~虹~


 緑炎りょくえんは地面に大きな円を描いて燃えた。


 その円は直径、約30メートル。緑色みどりいろの炎にかこまれ、立つ、しゅうしゅう対峙たいじする、4本の巨腕きょわんをはやした大蛇。大蛇の両前腕りょうぜんわんの手は〝大太刀だいたち〟に変わっている。秋は大蛇に向けて刀をかまえた。その刀身は、緑色の炎に包まれている。


 秋の気迫きはくあふれる一声を皮切かわきりに、大蛇は二足歩行にそくほこうで秋に急接近きゅうせっきん。右の大太刀だいたちで秋を袈裟けさに斬りつける。その迫力たるや、大包丁だいほうちょうを持った巨人と相対あいたいしているのと変わりない。常人じょうじんなら——腰を抜かし、尻餅しりもちをつき、おびえ、なすがままにあやめられるのがオチだろう。


 秋は大太刀を動きを見切った。斜め左上から襲う巨大なやいばを、必要最低限ひつようさいていげんの動きでかわす。少し身を低くし、体を左に一歩ずらす。秋の耳に大太刀の風切り音が触れる。大蛇の大太刀は、いきおい余って地面をナナメにえぐった。数秒のすきができた。大蛇はその図体のデカさと、両手の大太刀の重さからか、動きがにぶくなっている。


 一撃の強さはすさまじいが、その分動きは読みやすく、攻撃後の硬直時間こうちょくじかんも長い。イタチのように素早い秋にうまく対応できない。秋は大蛇の首元に向かって飛ぶと、刀のではなく、左のてのひらを大蛇の首に当てた。すぐさま、術を唱える。


風泡ふうほう虹浮玉こうふぎょく——!』


 大蛇はその全身を〝シャボン玉〟のような丸い風に包まれた。突然に重力じゅうりょくから解放され、空中に浮き、ジタバタする。秋は一度、地面に着地してからすぐに飛びあがり、すかさず〝飛び後ろ回し蹴り〟を深く、押し込むように、空中で無力に暴れる大蛇の腹部ふくぶに蹴り込む。


 たんぽぽの綿の如く風に流され、ふっ飛ぶ大蛇の巨体。なんとかして着地しようと、大蛇は尻尾を地面に向けてのばす——尻尾は何度か地面をこすった。10数メートルほど大蛇の体を運んだ風のシャボン玉の効果は、短時間で薄れ、大蛇はなんとか地面に着地した。しかし、着地した所には緑色の炎が燃えていた。


 この炎は、悪魔を払う炎。生きている炎。大蛇が近づいた事を察した炎は、二倍の高さに燃え上がり、蛇を逃すまい…、と炎壁えんへきを作る。翡翠色ひすいいろほのおの壁に、弱点である〈右前腕みぎぜんわん〉を——勢い余って突っ込んでしまう。赤い火に当たった時とは比べ物にならないほど、大蛇はもがき苦しんだ。弱点の〈右前腕みぎぜんわん〉は、ちりになってゆく。


 勝負が…ついた?


 秋はそう思った。


 しかし、その瞬間。大蛇の〈右前腕みぎぜんわん〉から胸を通り、左前腕ひだりぜんわんへと——大きなボールがうごめくように、真っ黒な塊が大蛇の体内を移動した。今まで弱点だった右前腕みぎぜんわんは大太刀ごとちりになった。しかし、入れ替わるように今度は〈左前腕ひだりぜんわん〉が筋肉を隆起りゅうきさせ、その腕から禍々まがまがしい紫の血液を全身に送り込むように——黒ずんだ血管はドクドクと脈をうつ。


「弱点を、移動させやがった…!?」


 しゅうが思わず口をついて言った。執拗しつように、生きながらえようとする大蛇。〈左前腕ひだりぜんわん〉から栄養を送られ、すぐに再生する右の大太刀。そのたくましいまでのせいへの執着しゅうちゃく敬意けいいしめすような気持ちで、秋が叫んだ。


「来い! 何度だって相手してやる! 何度だってお前のやいばを受け止めてやる!」「–––––ッッアアアッ!」大蛇は完治した全身ぜんしんで天をあおぎ、空に向かって雄叫おたけびをあげた。人の声か、蛇の声か、獣の声か––––低く、歪み、太く、耳に障る、不協和音。


 小学校の近くで新聞配達をしていた中年の男性が、スーパーカブを運転しながら、大蛇のその声に振り向いた。グラウンドに広がる非現実的な光景を目の当たりにして、「う、うあっ! なんだありゃ!」と声をあげた。まだ自分は寝ぼけているのではないか…、そう思って頬をつねりながら、カブのエンジンをふかし、勢いよく逃げた。


 時間は、まもなく朝の4時になろうとしている。ほんのり、朝陽あさひがあたりを照らし始めた。巨体はドタドタと地を鳴らして駆け出し、両手の大太刀を秋に当てようとする。攻撃を察した秋は、その場で左足を一歩、引いた。炎刀を胸の前で水平に構える。地に深く根を張るように、腰を落とす。


重根じゅうこん覇王樹はおうじゅ——!』


 秋が叫んだ瞬間––––風が小さな竜巻を作りながら秋の周りに集まり、ドン…と大型の空砲くうほうが土に撃たれたような音が鳴った。秋の足元の地面に、幅は1メートル、深さは10センチ程度のクレーターができた。秋の足の甲には重い、つけもの石のような風がり、足裏には秋の足をしっかりと地面に固定する、掃除機そうじきのような吸引きゅういんを起こす風が——地面と秋の足を吸い付ける。さらに力強い追い風が、倒れそうになっても僕が支えるよ…、と言いたげに、優しく秋の背中を支えた。


 そして——秋は今、敵の攻撃を防御する時と、敵に攻撃を加える時——その二つの瞬間だけ、両腕に非現実的ひげんじつてき質量しつりょうが重くなった空気をまとわせることができる状態にある。刀を降った時、それはハンマーのような破壊力を得た重攻撃じゅうこうげきになり、敵の太刀を受け止める際も、腕や刀そのものが岩になったかのように重くなり、かつ、その重たい両腕りょううでを風が下から支えてくれるので、相手の一撃を堅実けんじつに、確実に、受け止めることができる。


重根じゅうこん覇王樹はおうじゅ』は、その場で敵の攻撃をかまえ、カウンターを当てていく完全なる受け身の技。覇王樹はおうじゅとは、サボテンのこと。俺に触ったらケガするぞ…、そう言っているのと変わりない。深く腰を落とし、鋭い眼差しで待ち構える秋の近くへ。邪悪な圧をまき散らしながら接近した大蛇は、両手の大太刀を交互に、袈裟けさに、何度も秋に当てようとする。大太刀は、その半分以下の大きさの刀に、いともたやすくはじかれてしまう。

 

 負けじと、何度も、何度も、大太刀を振り下ろす大蛇。

 負けじと、何度も、何度も、大太刀を弾き返す、秋の炎刀。


 大蛇は苛立いらだった。全力を込めの大太刀を強く振る。甲高かんだかい、鐘の音のような金属音きんぞくおんが鳴った後——大蛇の大太刀は折れた。回転しながら、宙を飛び、地面に落ちて、深く突き刺さった。本来であれば、左の大太刀の方が硬く強い。しかし、大蛇は右利きだった。思わず、使いやすい方を振ってしまった。


 根元から折れた右の大太刀をすぐに再生しようとするが、秋は、そのすきを与えない。刃を失った右前腕みぎぜんわんに飛び乗る。腕先うでさきから肩にかけて素早く駆け上がりながら、刀を左右に振り、巨大な腕を切り刻んでゆく。腕先うでさきから肩にかけて、紫の巨腕は次々と塵になる。肩まで切り進んだ秋は、そのまま大きく飛翔ひしょう華奢きゃしゃで細い体は、すぐに急降下。力強い縦斬たてぎりを、大蛇の脳天のうてんに振り落とす——瞬間、大蛇は左の大太刀を地面に刺し、クルッと巨体をひるがした。秋の縦斬りは大蛇には当たらなかった。急降下した秋の体が、地面をへこましたのみ。


 秋の着地のすき——それを大蛇は見逃さなかった。すぐに左の大太刀で、秋を地面ごとすくい上げるように攻撃。大地をめくり上げるような一撃を、秋は刀で受け止めざるを得なかった。秋は、そのまま緑炎の壁の外側に飛ばされる。なんとか受け身を取ったが、勢いを殺しきれず、体は地面を転がる——。その際に刀をつつんでいた炎は消えた。すぐに起き上がろうと、尻餅しりもちをつき上体を起こす秋のもとへ、須賀すがみおが駆けつける。


「秋っ!」澪は駆けつけ秋に抱きつく。

「お…、おい!」秋は澪を体から離した。

「あ、ごめん…」


 澪の目からは涙が垂れている。「秋…! 無事か? 大丈夫か!?」須賀すがも秋を心配する。「大丈夫、ただ、飛んだだけ…」体の節々ふしぶしを軋ませながら秋は立ち上がる。


「東子は帰ったのか? 秋くん、ずいぶん、ボロボロだけど大丈夫かい?」


 大蛇は急に、西威せいのような声で、西威のようなセリフを吐いた。これは、西威せいによって力を分け与えられたがゆえに、西威せい思考しこうが大蛇に疎通そつうし——いわばトランシーバーのチャンネルが西威せいに合わせられたような状態。つまり逆を返せば、秋が放つ言葉も離れている西威に届くということ。秋は大蛇を見据みすえ迷わずに「お前みたいな兄貴は嫌だってよ」と返した。


「はは。東子、蛇が嫌いだったな。そういえば秋くん、ピンクの悪魔を殺した時に、戯言ざれごとを言っていたね」

戯言ざれごと…?」

「『アクマを斬らずに人間に戻す』とかう…、戯言。遠くで聴いていたけれど、笑いすぎてお腹が痛くなったよ」


 西威せいは、力を分け与えた〝あずさ〟にもチャンネルを合わせていたらしい。秋があずさたたかった後。その場に残ったあずさ亡骸なきがら媒体ばいたいにして、あずさの母が泣き叫ぶ声や秋の声を盗聴とうちょうしていた。


「あぁ…、そうだな。自分でも笑えると思うよ。大っ嫌いだ。悪魔なんか。人間は道を踏み外すこともある。どうしようもないクズみたいなやつだって沢山いるよ。そんなクズ野郎達やろうたちでも、なんとかして正しい道に戻ろうと努力する事はできるだろ…。それが死ぬほど辛い道でも、二度と過ちを犯さないと心に決めて0から歩み直す権利は…きっとあるはずだ。大した罪もないやつまで悪魔にして…、命を使い捨てのオモチャのようにして遊ぶ白魔おまえらの思い通りには、させない!」


 秋は、刀を真っ直ぐに大蛇の顔に向け、続けざまに声を放つ——。


白魔はくまが人の生きる権利を奪うなら! 俺は人に生きる権利を与える! 悪魔を斬らずに人に戻してみせる! ただ斬って捨てるだけの悪魔祓いで、終わらない!」


 生まれてこの方、秋が他人に対してこんなに喋ったことがあっただろうか。秋の、並々ならぬ決意の言葉だった。同時に、悪魔を人間に戻す方法がという漠然ばくぜんとした不安を自身の声でかき消しているようでもあった。秋の言葉を聞いた大蛇——西威は、笑った。


「アッ…ッハハハ! バカらしいよ、清々しいまでにバカらしいね! ニンゲンは全員クズだ! クズだって言うのにさぁっ! 皆殺し以外に道はないよ! ああ、ないね!」


 すると、どこからともなく、涼しい風が吹いた。

 ひらひらと綿雪わたゆきが舞った。


「賛成です」

「雪女!? もう、大丈夫なのか?」


「え…、東子とうこ…さん?」澪も目を丸くして東子とうこを見た。「東子とうこさん、大丈夫なのか!?」須賀すがも目を見張った。東子は、地面に落ちていた自分の刀を拾い、秋達の元へ歩み寄ってから「ご迷惑をおかけしました」と静かに言った。


「東子。お兄ちゃん、待っているからな。おまえが〝こっちに側〟にくるのを——」


 そう言い残し、西威の意識は大蛇から離れていった。西威の声を大蛇から聴いた東子は、大蛇を一瞥いちべつしただけ。最早、兄は死んだものと、腹をくくったような顔をしている。東子はクスッと軽く笑ってから秋に話しかけた。


「あなた面白い事、言いますね」

「何がだよ」

「『悪魔を人に戻す』だの…、戯言ざれごとも良いとこですね」

「いいだろ…別に…」

「好きです」


 東子の「好きです」に、誰よりも先にみおが体をビクっと反応させた。


「そう言う戯言ざれごと、私、好きですよ」そう言って右眼のレンズが無いメガネを指で持ち上げる。「一匹の悪魔を、たった一度だけ。『完全な形で人間に戻すことができた唯一ゆいつ悪魔祓あくまばらい』がいるのを——知っていますか?」「……え?」薄い反応をした秋の顔を見ず、東子は緑炎りょくえんが作る円の中に取り残された大蛇を見上げた。


「あなたのお父さんです」


 東子以外の全員が驚愕きょうがくした。

 しかし悠長ゆうちょうに会話している暇はない。

 秋は雑念ざつねんを振り払うように刀を構え直す。


「後で…、ゆっくり聞かせてもらうぞ」

「えぇ。いいですよ」

「体は? 大丈夫なのか?」

「6割は、戻りました」

「わかった。おっさん、澪、離れてくれ」


 澪と須賀は、秋の言葉にしたがって、その場から離れた。大蛇をかこんでいた緑色の炎の壁も少しづつ弱まってきた。秋は両手で刀を強く握る。東子は一度、刀を地面に突き刺し、スカートのポケットから輪ゴムを取り出して、長いロングのストレートヘアを後ろで一つに結んだ。シュッとした美形びけい顔筋かおすじがより一層、際立きわだって見えた。


 東からだんだんとのぼ朝陽あさひ

 低い空に薄くかかった雲があわにじを作る。

 朝陽は大蛇を逆光ぎゃっこうで照らした。

 眩しい太陽を背負う大蛇を——

 まっすぐに見る二人。

 空にうっすらとかかるにじ

 それに気づいた東子が独り言をこぼした。


ヘビの背にニジ…、か」


 秋が、横にいる東子に話しかけた。


「…いけるか?」


 東子は地面の刀を抜いた。

 刀身が朝陽に反射して光る。

 この刀は悪魔用の刀。

 ひとひらの綿雪が舞った。

 となりに立つ秋を、

 東子は、大切な仲間と想った。


「えぇ。終わらせましょう」




 刀闘記


 ~虹~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る