~寺~


「じいちゃん」寺院の縁側えんがわに座るしゅうは、片膝かたひざを抱えてうつむいている。「俺がもっと強かったら…父さん、生きてたかな」

「七歳の子供がどれだけ強くても、上位魔じょういまにはかなわんよ」

「せめて、あいつの右手だけでも斬れたら」秋は右手のひらを開き、それをうつろに眺める。「その後に父さんが左手を斬れたかもしれない」

「確かに、それは、あるかもしれんの」銀次の言葉には、春風のように心が暖かくなる響きがある。


 悪魔の持つ短刀のように伸びた爪は、人で言うところのかたなである。人が手を斬られると刀を握れなくなるのと同じく、悪魔も手を斬られると爪が使えなくなる。骨や爪などの硬い部位を断ち斬るには、緑の火で鍛え上げられた妖刀が必要にして不可欠だ。


 悪魔の命を終わらせることも、妖刀でしか成しえない。例え常人がどのような重火器を持ってしても、悪魔達を完全に無力化することは到底かなわない。


「今、お前が考えるべきは、お前の命のことじゃよ」

「俺の命?」

「そう」

「俺なんて死んだって……」

「バカもの」

「死んだって悲しむのは母さんと、じいちゃんくらいだよ」

「わしと、かすみを悲しませるのは大罪じゃな」


 秋は黙り込む。


しゅう、ほら、やっぱりご飯を食べないと」


 かすみが重くなりかけた空気を変えようとする。秋はまだ、考え込んでいる。


「いてっ! なんだよ! じいちゃん!」


 秋の足首のあたりに電気のような痛みが走った。老人ハムスターが、見かねて秋の足に噛み付いたのだ。


「いつまで腐った顔しておる」

「だからって噛む事ないだろ……」

「はよ、メシ、食え」

「わかったよ……」


 秋は右手で後頭部をぼりぼりと掻いた。


「食わねば食われる。言い伝えじゃ」

「それ、何億回も聞いた…」


「35億」と言って、老人ハムスターは妙な動きをした。

「あははっ。おじいさん、知っているのですか」かすみが笑う。

「わしも流行には敏感じゃでの!」老人ハムスターが誇らしげに言う。

「それもう古いよ」秋は溜息混じりに言った。


    *

 

 しばらくのち。秋は、居間でそうめんをすすっていた。乾いた洗濯物を運びながら、かすみが秋の背中に話しかける。


「スイカもあるからね」

「自分で斬るよ」

「そう? それなら私、お風呂洗うね」

「うん」

「おじいさんにもスイカ食べさせてあげてね」

「じいちゃん、タネの方が喜びそう」

「ひまわりならね」


 そう言ってかすみはクスッと笑う。親子の仲睦なかむつまじい会話を割くように、呼び鈴が室内に響く。


「誰かな?」

「来たか……」秋は露骨に嫌そうな顔をする。

須賀すがさん?」

「たぶんそう」


 かすみは玄関に向かった。須賀すがは火ノ花町ひのばなちょうの刑事で、秋や立神家とはよくよく縁がある人物だ。


「あ、どうも、須賀さん」かすみは、須賀すがを笑顔で迎える。半袖の水色のワイシャツと、黒のスーツパンツ姿。ネクタイはしていない。

「世話になっております。秋は?」須賀すがが腰を引くしながら話す。

「居間です。今、食事を」

「あがっても?」

「ええ。あの子、昨日は大した事なかったみたいで」

「そうですか、そんな気はしました。現場を見たかぎりの想像ではありますが」

「あ……」かすみは、ふと思い出したような顔をした。「昔の話は今はしない方がいいかと……」

「ああ、なるほど」須賀はあごに指を当てる。自分の髭を触って、少し考えた。トラウマが蘇った秋の心情を察すると、「わかりました、お邪魔しますね」と言って靴を脱ぎ、丁寧に揃える。慣れた足取りで玄関をあがった。


「秋、邪魔するぞ」居間でスイカを食べる秋に、須賀が後ろから声をかける。

「どうしたの。おっさん」

「おっさん言うな」

「おっさんじゃん」

「おっさんだがな」


 須賀は、秋に向かい合うようにちゃぶ台の前に座り、本題に入る。


花山峠かざんとうげ、知ってるか?」

「あの? 不良がよく峠レースとか、してるところでしょ?」

「ああ。そこで、みょうな事故があってな」


 しゅうは黙り、須賀すがの次の言葉を待った。しゃりしゃりと、スイカを噛む音だけが秋の口から鳴る。


横転おうてんしていた二輪車と、そのドライバー。恐らく方向は正面から。三本の長い刃物に切り裂かれ、人間の体ごと四分割されたような形で発見された」

「正面から?」

「これだ、めしの後で悪いが、見てくれるか?」


 秋はこくりとうなずく。その仕草を確認した須賀は写真をテーブルに置いた。写真には、三本の長い刃物に正面から突っ込んだような斬られ方で、分割されたバイクと人間の遺体が写っている。写真を見たとたんに、秋の目つきが変わった。


「こんなに綺麗に身体とバイクが野菜みたいに斬られるなんて、悪魔じゃなきゃ無理だと思うが…」須賀が神妙に言う。

「おっさん、たぶんだけど、そいつもバイク乗ってる」秋は、至ってたいらな口調で話した。特におどろくでもない。よく見る風景の写真を見たような反応だ。とても十七歳の落ち着きとは思えない。


「なぜ、そう思う?」

「翼でとんでるだけのやつが、走るバイクとすれ違いざまに、バイクごと人を斬ったとも考えられるけど。この場合は違う」秋は、さらにスイカの種を飛ばした。「その峠、よくストリートレースするでしょ?」

「ああ。違法だがな」

「だから、その欲だよ」

「レースに勝ちたい、って欲か?」

「レースに勝って、相手を負かしたい。負かしたら」

「殺す……、か」

「これ以上の被害者は出せない。時間が経てば、悪魔はその分強くなる。早い方がいいよ、おっさん」

 



 刀闘記


 ~寺~

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