火花を散らす三本の長爪

~峠~


「じゃあ、ふたりのうち、勝った方と付き合うって事で!」金髪の傷んだ長髪に、胸元むなもとがはだけたキャミソール。太ももより下は、はだかと変わらないホットパンツを履いた女が言う。


「ぜってぇ、まけねぇ」

「まけてろ、カス」


 大型のスポーツ用のバイクにまたがった二人の男がにらみ合う。空気抵抗が低そうな、いかにもレーサーらしい格好をしている。双方のバイクは、早く走らせろ、と言いたげにニュートラルに入ったギアを空回りさせる。猛々たけだけしくエンジンをうならせている。


「ほんとわぁ……、お金持ってるシンジがいいけどぉ。カズマもかっこいいし。レースに勝ったら本気でれちゃうかもぉ」


 女がわざとらしく言った。

 シンジのバイクは派手な黄色。

 服装は青色のスーツに紫のヘルメットだ。


「こいつはお前の体が目当てなんだよ」シンジの、バカにしたような口調だ。「なぁ、カズマ」

「えーうそぉ、ほんとにぃ?」


 露骨ろこつあおりを受けたカズマは、シンジに向け左手の中指を突き立てて見せる。赤色のレーサースーツにヘルメットも赤。バイクはシンプルに、黒のラインが入った緑色だ。


「あー、カズマ、その指はひどーい」女はクスクスと笑いながら言った。

「顔はいいクセに単純なんだよ。お前は」シンジが更にあおってみせる。「昔からそうだもんな。なぁ単細胞。バイク乗るしか脳がないんだよお前は」


 シンジの容赦ようしゃないあおりを黙って聞くカズマ。しかしヘルメットから覗く鋭い眼は、お前に勝って殺してやる、とシンジに語っている。眼は口ほどにものを言う。


「まぁ、まぁ! とにかく走って勝負、でしょ?」女が楽しそうに言うと、それを聞いた双方はアクセルを深くひねり、更にエンジンを轟かせる。「じゃぁ、いくよー? よーい……」


 女が二人の前方に立ち、片手を大きく上に挙げる。

 その三秒後、女は手を素早く下に振り下ろした。


 その手を見た双方のバイクは峠の彼方まで響くであろう、甲高かんだかいエンジン音をき鳴らし、暗い、夜の峠道とうげみちに走り出した。先の見えない細いカーブを、くねるように駆け抜ける二台のバイク。カーブの度に、ひざが地面をこするのではないかと思うほどバイクを傾け、峠道をすり抜けてゆく。


 併走状態へいそうじょうたいのまま、今度は長くゆるやかなストレートの下り坂に差し掛かる。ここぞとばかりにアクセルを吹かす二人。二台のバイクのメーターは百二十キロ付近を指している。すると、右側を走っていたシンジが、カズマのバイクに横付けし、急接近。


 流石にあぶないと思ったカズマは、バイクの速度をゆるめようとした。シンジは、カズマの車体を思い切り蹴った。バランスを崩したカズマのバイクはそのまま滑り込むように横転し、体はバイクから投げ出されて何メートルも転がった。


 シンジはバイクの速度をゆるめ、カズマの頭のそばまでゆっくりと近づく。激しい横転おうてん所為せいで全身のどこが痛いかもわからないほど負傷したカズマのヘルメットを取り上げる。首を強くひねり、折る。軟骨と関節が潰れる音がした。


 黒いきりかたまりのようなものがカズマの身体にかぶさったような気がしたが、シンジはそれを気にも留めない。


「バイクにも乗れなきゃ、なんにも残らねーな。ばーか」


 死亡したと思われるカズマの顔につばを吐く。満足したシンジは、余裕の表情で来た道を折り返す。


 しばらくバイクを走らせながら、カズマを追い越したんだけど、いつまで経っても追ってこない。どこがで事故ったかも。とでも、二人の到着をがれている女に説明しようと考えていた。すると、カズマの後ろから聞こえるはずのないバイクのエンジン音が響いた。空耳かと思ったが、確かに聞こえる。


「まさか……」


 シンジはバイクを止め、後方をよく確認した。バイクは見当たらない。強い風が真上の方から吹きつけた気がしたが、シンジは、カズマが倒れているはずの後方ばかり気にしている。ヘルメットのせいで、不自然な方向から吹く風に気づけなかったのだ。


「来るわけない。殺したはずだ……」自分に言い聞かせる。シンジは再び走り出した。前方からバイクのヘッドライトのような明かりがせまる。


「他のバイクだろう……。普通に走るか」


 邪念を振り払うようにアクセルを握り、バイクを走らせる。長くゆるやかで、まっすぐな坂道。前方からくるバイクの左側に三本の棒のようなものが見えた。その棒は、アスファルトを引っ掻きながら、火花を撒き散らしている。


 シンジはそのバイクとすれ違った瞬間。

 悲鳴を上げた。

 たったの一瞬の悲鳴だった。


 背中には真っ黒な大きいコウモリのような翼。左腕が二本ある。元からあった一本はバイクのクラッチ操作に使われ、左肩から不自然に生えた新たな巨腕きょわんが嫌でも目をひく。


 巨腕の先、肉塊のように腫れ上がった手から、三本の鋭く長い、長刀ちょうとうのような爪が伸びる。長い爪を引きずりながら、エンジン音よりもはっきりと聞こえる奇声を上げながらバイクを走らせるのは、悪魔化あくまかしたカズマだった。


    *


「その女は、なかなか二人が帰ってこないってんで、自分が乗ってきた軽自動車で二人を探しに行ったらしい」シンジのむごたらしい遺体の写真を見ながら、刑事の須賀すがが慎重にしゅうに話す。「なぁ、秋…」


 秋は、相変わらずスイカの種をお皿に吹きながら話を聞いている。彼は油物が苦手だ。さっぱりとした、口当たりの軽い食事を好む。


「ん?」

「闘えるか」

「うん」

「普通のやつとは、違うかも知れん」

「大丈夫だよ」

「本当にか?」


 須賀は心底、心配をしている。

 秋に命だけは落として欲しくないのだ。


「お前に何かあったら……」

「大丈夫だって」

「信じてもいいのか?」

「うん。せいぜい中位魔ちゅういまだよ」秋は言いながら、スイカの皮についた赤身をきれいさっぱり食べ尽す。「今晩、行くよ。俺の––––悪魔祓いの匂いがしたら、多分、出てくるから」


 赤身がなくなったスイカの皮がお皿に置かれる。最後のひときれだったようだ。


「そうか……」刑事としての須賀は、片付くなら早い方がいいと、無意識に思ってしまう。秋に死んでほしくない思う、人間としての須賀の想いとは裏腹うらはらに。


「おっさん。一つ頼まれてくれない?」

「なんだ?」

「今晩、峠を通行止めしてほしい」

「それだけでいいのか? 奴が出たら、せめて部隊で包囲するとか」

「悪魔祓い以外は、いらない」


 秋の顔は至って真面目だ。


「わかった……。なら、俺だけでも同行させてくれ」

「しにたいの?」

「おれにだって出来ることの一つくらい、あるだろう」須賀が食い下がる。

「ないよ」

「刀は、刀は余ってねぇのか」

「おっさんに扱える刀はない」

「銃でもなにか、できるだろ!」

「できない」

「じゃあ、あれだ……、ここの火を持って……」

「悪魔祓い以外が戦えば死ぬだけだ!」


 秋の語調は強かった。火という単語に厳しく反応したのだ。


「すまない……」須賀は自分を取り戻した。

「いいよ……」秋が落ち着いた声で言う。


 須賀と秋の父は、古くからの親友だった。

 親友が遺した子は、我が子同然である。


「ついてきても、いいよ」

「ほんとうか?」

「やつが出たらすぐに離れてくれ。悪魔は、悪魔祓いがいれば、おっさんの事は無視するはず。だから約束してほしい」

「わかった」


 須賀は同行を許してくれた秋の言葉を、何もできない自分への悔しさと共に、奥歯でかみしめた。


    *


 警官が、須賀すがの運転する車に敬礼けいれいをしながら、通行止めのさくを開けた。


 須賀の車の後部座席こうぶざせきには、刀を大事そうに抱えた秋がうつむき、目を閉じて、座っている。瞑想めいそうをしているようにも見える。秋の服装は、深緑で無地の半袖パーカー。膝丈ひざたけの白い短パン。靴は、青色のハイカットスニーカーを履いている。


「しかし今日で、事件から3日経つな。ほんとに出るのか?」須賀が不思議そうに言った。

「悪魔になったその時は、訳もわからず欲を満たそうとするんだ」眼をつむったま、秋が淡々と話す。「その後あと、まだ残ってる人間の心が抵抗するんだよ。おれはどうなっちまったんだ、助けてくれ、助けてくれって。今まで、どこか暗いところでずっと体を癒してたんだろう」


 秋の説明に、須賀はそうゆうもんなのかと思う以外なかった。しばらく車を走らせると長くてゆるやかな下り坂が見えた。


「止めてくれ」秋が言う。

 

 ゆるい坂道のずっと向こう。ひとつ。

 小さな丸い点のような明かりが見える。


「あれか?」

「いってくる」


 秋は車から降り、刀の鞘から伸びたひもの輪っかを肩に掛けて背中に背負しょった。


 ゆるめのひもで鞘を背負しょっているので、肩から抜刀することは容易よういな作りになっている。刀を鞘に納めるのは悪魔に勝ったあと。それが秋の中のルールであり、いつまでも腰に鞘があることは、彼いわく「邪魔なだけ」らしい。鞘は戦闘中、秋の背中で大人しくしている。


「秋!」須賀が、助手席の窓を開けて外にいる秋を呼ぶ。「死ぬなよ!」須賀すがの声援を秋は、しかと聞き届けた。


 バイクの唸り声がだんだんと近づいてくる。それは明らかに秋を狙い、秋に向かってきていた。


 刀を抜く。

 呼吸を整える。

 

 左手で手刀の形を作り、その手を胸の前に置いた。ちょうど、胸の前で合掌をするのを片手だけで行なっている姿。片手の合掌だ。


 音が近づいてくる。バイクの左側では三本の長い爪がアスファルトをひっ掻き、火花を吐き散らしている。その長さは、秋の持っている刀の倍近くある。鋼の塊すらも切り裂きそうな、漆黒の三本爪だ。


「コロス、コロスゥァァッ!!」


 バイクの唸り声よりも、強く、不快に、悪魔の叫び声が響いた。秋はその声を無視し、胸の前に置いた手に語りかけるように、そっと口を開き、『羽兎うと』と術を唱える。軽く、柔らかい風が全身にまとわりつく。


 バイクの悪魔の爪が秋に届くらいまで近づく。爪は左手の親指、中指、小指からそれぞれ長く鋭く伸びている。悪魔は秋をめがけてすれ違いざまに、その爪を大きく横に薙いだ。


 凄まじい風切かぜきり。野球のサイドスローのような腕の振りが加わった爪の勢い。その一振りは人間一人を斬り裂くには十分すぎる威力を持つ。


 爪が自分に当たる瞬間。

 秋は刀を縦に強く振った。

 横に振られた三本の爪。

 その一番上の爪。

 爪の中心に秋が振った縦斬りが当たる。

 

 耳に心地良いくらいの金属音が鳴った。それは軽くて強靭な金属と金属が、綺麗にぶつかり合った音。打ち合った刀と爪は、笛の音の様な余韻よいんすらも残した。バイクの悪魔は慌ててブレーキをしてバイクを止める。何故なら斬ったはずの秋が、どこにもいないからだ。肉と骨を自慢の爪で裂いた感触も無い。


「ア? ア!? アイツ…、アイツ! どこいッタァアッ?」


 悪魔は殺気を感じた。

 その殺気は悪魔の真上から。

 ジリジリと降り注ぐ。

 上を向く。

 刀を大きく振りかぶる秋が見えた。

 

雷戈雨らいかざめ!』


 秋は悪魔の真上、およそ十メートルはあろう高さから、落下の重みを加えた一撃を悪魔の左手をめがけて力強く振り下ろした。悪魔は慌てて左手の長爪を持ち上げ、攻撃を防ごうとする。


 地面に凄まじい衝撃が走った。漆黒の物干し竿のような爪は、その付け根から折れてからんと虚しく音を鳴らす。手から離れ、地面で転がる自分の爪。悪魔は唖然とした顔を見せた。

 

 唖然とした理由は二つあった。

 

 一つは爪が折られたこと。もう一つは秋が着地したと思われる地面。そのアスファルトが、ちょうど秋の足幅と同じくらいの大きさで、大きくひび割れ、沈んでいたからだった。


 つまり十メートル以上、軽々と飛び上がった秋が地面にちたとき、彼の華奢な身体が、何トンもの衝撃を地面に加えたことを意味する。それは空気の圧力が成した荒技だ。至極強力な空砲が地面に撃たれたのと同じ現象が起きたのだ。


 秋は、風の元素を自由に操れる、風使い。


 あえて、高速で振られた長爪に、自ら危険を犯してまで刀を当てたのか。それは相手の爪の強度を確かめるためと同時に、相手の力を利用して高く、高く、飛び上がるためだった。


 この無茶とも言える行為は、秋の類稀たぐいまれなる動体視力と、十三歳から悪魔を狩っていた彼の歴戦れきせんの戦闘経験と技術を持ってせねば、なしない技。


 秋は悪魔から離れて着地した。

 左手を胸の前に置いて片手の合掌。

 落ち着いている。

 怖いくらいに。

 落ち着いている。


「オマエ、ナンダ……、オマエ、ナンダァァ!」


 その落ち着きに、悪魔は恐怖を抱いた。

 不協和音の叫び声。

 奇妙に。

 不快に。

 重く。

 儚く。 

 峠の彼方まで響き渡る。




 刀闘記


 ~峠~

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