~翠~


 みおが自宅を飛び出した、その一時間後。東子とうこが倒れ、しゅう須賀すが、二人の男性警官の4人は、リコーダーで松明たいまつをなんとか工作し終えた。4人と対峙する、巨腕きょわんやした大蛇だいじゃの足元には、東子が大技を放つために投げた刀がむなしく転がっている。


「来るぞ!」しゅうが叫び、刀をかまえた。須賀すがと田中は、左手に松明たいまつを、右手には拳銃けんじゅう。もう一人の警官——金田は、グルっと大きく、大蛇を円でかこむようにしてガソリンをき終え、自身も松明たいまつを手に取り火をつけた。大蛇は4本の巨腕きょわんを足のように使い、ドタドタと秋を目掛めがけて走り出す。しかし大蛇は秋の5メートルほど手前で急ブレーキをした。明らかに松明たいまつの火に反応している。


「こいつぁ…いけるぞ! 秋!」須賀はしゅうをみた。秋は、須賀に振り向き軽くうなずいた。すると——秋と須賀の二人のそばで怯えていた田中の態度たいど急変きゅうへんした。


「あは、あはは! 火! 火が、怖いのか! 怖いんだな!」田中はケラケラと笑いながら大蛇に近づく。松明たいまつを振り回し「ほーれほーれ」と、ふざけながら火を見せつける。大蛇は少しづつ、後ろにさがった。これではどっちが悪役なのかわからない。


「これでも食らえ!」そう言いながら、田中は2発の銃弾じゅうだんを大蛇の頭に向けて撃つ––––銃弾は大蛇の頭に2つの穴を開けたがダメージにはならず、穴もすぐにふさがった。しかし田中は調子に乗っている。「銃がダメなら、これならどうだ!」と声をあげ、松明たいまつを大蛇に投げつけた。松明は大蛇の胴体に当たり、大蛇は一度——男性の声が重なった悲鳴ひめいのようなものを叫び、ひるんだ。


 火を恐れ、体をSの字に持ち上げる大蛇——その足元で、メラメラと燃える松明たいまつ——自慢の武器を拾うため、意気揚々いきようようと大蛇に近づく。


「さっきまでの威勢いせいはどこにいったのかなぁ? ヘビちゃん!」


 大蛇に触れんばかりに接近し松明を拾った。しかし、田中は松明を拾った途端とたんに、とんでもない殺気さっきを感じる。「おいっ! 田中!」須賀が叫んだ。しかし、時すでに遅し。大蛇は〈右前腕みぎぜんわん〉で田中の体を松明ごと掴んだ。


「う、うあああっ!」大蛇に体を持ち上げられ、恐々きょうきょうとする田中。彼は胸から下を大蛇に拘束こうそくされたが、両腕りょううで松明たいまつは自由に動かせた。大蛇に捕まれながらも、なんとか松明を振り回してみせる。「な、なんだよぉ! 火だぞ! 怖くないのかよぉ!」大蛇は、松明の火に顔を近づける。火の匂いをクンクン…と嗅いだ。爬虫類の生々しい匂いを含んだ鼻息が、田中を頭を包む。秋と須賀は慌てて大蛇の元へ駆けつける。走りながら秋が「おっさん! やばいぞ!」と叫んだ。


「ちくしょうっ––––! あのばか!」


 大蛇は、田中に松明を投げられたとき、本能的にひるみ、本能的に怯えた。しかし、怯えたのは〝本能の方〟であり、実際に火に触れてみると、強靭きょうじん怪物かいぶつの肉体にとって普通の赤い火は、ちょっと熱いくらいで大したことはなかった。田中ので、大蛇は、赤い火は怖くないもの…、そう覚えてしまった。ある意味、田中より利口である。


「うああっ! やめろ!」大蛇は弱気な警官を松明ごと食らおうとする。須賀は3発の銃弾を大蛇の眼球がんきゅう目掛めがけて撃った。うち、最後の1発が大蛇の右目に命中。大蛇は気味の悪い雄叫おたけびをあげ、さすがにひるんだ。田中は大蛇の右手から解放された。


 秋は、大蛇が二足の足のように使う両後腕りょうこうわんをそれぞれ、駆け抜けながら素早すばやいた。両後腕りょうこうわんが一度、ちりと化し、大蛇はバランスをくずす。 須賀がそのすきに田中の首ねっこを掴んで大蛇から離れる。大蛇の両後腕りょうこうわん——彼にとっての〝脚〟は瞬く間に再生してしまう。秋はすかさず大蛇の腹に太刀たちを深く入れる。


 大蛇の腹からした——下半身かはんしんにあたる部分が一度、ちりになった。しかしすぐに肉体は再生し始める。秋に上下半身じょうげはんしんを切り離され、修復しゅうふくするまで、時間にして10秒。やはり早い。東子とうこがいなければ弱点を破壊できないどころか、大蛇の動きそのものを拘束こうそくすることすらままならない。今はただひたすら東子とうこの回復が待たれる。


「文字通りバケモンだな…!」秋は大蛇から体を離し、刀を構え直す。須賀は「ちくしょう!」と声を荒げ、田中のおかげで無意味になった、お手製のリコーダー松明を放り投げた。


「–––––離れて!」


 突然、秋の右側から声がした。須賀と田中は別の方向に避難ひなんしているので、叫んだのは、ポリタンク担当の金田かねだだった。秋はすぐさま後ろに飛び退く。秋の視界を飛んで横切よこぎる、赤いポリタンク。再生したての下半身がまだ思うように動かず、地面にしている大蛇の頭のそばにポリタンクは転がった。注ぎ口から——ガソリンがトコトコと流れだす。


 金田は銃を撃った。

 銃弾はガソリンがみた地面に命中。

 短い火花ひばなの後、

 地面が激しく燃えさかる。

 すぐにポリタンクは爆発した。

 

 爆風を浴びた大蛇の頭はむごたらしくえぐれ、骨らしき物がのぞいた。あたりに肉片が飛び散る。紫の血液が飛び散り、地面を広い範囲で汚した。大蛇は死んだように動かない。炎の中に倒れ、少しづつ焼かれる——全長7メートルの全身。


「やった…のか?」


 思わず須賀が、言った。

 しかし秋は、変わらず刀を構えたまま。


 –––––オモイ…ダシタ……


 大蛇の方から、声がする。その口は、爆風ばくふうに抉り取られてと言って良い状態。大蛇の体の、どこからともなく声がする。いくつもの声が重なった、不協和音ふきょうわおん悪魔祓あくまばらいなら聴き覚えのある音。


 –––––オモイ…ダシタゾ…


 そこにいる全員が、固唾かたずを飲んで大蛇の言葉を待った。


 ––––オレワ…オレワ……アイツニ、チカラヲモラッタ…モラッタ…モラッタアァァッ!


 その叫びから風圧ふうあつすらも感じた。大蛇は脚を地につけ立ち上がった。爆風ばくふうによる痛手は回復して体は元どおり。大蛇の足元に広がる紅蓮の炎が、大蛇の存在感をさらに引き立てる。Sの字に体を持ち上げ、腕を大きく広げて見せつけた。しかし手首から先の〝両手〟が見当たらない。


「お、おい、なんだ、ありゃ…!」須賀はおののいた。大蛇の両手首から先が、太く、鋭く、長く伸びた〝大太刀だいたち〟に変わっていた。その刃渡りは約2メートル。出刃包丁でばほうちょうを、そのまま引き伸ばしたような見た目。色は黒い。右の刃だけ、黒の中に紫の色味を感じる。悪魔の力をより濃くかよわせる〈右前腕〉の刃は、左の刃よりも硬いのかもしれない。


 体は蛇、脚は人の腕、両手は大太刀だいたち引目ひきめで全身を見るとカマキリのような見た目——。これから大蛇は二足歩行をしながら、両手の大太刀でを何もかもを切りくつもりなのか。この短時間で大蛇は戦闘に特化した進化をしてしまった。最早、食欲などはこの際どうでもいい…、この腕で、この両手の大太刀で、蛇眼じゃがんに映る生き物を何もかも殺して回る。その異常なまでの〝殺戮欲求さつりくよっきゅう〟が、大蛇の脳を支配している。


「秋!」


 秋の後方から、女の子の声がした。

 秋はすぐに後ろを振り返る。

 そこには、寝巻き姿のまま駆けつけたみおがいた。


「澪!? おまえ…なにして…」

「秋! って、ええ!?」


 澪は、秋とその周りの景色を見た途端とたんに血の気が引いた。ただの悪魔ではない、巨大な怪物の姿——。秋の見覚えのあるパーカーや短パンは破れてボロボロ。り傷とアザだらけの足、梓の強酸きょうさんに焼かれた顔と左腕ひだりうで、長い闘いの末に変わり果てた秋の姿を目の当たりにした澪の目は——まばたきを忘れた。


 みおは自分の目を疑いながらも、今するべきことを思い出し、小さな巾着袋きんちゃくぶくろを秋に投げた。巾着袋きんちゃくぶくろは大きくを描いて秋の元へ飛ぶ。


「それで刀を擦って! お父さんがくれた!」


 秋は、受け取った巾着袋きんちゃくぶくろを開いた。中には〝翡翠ひすい砥石といし〟があった。秋が砥石といしを手にとった瞬間しゅんかん。ポカポカとしたぬくもりが全身に駆け巡り、体力がどんどん回復していく感覚を覚えた。


「お父さんから預かったの!」

かなめさんが…?」

「秋……」


 大好きな秋がボロボロになっている。

 それでも闘っている。

 命をかけて。

 でも自分はなにもできない。

 力になれない。

 こんな石ころを持ってくるしか。

 私にはできない。

 悔しい。

 もどかしい。

 しゅうを助けたい。

 わたしだって闘いたい。

 しゅうの––––力になりたい。

 どうして、

 どうして、

 どうして——。

 私はいつもこうなの。

 大好きな人が命をかけている時に。

 ずっと布団の中で寝ていた。

 手伝いたくても何もできない。

 秋が悪魔と闘う時、

 その近くにいれば邪魔になるだけ。

 どうしようもない。

 どうすることもできない。

 

「秋っ! 負けない! 負けない! 絶対に負けないっ!」


 澪は叫んだ。力一杯、叫んだ。それしかできないから、叫んだ。秋に——大好きな秋に死んで欲しくないから、悔し涙を流しながら叫んだ。


 秋は澪の声援を聞き届けた。

 大蛇に振り向き大きく息を吸う。

 砥石といしで刀をる。

 刀は燃えた。

 刀身が全て——

 緑色の炎に包まれた。


「おっさん! 離れて!〝えん〟より、外へ!」須賀と警官たちは、ガソリンで描いた地面の〝えん〟から外に出る。直径30メートルの円——その内側に取り残された秋と大蛇の二者のみ。秋は須賀たちが避難ひなんしたのを見届けると、自分に一番近いガソリンの円に燃える刀で火をつけた。緑色の火は、あっという間にグラウンドに炎の円を描いた。たった今、緑色の炎でかこまれた闘技場とうぎじょうが完成した。大蛇は——緑色の炎にはかなりおびえている。


 「秋! 負けない!」

 「秋くん!」

 「命だけは落とすなよ…、秋っ!」


 そこにいる全員が、秋の名前を呼んだ。さながら、大きな試合にのぞむボクサーを応援するように。死ぬか生きるかの試合に彼はたった一人、いどむ。


「おい! そこの、もと、人間!」大蛇は、自分を呼ぶ秋をにらむ。「夜中にドカドカ騒いで、いい加減〝近所迷惑〟だ!」大蛇は、両手の大太刀の切っ先をカマキリのように秋に向けて威嚇いかく


 秋は刀を構えた。

 大蛇も身をかがめた。

 どちらもいつでも動ける。

 秋の周りに風が吹いた。

 その風は緑炎りょくえん猛々たけだけしく燃え上がらせる。

 秋はありったけの声で、ありったけの気迫きはくで。

 大蛇に声を——放つ。


 「来い!」




 刀闘記


 ~翠~

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