~燕~

 

 カズマの自慢の長爪を二本、秋は刀で叩き斬って落とした。しかし、追い込まれたカズマの口は、言い訳を放った。


 おれじゃない、殺したのはシンジだ。その言葉が脳にひっかかった。こいつを殺そうとしたのが、他にいたのか? 秋は考え込んでしまう。刀が止まった。

 

 カズマが咆哮ほうこうを発した。悪魔である彼の喉から猛々たけだけしく発せられた不協和音。それは、町全体に響くほどのサイレンを間近で聞いているほどの音量だった。秋はたまらず左手で耳を塞ぐ、逃すかもしれないと思った。

 

 すぐにカズマの首を斬り落とそうとした。しかし、真っ黒な翼があおがれる。身体を真後ろへ滑らせるようにして、秋の足元から逃げた。少しのためらいが、逃げるチャンスを与えてしまった。


 距離をとったカズマは、ゆっくりと着地した。それから、苦しそうに唸った。クネクネと四肢をよじらせ、気味の悪い動きをはじめる。理性のかけらも無さそうな瞳孔どうこうは定まらず、キョロキョロとうごめく。カズマの背中に生えている翼が、みるみる小さくなってゆく。

 

 頭から伸びた角も、細く頼りなく減ってゆく。それと反比例するように、左肩から不自然に生えた巨腕がさらに太く、筋肉を隆起りゅうきさせる。残された中指の長爪はさらに伸び、より硬化され、黒光くろびかりする。


一点化いってんかか……」


 それは、窮地きゅうちにおちた悪魔が、残された力をどこか一部分に集中させ、その一部分を異常に強くさせる変異能力のことだ。


 そうなると例え体を斬っても、頭を落としても。一点化した部分が無傷でいるかぎり、どのような姿になってでも、そこから肉体を再生されてしまう。


 トカゲの尻尾を切り落としても、尻尾の断面から本体が生えてくることはない。だが、悪魔の一点化現象はそれを可能にしてしまう。腕であれ、足であれ、指であれ、髪の毛の一本でも。そこから本体が再生される。


 カズマは、さらに腫れてふくれ上がった左腕を秋に向けた。爪の伸びた中指を立ててみせる。どこか、そんな事をした記憶が残っているらしい。


「笑えない冗談だな……」


 秋は言葉をはき捨て、素早く駆けよる。それにあわせ、カズマは強靭化きょうじんかした左腕を縦に振り落とす。


 横に身をずらして長い爪をかわす。

 爪は秋に当たらず、アスファルトに深く食い込んだ。

 爪が抜けない。

 身動きが取れない。

 丸太のように太い、紫の巨腕に刀がせまる。


 カズマは、秋の刀が届くよりも先に、アスファルトから爪を抜いた。凄まじい怪力だった。自由になった腕を横にぎ払う。秋はその腕に殴られ、ふっ飛ばされる。巨腕のなぎ払いまともに食らってしまった。しかし秋は、紙風船にでもなったように、ふわりと宙に浮いた。そのままゆっくりと落ちる。何事もなかったかのように、地面に両足を優しくつけた。


 体勢を整え、もう一度。

 カズマに駆けよる。

 爪が、再び縦に振られる予備動作が見えた。

 走りながら刀を頭上に構える。

 左手は柄。

 右手は峰の中心を押さえる。

 刀身の真ん中で爪を受け止める。

 重たい金属音。

 秋の肘がきしんだ。


 低い姿勢しせいのまま、長い爪の真下を駆け抜ける。刀は、カンナのように長い爪をけずりながら進む。巨腕の真下までたどり着くと、すぐに横にずらし、低めに跳ねる。

 

 『羽兎・廻傘まわりがさ


 術を唱えた秋を、螺旋状らせんじょうの風が仰ぐ。空中での回転。フィギュアスケートの回転ジャンプを、そのまま横に寝かせたような体術技たいじゅつぎだ。


 刃が六、七回、カズマの巨腕を斬りく。鋭い金属で作られた扇風機せんぷうきに、腕を突っ込んでしまったかのよう。巨腕は、一本の長爪ごと塵に変わった。唯一の攻撃手段は奪われ、一点化も解除された。

 

 カズマは、おびえきった顔で尻餅しりもちをついた。秋は姿勢を整える。呼吸も。神経の興奮をおさえて、歩み寄る。最後の一太刀を浴びせようと、刀を振り上げる。だが、その手は再び止まった。


「やだ……、やめて……、ヤメテクれ……」


 ほぼ人間の姿に戻ったカズマが、目の前にいる。


 小さな角や薄い紫色の肌から浮き出た血管は、まだ悪魔のそれだ。しかし斬られた腕の断面からは、血ではなくちりがこぼれている。これは、見た目がほぼ人間でも、しっかりと悪魔である事を意味している。


 ただの人間を妖刀が斬ったとき、塵はこぼれない。血が流れるだけだ。


 秋はためらった。急接近する車両の音が聞こえ、すぐに車のライトが二人を照らした。「秋、迷うな!」車の運転席の窓を開けて須賀すがが叫ぶ。今まで、血の気が引く想い闘いを見守っていたが、決着をさとり、近くまで駆けつけたのだ。


「ああ……!」人間の姿に戻りかけているカズマは、秋が須賀すがに振り向いたそのすきを見逃さなかった。


 慌てて自分が放り投げたバイクのところまで駆け寄り、両手で持ち上げる。またがって、エンジンをふかす。塗装とそうはボロボロにがれ、所々がへこんでいる。だかエンジンは生きていた。


「くそっ……!」


 秋はすぐに、カズマを斬ろうと駆ける。しかし相手は、ほぼ人間だ。迷った。良心が足を遅らせる。心が鉤縄かぎなわで無理やり引っ張られるような感覚が襲う。二輪は、すでに道を転がり始めている。


 このまま逃してしまえばいずれ体を治し、また誰かを襲う。いくら力を使い、負傷したとしても、時間をかけて肉体を回復すれば、悪魔は以前の何倍も強くなる。それだけは避けねばならない。エンジン音と共に、カズマが離れてゆく。刀はもう届かない。


「秋、乗れ!」


 須賀は運転席から叫ぶ。

 その声で秋は、我にかえった。

 車のボンネットに飛び乗る。

 フロントガラスを手のひらで叩く。

 出せ! と合図をした。

 

 後悔した。

 すぐに斬るべきだった。

 まだチャンスはある。

 車のタイヤが煙をはく。

 アスファルトを焼きながら、

 須賀のセダンは急発進きゅうはっしん


「落ちるなよ!」


 バイクはすでに七十メートルは離れている。悪魔化しても、バイク乗りのかんは忘れていない。


 秋が闘った長い一直線の、ゆるやかな坂道を過ぎ、曲がりくねった峠道に入る。バイクはカーブに強い。「くそぉっ!」ハンドルを振りまわす須賀と、セダンのタイヤが唸る。


 なかなかバイクに追いつけない。あと三十メートルの距離をちぢめられない。秋は手のひらに吸い込みの風を発生させ、車のボンネットに吸着きゅうちゃくさせて、はりついている。いくら車に揺さぶられても落ちる気配がなく、姿勢は安定している。


「おっさん!」強い風に吹かれながら秋が叫ぶ。「直線だ、直線までもってくれ!」


 赤い一つ眼のような、バイクのテールランプを追う。須賀の車は、更に加速。タイヤはいくども摩耗まもうし、カーブの度に悲鳴ひめいと白煙を散らした。道を曲がる度にバイクの姿が見え隠れする。


 夜の峠道とうげみち、秋の細い体も、フロントガラスの狭い視界には邪魔になる。須賀は全神経をハンドルとアクセル、暗い山道に集中させる。副交感神経は微塵も働いていない。


 やっと、長い直線が見えた。

 カズマは右手を思い切りひねる。

 バイクはさらに加速。

 須賀の右足が、アクセルペダルを深く蹴り込む。

 バイクまであと十メートル。


 秋は両足をフロントガラスに押しつけ、しゃがみ込む。離陸体制りりくたいせいと呼ぶにふさわしい格好をした。機を逃さぬよう、思い切り、ガラスを両足で蹴る。須賀の視界にヒビが入る。


 秋は一直線に、カズマの背中を追って飛んだ。

 ツバメのように。

 バイクの速度よりも速く。

 カズマを追い越しながら、背中を、刀で水平に、裂く。


 上下半身じょうげはんしんが斬り離されて転がった。

 バイクも、勢い余って何メートルも転がる。

 

 高速度で飛んだ秋も、その力強い飛翔の勢いを殺しきれなかった。落ちつきのない着地を決めてしまう。華奢きゃしゃな身体が何メートルも転がり、全身がアスファルトに舐められた。


 車が横滑りをしながら止まる。須賀は運転席から慌ただしく降りた。仰向あおむけに倒れる秋に駆け寄る。かなり取り乱しながら。


「秋、大丈夫か! おい!」目をつむり、ぐったりと倒れている秋の顔は擦り傷だらけだ。腕や足にも、相当な数のアザがある。須賀は、秋の上半身を抱き起こした。「今、救急車呼ぶからな、待ってろ、死ぬな!」


 左腕で秋を抱えながら、右手はシャツの胸ポケットに。慌てて携帯電話を取り出そうとする。「大袈裟おおげさだよ、おっさん……」あたふたする須賀の腕に抱かれながら、今にも消えそうな秋の声が。


「どっか骨折こっせつしたんじゃねぇのか? 痛むところは……?」

「大丈夫。あいつ斬ることしか考えてなかったから、受け身の風を呼ぶの、忘れた……」 


 須賀はホッとした。きっと大丈夫だと悟った。同時に、秋のように闘えない自分の弱さを、心の底から呪った。


「すまねえ……、俺が邪魔をしたせいだ」

「いや……」秋は上体を起こそうとした。しかし思うように力が入らず、結局須賀の腕に身体を預けた。「俺が迷ったせいだ。悪魔は斬らなきゃいけない。人間の面影おもかげなんて、感じたらいけないんだ」

「さっきのは俺だって……、あいつ、人間に戻ったのかって、そう思ったさ。無理もねえ、お前は殺戮する機械じゃない。人間だ。普通の反応をしたまでだ」

「あいつらは人間じゃない。そんな基本的なこと、心のどこかで信じたくない、心のどこかで人に戻ってほしいって思ってしまう。俺はきっと……」秋は少しだけ微笑んだ。「悪魔祓いに、むいてない」


 須賀は、秋の頭を胸に抱き寄せた。おとこの涙がおちて、無造作むぞうさにはねた黒髪を、かすかに濡らす。


「冗談がうまくなったか?」

「本気で、むいてないと思う」

「それでいい。その良心を絶対に忘れるな。忘れたら直之が悲しむ」

「父さんは、どんな悪魔祓いだった?」

「お前に似て……、いや、お前以上に、悪魔が人に戻ってほしいと願う。そんな、優しい悪魔祓いだったよ」



 悪霊あくりょうは、強い欲を持った人間に憑依ひょういする。

 そして、悪魔あくまが生まれる。


 例えば、食欲が異常に強い人間に悪霊が憑依した場合。その者は、とにかく腹を満たそうとする。周りに食べ物がなければ、人を喰らってでも満たそうとする。性欲が強ければ、とにかく異性を求める。金欲ならば金を奪おうとする、その持ち主を殺してでも。


 本来であれば、根からの悪人だったシンジに、悪霊は寄ってきていた。だが、ちょうど満身創痍まんしんそういになり、それでいて十分な殺意という、歪んだ欲望を芽生えさせたカズマを、霊は選んだ。


 霊は、なるべく心身が弱った人間を好む。カズマを見つけて、「こいつでいいや」と思ったのだろう。


 カズマはシンジの暴行によって悪魔にさせられた、この見解けんかいも十分にできる。そう思うとあわれに見える部分も、カズマには少なからずあった。だからこそ、秋の良心が刀を鈍らせた。


 しかし悪魔は悪魔。

 一度悪魔になった人間は二度と戻らない。 

 逃して新たな被害者を生むか。

 斬って終わらせるか。

 その二択しかないのだ。 




 刀闘記


 ~燕~

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