第22話 対峙
楠木の魔術は、この前学校でやったものより、勢いも強さも数段上がっていた。
奴の能力、エクスプロードの力が込められた真っ赤な火の玉は、寸分違わぬ精度で僕らへと迫ってくる。今度ばかりは、相殺するための魔力を集める間はない。
「危ない―――っ!」
咄嗟に、僕は隣にいた蓮田さんの肩を抱えながら地面に倒れ込んだ。蓮田さんの小さな悲鳴が聞こえ、次にはしたたかに体を打った痛みがやってきた。金森君のことを全く考えていなかったが、彼は彼で甲高い叫び声を上げ、尻餅を着いて身を低くした。
地面に倒れた僕らの真上を、風切り音を伴って火球が通過する。火球は真っ直ぐ飛んでいき、進行方向の先にあった駐輪場に着弾する。
すると、着弾点はパッと強い光に包まれ、金属質の破壊音と共に爆炎が上がった。それは体の内側まで響き渡るような衝撃で、僕は思わず両手で耳を塞いだ。
強い光が収まると、駐輪場に置かれていた数十台の自転車は木っ端微塵に砕け散り、構成部品を宙に巻き上げた。元々自転車が駐輪してあったと思しき場所は自転車のタイヤやフレームが散乱し、ろくに形を保っている自転車は一台も無かった。
そんな非日常的な出来事を感じ取ったのか、近くの店やアパートから険しい顔をした人々が何かを話しながら飛び出してくるのが見えた。
「ちっ、ミスっちまったか」
奴は贔屓のスポーツチームが負けたかのように軽い話口でつぶやいた。爆炎を目にしながらも、楠木の不気味な微笑みは崩れなかった。
奴の場違いに落ち着き払った態度を見て、僕は血の気が引いた。同時に一つの確信めいた事実を悟った―――これは、もう楠木に何を言っても通じない。楠木は僕らへの害意で満たされている。そして、その害意は何をしたって曲げることはできない。
奴は次の攻撃をすべく、掌にエネルギーを集めながらゆっくりと近づいてくる。新たなる危機が迫っているのは一目瞭然だった。
ここでするべきことは対抗ではなく、逃げだ。
「金森君!」
僕は金森君に叫んだ。彼は口を半開きにして震えている。
「は、ひゃい?!」
「蓮田さんを連れて逃げて!」
同じく地面に座り込んでいた蓮田さんの肩を掴んで立ち上がらせ、金森君の方に押しやった。
「この辺りは入り組んだ路地が多い。奴のエクスプロードは基本的に直線的に投擲することしかできないようだから、何とか逃げ切れるだろう!そのまま、近くの交番か警察署に駆け込むんだ!」
金森君が不安そうな表情を覗かせている。その気持ちはよくわかるが、今は彼らだけでも逃げ延びてもらう必要がある。彼らは魔術を使えない。この凶徒と化した男に抗う術がないのだ。
「ねえ、酒匂君。あなたはどうするの?!」
金森君の側に並び立つ蓮田さんが、心配そうに僕を見た。
僕がすべきこと―――そんなこと決まりきっている。
「僕は・・・ここであいつの魔術を食い止める!その間に君たちは逃げるんだ!」
「そんな!駄目だよ!君も一緒に逃げようよ!」
「そうだよ!あなただけ置いて逃げるわけにはいかない!」
当然のように、二人は魔力の凝集に集中する僕の背中に向かって、僕の考えを否定した。だが、楠木は運動神経がいい。蓮田さんはともかく、金森君の鈍足ではあっという間に捕まってしまうだろう。ちょっとでも足止めをして時間を稼ぐ必要がある。
強力な魔術の行使すら厭わない彼を止められるのは、僕しかいない。
「いいんだ!このままじゃ三人揃ってあの世行きだ!早く!逃げて!」
楠木の動向に目を見張りながら、肩越しに二人を見る。二人は少し迷っていたようだが、怪しげな笑みを揺らめく炎に照らされた楠木が近づいてくるのを見て、決心が固まったらしい。
「ごめん、酒匂君!」
金森君は蓮田さんの手を引いてその場から一目散に逃げ、塀に囲まれた路地へと飛び込んでいった。その時、楠木に狙い撃ちにされるかも、という考えがよぎったが、意外にも楠木は二人をちらりと見ただけで、何か妨害をする素振りを見せなかった。
「なるほど、てめえ一人だけ残って俺を足止めしようってのか。泣ける友情物語じゃないか」
悠々と楠木は話した。しかも、妙な身振り手振りを使ったお芝居付きだ。目の前の男は、この状況を楽しんでいる。そういう感じが、ありありと見て取れた。
「楠木、もうやめよう。お前、ただでさえ停学中なのに、こんな問題起こしたらもう北高に戻れないぞ?」
僕は楠木に言った。だけど、楠木は相変わらず冷ややかな目でこちらを睥睨し、僕の言葉を鼻で笑う。
「俺の心配してくれんの?だが、問題ないさ。当事者であるお前らは今から死ぬんだ。誰も俺がやったと言わなけりゃあそれで済む話さ」
「バカな・・・そんなに都合よくいくわけないだろ!」
「いんや、上手くやれるさ。何と言っても前例があるからな。例えば―――へっ、井原の時とかな」
井原―――恐らく、体育教師で生徒指導担当の井原先生のことだろう。確か井原先生は今朝のホームルームで少しの間お休みすると葛西先生が言っていた。一体井原先生と楠木のこの不気味な自信と何か関係あるのだろうか。
だけど、そこまで考えてはっとした。
まさか、井原先生が急に休んだのは―――!
「お前、まさか井原先生を―――」
「ピンポーン、大正解!俺らが通勤途中のアイツを襲撃したのさ。あいつは事もあろうに俺のようなやんごとなき人間を停学にした張本人だからな。自分の行動が分不相応だったことをしっかり教育してやろうと思ってな」
こいつが、井原先生を?
驚愕の事実に直面し、僕は何も言えなくなった。それとは対照的に、楠木の口は休みなく駆動する。
「あいつが乗ってる車を取り囲んでさぁ、身動きが取れなくなったところで、俺が最大火力のエクスプロードをお見舞いしてやった!いい気味だったぜ?車は火柱が上がって爆発四散!それで、中から這い出てきた井原をボコボコに殴ったんだぁ!いつもは偉そうに命令してくるのによぉ、原型を留めてないひでぇ顔して何度もやめてくれと懇願してきたんだぜ?!こんなに気分爽快なことなかなかないぜ!」
えへらえへらと半笑いしながら、井原先生を襲撃したことを武勇伝か何かのように誇らしげに語った。やっぱり、楠木はイカれている。これが元々からこうだったのか、あるいは停学処分でプライドが傷つけられた成れの果てなのかはわからないが。
別に井原先生にはものすごく思い入れがあるわけじゃないけど、それでもその話を聞いて全くいい気分はしなかった。
「それで、次はお前を貶める元凶を作り出した僕らに逆襲しようってハラか」
「へっへ、流石はガリ勉酒匂君。理解が速くて助かるよ」
楠木の掌には、先程投擲したような大きな赤い球体が浮かんでいる。既に次の攻撃を繰り出す準備はできているようだ。
チラリと自分のスマホの画面を覗いてから、高らかに言い放った。
「悪いが、俺も忙しいもんでね。お前にはさっさと死んでもらうぞ!」
楠木はまた、赤赤と燃え盛るエネルギーの凝集帯を力いっぱい撃ち出した。先程と同じく、凄まじい回転とスピードを伴い、僕に向かってくる。
こうなったら、一か八かやってみるしかない―――僕はエネルギーを溜めていた両手を、自分の眼前に掲げた。そして、目の前に立方体の箱を作るイメージを浮かべ、手先からエネルギーを放出させる。
頼む!上手くいってくれ―――僕は必死に念じた。どちらにせよ、これが上手くいかなければ死ぬか、死ぬほど酷い目に合うかのどちらかだ。
すると、僕の目の前にはまっさらな水を固めて作ったかのような1立方メートル程度のエネルギー凝集体が現れた。壁の表面は、いくつかの箇所で絶えず波紋が広がっている。
「おいおい!そんな水の塊ごときで俺のエクスプロードに対抗しようってのか?!笑えてくるぜ!」
楠木の嘲笑が耳に流れてきた。確かに、奴の魔術レベルはリングの効果を考慮してレベル3程度。一方、こちらのレベルは同じくリングの抑制効果含みでレベル1程度。魔術の強さはおおよそ魔術レベルに比例する。普通のぶつかり合いであれば、僕の魔術が奴のそれに敵うわけがない。
だけど、僕には算段があった。もちろん、上手くいく保証は無いに等しいが、このまま犬死にするよりはやってみるよりほかない。
楠木が投擲した火球が、ちょうど水の塊に入った。そこそこの勢いだったが、水の抵抗力によって勢いは弱められ、火球はすっぽりと立方体の水に覆われた。だが、楠木の邪悪な魔力を内包した水塊は、ゆるゆると僕の方へと近寄ってきた。やはり、今の状態でレベル3の魔術を抑え込むのは容易なことではないようだ。高温で爆ぜていた火の玉は水の中に入ってからも熱を失わず、表面の周りにまとわりつく水を沸騰させ、泡を巻き立てている。それに合わせ、火球が放つ光が徐々に強さを増していく。僕は目の前に手を突っ張らせ、自らで作り出した水の塊に念を込める。
「へっへ、よくわからない策を講じたようだが、やはり俺様の力の前じゃ無力らしいな!分不相応な世迷言を吐き散らかしていたが、いい気味だぜ」
スクウォートとエクスプロードのせめぎ合いの向こう側に、楠木の声が聞こえる。どうやら奴は僕の近くまで歩いてきたらしい。
その間にも、火球を含んだ水の塊は眼前まで迫ってきていた。立方体の表面からは湯気が立ち上っている。顔全体に、確かに熱気を感じる。そろそろ限界は近い。
「さて、思ったよりも手間を食っちまったが、そろそろてめぇも爆発してもらうかね。死ね!」
楠木が火の玉に向けて手を向けると、それはみるみるうちに大きくなった。恐らく、楠木自身で魔力の爆発するタイミングをコントロールできるのだろう。そして、今こそ爆発するに相応しいと判断したのだろう。
―――今だ!
僕は魔力を送り続けていた水の塊に向けていた腕から力を抜き、すぐさま地面に這いつくばった。
一瞬だけ楠木が怪訝そうな顔をしたのが見えたが、次の瞬間には爆発音とともに辺りが真っ白に水蒸気に包まれた。けたたましい轟音が耳を刺し、容赦なく襲いかかる熱波を感じたが、どうにかうずくまった場所に留まることができた。
何とかうまいこといったらしい。ただでさえ暗くなりつつあるのに、真っ白な霞に包まれれば視界はほぼゼロだ。
「ちっくしょぉ!おい酒匂!どこだ?!出てきやがれ!」
未だ深い霞の向こうで、楠木が馬鹿みたいに叫んでいるのが聞こえた。こちらから奴の姿は見えないが、あっちも僕の場所を把握していないらしかった。
僕はゆっくりと立ち上がり、視界が悪いながらも手探りで霧を掻き分け、先程金森君たちが逃げ込んだ細い路地へと飛び込んだ。
東雲さんから教わった“お遊び”―――まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。
溢れ出るばかりの魔力を制御する初歩的な方法を教える一方、東雲さんは魔術を使ってできる面白いことを色々と紹介してくれた。今まで僕は、魔力を球体状の凝集体にすることしかできなかった。だが、東雲さん教えにより魔力を発現させる形は多種多様にあるのだと教わった。そして、僕の能力であるスクウォートは水を操る魔術なので、一層自在に形を変えることが可能なのだと教えてくれた。
楠木の炎系の魔術を見て、東雲さんに初めて会ったときに砂防ダムで見せてくれたパフォーマンスを思い出した。あの時は水の中にも関わらず、イグナイトの力で空高く水柱が上がった。それを奴のエクスプロードと僕のスクウォートでやれないか―――混乱する頭で咄嗟にそれが思いついた。
立方体の水の中に奴の火の玉を抑え込むこと、そして向こうが魔力を爆発させるのに合わせて水塊の抑圧に使っていた魔力を解除するタイミングが難しかったが、結果奴をまくことができた。
「東雲さん・・・ありがとうございます」
誰にも聞こえない声で呟いて、僕は二人を探しながら路地を駆けた。
しかし、やおら今から進もうとしている地面に鋭い光が走った。それはバリバリと何かを裂くような甲高い音で、僕は思わず足を止めた。
「な―――!」
思わず意味のない言葉が漏れ出るのと同時に、僕は目の前に見知らぬ男がにやりと不気味な笑みを浮かべて立ちはだかっているのが見えた。
「お前には何の恨みもないが、楠木から金を貰う約束になってるからな。全力でいかせてもらうぜ!」
得体の知れない男は、高らかに叫んだ。
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