陰謀に吹かれ消えた炎

~火~


 火が消え、結界の力が無くなった深夜の寺院。火の力が消え失せたのをぎつけた悪魔が数匹、ここぞとばかりに攻め込んできた。当時の火守り人は、秋の祖母そぼだった。彼女が、わずらってもいないはずの心臓の病で急に倒れた日だった。


 祭壇さいだん雄々おおしく灯る緑色の火は、「火守としんあいする」といわれ、その言葉どおり、火守り人の命が絶えると、誰かが代わりに火を灯すまで、火は完全に消えたままになる。

 

 火が消えた寺院の本堂内で秋の父は、悪魔祓あくまばらいの妖刀、戒塵丸かいじんまるを慌てて手にし、迫りくる悪魔たちと闘った。


 悪魔を狩るには必須ひっすともいえる風の異能力を使えない状態にもかかわらず、秋の父は、己が体術たいじゅつ剣術けんじゅつのみを頼りに、邪悪じゃあく尖兵せんぺいを次々と切り伏せてゆく。


 しばらく彼の優勢が続いた。悪魔が全て斬られ、事態が収集すると思われたそのときだった。一匹の悪魔が、空から隕石いんせきでも降ったような速度で真上から屋根と天井を突き破り、秋の父に襲いかかる。


 悪魔は、寺院の本堂内ほんどうないに着地するやいなや、怒声どせいを発した。たくさん殺しやがった。そんな言葉を何度も口にした。


 岩石の如く盛り上がる筋肉に覆われた、強靭な肉体。はがねとも見まごうほどに硬化した皮膚が月明かりに反射し、淡紫色あわむらさきいろひかった。頭からは漆黒しっこくの二本角。上半身は裸。下半身だけズタズタに破れたジーンズを履いている。人間だった、そのなごりだ。


 この強靭な悪魔は、ちゅうじょう、それぞれのくらいのうち、上に属する〝上位魔じょういま〟にあたる。


 今まで秋の父が倒したのは、ただ悪魔になっただけの人間、下位魔かいまだった。身体の一箇所や、とある特殊攻撃に特化した部類は中位魔ちゅういまと呼称される。


 上位魔じょういまは身体の大きさ、筋肉の質、動きの速さ、翼による飛躍ひやくの速度、爪の鋭さ、どれをとってもぐんを抜いた強さをほこる。


 悪魔は普段、れをなして行動をしたりはしない。人間がひとたび悪魔化すると、それぞれの欲を満たすために行動するだけの〈下等かとうな生物〉にさががる。それに加え知能もかなり低下する。団体行動をしよう、などと考えるまでにも至らない。


 しかし上位魔が現れた場合は違う。上位魔の何に恐れをなすのか、下位、中位魔たちは上位魔の命令に従う兵士となる。

 

 秋の父は上位魔の猛攻もうこうをいくどかしのいだ。しかし悪魔祓いは異能力いのうりょくを持ってしないと、悪魔と互角ごかくに渡り合えない。それが普通なのだ。


 まして相手が上位魔なら、なおさらだ。異能力の源泉げんせんたる、緑の火が消えた状態で戦うことは、刀を持つ相手に対して素手でいどむことに等しい。反撃むなしく、秋の父は上位魔の凶爪きょうそうに腹を裂かれてしまう。


「かすみ! 火を……、火を灯せ!」


 彼は自身の負けを悟った。

 力を振りしぼって大声を上げる。

 その時かすみは、ごく普通の妻だった。

 神事など、したことも無かった。


 秋の父、直之なおゆきが好きで、ただそれだけで結婚をした。普段から当たり前のようにともっている緑の炎が消えるなどと思っていなかった。


 火守ひもり人を義理の母から受け継ぐ日も相当先だろうと思っていた。いつか受け継ぐだろう、くらいに甘く考えていた。


 かすみは、火が消えた祭壇さいだんの前に正座をし、義母ぎぼが読んでいた経を読みはじめる。普段耳にしていた音を頼りに。慌てふためきながら、記憶の見よう見まねで……。


 経は滅茶苦茶めちゃくちゃだった。緑の火は弱々しい線香花火せんこうはなびのような光から始まり、少し灯ってみたり、さっと消えてみたりを繰り返した。秋の父を倒した上位魔は、かすみのあわれなさまを見て笑った。


「ハハハッ! ヨワイ! ヨワイナァ! なんだその、ナンダソノヨワイ、ヒ!」


 不気味ぶきみで重い忌声。全身の覇気はきを根こそぎ吸い取られるような不協和音ふきょうわおんが、本堂に響く。


 後悔なのか、恐怖なのか、絶望なのか。この感情を言い現す言葉など無いのではないか。ただひたすら、火が灯ってほしい、その一心で経を読む。夫はまだ生きていると信じたい。


 この程度の悪魔あくまに、歴戦の悪魔祓あくまばらいである夫が、殺されたなどと思いたくない。すぐにでも介抱をしたいが、経を読むことが最善の作業であることは理解できる。錯乱した精神でも、ほんの少しの冷静さが残っていた。


 高笑いをする上位魔に向かって、刀が弱々しく振りおろされる。突然だった。上位魔が足元を見ると、七歳のしゅうが、ガタガタと震えながら上位魔に刀のきっ先を向けていた。


「ナンダ? コノコゾウ……、ナンダコノコゾウ! ハハハッ!」


 しゅうは倒れた父の手から刀を取り、幼い体で上位魔じょういまに立ち向かっていた。


「秋!」


 かすみはきょうを中断して声を上げた。自分の息子より大事な事など、あるはずもない。やっと灯り始めた緑色の火は力を失い、消えてゆく。


「オマエの子? オマエの子だ!」上位魔がさらに高笑いをする。「コイツ、コロシタラ、オマエ、ドウナルノカナァ!?」


 秋の小さな体は誰かに体当たりをされ、横に突き飛ばされた。秋が落とした刀を、血塗ちぬれの手が力強く握る。その刀身は上位魔の右手を斬り落とした。紫の右手は、宙を舞ってからすぐ塵となった。秋に体当たりをし、刀を手にしたのは、かろうじて息があった秋の父だ。


「かすみ……、やめるな! 経を続けろ!」と彼は叫んだ。


 その一声で全ての力を使い果たした。息ができない。足に力が入らない。腕が痺れて、三半規管が暴れる。足元には大きな血溜ちだまり。「ムカツク! ムカツク! オマエ、ムカツクなァァァア!」悪魔は残った左手の爪で秋の父の腹をもう一度、貫く。


 手から落ちる刀。

 かすみは泣いた。

 叫んだ。

 嫌だ、嫌だと。

 何度も叫んだ。

 経など読んでいられない。

 かすみは秋に駆け寄った。

 秋を抱きしめる。

 おさなほほには父親の血。

 秋の目をかすみの腕がおおう。

 見てはいけない。

 こんな残酷ざんこくを。

 子供に見せてはいけない。

 この子だけは絶対に殺させない。

 食うなら私を食え。

 殺すなら私だけを殺せ。

 身長が二メートル以上ある悪魔に怒声をぶつける。

 廊下を走る身軽な足音が聞こえる。 

 一秒。

 悪魔の左手を短刀が斬り落とした。


 短刀を手に駆けつけたのは、秋の祖父、銀次ぎんじだった。銀次は、倒れた自身の妻のそばで最期さいごまで名前を呼び、心臓を叩き、蘇生そせいをしようとしていた。そのために悪魔との闘いには一足、遅れてしまったのだ。


「ァァァッ! オマエ……、がァァアッ!」上位魔は呻き、騒ぐ。銀次はそのまま短刀を左胸に突き立てる。禍々まがまがしい紫肌しはだ。絵巻に描かれる悪鬼あっきのような全身は、灰色の塵と化す。


「火が……、キエタノ……、ニ……」


 肉体を失った悪魂あっこんくやまぎれの断末魔だんまつまをあげ、闇夜やみよに消える。


 銀次はすぐさま祭壇さいだんへ駆けつけ「直之なおゆきを!」と声をあげた。かすみに代わって祭壇さいだんの前に座り、流れるように経を唱える。緑の火は、みるみる灯ってゆく。


「なお! ねぇ……、なお、死なないで!」かすみは直之なおゆきかかえて名前を呼ぶ。何度も、何度も。


 膝が夫の血で真っ赤に染まってゆく。

 

「なお! なお! なお……」

 

 かすみは、うつむく。

 直之は、すでに事切れていた。

 緑の火が完全に灯った。

 これで悪魔は寺院に近づけない。

 銀次は一旦経を止め、直之のそばに駆けつける。

 

「直之……、わしがはよう来とれば。悪魔あくまめが、悪魔ごときめがっ!」

「なお……、ねぇ……、なお! 起きてよ。ねぇ…」


 かすみは、夫の肩をゆすった。

 泣き声がむなしく響き渡る。

 そのかたわら。

 ふるえ、座りこみ、おびえる、七歳のしゅう

 残酷な光景を、幼い瞳に強く焼き付けた。




 刀闘記


 ~火~




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