夏の朝陽が照らすは雪の綿

~雪~【上】



 朝陽あさひあたりを照らし始めた。

 大蛇の10メートル先に立つ二人。


 風の能力、浮楽岩刀ふらくがんとうの使い手、立神秋たちがみしゅう

 氷の能力、とう雪血せっけつの使い手、三代東子みしろとうこ


 二人の視界しかいを支する大蛇だいじゃ朝陽あさひを背負い、逆光ぎゃっこう漆黒しっこくに染まった。大蛇はまず、大太刀を大きく横薙ぎ、地面をいた。土埃つちぼこりが舞い、一部の緑色の炎が完全に消えた。大蛇をかこんでいた円形の炎壁えんへき——○を描いていた炎の壁が、Cの形になった。さながら闘技場とうぎじょうの出口が開いたようなもの。先ほどよりも火の力は弱まっているが——それでも、大蛇にとってこの緑色の火は〝たった少しでも絶対に触れたくないもの〟であることに変わりない。


 開いた炎壁の隙間すきまから、蛇の巨体はスルスルと腹ですべり、しゅう東子とうこ目掛めがけて一直線に飛び出した。両の大太刀だいたちを地面すれすれに低く振り、ハサミで斬り込むように二人を攻める。


 しゅう大太刀だいたちをジャンプでかわし、大蛇の背中へ飛び乗る。東子とうこは大蛇の方を向いたままバックスケーティングで後退こうたい秋は大蛇の背中に刀を突き刺した。大蛇はすぐさま仰向あおむけにひっくり返った。秋は咄嗟とっさに大蛇の横に逃げるように落ち、転がる——危うく大蛇の背中につぶされかけた。仰向あおむけになった大蛇は、すぐに体勢を戻す。真横で体勢たいせいを崩した秋を目掛めがけて、右の大太刀だいたちを勢いよくぎつける。


 巨大な刃は、秋に当たらず、氷の壁に食い込んだ。大蛇の大太刀だいたちは——突如とつじょ、地面から出現した氷の壁にはばまれた。東子が間一髪かんいっぱつで、大蛇の攻撃から秋を守った。


「わるいっ!」秋は礼を言って立ち上がる。「次! 来ますよ!」東子はスピードスケートの選手のように勢いよく前方に駆け出し、大蛇の右側へ。今度はフィギュアスケーターのように回転し、大蛇の右脇腹みぎわきばらに刀のを何度も当てた。大蛇の腹をちりにしながら、そのまま腹を貫通かんつうし、反対側に飛び出す。大蛇は腹を裂かれ、上下半身じょうげはんしんはなされた。


 しかし、こうして上半身下半身が離れたのは初めてではない。大蛇は、下半身かはんしんちりになるその前に、大太刀で自分の切り離された下半身かはんしんを突き刺し、持ち上げると、すぐさま東子にその〝肉塊にくかい〟を投げつけた。


 宙を飛ぶ大蛇の下半身。

 それは、空中でちりになった。

 そのちりが東子におおいかぶさる。


「うっ––––! ゴホッ…! カハッ…!」


 東子は大量のちりを投げつけられ〝目眩めくらまし〟を喰らってしまう。細かい粒子状の塵が、鼻と口の呼吸を奪う。「東子!」秋が東子のそばに駆け出す。『風鱗ふうりんはなち——!』 左手のひらを東子に向けて術を唱えた。 


 すると秋の体から突風とっぷうが吹き、東子を包む煙幕えんまくのような塵を全て吹っ飛ばした。そのまま東子をお姫様抱ひめさまだっこでかかえ、軽々かるがる避難ひなん。大蛇から離れたところで東子をそっと下ろす。東子の全身は塵だらけ。東子は、こうゆう姑息な攻撃が一番嫌いだ。心底、頭にきた。大蛇は、東子に汚い塵を投げつけたことを、あとで後悔するに違いない。


「大丈夫か?」

「えぇ。目眩めくらましとか…ムカつきましたけど…」

「いけるな?」

「もちろん」


 東子は服についたちりを手でたたいてはらう。右眼みぎめちりが入った。目がゴロゴロする。しかし、目薬は無いし、あったとしてもしている時間はない。何度かまぶたを強くまばたかせ、涙を分泌し、目の痛みをやり過ごした。肝心かんじん左眼ひだりめはメガネのレンズに守られ、一応視界いちおうしかい良好りょうこう。ふと、遠くから人間たちのけ声が聞こえた。


「せーのっ!」


 声のぬしは、須賀すがみお、3人の男性警官達だんせいけいかんたちだった。5人は力を合わせ、コンテナのとびらを閉じようとしている。


「おっさん!」


 しゅうが叫ぶ。須賀すがは、コンテナを力一杯ちからいっぱい左肩ひだりかたで押しながら「こっちは任せろっ!」と声を上げ、応えた。みおも両手で扉を押す。こんなに肌を露出ろしゅつした寝巻き姿で、私はなにをやっているんだろう…、と一瞬思った。しかし、悠長ゆうちょうに着替えてからこの場所に来ていたとしたら、なんですぐに来なかったのか、着替えている時間なんてなかったのに…! そう思って自分を責めていただろう、とも思った。


「んっっ! 秋! がんばっ…てっ––––!」澪が肩を押し付ける。コンテナの扉はさびの音を鳴らしながら、ゆっくり、だが確実に閉まり出した。このままのペースでいけば、コンテナの扉が完全に閉まるまで、時間にして〝3分〟その3分間、しゅう東子とうこは大蛇を引きつける必要がある。


「澪——…」秋はしっかり、か弱い体でなんとか力を貸そうとする澪を目に焼き付ける。申し訳なさを感じつつも、その精一杯せいいっぱい姿すがた勇気ゆうきをもらった。東子が「私、コンテナと外壁がいへきの間の地面、凍らせますから」と秋に話しかける。ぼーっとしないで、と言いたな声色でもあった。「あぁ、頼む…!」秋は目線を大蛇に固定した。


 滑り出す東子。

 走り出す秋。

 下半身が再生した大蛇はコンテナに向かっている。

 5人が危ない。

 

 東子は、大蛇を追い越しながら刀のさきを大蛇に向けた。『氷峰ひょうほう……』「––––東子!」技の名を言いかけた東子をさえぎるように、秋が走りながら叫んだ。技を中断し、東子は秋を見る。秋は首を横に振っている。『力を温存おんぞんしろ!』と、言うとこだ。


 東子は大蛇を無視してコンテナに向かう。秋は大蛇に追いついた。尻尾に刀を突き刺す。細い尻尾に足を乗せる。バランスをとる。大蛇の背中を上を駆ける。ウネウネと蛇らしく進み、一直線にコンテナに向かう大蛇のの上を、秋は駆け抜けた。大蛇の首元までたどり着くと、首に深く刀の一閃を間髪入れずに食い込ませる。大蛇の首から上がちりになった。一時的にでも、視界と聴覚を奪えれば、コンテナの5人が襲われる心配はひとまずなくなる。10秒と経たずに大蛇の頭部は再生してゆく。すかさず秋が大蛇の体に左手を押し当て技を唱える。


風泡ふうほう虹浮玉こうふぎょく——!』再び〝風のシャボン玉〟に大蛇は全身を包まれ、浮いた。「向こうに…! 行ってろっ!」


 秋は大蛇をコンテナから突き離すように〝飛び後ろ回し蹴り〟を見舞みまった。その巨体に似合わない軽さで吹っ飛んだ大蛇の体は、グラウンドをかこむ緑色のネットにひろわれれた。ネットから抜け出そうとジタバタするが、むしろネットが余計に、体にからんでしまう。


「––––今だっ!」須賀はさらにコンテナの扉に力を込める。ギリリ…と軋む、錆ついた大扉。観音開かんのんびらきの片方が閉まった。すぐさまもう片方の扉を閉めはじめる5人。東子とうこは地面を広く一直線いっちょくせんに凍らせた。しかし、みおしゅうを見た途端とたんに扉を押すのを––––やめた。


「うっ…はぁ…はぁ……」


 しゅう相当そうとうなまでに疲弊ひへいし、立っているのもやっとだった。みおしゅうのそばに迷わず駆けつける。


「秋っ!」


 秋はうずくまり、片膝をつき、刀をつえのようにしてなんとか体をささえている。秋のそばに駆け寄るや否や——澪は身をかがめ、秋を介抱かいほうし、「秋っ––––! 大丈夫? ごめんね…ごめんねっ…」と澪が泣き出した。


「なんでお前が…泣くんだよ…」

「だって、だって––––! 私には何の力もない…何も…できない…っ!」

「ヒスイ、持ってきてくれただろ…」

「それだって! お父さんが気付いたから––––!」


 すると、秋がポケットにしまっていた翡翠ひすい砥石といしが光り出した。「ん…?」急に暖かくなった翡翠ひすい砥石といし違和感いわかんを感じた秋は、ポケットから砥石を取り出した。秋の手のひらに座る砥石は、やんわりと、ホタルのような、優しい緑色の光を放つ。秋はおどろいた顔で澪を見た。澪は本能的ほんのうてきに秋の手をヒスイごと両手でつつんだ。すると突然——緑色の大きな光が二人を包んだ。あたたかく、優しい、温和おんわ翡翠光ひすいこうが二人の全身を包み込む。


「え…、何…これ…」突如とつじょ、自分たちを包む緑色の光に驚いた澪は、秋の顔を見てさらに驚いた。「秋––––! 顔の傷…消えてる…!」「えっ?」秋は自分の左腕ひだりうでを見た。あずさ強酸きょうさんに焼かれた腕は、何事もなかったように元どおりになっている。身体中のきずも消え、めまいも疲れも、何も感じない。


「お前、何したんだ…」

「え、わかんない…」


 目を点にして見つめ合う二人。

 二人を包む緑の光を見た須賀も、驚いた。


「おいおい…、一体どうなってやがんだ!」


 東子も足を止め、光を見た。


「なんなの…、あれ…あの子、まさか––––」


 しばらくすると、秋と澪を包んでいた緑色の光は、ヒスイに吸い込まれるように収縮しゅうしゅくし、消えた。秋は、全快ぜんかいして軽くなった体を起き上がらせる。「なんか、よくわかんないけど、助かった」秋は澪に礼を言う。「あ…はい…よくわかんないけど…ありがとう」澪も何が起きたかわからず、ぽかんとしている。おそらく自分が何かしたような気がするのだが、何をしたのか、何が起きたのか全くわからない。須賀と3人の男性警官だんせいけいかんが押していたコンテナの扉は——ようやく閉まった。須賀はかんぬき状のコンテナのロックを閉める。東子も地面を凍らせ終わった。

 

 準備は、整った。

 

 あとはコンテナと小学校の外壁の間に大蛇をおびき出すだけ。大蛇は、ネットを引きちぎり、全身を投げ出すようにして地面に長い腹を押しつけた。そのままスルスル…と蛇らしく進み出し、大口を開けて秋と澪に迫る。二人を食いたいのか、殺したいのか——殺してから食いたいのか——その蛇眼に映る澪と秋は、エサか、天敵か——。


 「澪っ! 逃げろ!」澪は秋に突き飛ばされるようにして、その場から離れた。一直線に向かってくる大蛇を引きつけ、秋は走り出す。「終わらせる! 絶対に!」秋は大蛇に叫び、引きつける。そのまま、コンテナと外壁の間へ向かう。東子が素早く滑って秋に近づく。秋の横で併走しながら「引き受けます!」と声を上げる。「頼んだ!」秋は耳に風を感じながら応える。


 東子は大蛇に向かって〝人間用の刀〟を抜き、投げた。

 大蛇の右のこめかみに刀が刺ささる。

 巨体はいかり、東子を追いはじめる。


二刀流にとうりゅうってのも、悪くない…わね––––っ!」東子は高速で滑り、大蛇を誘導ゆうどう。大蛇はそのまま、コンテナと外壁の間へ。ちょうど、その間を大蛇が通ったタイミング。秋が「いっ、けぇっ!」と唸り、コンテナに思いっきり飛び蹴りをした。空砲くうほうまじりの強力な蹴り。地面を滑走かっそうする4メートル四角形しかっけいの、鉄製てつせいコンテナは——全長7メートルの大蛇の体を、容赦無ようしゃなく外壁に押しつけた。頭と尻尾がコンテナからはみ出て暴れている。すかさず東子が、大蛇の首から上を、氷の塊で外壁にしばり付ける。


「動かないでっ…よ!」


 大蛇の頭はみるみる氷漬こおりづけにされてゆく。

 外壁に貼り付けられる。

 しかし、大蛇は尻尾の方を暴れさせた。

 忙しなく動き回る大きな尻尾。

 重たいコンテナも少しずつ——

 大蛇の体から離れる。


「うおああぁっ!」


 須賀と警官たちが叫んだ。

 叫びながら、4人は大蛇の尻尾に飛びついた。

 体を重ね、大蛇の尻尾をなんとか拘束こうそくする、だい大人達おとなたち


「おっさん!」


 須賀の右肩から血がにじむ。

 肩の痛みなど物ともせず、須賀は大蛇の尻尾を押さえつける。

 痛みを堪える男たちの唸り声が響く。

 秋は、すぐにコンテナの上に乗った。

 コンテナを踏み台にして大きくジャンプ。

 そのまま大蛇の真上、

 小学校の屋上のふちに立つ。


「よし! 次!」東子は大蛇の頭を氷で拘束こうそくし終わった。すぐに須賀達すがたちが押さえる尻尾を拘束こうそくするために駆ける。「離れて!」東子の声で、男4人は大蛇の尻尾から離れる。すぐに尻尾を氷漬こおりづけにする。大蛇は4本腕をどれともなく使い、コンテナを押す。何度かコンテナは大蛇の体から離れ——数メートルころがり、大蛇の体を開放した。しかし、時すでにおそし。ちょうど東子が尻尾を拘束こうそくし終わっていた。大蛇は背中を外壁に押し付ける姿勢で拘束こうそくされた。


 弱点の〈左前腕ひだりぜんわん〉は天をあおいでいるが、ジタバタと動いている。秋が斬るためには、この〈左前腕ひだりぜんわん〉を氷点下ひょうてんかよりも低い温度まで凍らせる必要がある。東子はすぐに大蛇の体に飛び乗り、寝起きで子供の腕ように——あばれる大蛇の〈左前腕ひだりぜんわん〉に、刀を持っていない手——左の手のひらを、なんとか、当てた。


「…くっっ! 動くなっ! 動く––––な!」


 うごめく巨体の上でバランスをとり、大蛇の腕にえた手のひらに全神経を集中させる。大蛇の左前腕ひだりぜんわんは一度ブルルっ…と寒さで痙攣けいれんしてから、しおれた花みたいに弱々しくなり、次第にその冷気が全身にまで伝わり、大蛇は、完全に、大人しくなった。「秋っ!」東子が叫ぶ。もしかしたらその場の全員が秋を呼んだかもしれない。その中でも一際ひときわ、東子の声が鮮明に、はっきりと、秋の耳に届いた。

 

 秋は飛んだ。

 小学校の屋上から。

 大蛇の弱点を目掛けて。

 一直線に落下。

 ほほにあたる風圧を感じ——

 瞬間的しゅんかんてきにある風景を思い出した。


    *


 12年前。


 五歳の秋に、寺院じいんの庭で稽古けいこをつける、父、直之なおゆき


「ねぇおとーさん〝らいかぢゃめ〟ってなぁに?」

雷戈雨らいかざめはね、たかーく飛んでから、ビューン! と落ちて、ドーン! て、攻撃する技だぞぉわかるかぁ?」

「………わかんない」

「お…、そ、そうか、よし! じゃぁ見てろぉ」


 そう言って木刀ぼくとうを手に、寺院じいんの屋根に軽々かるがると飛び乗る直之なおゆき。重力を感じさせない跳躍で軽々と飛んでから、勢いよく落下して木刀ぼくとうを庭の石に振り落とす——。庭の石はぷたつに割れた。直之の足元もクレーターのようにへこんでいる。


「しゅごい、しゅごーい! 僕もやるー!」おさない秋は父の技を見て喜んだ。木刀を手に持ち、近くにあった背の高い庭石にわいしに「よいしょっ…」と可愛らしく言って、登った。「あ、秋! 危ない!」父の言葉は届かず、秋はすぐにぴょん——! とジャンプした。


「らいかぢゃめー!」


 ボコッ…


 秋はまともに地面に着地してしまい、足をくじき、尻餅しりもちをついた。本来なら、急降下しても風の能力がクッションのように体を守るのだが、幼い秋はまだそこまでの技術を体得たいとくしていない。


「いだぁぁぁい! うえええええん!」あまりの痛さに秋は泣き出した。「こらこら、ちゃんとお父さんとやらないから…」秋を介抱かいほうする直之。秋の泣き声を聞いた、母、かすみが庭に駆けつける。


「なお! 何させたの!」

「す、すまん…、ちゃんと見ていたんだけど…」

「見てないからこうなったんでしょ! もう! 秋おいでー、ヨシヨシ…」


 秋を抱き抱えてあやす。この時、かすみの髪の毛はミディアムロングに伸びていて、神事しんじにもたずさわっていない——普通の主婦だった。


「くおおおらっ! 直之! 何しとるか!」庭の割れた石を見た、当時まだ人間だった〝銀次ぎんじ〟が怒鳴った。「オヤジ、ごめん!」直之は手を合掌して謝まった。銀次は草履ぞうりいて庭に降り、割れた石に近づくと、庭の砂利じゃりへこませる小さな穴に気づいた。


「これは秋の仕業しわざか?」

「そうだよ」

「5歳じゃのに、やりおるの……」

「まだ〝風と友達〟になるまで、いかないけどね…」

「お前が5歳の時のこと、覚えとるか?」

「いや、覚えてない」

「お前は、地面をへこませることすら、できんかったよ」

「そうなの?」

「こいつぁ…、ばけけるぞ」

「そうだと、嬉しいよ」

かみなりの勢いで降り注ぐほこあめの如く、地面に穴を開けるほどの大技——。秋は、すぐに使いこなすじゃろうて…」


 銀次はしんみりとした顔で、秋が開けた穴をみる。


「ネズミがタカを生んで、タカがりゅうを生む、ってとこかな」直之が笑いながら言った。「誰が…、ネズミじゃと?」銀次ぎんじは、半目で直之なおゆきをにらむ。「オ、ヤ、ジ、」うすら笑いでニヤッとしながら直之はこたえた。「おぉ、そうかいそうかい。そんじゃネズミは、かすみのこさえた〝プリン〟をお前の分までいただくとするかのぉ」「あ! そりゃねぇよ! オヤジ!」庭で子供みたいな口論こうろんをする男二人おとこふたりながめながら、かすみは庭の縁側えんがわで、秋の足首に氷まくらを当てて、冷やしていた。直之との稽古で疲れ、自分のひざの上でスヤスヤ眠った秋に、そっと——話しかける。


「秋は強い子、優しい子。いっぱい食べて、いっぱい寝て。お父さんを超えるくらい、大きくなってね…」


    *


 小学校の屋上から、大蛇の弱点を目掛けて急降下する。


「みんな離れて!」


 東子が叫び、大蛇の体から飛び退く。須賀と警官達も全員、大蛇から離れる。まるで大蛇の最後の抵抗ていこうかのように、秋の全身に強い逆風ぎゃくふう真下ましたから打ち付けた。秋はその〝邪風じゃふう〟を斬りき、刀を大蛇の弱点に振り落とす——。



らい  ざめっ!」


 

 氷を刀が砕く時。

 こんな音がするんだ…。

 秋の勇姿を見守っていた澪はそう思った。

 金属と金属がぶつかった音とは違う。

 いつも、お父さんが打っている鍛冶の音とは違う。

 かみなりが。

 ひょうが。

 かたなが。

 爆風ばくふうが。

 その全てが。

 一瞬だけ——

 思いきりぶつかりあったような音。

 複雑な音。

 でもはっきりしている音。

 とても邪悪じゃあくなものが丸ごと砕け散った、音。

 勢いよく落ちた秋の足元。

 彗星でも落ちたのか。

 そう思えるくらい。

 秋の足元は思いきり凹んでいる。

 舞う土埃つちぼこり

 白い塵も混ざって舞っている。

 固唾かたずを飲んで目をらす秋以外の全員。

 土埃つちぼこりが晴れてきた。

 秋が立っている。


 大蛇はいない。

 

 秋の足元には、長く、長く、地面に横たわるちりがあった。そのちりは、東子の氷が溶けた、雪解ゆきどけの水溜みずたまりにひたっている。水浸みずびたしの真っ白なちりまばゆく光った。それはまるで、長い冬が終わり、春が訪れ、粉雪が溶けてゆくような、長い、長い、闘いの終わりを教えてくれているような。そんな、情緒じょうちょに満ちた、光景——。


「夏に、雪が降ったんだよ。とても、強くて、優しい女の子が降らせた雪だ」


 そう語りかけてくるかのように。


 夏の朝陽は——


 一片いっぺんも残らずちりとなった大蛇の全身を。


 美しく、美しく。


 照らしあげた。




 刀闘記


 ~雪~

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