第20話 ピースメーカー

 ごみ拾い集合場所の昇降口で、僕と金森君は出会った。いや、邂逅という仰々しい言葉をあてがっても問題無いほど、僕らはまるで初めて会ったかのように互いをまじまじと見た。金森君は驚いたような表情をしたものの、すぐに興味の無さそうに無表情へと変わった。

「金森君」

「酒匂君・・・君もごみ拾い?」

「う、うん。蓮田さんに誘われて」

「ふーん、そう」

 明らかにトーンの下がった声で受け応えしてから、金森君は軍手とトングを手に取った。

 蓮田さんにしてやられた・・・っ!―――僕は心の中で叫んだ。金森君も苦虫を噛み殺した顔をしている。恐らく僕と同じようなことを思っているはずだ。

 最近の蓮田さんは、とにかく僕らの友好関係を修復することに力を入れていた。自然な形で僕らが出会うように誘導したり、個別に仲直りを促したり、とにかくあれこれと気にかけている。今日のごみ拾いだってきっとそうだ。元を辿れば、横柄な態度を取る上村一派に彼女が注意したのが僕らの仲違いの発端なので、蓮田さんなりに責任を感じているのかもしれないけど―――。

 僕らが拳を握りしめていると、蓮田さんが現れた。スニーカーに履き替えて、つま先を土っぽい地面でコツコツ突いている。

「あ、御両人!時間通りの集合、ご苦労さまです!」

 彼女は悪戯っぽい素振りで僕らに敬礼した。やはり、彼女は僕らを引き合わせるためにこの地味なイベントへの参加を促したのだ。いつもの通り蓮田さんは満面の笑みを浮かべているが、今は小悪魔的に見える。

「いやぁ、二人ともありがとうね。なかなか参加者が現れず困ってたんだ!しかも、金森君は部活動を休んでまで来るなんて、ホント申し訳ない」

「いやぁ、そんな、あははははは・・・」

 金森君は顔を真っ赤にして、呆けたような間の長い笑いを垂れ流している。

 彼女の快活な喋りに対し、僕ははぁとかあぁとか何とも言えぬ言葉を繰り出すしかなかった。ただ一人、蓮田さんだけがやたらと元気だった。


 そうこうしているうちに、このごみ拾いを担当している上級生が号令を掛け、ビニール袋を下げた生徒たちは校外へと三々五々に散っていった。

 僕らは蓮田さん、金森君、そして僕という三人衆で連れ立って進んだ。学校の周囲は金網の塀で四角く囲まれている。その塀のさらに外側には小規模な水路があり、流れのない汚い水が淀んでいた。そこには、ポイ捨てされたお菓子の包みやチューハイの空缶が溝水に塗れて沈んでいるのが見える。その水路は何だか不気味に見えた。そこだけではなく、水路脇の草むらにもいくらかごみがあるようだ。仮にも学校のすぐ近くだというのにこんなに汚くていいものだろうか、と思ったが、斯く言う僕もこの近辺がこんなに汚れているとは知らなかったから、勝手に忸怩たる思いを抱いた。

 僕らごみ拾いの一団は、その水路に沿って歩き、せっせとごみを拾い集めた。幸い、水路に沿って細いながらも道路があっため、ごみを拾い集めることに関してそれほど難儀な思いはしなかった。

 蓮田さんはてきぱきとトングでごみを拾い上げてはビニール袋へと放り投げていく。その一連の動作がとにかく速い。やっぱり、蓮田さんは何をしても完璧なんだな、と感心した。

 僕ら二人はそれに従った。蓮田さんはごみ拾いをしながらも、僕らに話を振った。

「しかし、結構ごみがあるもんだねえ」

「そうだねえ、この辺りって普段あんまり見ないけど、こんなにゴミがあるんだ・・・」

 金森君がくぐもった声で応える。彼が手を伸ばした先にはペットボトルがあったが、金森君の操るトングはさっきから空をつまんでばかりいる。金属質の間抜けな音が、断続的に聴覚を打った。

「しかし、ゴミを捨てに行く手間すら惜しいのかなあ。私だったら罪悪感の方が大きいかも」

「たしかにね」

 僕も蓮田さんの話に適当に返事をする。


 僕らは端から見れば仲良し三人チームかもしれない。しかし、現状では完全なる仲良しでないし、何ならチームと呼べる代物かどうかも怪しい。その証拠に三人もいて会話のパターンはたったの二種類だけだ。すなわち、僕と蓮田さんか、あるいは金森君と蓮田さんかのどちらかだった。蓮田さんが僕と二人でつるんでいるのと同時に金森君とも二人でつるんでいる、という表現が一番正しいのかもしれない。

 僕はどうにかして金森君と話そうと思った。何とか勇気を持って話しだそうとするが、向こうも牽制しているのか何なのか分からないが、やたら金森君と目線が合ってしまい、勇気をへし折られる。その繰り返しばかりで、なかなか話出せなかった。

 蓮田さんが楽しげに作業する後ろで、僕と金森君の間には終始微妙な空気が流れていた。朽ち果てたスチール缶、コンビニ惣菜のプラスチック容器、セクシーなお姉さんが載っている週刊誌など、袋の中には面白いようにゴミが溜まっていく。だけど、僕の中の空っぽになった心は、何一つ埋まらずにいた。


 適当にごみをつまみ、蓮田さんと話をしていると、あっという間にごみ拾いの時間は終わった。

担当の生徒が終了の号令を掛けたので、僕らも正門からグラウンドの脇を通り、元いた昇降口に戻った。既に帰参した生徒たちも多数いて、昇降口の前には何人かの生徒が屯していた。担当の生徒たちはごみ袋を昇降口脇の花壇の前に集めて置くよう、声高に叫んでいた。僕らもそれに倣い、その周辺にビニール袋を置いた。

 担当の生徒たちが労いの言葉を掛けると、何だかちょっと良いことをした気分がして、気持ちよくなった。

「金森君、酒匂君、今日はお手伝いしてくれてありがとう」

 このイベントの解散が宣言されるのとほぼ同時に、蓮田さんは僕らに礼を言った。

「いや、礼には及ばないよ。最初は面倒だと思ってたけど、なかなかの気分転換になったよ」

「そう、それは良かった!」

 それだけではなく、蓮田さんの困っている時に助けることができたというのが、理由もなく嬉しかった。

「ねぇ、お二人さんはこの後帰るんでしょ?もし良かったら帰りにバイパスのコーヒー屋さんにでも寄っていかない?」

「え・・・僕らと?」

 予想だにしないお誘いに、僕と金森君はケンカ中であることを一時忘れ、互いの顔を見た。

「私、あそこのフラペチーノ好きなんだよね。今日はいつもより早く帰れそうだから寄ろうと思って。折角こうしてご一緒したことだし、どうかな?」

 このお誘いに真っ先に反応したのは金森君の方だった。

「もちろん行くさ!僕も甘いもの好きだからねぇ」

 彼は今までにないほどの声量だった。それだけでなく、蓮田さんの方へ一歩、ずいっと前進して胸を掌で叩いた。その行動に何の意味があるのかは甚だ疑問だが、彼の内に抑えきれない嬉しさが花咲いたのはよく分かった。

「よし、行こう。酒匂君はどうかな?」

 当然、彼女は僕にも水を向けた。金森君は口を真一文字に結び、やはりこちらを見た。

 僕はどうしようか迷った。家に帰ってからやることが色々と頭をよぎった。だけど、母さんは今日残業だと言ってたから遅くなるだろう。僕の母は事前に連絡さえ入れておけば寄り道することにはさほどうるさくない人だ。それに、金森君は行くと聞いて、何でか分からないけど妙な対抗心を感じた。

「僕も行くよ」


 帰る途中、蓮田さんは女子生徒に呼び止められ、ちょっとだけ話をするからと言われたので、少し離れたところで僕らは気まずさを漂わせながら待った。その女子生徒と僕は話したことがない。違うクラスだということは確かだから、バド部関係だろうか。

「あの子は?」

 話を終えて戻ってきた蓮田さんに、金森君が質問した。

「うん、一組の畑中さん。一年生の時は同じクラスだったんだけど。折角ごみ拾いで一緒になったし、この後どっか行かないかって」

 女子同士の方が盛り上がるだろうに、と僕は勝手に思っていたけど、意外にも蓮田さんは困惑しているみたいだ。それくらい、突拍子もないことだったのだろう。

「あっちに行かなくていいのかい?」

「うん、こっちが先約だしね」

 かくして、僕らは目的地へと出発した。

 その畑中さんという女子は、寂しそうに僕らを見ていた。



 全国に多店舗展開をするスタンドバックスは、藍沢バイパス路傍にもまた店舗を持っている。位置的にはこの前金森君と行ったハンバーガー店の数十メートル離れたところにある。僕とは縁のない店だが、女子たちには人気の店らしい。

 店の前からは、道路を挟んで向こうにある大型ショッピングモールが、夜の帳が下りるのに備えてかライトアップされるのが見えた。

 中に入ると、コーヒーの良い匂いが充満しており、いきなり圧倒された。良い例えが見つからないが、例えば缶コーヒーを開けた時よりも、もっと深くて濃い香りだ。ブラウンの濃淡とその他ちょっとした差し色だけで構成された店内は落ち着いており、腹の底に響くような音量でジャズ音楽が流れている。さしずめ、これもリラックスな気分へと来店者を誘う趣向の一つなのだろう。店内には有閑を持て余したマダムや、マックブックをカタカタ打ち込んでいる大学生風の男などがいたが、座れないというほど混んではいなかった。

 僕はこんな小洒落た店に入るのは初めてだった。コーヒーはたまに飲むけど、大体はお湯に顆粒を溶さて飲むタイプばかりだ。金森君も同じだったらしく、蓮田さんに逐一教えてもらいながらカウンターで注文した。カフェオレ一杯でも結構高いんだな―――カウンターの向こうでせわしなく動く店員をぼんやり見ながら思った。


 適当なボックス席を見つけ、僕らは座った。独立した四角いテーブルが一つあり、その各辺を椅子が一つずつ配置されている。僕は会計をしたのが一番最後だったので、適当に空いている席に座った。しかし、もう少しちゃんと考えて座るべきだったかもしれない。僕は目下ケンカ中の金森君とテーブルを挟んで向かい合う格好になってしまった。

 蓮田さんは僕から見て右側、金森君から見て左側に座った。彼女は一言二言話をしてから、注文したドリンクを口の中に注ぎ込んだ。

「ううーん!おいしー!」

 女子らしいトーンの高い声、そして満足そうな笑みを浮かべ、蓮田さんはドリンクの味を楽しんだ。

「へぇ、そんなにおいしいの?」

「うん!やっぱり体を動かした後の甘いものを飲むっていうのは良いものだねえ!」

 焦って頼んだカフェオレを一口、流し込む。

 なるほどおいしい。

 だけど、思わず調子の高い声で喜ぶほどおいしいものなのか、どうにもよくわからなかった。それは対面する金森君も同じらしく、蓮田さんに調子を合わせながらも自分のソイラテについては特段感想を言わなかった。

「さてと、お二人さん」

 蓮田さんは、店内に流れるジャズのドラムセッションに隠すように、静かにブラスチックの容器をテーブルに置いた。

「私としては、もう少しゆったりとした気分でフラペチーノを楽しみたいとこだけど―――その前にまず、問題を解消しておこうか」

「え、問題?」

 金森君は目を丸くした。

「まずは金森君。君、酒匂君に何か言いたいことがあったんじゃないの?」

 笑顔の中にも真っ直ぐに向けられた視線が、金森君を刺した。金森君はちょうど飲んでいたソイラテを気管支に詰まらせ、少しだけ噎せた。

「えっと、僕は別に―――」

「ふーん、じゃあこの前私に相談してくれたのは嘘だったってこと?」

「いんや・・・そういうわけじゃ」

「私、結構親身になって相談に乗ったつもりだったんだけどなあ」

 金森君は一気に語勢を弱くした。どうやら、金森君は金森君で、今回の僕との不和について蓮田さんに話していたらしい。

「まあ、多少強引だったのは謝るけど、それでもこうして私が骨を折ってこの場を作ったということ、少し考えてほしいね」

 留めの一撃の如く蓮田さんに言い放たれても、金森君はゴニョゴニョと何かを呟いていたが、やがて臍を固めたらしく、諦めたように嘆息を吐いた。

「うん・・・わかった」

 店内のジャズに紛れるように一言のたまってから、金森君は瀟洒な木製の椅子に座り直し、僕を見た。

「酒匂君、この前は魔術を使えだなんて勝手なことを言ったこと、すまないと思っている!学校で魔術を使いたくない君の気持ちは理解していたつもりだったんだけど、つい熱くなってしまって―――本当にごめん!」

 テーブルを挟んで向かい合う金森君は、着席したままながら深々と頭を下げた。この前ハンバーガー店で見せられた真摯な態度を、まさかここでも見せられるなんて思いも寄らなかった。

 僕はあまりにもはきはきと謝罪の言葉を繰り出す彼の様子に面食らってしまった。一方で、心の奥の方で何か温かいものがこみ上げてくるのが分かった。

「いや、いいんだ」

 その温かい何かに従順に従うように、僕は金森君に言った。彼は少しだけ顔を上げた。

「僕の方こそ、君の言い分はもっともなのに、それなのにカッとなって君を否定したりして悪かったよ。こっちこそ、ごめん」

 僕も彼と同じように頭を垂らした。どっちに分があるかということはもはやどうでも良かった。蓮田さんの力を借りたとはいえ、真っ直ぐに罪を認めて、それを謝る。金森君のそういう真っ直ぐな部分に対して、僕もちゃんと応えないと悪いと思った。

 僕が顔を上げると、金森君はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。

「よーし、これで晴れて和解成立だね。ケンカの事は一件落着ってわけだ」

 蓮田さんは明るい声を出してぱちんと手を叩いた。女の子の笑顔というのは尊い。僕らは何ともなしに笑いが零れた。

「ところで、酒匂君に聞きたいことがあるんだ」

 金森君はにやけていた顔をすん、と元の真面目な顔に戻し、そのように口火を切った。

「僕がこうして謝った代わりと言っちゃあ何なんだけど・・・君のことについて、もっと教えてくれないか?」

「僕の事?」

 金森君は首を縦に振った。蓮田さんも小さく頷いた。

「確かに、君が魔術を持っているということも、そしてそれを抑えていきたい考えがあるのもよく分かるんだ。だけど、例えば楠木や、他のMAPの人達だって、君ほどひた隠しにはしていないだろう?君がそこまで魔術を隠して生きていたのは、何でなのかなあと思って」

「今日の昼に私に言ってくれたじゃない?あなたが自分のことを信じきれない理由は、単にMAPだからだけじゃないって。もしも何か他に理由があるなら、私達に教えてほしいの」

 二人は僕に対して迫った。

 もちろん、このまま僕が苛まれている理由―――レベル5という圧倒的かつ破壊的な魔力を秘めているんだということを、今まで通り隠匿するべきだろう。この前東雲さんが言っていた通り、僕はイレギュラーな存在なのだ。そして悲しいかなそれを容易に受容できる人間は少ない。普通の人達に、好き好んで危険性を明示すべきではないのだ。

 だけど―――僕は目の前にいる二人の顔を見た。学校の中で魔術を使い、そして白い目で見られていた僕に対して変わりなく親切をくれたのは、間違いなく彼ら二人だけだ。それだけじゃない。金森君は酷いことを言ったことを素直に謝り、自分の弱みを僕に対して話してくれた。蓮田さんは僕らが喧嘩した時に色々と取り計らってくれた。

 この二人になら、もしかしたらありのままの僕を受け入れてくれるんじゃないだろうか―――僕は一か八かの賭けに打って出ることにした。

「どうだろうな、話してもいいんだけど―――多分結構びっくりすると思うよ?」

「いいや、いいんだ!僕は君のことについてもっと知りたいんだ。全部話してよ」

「そうだよ!あなたにはこれまで何度か助けられてきた。私達だって、君の問題解決のお手伝いをしたいんだけど、どうかな?」

 やっぱり―――牽制のつもりだった僕の言葉なんてまるで関係なしらしい。

 僕は一旦、目の前のカフェオレを一口飲んだ。体が熱くなってるのがわかる。

「実はね、僕はMAPだということはみんなも知っていると思うんだけど、ちょっと楠木達とは状況が違うんだ」

 僕と対面している金森君と蓮田さんは不思議そうに目を丸くして互いの顔を見合わせた。

「どういうこと?」

「僕は・・・レベル5のMAPなんだ!」

 思いがけず、僕の言葉は強くなっていた。そして、二人は突然の告白に言葉を失った。

 三人の間には、衝撃的な事実を告げた直後には全く相応しくない、軽やかなジャズ音楽が流れた。



 



 

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