第23話 闇の果て

「おいこら待てやぁ!」

「ぶっ殺すぞぉ!」

 後ろから暴力的な言葉が怒りや高揚感に任せて連呼されるのが聞こえてきた。そして、夥しい数の足音も僕の心をざわつかせる。

 どれくらいの人間が後ろにいるのだろうか―――少しだけ振り返って確認しようと思ったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。とにかく安全に逃げ切る。それだけのために全生命力を注ぎこまねばならない。

 このさほど詳しくもない路地をい行き当りばったりで走り続けている。肺が擦り切れるほど呼吸をしているし、足も疲労が溜まってガタガタだ。ただただ、奴らに捕まったら間違いなく痛い目に合う、という確度の高い恐怖だけで足を動かしている。


 先程出くわした謎の男は、MAPだった。

 奴は電撃の使い手らしい。そしてやはり手首にはラストウィザードの魔力増強リングが光っていた。奴の魔術は凄まじく、目眩を起こしそうな電撃が手から放たれ、間一髪避けた僕の真横を通過して虚空に黄色い光を迸らせた。もしもあの電撃が生身の体に当たったら―――あまり想像したくなかった。

 奴の魔術を避けながら後ずさりしていると、古いアクションゲームで主人公を阻むモンスターの如く四方八方から続々と人が湧いて出てきた。楠木の取り巻きといったお馴染みの面々もいれば、まったくもって初登場の半グレ集団みたいな奴らもいる。兎にも角にも、どう考えても奴らはこの雷のMAP、ひいては楠木の援軍に違いなかったので、僕はひたすら奴らのいない方向へ逃げ回る。

 ここは比較的最近出来上がった住宅地で、格子状に区分けされた敷地に築浅の小綺麗な一軒家が立ち並んでいる。その家々にはもう明かりが灯っており、夕飯の準備をする音が漏れ聞こえたりする。こちとら命の危険が迫っているというのに、それとは正反対の様子で場違いに笑いが出てきそうだった。

 小綺麗に区画分けされた道を走り続けていると、突き当りに車が不用意に侵入しないための柵が設けられているのが見えた。その先には中途半端に垢抜けたベージュ色の歩行者用通路が見える。どうやらその道の先は大きめの公園に繋がっているらしい。柵の脇には「向野ほがらか公園」という、ありきたりな名前がご丁寧にも掲げられている。

 この公園がどういった造りをしているかは分からない。だが、公園に逃げ込むというのは、視界が開けている場所が多いという意味では逃げる側としては不利だというのは間違いない。だが、最悪魔術のぶつかりあいになったとしても思う存分スクウォートを展開できるという利点もある。

 もちろん、魔術はできるだけ使いたくないけれど、奴らは僕らを攻撃せんと躍起になっているようだから、それは難しいかもしれない。どっちにしろ、このまま路地をぐるぐる周回したとてジリ貧なのは目に見えている。いつかは奴らと正面きって対峙しなくてはならない。短周期な呼吸な繰り返しで白っぽくなった頭で、それだけは分かった。

 一か八か、僕は公園に突っ込んだ。

 知らずに飛び込んだのだが、どうもなかなか規模の大きい公園らしい。園内には大きな木々が植えられており、その間を縫うようにレンガ敷きの通路が作られていた。遊歩道のような作りになっており、蜘蛛の巣のように様々な幅の道が入り組んでいるようだ。そこかしこに照明の光が落ちているせいか最低限の視界は利くけれど、それでも先まで見通すことは難しかった。僕はそれを利用してくねくねと進路を変えながら何とか追手の視界に捕らわれることを阻止しようと動き回った。

「くっそ!あいつどこに行きやがった?!」

「探せ探せ!多分、まだそこまで遠くには行ってないだろ!」

 今にも土に還りそうな細い遊歩道の脇で身を屈めていると、辺りから僕の索敵を命ずる声が聞こえてきていた。仄暗い水の底から場所ながら、遠くの光に投影された限りなく闇に近い影が動くのも見えた。ドラマやアニメの真似事でこうして隠れてみたけれど、案外奴らは僕を探し出すことができていないらしい。あんなに大勢で来たというのに愚かな連中だ。まぁ、楠木のバカに付き従っている時点でその辺りの頭脳レベルの低さは当然なのかもしれない。

 少しの間、暗闇の向こうから流れてくる苛立たしげな声と足音に注意を払っていた。額や背中から変な汗が吹き出してくるのが分かった。茂みで澱んだ空気の中で身を屈めているせいか、体にじめっとした暑さが纏わりつき不快極まりない。

 だが、幸いなことに追手はだんだん遠ざかっていったらしい。僕はタイミングを見計らい、再び歩道に飛び出した。

 取り敢えず、喫緊のピンチは脱することはできたようだ。しかし、奴らがまだ付近を徘徊しているのは間違いないから油断はできない。何より金森君たちのことも心配だ。先程、隠れている時に金森君の携帯に連絡してみたが、返信はない。二人がもし奴らに捕まっているなら探して助けるべきだが、今の段階ではそれすらも分からない。

 二人を見捨てるみたいで申し訳ないが―――取り敢えず、大きな道路に出て、警察に駆け込むのが最も良策だと思った。地図アプリで見てみると、どうやら公園を出て少し行った辺りに交番があるようだ。距離的にも十分行ける。

 この辺りの詳しい地理はよくわからない。それに加えて、まだ辺りには奴らがいるだろう。僕はスマホの画面光度を最低限にして、足音を立てないようにして地図上に示された場所まで歩いた。人気のない林の中は、視界が思った以上に利かない。辺りの茂みがガサガサしただけで心臓の鼓動が早まった。今は追われている身だという意識が、僕をいつもより臆病な心持ちにさせているのやもしれない。

 大丈夫だ、上手くいくさ―――僕は念じるように言い聞かせ、足を早める。

 遊歩道を少し行くと、真っ黒な木々の向こう側に開けた場所が垣間見えた。蛍光灯の黄色がかった光がこちらを照らしている。話し声も聞こえる。

 僕は一旦しゃがんでスマホを確認した。位置的に、先程の開けた場所はこの公園で一番の広場らしい。グーグルマップで航空写真に切り替えてみると、簡易的なサッカー場や数機ほどのベンチがあるのが見える。最寄りの交番に行くためには、どうもそこを通り抜けないといけないらしい。そうでないと、かなりの遠回りになってしまう。

 広ければ広いだけ奴らに発見される危険性も増すのだが、仮に見つかったとて交番に駆け込めば奴らだってそうそう手出しはできないだろう。

 一か八かだったが、僕は広場へと向かった。

 しかし、そこで意外な人物と再び出会った。

「えっ、畑中さん?」

 広場と林の間に、先程コーヒー店で会った畑中さんがいた。物言わず突っ立って、僕を無表情で見ている。

 こんな時間に、一体こんな場所で何をやってあえるのだろうか。目の前の予期せぬ出来事に対して、シンプルな疑問が浮かんだ。とはいえ、ここで見たことがある人物に出会ったのは幸運だった。ほとんど話もしたことはないけど、何とか協力を取り付けて危機を脱するしかない。僕は彼女へと駆け寄った。

「また会ったね畑中さん、実はちょっと今困っていて、もし良ければ協力してくれな―――」

 彼女との距離はほんの数メートル。そこまで近づいて、彼女は突如として声を張り上げた。

「こっち!こっちです!残りの一人がいまーす!」

 彼女は広場の方に震えた声を投げかけ、大きく手を振った。

 これはもしや―――頭では分かっているが、どうしてもそれを受け入れられない僕がいる。

 その呼び声に呼応するように、畑中さんの背後には続々と柄の悪そうな男たちが集まってきた。その中には、楠木の手先として働いていた藍沢も見える。それと同時に、先程僕を探し回っていた一団も林の奥の方から集まってきた。どうやら、道の前と後ろで挟み撃ちになったらしい。

 やられた―――背中の表面積全てを使っても出し切れない量の冷や汗が噴き出た。

 畠中さんはこいつらとグルだったのだ。近頃親交の薄かった蓮田さんをお茶に誘ったのも、そしてあのコーヒー店にいたのも、僕らの動きを監視して楠木一派に報告するためだったのだ。

「畑中さん!君は―――!」

 僕は畑中さんに可能な限りの憎悪の視線を浴びせた。彼女はまるで人でも殺したかのような蒼白な顔で震えていた。だが、男たちが続々と集まってくると、何も言わずに男たちの間をすり抜けるようにして逃げ去った。

 そして、僕は僕を敵視している男たちに周囲を囲まれた。どうやっても、逃げる隙がない。

「おいお前!もう逃げられないぜ!観念するんだな」

 男たちの悪そうな声に囲まれる。奴らはもう僕を捕縛したつもりでいるらしく、勝ち誇ったようにゲラゲラと笑っていた。

 こんなところで諦められるか。

「くそ!ふざけやがって!」

 僕は瞬時を魔力を集め、それを奴らの足元に放った。魔力エネルギーの塊は弾け、大量の水流となって悪漢たちの体勢を崩した。

「ぎゃあ!」

「何だこりゃあ!」 

 阿鼻叫喚が連なる。いい体格をした男たちが、ずぶ濡れになって転げ回っている。これは良い気味だ。

 よし、この間に交番に―――そう思った時だった。

 僕の右肩の辺りを、何か見えないほどの速いものが掠めていった。その後、刹那的な激痛と裂かれたYシャツから鮮血が吹き出るのが見えた。

「うわっ!何だこれは!」

 思わずその場にひざまづいた。真っ白なシャツに赤赤とした血が滲む。僕はそれを左手で抑えた。左手には生身の生を感じられる生暖かさが感じられる。息をするたび、体の中を鋭い痛みが駆け抜ける。

 僕は何か飛んできた方向を見た。

 そこには、先程とは違うMAPがにやにやしながらこちらを見ている。

「低レベル魔術者が調子乗り過ぎなんだよ」

 その男は舌打ちをして静かに言った。MAPの掌にはやはりエネルギーが凝縮された球体が浮かんでいる。その手首にはやはり魔術増強リングが見える。

 まさか、まだ魔術持ちがいただなんて―――不覚が招いた危機への悔しさと出血を伴って疼く腕の痛みに抗うことで精一杯な僕は、男たちの圧倒的腕力によってねじ伏せられた。頬を路面の砂利に擦り付けられる。

「ここでぶっ殺しても俺は一向に構わないんだがなぁ。楠木が自分のところに連れてこいって言ってるんだ。さっさと来い!」

 腕を締め上げられた僕は、まるで連続強盗殺人犯が連行されるかのような格好で、林が作り出す闇の空間から引きずり出されることになった。

 



 

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