につながる、なにかがある。秋はなんとなくそう思った。


異能いのうを使えないサムライが悪魔に勝てたの?」

「当時の悪魔は、いわゆるゾンビじゃよ」

「ゾンビ?」

「アー…、といながらフラフラと歩くアレじゃ」

「まじ?」

「まじじゃ。数は多かったが弱かった。つばさえたんも、つめするどくなったんも、時代の成長と共にじゃて」

「時代……」

一度いちど戦乱せんらんが終わり、一時いっときの平和が人のよくをみるみる強くした。つよよくった悪魔が、その分に強くなるのは当たり前のことじゃよ」


 二人が話していると、間もなくかすみが本堂にきた。


「秋、かぎもってきたよ」


 秋は正座せいざから立ち上がった。

 かすみの方へ歩いて、かぎを受け取る。


「ありがと」

「蔵、汚いと思うから。足元あしもと気をつけてね」

「うん」


 秋は、本堂の裏口を出て、寺院の裏手へ。雑草ざっそうや、無造作にびきったまつの木の枝が、長い間、人が来ていないことを物語ものがたる。地面に多いしげる雑草から、わずかに見えるいしを頼りに、秋はくらに向かった。


「ここ……、か」


 蔵は2メートルほどの高さで、はばは約10畳の一部屋ひとへやほど。漆黒しっこく瓦屋根かわらやね黒光くろびかりし、白塗しろぬりの外壁がいへきには、びっしりと生えた濃緑のうりょくこけが古びた風情ふぜいを演出している。木製の扉の入り口は1メートルほどの高さしか無く、小柄な秋でもかがまないと中には入れない。


何年なんねんだれも来てないんだ、ここ…」


 入り口の南京錠なんきんじょうをガチャガチャとかまいながらしゅうが言った。南京錠はびていて、かぎがうまく回らない。


「わしがこの体になった時、以来いらいじゃて。9年か、そこらかの」

「九年……」


 秋はおそるおそる木のとびらを開いた。

 扉はスライド式。

 右側みぎがわに扉をスライドさせる。


「意外とあっさり、戸、動いたね……」

潤滑じゅんかつのロウが、まだいとるの」

「––––ん! えっほっ! えっほ!」


 蔵の中から舞って出てきたほこりに、秋がむせた。


「大丈夫か? さすがに、ほこりっ…ぽいの…えーきしっ!!」


 ハムスターもくしゃみした。


「うわ、想像以上そうぞういじょう……」


 扉から差し込んだ光は、蔵の中をらした。木製の棚が所狭ところせましと置かれ、その至る所に、木刀ぼくとう竹刀しない、古い書物しょもつらが整頓せいとんされて置いてある。いずれもほこりだらけ。蔵の中は薄暗うすぐらく、ジメジメとしてカビ臭い。加え、ひとたび体を起こせば、すぐに頭をぶつけそうなほどに天井てんじょうが低い。秋は中腰ちゅうごし姿勢しせいで中に入った。


「この本は……、なに?」


 秋は棚の本を一冊いっさつを手にとった。ペラペラとページをめくってみるが古い漢字が羅列し、意味は全くわからない。埃ばかりが舞う。


「なに書いてあるの? これ」

「そっちのは火守ひもりの経本きょうぼんじゃよ」

「母さんもこれ読んだの?」

「いや、今はもっと読みやすいのが寺院にあるから、これは読まんよ」


 秋は、蔵のおくに目をやった。入り口からの光が、小さな木箱きばこ半分はんぶんだけ照らした。「おぉ、あれじゃ、あれ、あれを取れ」銀次が言うと、秋はかるく息を止めながら、蔵のおくすすみ、木箱を手にとった。


「おし、良いよ、さっさと出よう」


 秋は逃げるようにして蔵から出た。

 新鮮な空気を味わいながら、秋は、木箱を地面じめんに置いた。


「これ……、開けられるの?」


 きりで作られた白い木箱。フタミ式のかぶせ箱で、鍵や取手などの装飾は一切ない。さらに四つの角をくぎで打ちつけられており、まるで封印でもされているかのよう。とても素手で開けるとは思えない。


「刀のつかで釘を叩いてみ?」


 銀次の言うとおりに、秋は刀のひもを肩からろし、柄頭つかがしらで釘をノックした。するとくぎは、みずからニョキッ…、と木箱の角から抜けた。


「まじかよ……」

「まじじゃよ」


しゅうは続けて、残る三つのくぎを叩いた。

釘は全て、あっさりと木箱から顔を出した。


「開けてみ?」

「うん……」


 秋は、おそおそる、木箱のふたを持ち上げる。木箱の中には、短刀たんとうが一本。その下に、古い本が一冊いっさつ。そして、本の上には片眼鏡モノクルが一個ある。


「なに、これ?」


箱の中身が理解りかいできず、秋はむずかしい顔をした。銀次ぎんじは、一つ一つ、丁寧ていねいに説明をするつもりで、秋に優しく語りかける。


「まず、短刀たんとうを持つんじゃ」


 秋は、言われるままに短刀を持ち上げる。


「軽い……」

「抜いてみ?」

「うん……」


 秋は短刀を抜いた。


刀身とうしんが、緑?」


 短刀の刀身は、緑色の水晶すいしょうのようなもので出来できていた。


翡翠ひすいじゃよ。まったにごりのない、純翡翠じゅんひすいじゃ」


 目を見開いて短刀たんとうながめる、しゅう。その短刀の柄頭つかがしらを見て、さらに驚く。


はり…?」


 短刀の柄頭つかがしらから、一〇じっセンチほどのほそい針が伸びていた。これも、翡翠ひすいで出来ている。しかし、この針。箱におさまっていた時には見えなかったはず。


「なに? この、針…」

「いま一度いちどさやおさめてみ?」

「うん…」


 短刀がさやおさまると、針もシャキッ…と音をらし、柄の中へ消えた。しゅうは何度も短刀を鞘から抜いたり収めたりしてみた。そのたびに、針も忙しなく顔を出したり、隠したり。


「なんなの……、これ」

霊剥れいはぎ用の短刀たんとう。じゃよ」


 き通ったい緑色の刀身とうしんは、景色けしきを透かせて見せた。その綺麗な刀身をいくらながめても、これがどうして霊剥れいはぎにつながるのか、秋にはさっぱりわからない。「ほれ、片眼鏡モノクルも、とってみ」銀次に言われるまましゅうは、片眼鏡モノクルを手に取り、太陽に反射はんしゃさせながらながめた。


 普通のまるメガネの右半分みぎはんぶんだけを、切り落としたような見た目。左側にしかない〝テンプル〟から、細く長い、ぎんで出来たチェーンがれ下がっている。


「かけてみ?」


 銀次にしたがい、片眼鏡モノクル左目ひだりめにかけた。は入っておらず、目はいたくない。景色けしきも、なにも変わらない。


「なににも、変わんないよ?」


 キョロキョロと景色を見回みまわす、しゅう


「これこれ、景色はなんも変わりゃせん。わしを見ろ」


 秋は、銀次に視線しせんを落とした。


「え……、えぇ!?」


 片眼鏡モノクルを通してみた銀次は、レントゲン写真しゃしんのそれだった。色味いろみこそちがえど、ほねが見え、心臓しんぞうらしき影が脈打みゃくうっている。そして何より目を引いたのが、銀次の心臓近くにある、米粒ほどの大きさの、赤くひかかたまりだった。


「なに……、これ」

霊魂視鏡れいこんしきょう。そう呼ばれとる」

「れいこん、しきょう?」

「それでもって、体内のたましいの場所と、取りいた悪霊あくりょうが体のどこに巣食すくっとるか、わかる」

「これで霊の場所を探して、短刀たんとうの針で、突く?」

さっしが良いの」

いたら?」

「体から、れいが飛び出る。それを翡翠ひすいで斬る」

「それなら、簡単かんたんに人に戻せる……!」


 銀次ぎんじは、しゅうに背を向けて、三歩さんぽ二足歩行にそくほこうしてから、残念ざんねんそうに口を開いた。


「それが、簡単じゃあ、ない。さっきも言ったがの、悪魔になりたてホヤホヤでも無いと、それができんのじゃよ。じゃから、霊剥ぎは難しいんじゃ。不幸しか生まんのじゃよ」

「なんで、悪魔になりたての、ホヤホヤじゃ無いといけない?」

「パンじゃよ」

「パン?」

「人のたましいを、パンだと思ってみ?」

「うん…」

悪霊あくりょうが体に入ると、まず真っ先にそのパン——魂をかじりにゆく」


 秋は少し考えたが、すぐに理解りかいした。


「魂がかじられた状態で悪霊あくりょうを無理やりがしても、その人の魂は欠けたままになる…?」

「そうじゃ。個人差こじんさは、あるよ。その者のたましい強靭きょうじんなら、かたいし、かじるのも時間がかかる。アンパンよりフランスパンの方が食いにくいのと、同じにの」

「すこしでもたましいが食われた状態じょうたいなら、人に戻ったとしても……」

感情かんじょうの一つや二つ、欠けたままになる」

完全かんぜん状態じょうたいで、人に戻すのは……」


取りいてすぐでもないと、無理である。


「しかもじゃ、そやつがたましいに食いついてはなさんかった時には、人の魂までも丸ごと一緒に飛び出おる」


 秋は、直之なおゆきが失敗したけん——男のたましいと悪霊が同時に、そのつまの身体に憑依ひょういした事件——を思い出した。


「それで、あの夫婦ふうふ悲劇ひげきが起きた?」

「そうじゃ」

悪霊あくりょうだけをがすことは……、できない」

「しかし直之なおゆきは、たった一度だけ、それをしおったよ」

「ん? 父さんが霊剥れいはぎをしたのは、その…夫婦の時の一度だけじゃないの?」


 銀次ぎんじは、クルッと体をしゅうにむけて、とぼけた顔をした。


「お? わしは『直之なおゆき霊剥れいはぎをしたのは一度だけ』とは、言っとらんよ?」


 秋は、頭の中でいろんな話が混在こんざいしている気がした。

 一つ一つ、整理せいりすると、モヤが晴れてきた。


「あ……、そうか。東子とうこが言っていた。一度だけ成功したことがある、って。俺が勝手に、父さんは一回しか霊剥れいはぎをしていないって、勘違かんちがいしてたのか」


 銀次は、うんうんとうなずく。


「ガンコ者の直之が、いっぺん失敗したくらいであきらめるわけは、ないよ」

「何度も?」

「あぁ何度も。じゃが成功した、とは言えんかもの。一度だけ悪魔を完全かんぜんな状態で人に戻した一件以来。直之なおゆきは、霊剥れいはぎをふうじた」

「成功したのにやめた?」

「成功したのにやめたよ」


 銀次は、トコトコと可愛らしく歩き、きりの箱に近づいた。


「これを読んでみ。全部、書いてあるよ」


 秋は、短刀と片眼鏡モノクルを木箱のふたの上に置いて、きりの箱から本を手に取った。


 情緒じょうちょある和綴わとじのノート。今まで本の表紙ひょうしはこそこめんしていたらしい。深緑色ふかみどりいろの表紙、その左上に長方形の空白がある。


 縦書たてがきで、〈刀闘記〉と書かれていた。


 秋は、ページをめくった。手触てざわりの和紙わし感触かんしょくが、指に心地良い。和紙には真っ黒なすみで、綺麗きれい整列せいれつした、縦書たてがきの文字が流れる。


——ここにしるすのは、刀によって、悪魔あくまたたかった記録——それというより、私自身わたしじしんおのが刀と闘った記録でる——


「父さんの…字」


 秋は、久々に父をじかに感じた気がした。涙腺るいせんが、熱くなった。本をらしてはならないと思い、なみだこらえた。少しふるえる指で、ページをめくった。



《5月13日》


 ばな市街しがいはずれで、悪魔を確認。金欲きんよくの、下位魔かいま。カネだ、カネだと、うるさい。後日ごじつ須賀すがから、銀行強盗ぎんこうごうとう計画けいかくをしていた者と伝えられる。迷わず斬ったが、果たして死罪しざいあたいしたのか。



《5月21日》


 花山峠かざんとうげふもと駐車場ちゅうしゃじょうにて、複数ふくすうの悪魔を確認。単身たんしん、乗り込もうとしたが、三代みしろもいた。共闘きょうとうの末、悪魔は全滅ぜんめつ上位魔じょういまの存在は確認できない。派手はでなバイクが何台もあったので、おそらく、暴走族ぼうそうぞくたぐい。三代の太刀筋たちすじは、冷徹無慈悲れいてつむじひ。しかし、根は優しいと思ふ。



《6月2日》


 悪魔を斬った。女の悪魔。病気の夫に先立さきだたれたシングルマザー。須賀すがの話では、生活苦から、子供に虐待ぎゃくたいを繰り返していたらしい。悪霊あくりょうのエサとなった欲は『幸せになりたい』その一心いっしん。シアワセ…と、何度も連呼れんこしていた。そんな欲も、食らうのか。悪霊あくりょう許すまじ。結果として、子供はすくわれた。しかし、人としてつみつぐなえば、まだ、更生こうせい余地よちはあったはず。斬ることしかのうが無い、おのが刀がにくい。



《6月13日》


 じじぃと喧嘩けんかしながら、霊剥れいはぎの短刀たんとう霊魂視鏡れいこんしきょうを、なんとか蔵から引っ張り出す。これで、悪魔を人に戻す。戻してみせる。



《6月15日》


 三代みしろに頭を下げ、協力きょうりょくあおぐ。正直、何があるか分からないとう、恐怖きょうふぬぐえない。下手へたをしたら、俺自身おれじしんが悪魔になるかもしれない。霊魂視鏡れいこんしきょうで、悪霊あくりょうを確認し、針で刺し、飛び出た悪霊を翡翠ひすいやいばで斬る。こんな簡単な事が、どうして、これほど恐いのか。



《6月20日》


 男の悪魔。須賀の調査だと、出世欲しゅっせよくにかられ、同僚どうりょうが仕事で大失敗だいしっぱいをするように仕向しむけたとか。それが成功した日の夜。『これで出世だ、俺はやった』とかれる男に、悪霊あくりょうが取りいたのだろう。三代みしろと共に、その男を悪魔から人に戻そうとこころみる。


しかし、最悪さいあくな結果に終わった。


 闘う場が、そいつの自宅付近じたくふきんだったのがいけなかった。悪魔化あくまかした主人の名を呼ぶ妻に、悪霊あくりょうは乗りうつりやがった。速かった。いや、俺が迷った。


 霊魂視鏡れいこんしきょうで見た悪霊は、男のたましいを丸ごと、体から引っ張り出した。今、斬ったら男の魂まで斬ってしまう。そう思った矢先やさき、妻の方が、悪魔になった。



 しゅうは、さらに読み進めた。直之が、悪魔あくまを人に戻すための失敗を繰り返し、イライラしているさまが書きつらねられていた。ある程度ていどページを進めると、急に短い文章ぶんしょうで、日記が途切とぎれていた。


「え…」


 ページをめくる手も、文字を追うひとみも。

 そのたった一文のために、ピタリと止まった。



《9月8日》


 三代が、片腕を失った。俺のせいだ。霊剥ぎを封印する。




 刀闘記


 ~封~

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