刀の聲に呼ばれる翡翠と巫女

~翡~


 深夜2時。

 丑三うしみつ時。


 東子とうこが力を使い果たし、戦線を離脱りだつする、その一時間前。鍛冶屋のむすめ——しゅうおさななじみの〝柊木澪ひいらぎみお〟は、眠れずにいた。


「ん…、はぁ…なんだろ…この感じ…」


 澪は布団の中で、もぞもぞと寝返りを何度もうった。ピンク色のかわいいキャラクターが描かれたカバーを着た、軽い羽毛の掛け布団が、あっちへ、こっちへ。めくれたり、戻ってみたりを繰り返している。暑くて寝苦しいだけかと思ったが、そうでもない。何か〝やらなければいけない事〟があるような気がして落ち着かない。


「秋…、今日も闘ってる? あーもうっ…!」


 澪は勢いよくガバッと布団をめくり、起きた。白いTシャツと少しモコモコとした短パンルームウェアの寝巻ねまき姿のまま、目をこすりながら歩き、父の鍛冶場に向かった。鍛冶場に行けば、なんとなく寝れるようになるかと思った。鍛冶場には明かりがついていた。誰かがすでに鍛冶場にいる——。


「お父さん? どうしたの?」澪より先に鍛冶場にいたのは、澪の父––––かなめだった。要は真っ白な鍛冶装束かじしょうぞくを着て、竹の椅子いすに座り、柔らかい布で緑色の小石のようなものを念入りに磨いている。


「お、澪。やっぱり起きたんだね」

「え? 私が起きるの、わかったの?」

「今、澪が起きなかったら、澪は僕の血を引いていないことになるかな」

「どうゆうこと?」

「ザワザワ、するだろ?」

「え? うん……なんか、すごく」

「刀のこえが、聞こえたんだね」

「刀の…こえ?」


 要は、綺麗に磨いた緑色の石を小さな巾着袋きんちゃくぶくろにしまった。椅子から立ち上がり、鍛冶道具がしまってある木製の収納棚しゅうのうだなに向かった。収納棚から、方角を確認するときに使う、手のひらサイズの〝コンパス〟を持ち出し、澪のそばにきた。


「…ん? それ、なに?」

火守ひもびとが、悪魔祓あくまばらいと疎通そつうしているのは知っているね?」

「秋と、かすみさんでしょ?」

「そうだよ。そして、秋くんが持っている刀は、妖刀ようとうだ」

「妖刀?」

「そう、妖刀。妖刀はなぜ妖刀と呼ぶのか、わかるかい?」

「…呪われてる…とか?」


 要は「あっはは」と軽く笑ってから、すぐに真剣な顔になり、澪の目をまっすぐに見た。


「生きているんだ」

「生きてる? 刀が?」

「そう。生きてる」

「いくらなんでも、それはないよ…」

「秋くんの刀はね、平安時代から振られている刀なんだ」

「そんなに昔から?」

「うん。普通の刀だったら、欠けて研いでを繰り返していたら刀身がせて、使い物にならなくなり、観賞用かんしょうようになるのがオチだ」

「そう…なの?」

「妖刀はね、自己再生じこさいせいするんだよ」

「うそ…」

「ホントだよ。じゃなきゃ、あの刀に秋くんの命をあずけたりはしない」


 要は、右手に緑色の石が入った巾着袋きんちゃくぶくろを、左手にはコンパスを持ち、それらを澪に差し出す。


「それは?」


 澪はコンパスの中を覗き込んだ。コンパスの中には〝東西南北とうざいなんぼく〟などの細かい方角が描かれているが、肝心のしんが無い。要は、まず巾着袋きんちゃくぶくろを澪に渡して、鍛治装束かじしょうぞくの胸ポケットから豆粒まめつぶほどの黒い玉を取り出した。


「よく見ているんだよ、いいかい…」


 要はコンパスの丸いガラスのふたをパカっと外し、その小さな黒玉くろたまをコンパスの中に入れた。玉はカラカラ…と軽い音をたて、しばらくコンパスの中を転がってから、ピタッと〝北西ほくせい〟の方角に張り付いて止まった。


「え…なにこれ…」


 目を丸くする澪にしっかり見せるようにして、要はコンパスをゆらゆらと揺らした。コンパスの中の玉は一度自由いちどじゆうに転がったが、まるで磁石に引き寄せられるようにして——やはり〝北西ほくせい〟の方角に張り付く。


「この玉はね、秋くんの刀を研いだ時にこぼれた、鉄粉てっぷんを固めたものなんだ」

「つまり…秋の刀の〝カケラ〟みたいなもの?」

「そうだよ。このカケラは今、秋くんの刀に戻ろうとしている」

「…てことは、この玉が行きたがっている方角に秋がいるってこと?」

「そう。いいかい澪。火守ひもびと悪魔祓あくまばらいと疎通そつうするなら、刀鍛冶かたなかじは、刀と疎通そつうする。刀…妖刀ようとうは、自分に触れた人間を覚えているからね」


 要との会話で、澪は今、自分がするべき事をなんとなく察しはじめた。「その玉に従って、秋くんの所に行きなさい」要に言われた澪はコンパスから目を離し、要の目を見つめた。ざわざわの正体––––それは、秋のところへ行かなければいけないと、本能的に感じていた胸騒ぎだった。この時、澪は、鍛冶屋の娘だから眠れなかったんだ…、そう思った。しかし澪の胸騒ぎの原因が、にもある——とういうことを本人はまだ知らない。


「こっちの、巾着きんちゃくは?」

「その中には〝翡翠ひすい砥石といし〟が入っている」

「ヒスイの砥石といし?」

「緑色の石——ヒスイは、悪魔が特に嫌う〝緑の火〟を、少量ではあるけれど、その身にとどめておくことができるんだ。『この砥石で刀をひと擦りすれば、戦況は変わる』——そう秋くんに伝えなさい」

「戦況が変わる? わかった! よくわかんないけど、教えてくれてありがと! 行ってくる!」

「うん。行っておいで」


 澪は体でふたつ返事をするように、すぐに鍛冶場から飛び出した。「おとーさん! スクーター借りるね!」澪は廊下を走りながら、大声で要に叫ぶ。「慌てずに! 安全運転あんぜんうんてん!」要も両手をメガホンのようにして口に当て、廊下に向かって叫んだ。急に静かになった鍛冶場で一人、残された要は手を合わせてみおしゅうの無事を祈った。本来だったら、自分が車を走らせて秋の元へ駆けつけてもいい。しかし澪の〝血〟が騒ぐことを要は信じた。澪が——願わくば秋と結婚をし、かすみから火守ひもびとを受け継ぎたいと思っていることを要は重々承知している。


 澪が鍛冶屋になるか。

 火守り人になるか。

 それとも全く違う人生を送るか。

 それは要の知るところではない。

 要が指図さしずをすることでもない。

 いずれにせよ、秋を支えたい——

 そう澪が想うなら。

 澪は成長をしなければならない。

 父親としては「危ないところに行くな!」と言いたい。

 しかし澪の人生の師としては。

 澪の〝悪魔祓いを支える覚悟〟を、

 要は育てなければならない。


直之なおゆきさん。あなたの息子さんを守れる子に、みおはきっとなるよ…。優香ゆうかは彼女を導くはずだ。僕はそれまで子育てのバトンを大事に大事に守る。本当に澪は母に似てきた。特に、キラキラとひかる太陽みたいな目が——優香にそっくりだ…」


 様々な想いが入り乱れる自分の心を一筋ひとすじの光で無理矢理、晴らすように要は祈った。ただひたすら澪が進む道、それが——青空の広がるまっすぐで明瞭めいりょうな一本道であるようにと、ひたすら祈った。



 刀闘記


 ~翡~

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