~雪~【下】


 セミが鳴きはじめた。

 少し前からすでに鳴いていたのかもしれない。

 セミの声すらしゅうの耳に届かないほど。

 小学校のグラウンドは、今までさわがしかった。


「終わった」しゅうは、バタッと、仰向あおむけに寝た。「やった」東子とうこも女の子座りをした。地面の土で足が汚れるかも…、少しそう思ったが、そんなことすら、どうでもよくなるくらいの達成感に満たされていた。


「秋っ!」みお須賀すがは、大の字に寝るしゅうの元へ駆けつけた。秋の顔をはさむようにかがんで、二人はしゅうを心配する。「しゅう、ケガは? 無事か?」まず須賀すがが口を開いた。「大丈夫、ちょっと眠い…」秋が応えると、続けてみおが、秋の胸に顔をしずめた。秋の胸の肌が澪の涙で熱くなってゆく。


しゅう…、よかった…よかった…」秋を称える須賀すがみおの姿を東子はただながめていた。秋には秋を心配し、大事にする人がいる。反面はんめん、自分の健闘けんとうたたえてくれる人は誰もいない。


(どんなに頑張がんばっても、誰もめてくれない…。これは、いつものこと…)


 悲しくくもった自分の顔を隠すように、東子とうこは左手でメガネの位置を直し、立ち上がった。右手の刀を納刀のうとうしてからスタスタと歩き出し、大蛇だいじゃに投げつけたもう一本の刀を拾った。「東子とうこ!」自分を呼ぶ声がする。呼んだのは秋だ。秋は、上体を起こして少し遠くにいる東子に声を投げた。


「ケガは? 無いのか?」

「えぇ。あなたは?」

「俺は、なんともない」

「そう…、ねぇ、あなたの連絡先、聞いてもいいかしら?」

「な、なんで秋のれれるり、連絡先がるのよ!」


 誰よりも先にみおが反応した。


「あなたのお父さんの件。知らなくてもいいなら、このまま帰りますけど」


 澪を無視するように東子は言った。大蛇だいじゃに気を取られていて、そのことをすっかり忘れていたみお須賀すがは、そうだった…、と言いたげな顔をした。しゅう苦虫にがむしつぶしたような顔をしてから、「俺…、スマホとか持ってない…」と言いだす。


「––––え!?」


 全員が一斉いっせいに秋を見た。3人の男性警官も、思わず秋を見た。澪と須賀は目を合わせ、そういえば秋に連絡先を聞いたことなかった…、と暗黙あんもくで語った。何かあれば直接、秋の自宅に行くことが普通だった。くわえ、秋の〝人嫌ひとぎらい〟と〝世間せけんへの無関心むかんしん〟を理解していたので、スマホを持っている秋の姿など想像したこともなかった。


「本当なの…?」東子が目を点にして秋に訊く。「こんなことうそついたって仕方しかたないだろ…」秋は気まずそうな顔をした。東子は秋から須賀に目線をうつす。


「なら、刑事さん、須賀さん——でしたか」

「お…? なんだ?」

「警察の方なら、三代家みしろけの住所くらい、わかりますよね?」

「…どっちのだ?」

「自宅の方です」

「寺では、ない方?」

「はい。その住所、秋くんに教えてあげてください」


 東子の自宅は小さな一軒家いっけんやだった。悪魔祓あくまばらいには緑色の炎と、それをく〝祭壇さいだん〟が必要不可欠ひつようふかけつ。ただの一軒家でその〝祭壇さいだん〟をかまえることは難しく、基本的に悪魔祓あくまばらいの自宅は〝寺〟であるのが一般的だ。東子は、その寺を自宅とは別に持っており、東子の父は〝寺の住職じゅうしょくけん火守ひもびと〟として、自宅から寺へ出勤しゅっきんをしている。——とはいえ、東子の父は、ほぼ寺にもりっきりなので、東子は小さな一軒家いっけんや一人暮ひとりぐらしをしているようなものだった。「お前の家に、来いって…?」秋がめんどくさそうな顔で東子に言った。


「ええ。何か不満でも?」

「…わかった。行くよ」

「少し話するだけですから。そう、かまえずに」

「人の家か、はぁ……」


 秋は東子の家に行くことが嫌なのではなく〝他人の家に行くこと自体〟が苦手だった。き父に関する話を聞くためならと、仕方なく了承りょうしょうした。自分を差し置いて話を進める二人のあいだって入るように「わ、わ、わたしゃし、私も秋と一緒に行く!」と澪が声をあげた。


 秋は、なんで…? と言いたげな顔で澪を見た。東子は直球で「なぜ? あなた、関係ないでしょ」と澪に言った。澪は言葉に詰まる。『秋の彼女だから! それくらいの権利けんりあります!』と叫びたいが、残念ながら秋の彼女ではない。もじもじと目をおよがせながら、言葉をしぼり出す——。


「だ、だって…、おさな…なじみだし…お父さん、鍛冶屋かじやだし…」


 歯切はぎれの悪い澪を見て、須賀と東子と、なんだったらその場に居合いあわせた3人の男性警官も、気づいた。


(あぁ、この子、秋の事が好きなんだ)


 秋は、眉間みけんにシワを寄せて澪の顔を、なに言ってんだこいつ…、と言いたげな顔で見ている。秋だけが、澪の本音に気づいていない。この男は、まったくもって、鈍感どんかんである。


「ふふっ…、はははっ」手の甲を口に当て、東子が笑い出した。男性警官の田中は、東子の作る華麗な表情——アジアンビューティーな美人顔びじんがおを見て、ドキッとしてしまう。このKポップグループのセンター、余裕でいけるな…、Kポップが好きな警官の木島は、東子の笑顔を見て思った。 「な、何よ!」澪がほほを赤くして怒った。


「大丈夫よ。そんな気ないから」

「ほ…、ほんとうに?」

「私、もっと背の高い人が好きなの」

「背の高い…」


 澪は、秋の頭頂部とうちょうぶを見た。「なんだよ…さっきからごちゃごちゃ…。とにかく、お前んちに行くよ。父さんの話、聞かせてくれ…」秋は立ち上がってから不機嫌ふきげんな顔で言った。


「えぇ。来る前日くらいに、須賀さん経由けいゆで連絡ください。一応、女なので。準備くらい、ありますから」

「わかった。おっさん、その時は頼むよ……」


 青春だなぁ…、とニコニコしながら高校生たちの会話を聞いていた須賀は、突然、自分に会話の順がまわって来て、あわてて「お——おおう、わかった、任せろ」と返事をした。澪はもう、会話の手札が無くなってしまい、泣きそうな顔をしている。秋は東子さんに会いたいんじゃない、お父さんの話を聞きに行くだけなんだ…、そう自分に言い聞かせた。


「……ふぅ…」秋はひとまず肩の力を抜き、晴れた空を見た。空に、カラスのれが飛んでいる。「れ…?」夏にカラスがれなんか作るか? あきや冬でもあるまいに…、秋はそう思った。5、6匹で飛ぶカラスのれは空から段々と近づいて来る。誰よりも先にその群れの正体がカラスではない——と秋が気づいた。


「……! 東子!」


 空を見上げながら秋が声をあげた。

 その場の全員が、空を見上げた。


「な…悪魔!?」


 須賀が恐々きょうきょうとしながら言った。

 カラスのれは、6匹の悪魔だった。


 漆黒しっこくの、巨大な、コウモリに似た翼で羽ばたき、服装はそれぞれ仕事用のシャツや、夜遊よあそびをしそうな若者の格好をした男女。まだ人間らしい格好をした悪魔が5匹いるが、1匹だけ、体の大きさがひと回り違う。岩のような筋肉、よろいのようにひか紫色むらさきいろ硬皮こうひ、両手には黒光くろびかりする10本の爪——他の悪魔の2倍は長い。体格も二回り大きい。それだけで武器になりそうな二本の角。人間らしさを失った獣人顔じゅうじんがおには、しのきば。東子は、左眼ひだりめらして見たその光景に、血の気を引かせた。


上位魔じょういま…!」


 上位魔じょういまは、他の悪魔達をしたがわせ、団体行動だんたいこうどうをとる、悪魔の正当せいとう進化系しんかけい。秋の父の命を奪ったのも、この上位魔に他ならない。「ひっ––––…っ! はぁっ––––…っ!」秋は突然、過呼吸かこきゅうを起こした。澪はあわてて秋の背中をさすり「秋? どうしたの!? 大丈夫!?」と声をかける。「秋…? 思い出しちまったのか!?」須賀はなぜ過呼吸かこきゅうになったのか、すぐに気づいた。


 秋の脳裏のうりには、父が上位魔に惨殺ざんさつされた時の光景こうけいがフラッシュバックした。真っ白になる視界。吸っても吸っても、肺に届かない呼吸。無意識に流れる涙。激しい耳鳴り。首の筋肉が棒に鳴ったような感覚——秋は、その場に崩れてしまう。「嘘でしょ…!」東子が秋の姿を見て動揺どうようした。


(私ひとりで全員を守りながら…、こんなに倒せるわけない…!)


 悪魔達は、秋達をかこむように着地した。生々しい、モワッとした、重たい風圧ふうあつが秋達の体にまとわりつく。「アっハハッ…、エサ…クイモン…カネ…オンナ…!」悪魔達は各々おのおの想いのままに欲しい物をケタケタと笑いながら連呼れんこした。一際大ひときわおおきな風圧と共に上位魔が一歩遅れて着地。上位魔が来た途端に悪魔たちは静かになる。まるで、怖い上司が現れたかののように。上位魔は首をかしげながら、しゃべり出した。


「イチ…、ニ……フタリ?」


 グルグルと鳴るのどからの、腹にひびくような低音の声。「ここに悪魔祓あくまばらいが二人しかいない」と数えたようだ。しかし、澪を見て目をらす。首もさらに深く傾げた。「ア…? ナンダ? アレ?」上位魔の視界は白黒のサーモグラフィーのようになっていて、普通の人間は青く見え、悪魔祓あくまばらいは、赤く見える。しかし、澪はなぜか〝緑色〟をしていた。「……ミドリ? マァ、イイカ…イイカァッ! ハハハハッ!」笑いだす、上位魔じょういま。他の下位魔達かいまたちも、一緒に笑い出した。


「ちょっと…、冗談じょうだんきついわよ……」東子はあわてて刀を抜く。秋は動けない。なんとか自分を取り戻すようにと、秋を呼ぶ須賀と澪。下位魔かいませまられ、逃げ場を失う男性警官達。すると、上空から——虫の羽音はおとに似た音が近づいて来た。須賀が空を見上げると、何か、黒い大きなかたまりが近づいてきた。


「ヘリか…?」須賀が見たのは、一機いっき軍用ぐんようヘリコプターだった。バタバタと羽音を鳴らしながら低空飛行ていくうひこうをして、こちらに向かってくる。ヘリコプターはそのまま小学校のグラウンドに急接近きゅうせっきんし、車もひっくり返しそうな程の風圧を地面にちららしながらグラウンドに着陸。刀を持った人間たちが数人、降りてくる。


 ヘリを降りたのは、6人の悪魔祓あくまばらいだった。全員、真っ黒な半袖はんそでのワイシャツに、たけ足元あしもとまであるノースリーブのフード付きコートを着て、真っ黒な革靴かわぐつく。腰にはさやの白い刀——。刀の柄頭つかがしらからは、大粒おおつぶ数珠じゅずがぶら下がっている。


 6人のうち1人は女性。ピンクに近いほど色の抜けた髪をツインテールにむすび、明らかにふくらんでいる胸元むなもとがいかにも女性らしい。その若々わかわかしい女性は、一番最後にヘリから降りて来た〈隊長らしき男〉にくっつきながら「きゃっ! せんぱーい! アクマ、たくさんいますぅ♡」と猫なで声で騒いだ。


 先輩と言われた男。年齢は30代前半。一人だけ〝赤色あかいろ半袖はんそでワイシャツ〟を着て、あとは他と同じように真っ黒なノースリーブのフード付きコートに、黒い革靴かわぐつ。髪型は短髪のツーブロック。あごには漢らしいひげ数珠じゅずをぶら下げた刀も他と同じ。しかし、よく見ると一人だけ銃身の短いショットガンを腰にたずさえている。


「どれにしよっかなぁ…あ! ワタシ、あの女の子がいい!♡」ツインテールの娘は夜遊よあそびしそうな女の悪魔あくま指差ゆびさす。「ねぇ、せんぱーい、じょーいま、コワイよおぉ♡」——東子とうこと、須賀すがみおは全く同じ事を思った。


(あの女の話す言葉の全て…、語尾に『♡』がついてやがる…)


 隊長らしい男はタバコを胸ポケットから取り出し、シッポライターで火をつけ、舌打ちを鳴らし、「やっぱこいつ、うるせぇ……。後で人事じんじ報告ほうこくだわ…」と呟いた。


 突然、現れた物々しい黒服の集団をにらむ悪魔たち。「クセェ…、クセェ…クセェナァッ!!」上位魔じょういまが、先陣を斬って口を開いた。どうも、隊長が撒き散らす、タバコのにおいが気に入らないようだ。上位魔に文句を言われた隊長は、あからさまに、より一層、うまそうにタバコを吸い、空にむけてけむりをはいた。隊長は空を見ながら一言だけ「たのむわ…」とだるそうに言うと、そのしゃがれ声を聞いた周りの隊員らしき男たちは——次々と刀を抜いた。


 迷いのない動き。

 洗練せんれんされた太刀筋たちすじ

 連携れんけいの取れた集団攻撃しゅうだんこうげき

 悪魔たちはあわてて抵抗ていこうする。

 しかし、なすすべなく次々にちりとなる。

 おびえ、キョロキョロとする女の悪魔。

 その肩をツンツン…と誰かの指がつついた。


「––––! アッ!?」


 とっさに後ろを振り返る。目の前にツインテールの娘がいる。娘は、ついさっきまで隊長らしき男の近くにいたが、瞬間移動しゅんかんいどうでもしたように、一瞬いっしゅんで女の悪魔の真後ろに移動していた。


「死んでくーださぃっ♡」


 娘は楽しそうな顔のまま居合斬いあいぎりをした。その太刀筋たちすじは速かった。肉眼にくがんでは確認できないほど。女の悪魔は驚く間もなくちりになった。ツインテールの娘が刀に手をえただけで悪魔が死んだ、そう言っても過言ではない。従えていた下位魔が次々と倒され、その場に一匹だけ残された上位魔は——隊長らしき男を目掛めがけて、飛んだ。


「ウァアッ! キサマァァッ!」大砲たいほうの弾がはなたれたような風圧と共に上位魔は隊長の元へ一直線いっちょくせんに飛び迫る。隊長らしき男はソードオフショットガンを抜き、姿勢の整った構えで迷うことなく引き金を引いた。散弾を食らった、2メートル以上はある紫肌しはだの体はいきおあまって地にころがった。その胸にははちの巣のような穴があいた。しかし銃創じゅうそうの痛みをものともせず、上位魔はすぐに体勢たいせいととのえると、自分を撃った憎たらしい男のほうへ再び飛びせまる。


木木きき燦燦さんさん


 隊長が唱えると突然とつぜん、上位魔の銃創じゅうそうから〝木の根〟が生えた。その根は地面に深く刺さり、上位魔の体を地面にってたたきつけた。そのまま木の根は上位魔の体にからみつき、ウネウネと身体中からだじゅうまわる——。首から上だけをさらけ出すようにして上位魔は、あっという間に〝木の根に巻かれたミイラ〟になった。しかもこの木の根、悪魔にとっては触れただけで力を奪われてゆく——と云う厄介なものだった。


「ンァァッ! ンゥゥ、アァッッ!」なんとか木の根を引きちぎろうとする。しかし、体は全く、動かない。力が、入らない。全身の精気せいきが木の根に根こそぎ吸い取られてゆく感覚が上位魔の全身を容赦無く襲う。「キサマ! ギザマァァッ…!」うなる上位魔の頭のそばに近づき〝ヤンキーすわり〟をする、隊長らしき男。フー…とタバコの煙を顔にワザとらしくかけた。このタバコも、この男が自分の〝木の能力〟で生み出した種を育て、栽培さいばいし、自分で作ったオリジナルのタバコ。このタバコの煙にも微量びりょうながら悪魔を祓う力が宿っている。上位魔が「クセェ…クセェ…!」とうなっていたのにもうなずける。


西威せいは、どこ行った?」隊長が質問する。「ハハハッ––––! シルカ…シルカァッ!」声を裏返しながら、不協和音が答えた。隊長は、スッと立ち上がった。


「…はい、お疲れ」


 そう言って、刀を抜き、悪魔の脳天のうてんに突き刺した。上位魔はあっけなくちりになった。木の根は宿主やどぬしを失い、瞬く間に枯れてゆく。ショットガンが放ったのは〝植物の種〟で——種にとって悪魔の体は〝プランター〟だったということなのか。


「キャッ! せんぱいかっこいいっっ!♡」ツインテールの女隊員は喜ぶ。ヘリからこの〝部隊ぶたい〟が降りて来てから、悪魔が全滅ぜんめつするまで、あっという間だった。時間にして5分、あったか、ないか。唖然あぜん状況じょうきょうをながめていた須賀すがが、隊長らしき男に声をかける。


「あ、あんたらは…まさか…」


討魔第弐分隊とうまだいにぶんたい隊長たいちょう 〝雑賀仁さいがじん〟」隊長——仁は、空にタバコの煙をはいてから応えた。「ワタシは、とーまだいにぶんたいの副隊長〝覇南彩音はなみあやね〟ですっ♡」じんの自己紹介にかさなるように、ツインテールの娘も名乗なのった。

 

討魔とうま分隊ぶんたい…、警察けいさつの? 東京の特殊急襲部隊とくしゅきゅうしゅうぶたいが、なんだってこんな田舎に…」

「あんたは?」

「火ノ花町で刑事デカやってる、須賀すがだ」

「ほう…、そんでガキの悪魔祓あくまばらまわして悪魔退治あくまたいじか。ご苦労くろうなこって…」


 しゃくさわる言い方をする、雑賀仁さいがじん

 みおはムッとした。

 

「兄の三代西威みしろせいの事、何かご存知ぞんじですか?」

 

 東子とうこが口を開いた。

 仁は、東子を見るや否や——

 物珍ものめずらしそうに近づく。

 東子の顔をのぞむ。

 タバコのにおいが東子の鼻をツンと刺した。


「なんですか…?」

「ほう…」


 まんじりと、東子を観察かんさつする。


「そっくりだな、目が」

兄妹きょうだい…、ですから…」

「真っ赤にまる前のあいつの目に、てるわ…」


 そう言って東子から顔をはなし、2、3歩、適当に歩いてから、仁はタバコの煙を空に吹く。「まぁ、これでも極秘ごくひ組織そしきなんで。組織そしきの人間としてあんたらに言えんのは〝2つ〟だけだわ」空を見ながら、誰に言うでもなく、独り言となんら変わらない口調で話し出す。東子たちは、仁の言葉を待った。


「ひとーつ。俺らみたいな政府せいふ悪魔祓あくまばらいがわざわざこんな田舎いなか出向でむいたのは、白魔化はくまかした西威せいがこの町に潜伏せんぷくし、悪魔を増殖ぞうしょくしているからー。

 ふたーつ。しばらくこの町にした討魔分隊とうまぶんたいがキャンプするのでー、ガキの悪魔祓あくまばらいは大人しく日常生活に戻りましょー」


 しばらくの沈黙ちんもくが流れた。みな、突然の出来事が重なり呆気あっけに取られている。


「……質問は?」場の沈黙に耐えかねた仁が、再び口を開いた。「兄と…仕事をした事は、ありますか?」東子が、仁にいた。仁は数秒黙った。


「あぁ。面倒めんどう、見てやったわ…」 

「警察の中でなにがあったの!? あんなに真っ直ぐで、悪魔をはらうことに実直じっちょくだった兄が…白魔はくまになるまでの理由——。ただ、三代家みしろけが世間に淘汰とうたされてきたという理由だけで、白魔はくまにまでなろうなんて…。私には到底とうてい、理解ができない…」


 この人なら何か知っている——そう思い東子は食い気味に声を上げた。仁は、至って変わらない仕草で相変わらずタバコを味わっている。


「今から言う言葉は、分隊長ぶんたいちょうとしての言葉じゃない。俺の個人的な言葉だ。人間はな、結婚してぇほど好きになった相手を殺されちまえば、誰だって少しはおかしくならぁ…」


 仁が抑揚よくようのない声で言うと、東子たちは目を見開いて言葉を失った。仁の言葉の後、ヘリコプターがエンジンを回した。バタバタと羽音はおとを鳴らし、土煙つちけむりと悪魔のちりを巻き散らす。すぐさま、慣れた足取りで次々とヘリに乗る隊員たち——。「教えて! 兄は…! 悪魔祓あくまばらいだった兄は…! どんな人だったの!」東子は舞う土埃つちぼこりの中——仁に叫んだ。仁はヘリのステップに片足だけひっかけて、タバコを携帯灰皿けいたいはいざらに押し込む。


「いいやつ、だったわ…」


 ヘリの羽音にかき消されない、必要にして最低限さいていげんの声量で東子にこたえた。仁が乗ったのを確認したヘリのパイロットは操縦レバーを切ってヘリを上昇させた。ヘリの中から彩音あやねが「バイバーイ♡」と、いいながら手を振っている。嵐のように現れ嵐のように去った、討魔分隊とうまぶんたい——再びしずまり返ったグラウンド。


「なんだ、あいつら…」しゅうが寝起きのような声で言った。「しゅう! 大丈夫なの!?」みおが勢いよくしゅうの顔を見て、声をあげる。「……あぁ」「お、おい、秋、なんともないのか?」須賀すがしゅうを心配する。「うん…、なんとか…」呼吸を取り戻した秋は東子を見た。今までヘリがいた方向を向いて、茫然ぼうぜんくしている女子高生の背中が視界の真ん中にある。


「ねぇ、鍛冶屋かじやの娘さん? お願いがあるのだけど」東子はかえり、澪を見て言った。「な、なんでしょう…か」澪は緊張してしまう。


「お父さんに〝悪魔祓あくまばらようかたな〟を一本、打っていただきたいの」

「え…?」

三代家みしろけ人間不信にんげんふしんすぎた。もっと人間不信にんげんふしんな人を見たら、なんかどうでもよくなっちゃった。人間用にんげんようの刀を、捨てようと思うの」


 そう言って、秋を見ながらクスッと笑う。


「私、今まで同時に二本の刀を抜く事、ほとんどなかったけど。二刀流もいいかなって、思って」

「わ、わかりました…、父に伝えときます」

「えぇ、ありがと。お願いね」


 東子は再びクルッと振り返り歩き出した。「東子…、悪かった」秋は、東子の背中に声をかけた。「あなた、それだと上位魔じょういまたたかえませんね」背中を向けたまま冷たく言いはなつ。いつもの東子とう感じ。「あぁ…」秋の頭は深くしずんだ。


「もし、また上位魔が出たら、私が助けます。あなたがどんなに〝ダメ〟になっても、私が守る——」東子は突然らしくないことを言った。何か吹っ切れたような顔をしている。


 自分らしく生きよう。

 兄のことを忘れよう。

 兄は死んだ。

 母も死んだ。

 私は一人だ。

 一人の道を歩いてゆく。

 でも、きっと。

 彼を仲間と呼んでいい。

 このモジャモジャ頭の風使い。

 母や家族以外かぞくいがいで、唯一。

 私を抱きしめた人間。

 好きなのかもしれない。

 好きになったのかもしれない。

 私は、この男を。

 好きになってしまったのかもしれない。

 今はアドレナリンが出ているから——

 そう思うだけか。

 でも、なんでもいい。

 なんでもいいや。

 今、感じることを大切にしたい。

 後のことは後でいい。

 私を抱きしめたのだから。

 この、高嶺の花と云われる私を、

 抱きしめたのだから。

 責任、とってもらう。

 私も結局〝女〟か。

 忘れていた。

 恋とか。

 そうゆう。

 あったかい感情。 



「兄みたいに、結婚したいくらい好きになった人を失ったら––––私まで白魔になってしまいそうだもの」



 東子は少し歩いてから、両手を腰の後ろで組み、女の子らしく、可愛いらしく振り向いてから秋に言った。あきらかな恋敵こいがたきの出現に澪は「あー!」と声をあげ、顔を赤め、頭の中がこんがらがった。おおう、こいつぁ修羅場しゅらばか…? と思い、須賀は青春の息吹を感じてニヤケる。うつむき、上位魔と闘えない自分への不甲斐なさで頭がいっぱいの秋は、東子の発言の真意に全く気付いていない。仮に東子の言葉をちゃんと聞いていたとしても、鈍感どんかんな彼には東子が何を言っているのか、恐らくわからないだろう。


「本当ににぶいのね。いや、今は別のことで頭がいっぱい…、か……」


 クスッと笑い、東子は再び秋たちに背を向けて、歩いた。黒く長いストレートヘアを結んでいた輪ゴムを取り、髪を優雅になびかせる。西威が向かった東とは逆の、西の空に向かって大きく背伸びをした。西を向いた理由には——いつかお兄ちゃんを妹として迎えにゆく。あの人の過ちは私が終わらせる…、そう云う意味が込められていた。空に向かって思い切り体を伸ばすと、体と心が軽くなるような感覚が——全身を駆け巡った。


「待ってて、お兄ちゃん。私が迎えに行く。絶対に。影に落ちたまま苦しませたりしない。お母さんと約束をしたから。影を照らす太陽になると約束、したから」


 朝陽が、東子の雪のように白い肌を照らした。


 東子のそばに、季節外れの綿雪が一つ。


 やさしく、美しく。


 誰かが無意識に起こした、そよ風に吹かれ。


 舞った。




 刀闘記


 ~雪~

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