第29話 最後の戦い

 ここに残る。

 残って、楠木を止める。

 僕が自分考えを述べると、いの一番に金森君が声を荒らげた。

「君!何を言ってるんだ!そんなことできるわけないだろう!」

「そうだよ!あまりに危険すぎる!あなたが行くことないよ!大体、あんな爆発の中に飛び込むなんて」

 金森君に続いて蓮田さんも僕を制止した。

 未だ、公園内での爆発は次々と巻き起こっている。爆炎が立ち上がり空を明るくすると、公園の遠くへと逃れようとする人々の悲鳴が辺りにこだました。公園外周部を走る道路は瞬く間に詰まってしまったらしい。見切りを付けて路側に車を停車させ、走って逃げる人の姿もある。

 まさしく混沌も極まれり状態だった。

 誰もがこの災禍から逃げようと必死だ。それなのに、ここに残って楠木を止めるだなんて、二人からすれば頭がおかしくなったと思ったのだろう。案の定、二人の表情は険しい。彼らは赤々と燃え上がる公園に向かい立つようにして立っている。そのせいか、二人の真剣な眼差しがしっかりと見えて、僕の心は揺り動かされた。

「金森君、蓮田さん。君らの言いたいことはよくわかる。僕だって魔術を使わなければそうしたい。だけど―――」

 僕は振り返り、公園の方に視線を向ける。

「このままではこの辺り全部焼け野原になってしまう。それだけじゃない。きっと命を落とす人だって出るはずだ。これを鎮められるのは、レベル5の僕しかいないんだ!」

 言いたいことを言っている。自分の願望を言葉として紡いでいる。そんな実感があった。そう、僕は自分に偽ることなく、この災いを止めたいと願っている。

 もちろん、二人はそれを良しとしなかった。金森君はどしどしと乱れた足取りで僕の前にやってきた。僕と公園の間に立ち塞がり、僕の肩を強く掴んだ。

「君はもうボロボロだ。それに、自分でも魔術を使いたくないと言っていたじゃないか!大体、あの爆発の中に飛び込んでどうするつもりなんだ?」

「僕のリストリングを、あいつの手首に巻き付ける。このリングはレベル5相当の抑制力があるから、きっと奴の魔術だって抑えられるはず。そこまでは・・・奴が魔術を放ったタイミングで僕もレベル5の魔術をぶつけて、相殺しながら進む」

 咄嗟に思いついた案だった。

 自分でも馬鹿げている作戦だとは思う。仮定の上に仮定を積み重ね、それが全て上手くいった時にだけ成功する勝ち目の薄い目論見。だけど、魔術対策班の到着待つ以外の方法はこれ以外思いつかない。

「いや、それは違うだろ酒匂君」

 金森君はぶんぶん頭を振り回した。

「確かに君は強い魔術を持っている!だけど、だからといって君が楠木を止めなければならないかとなれば話は別だ。もしかすると君は死んでしまうかもしれないんだぞ!」

「そうかもしれないけど、幸運なことに僕らは今楠木を止められるかもしれない術を持ち合わせている。それに賭けてみたいんだ」

「駄目だ駄目だ!僕は・・・僕は、君を失うのは嫌なんだぁ・・・」

 声を震わせながら僕を説得する金森君だったが、遂に感情が溢れてしまったらしい。彼の眼から涙が溢れ、立つ力も無くなりその場に膝から崩れ落ちてしまった。

「—――ありがとう金森君。少し、僕の話を聞いてくれ」

 爆発の轟音、人々の悲鳴が僕らを取り囲んでいる。

 嗚咽を漏らす金森君の目線に合うようにしゃがみこみ、肩をとんとん叩いた。

「僕は今まで、人と積極的に関わるのを避けていた。それは、全てがこの強すぎる魔力が原因だ」

 僕は自分のリストリングを擦った。

「今までこの魔力が憎かった。ただただ強いばかりで何の役にも立たない。むしろ人を傷つけたり命を奪ったりすることすら十分に有り得る。そういう、呪縛のようなものが、僕の人生にはのしかかっていた」

 僕の魔術―――それは僕を縛っている鎖そのものだった。

 魔術のせいで人からは避けられるし、僕は僕で自分の強すぎる魔術を引け目に感じて他人と距離を取っていた。今思うと、実のところ僕はその現状に強い不満を抱いていたのかもしれない。

 僕はいつも灰色の水塊に囚われていた。

 視野も十分に確保できず、息をすることすら叶わず、かろうじて確認できた綺麗な水の方へ行こうとしている。だけどその間には厳しい境界線がある。僕はそれを乗り越えることも叩き割ることもできず、ただただもがいているだけだったのだ。

「だけど、今は違う。リミットブレークを起こした楠木を止める力になれるかもしれない。これは現状、僕にしかできない。初めてこの魔術を前向きに感じているんだ。それがとても嬉しいんだ」

 金森君は途切れることなく嗚咽を漏らしている。

「僕に行かせてほしい。必ず生きて帰ってくる」

「でも・・・でも・・・行かないで・・・」

 彼はそれでも僕を引き留めようとした。

「—――金森君。酒匂君に行かせてあげましょう」

 今まで黙っていた蓮田さんが口を開いた。そして、僕に強い視線を向けた。

「確かに、酒匂君が楠木君を止めることについて、私も賛成はできない。わざわざ君が死の危険を冒して楠木君を止める理由はないと思ってる。できるならば、一緒に逃げたい。一緒に逃げて、また明日からみんなで楽しく学校生活を送れればいいと思っている。だけど―――」

 蓮田さんが一歩、僕に近寄った。その顔には笑みが浮かんでいる。

「私達はあなたのことをまだそんなに知らない。だけど、あなたが強い魔力を持っているがゆえに苦悩を重ねてきたことは私たちにも何となくわかる。そんなあなたが魔術を活かしてみたいと思うなら、私はそれを後押ししたい。誰かに強要されるわけでもなく、自分の引け目を感じることなく、自分の魔術を肯定した上でそうしたいと思うなら、そうするべきだよ」

 蓮田さんは僕の手を握った。真っ白な手の感触が、不思議なほど僕の心を穏やかに、そして晴れ晴れしい気持ちにさせた。

「いってらっしゃい」

「ありがとう蓮田さん、金森君」

「ただし!必ず帰ってきてね。私達、君の話をもっと聞きたいんだ。魔術のことや、それ以外の事も」

 金森君はうなだれて何も言わなかった。ただただ、時折しゃっくりをしながら真っ赤になった目をこちらに向けてくるだけだった。

「じゃあ、行ってくる!」

 警官の目を盗み、いたるところに張り巡らされた規制線を飛び越えて、園内に侵入する。

 僕は振り返って、今一度二人の姿を見た。

 金森君と蓮田さんは、手を振っていた。僕は彼らを見て一度頷き、燃え上がる公園の方に向き直った。

 僕がここまで我儘を言って、それを了承してくれた。そこまでしてくれて、僕が事を成さねばどうするんだ。

 涙で視界が滲んできた。僕はそれをぼろぼろの服の袖で拭い、爆心地である楠木のところへと一気に走っていく。

「うぉぉぉ!」

「おい!君!何をしてるんだ?!早くこっちに戻ってきなさぁい!」

 規制線の外から、警官が僕に叫んだ。

 彼らとしては犠牲者を出さないことが仕事だ。だけど、僕は今まさに命を投げ出すかのような奇行に及んでいる。彼らとしてはそれを止めたいはずだ。

 だけど、僕は行かねばならない。申し訳ないが、その声には耳を貸さず、爆発のただなかを突き進んだ。

 爆発が巻き起こっている場所と僕らが先程までいた場所の間には林があった。土地勘があまりないので分からないが、恐らくは先程楠木の追手から逃げて身を隠していた場所に違いない。あの時は鬱蒼としたじめじめした雰囲気だった。だけど、今は木々が地面に横倒しになり、それらが炎に包まれている。辛うじて元々道であったと思しき場所は火の勢いが弱いようだが、それでも火傷に注意しながら進むことになった。炎を掠めるように通り抜けるたび、痛みに似た熱さが襲い掛かる。ここですらこんな状態なのだから、きっと楠木達がいる辺りはもっと酷いことになっているに違いない。


 赤々と燃え上がる林を抜けて、ようやく先程まで僕らが私刑を喰らっていた広場までたどり着いた。そこに広がっていたのは、まさしく地獄絵図だった。

 広場には公園らしくいくつかの施設や遊具、設備等が点在していた。しかし、度重なる爆発によってそれらは全て破壊されてしまったらしい。公衆トイレは外壁の大部分が崩れ落ち、男性トイレの小便器が露わになっていた。ブランコやベンチなどもあったように記憶していたがそれらは見当たらず、夥しい量の瓦礫となって辺りに散乱している。比較的大きな噴水もあったが、爆発の炎に包まれている。地面にはギャラリーたちが逃げる時に落としたであろう携帯電話やバッグがぐちゃぐちゃに潰れて散らばっていた。

 災禍の根源である楠木は、自分でも制御が利かないでいるらしい。奴は滅茶苦茶に魔術を暴発させていた。モンスターのような雄々しい呻き声を上げたかと思うと、自分の周りに火柱が上がるほどの爆発を連続して引き起こした。そして少し間が空き、今度は空に向かって魔術エネルギーの凝集体を放り投げ、轟音と共に夜空を真っ赤に塗り替えた。

 楠木のごくごく周辺だけは爆発が起こらないらしい。そのわずかな隙間に上村綾音ががたがた震えている。上村は爆炎に巻き込まれぬよう、今や暴徒に成り下がった楠木にくっついている。

 上村が林の出口にいる僕を見つけて、怒りに満ちた声で叫んだ。

「なんで、なんでこんなことになってしまったの・・・おい酒匂瑞樹!全部お前のせいだ!責任を取ってこいつをぶち殺せ!私に償え!」

 まぁた手前勝手なことを喚いてるな―――ここまで清々しいクズ女だと怒りを通り越して憐れに思えた。炎で赤々と照らされた上村の顔面は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。大人の真似をして化粧をしていたようだが、それもすべて溶け切ったらしい。稀代の美少女もこうなると汚らしいものである。

 この爆発を止めることが結果として上村を助けることになるのが気に食わないが、仕方がない。リストリングを外してズボンのポケットへ押し込み、掌に魔術を凝集させる。魔術エネルギーが胸の奥から流れだす。レベル5の魔力が手の先に集まる。今にも暴発してしまいそうで、僕は一旦しゃがんで呼吸を整える。そして体を強張らせる。大丈夫、大丈夫、きっとうまくいく―――。

 どうにか我慢できそうだ。僕はその状態で、意を決して楠木へと突き進んだ。

 

 近づけば近づくほど、楠木の爆発がより近くに感じられた。火柱が上がるたび肌からじりじりとした熱気を感じる。それだけではなく、地面を焼き尽くす炎があちこちに蔓延っており、それを避けて行くのが一苦労だった。爆発で眩しくなり視界を確保するのが大変だったので、額の辺りに手をかざして少しずつ進んでいく。

「うわぁぁぁぁ!!熱い熱い熱い熱い熱い!!助けてくれ助けてくれぇ!!」

 楠木が苦しみの叫びを上げているのが徐々に聞こえてきた。もう既に理性は無く、半乱狂になっている。

 奴が僕の方を向き魔術を繰り出してきた。

 うまくできるかどうかは微妙だが―――やってみるしかない。

 僕は掌に集わせていた魔術エネルギーを、一気に解放する。すると目の前に大きな水の壁が生み出された。それが楠木が生み出した爆発と触れ合うと、鼓膜を痛めつけるようなけたたましい破裂音が鳴り響き、衝突点を中心に辛うじて形を保っていた遊具や施設を変形せしめた。その後大量の水蒸気が発生し、そこだけは苛烈な爆発や地面を侵略する炎が立ち消えた。どうやら、僕らが一番最初に楠木に襲われた時にやったことと同じような現象が起こっているらしい。

 これならば少しずつ足場を確保しながら進めそうだ。僕は一歩、また一歩と奴へと近づく。あいつが魔術エネルギーを使った瞬間を見計らい、こちらも水の壁を形成し、爆発を無効化しつつ、炎が少ないところを選んで進む。バチンバチンと魔術同士がぶつかり合うたび、僕は進行方向へと少しずつ行軍する。この方法ならばあいつの懐へ入り込めそうだ。

 不思議な気分だった。

 今僕はリストリングをつけていない、正真正銘レベル5のMAPだ。こんな烈火の中でまともに制御ができているとも思えない。常に全力で魔術を放っている。だけど、奇々怪々なことにその魔術の出し入れがちゃんとできているのだ。

 何が何だか分からない。何故こんなご都合主義丸出しで上手く事が進んでいるのかは全くの謎である。だけど一つ確かなことは、今の僕には強い魔力で思い悩んでいた暗い気持ちはまったくない、ということだ。ただただ、この魔力を誰かを守るために使いたい。その一心のみであった。

 このまま楠木のところへ―――そう思っていた。だけど、実際のところはそんなに甘いものではなかった。

 外縁から楠木にいる位置に向かって進むにつれて、爆発の威力も倍増していくように感じた。僕が渾身の力を持って水の壁を形成したとて、それを上回る量の爆発が僕の体を取り囲み、耐えがたい熱気が僕の肌を容赦なく撫ぜた。僕の腕はじりじりと焼けていく。

「おい酒匂瑞樹!さっさと私を助けろ!立ち止まるな!早くこいつを―――」

「うるさい!黙れ!気が散る!」

 おしゃべり機能付きトラブル発生機がまた何の役にも立たない戯言を垂れ流していたが、あんまりムカついたので一喝したら怯えたような顔で何も言わなくなった。

 それにしても、熱い、あまりにも熱い。

 どうしてもここから先に進めない。僕はじりじりと微小な距離の後退と直進を繰り返すはめになった。これ以上は全身を火傷してしまいそうだ。楠木まであと5メートルほど。きっと、ここが僕の魔術と楠木のそれが相殺することができる限界地点なのだ。これ以上は、生身の体で突入していく必要がある。だが、この業火とも思える火炎の中をどうして僕が進めようか。いくらMAPとはいえ、魔術を持っている以外は普通の人間だ。鋼鉄製のアーマーを着ているわけでも、火炎耐性のエンチャントが付いているわけでも何でもないのだ。

「くそ!ここまでしか進めないのか・・・!」

 熱くて熱くて気を失いそうだった。戻ろうにも、僕の背後も楠木の爆発の炎が燃え上がっている。僕は思わずその場にしゃがみ込む。

 ここまでなのか?

 やはり、リミットブレークを起こしたMAPを鎮めるなんて無謀だったのか?

 僕の周囲を爆発が取り囲んでいる。僕は疲労困憊の中スクウォートを繰り出して、猛火から体を守ることで精いっぱいだった。

 

 僕が死を悟りつつあった時―――思わぬことが起こった。

 目を落としていた地面に、小さな丸い水滴がぽつり、と落ちた。

 これは僕の汗か涙だろうか。そう思っていると、その水滴は次々に地面に落ちていき、やがては地面の全てを埋め尽くすほどになった。

 間違いない―――雨が降ってきたのだ。

 確かに僕は先程からレベル5の魔術を連発している。魔術能力検査の時も、東雲さんに魔術を見てもらった時もそうだった。水系の魔術能力者が高レベルの魔術を使うとその地域には雨雲が発生し、局所的な豪雨になりやすい。それをすっかり忘れていた。

 これは天恵だった。顔に、一粒、また一粒と大粒の水滴が落ちる。その水滴は落下の感覚をやおら短くし、どんどんと大きくなっていく。

 最終的に、公園の真上からは大量の雨粒が落ちてきた。通り雨だ。

 その結果、楠木が繰り出す爆炎も少しずつ能力を失いつつあった。わずかではあるが奴と僕の間に、炎に侵されていない地面が少しずつと顔を出す。

 チャンスは今しかない!

 体が悲鳴を上げている。疲労でぶっ倒れそうだった。

 だけど、ここが踏ん張りどころだ。僕は呼吸を整えてからもう一度、最大魔力で目の前に水の壁を作り出した。その状態のまま、壊れかけの足を駆動させて一歩ずつ前へと進んでいく。楠木は随分前から人並みに考える能を失っているようだったが、今となっては僕も同じようなものだった。ほとんど破れかぶれで魔術を多用し、高度な思考など皆無で突き進む今の状況は、わけもわからず突進する猪に他ならない。

 水の壁で封じられない範囲では見渡す限り爆炎に包まれ、そこからの飛び火は僕の足を焼いた。剣山をぐりぐりと押し付けられるほどの痛みが体を刺突していく感覚を覚えた。そのたびに何度も絶叫した。だけど、ここまで来たからには退くわけにはいかない。といよりも、退くことができない。ただただ、楠木の馬鹿野郎にこのリストリングを巻く、という目的だけで奴に突進していく。

 炎に突っ込んでから何度目かの二人の魔術の衝突。

 お互いの魔術が相殺されると、もうすぐそこに楠木と上村の姿があった。幸い、今は楠木もエクスプロードのための魔術凝集を行っているタイミングで、遮るものは何もない。

「楠木ぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 僕はラグビーのタックルよろしく、叫びながら奴の間合いに滑り込み、その勢いのまま奴の大きな体に突撃した。いつもの楠木であれば、華奢な僕の攻撃など何のダメージも無いだろう。だけど奴は奴で自分の許容能力を遥かに上回る魔術を繰り返し、疲弊しているようだった。僕たちは体と体をもつれさせたまま、ゴロゴロと泥だらけの地面を転がった。体が回転するたび、炎の眩しさと土の黒さが交互に眼球を刺した。

 そして数メートル後方で僕らはようやく止まった。僕は真っ白なYシャツを着てたはずなのだが、血と泥と暴力でぼろぼろになっていた。

 頭がくらくらしたものの、僕ははっと我に返った。楠木は数メートル離れたところに仰向けになって倒れている。だが、未だに「熱い・・・熱い・・・」と叫びながらじたばたと手足を動かしている。

 僕はポケットに手を突っ込み、レベル5用のリストリングを取り出した。

 後はこれを奴の手首に付ければ問題ない。

 だけど、ここで予期せぬことが起こった。

「うわぁぁぁ!殺すな!俺を殺さないでくれぇ!」

 地面に伏していた楠木が、何とむくっと起き上がったのである。奴はぶんぶんと腕を振り回すものだから、迂闊に近寄ることもままならない。

「楠木!落ち着け!僕はお前を助けに来たんだ」

 しかし、僕の叫びが奴には届いていないらしい。

 そして、あいつはまたエクスプロードを撃とうとしているらしい。手の先にエネルギー体が集まってくるのが見えた。

 まずい。今僕は魔術エネルギーを集める準備が一切できていない。このままでは奴のエクスプロードを防ぐ手段が何もない。冷や汗がどばっと吹き出す感覚を覚えた。

 殺される―――!

 僕がそう思ったその時、さっと影がよぎった。

 信じられないことに、それは先程の警察官だった。彼もまた炎に包まれながらも楠木を押さえつけ、地面に横倒しにした。

「君!話は君のお友達から聞いた!俺がこいつを押さえつけているから、早くリストリングを巻くんだ!」

 警官は泥だらけの顔で僕を見て、叫んだ。いくらガタイのいい警官であっても、高校生としては大柄な楠木の体を押さえつけるのは難しいらしく、拳を浴びたり蹴りを喰らったりしている。

 そのうちに、楠木はエクスプロードを繰り出した。魔術の勢いは、上にのしかかっていた警官の体をいとも簡単に吹き飛ばした。

 幸いなことに、発射直前で警官が楠木の腕を締め上げていたお陰で、奴の爆発は夜の空へと舞い上がるのみで終わった。

「警官さん!」

「早く!早くそれを巻くんだ!」

 警官は服に飛んできた火を払うので必死らしく、地面に横になってごろごろと転がっている。

 僕しかいない。

 楠木はどでかい一発を放った直後のせいか、仰向けになってぐったりとしていた。奴に巻かれた二つのリストリングが真っ赤に熱を帯びている。またエネルギーの凝集を始めているのかもしれない。

「堪忍しろ!楠木!」

 僕は泥濘と差し支えない地面を泥だらけになって駆けて、楠木の大きな図体の上に馬乗りになった。奴はそれでもまだ抵抗を続けている。

「やめろやめろ!俺は、死にたくなぁい!」

 容赦なく平手打ちが飛んできた。向こうは僕が自分を殺そうとしていると勘違いしているようで必死だ。その攻撃が何度か僕の顔にヒットした。奴の拳が直撃するたびに頭がくらくらしてきた。多分、流血もしているだろう。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 僕はぼやけつつある視界と疲弊しきった体に残る力を振り絞り、ぶんぶん振り回す奴の腕を地面にねじ伏せた。ほとんど全体重を乗せていながらも、奴は暴れまわる。僕は何度も弾き飛ばされそうになった。楠木から攻撃が飛んでくるたび痛みを感じたが、それでも僕は奴へののしかかりを続けた。

 それもこれで終わりだ。

「これで終わりだ!楠木ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 僕は握りしめていたレベル5用のリストリングを楠木に左手首に押し当てる。雨で手が滑りそうだったが、必死に冷静さを保ちながら、どうにかこうにかリストリングを巻くことに成功した。


 かくして、爆発はピタリと止んだ。

 肺の能力を超える量の息の収支が繰り返されている。頭がぼんやりしてきた。

 僕は立ち上がろうとしたけれど、足に力が入らず、そのまま地面に倒れこんだ。泥の跳ねる音が、耳に入り込んでくる。誰かが近くにやってきて、何かを言っているのが聞こえる。だけど、もはやその内容は分からない。

「やった・・・僕はやったんだ・・・」

 

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