第14話 足りないもの

 先程までいた東雲さんのログハウスに戻ると、車から家へ戻る間に濡れた服や髪をばさばさと適当にタオルで拭いてから、東雲さんは早速魔術制御についての解説を始めた。

「本格的な鍛錬を始まる前にやることの一つとして、今日はまず魔力の正しい引き出し方、抜き方を覚えてもらおう」

 東雲さんは、ここを出発する前にテーブルの上に置いていた学術書をおもむろに手に取り、パラパラとページをめくった。その本には大量の付箋が差し挟まれている。

「え?今日はそれだけなんですか?」

「そうだ」

 僕はありのままの感情をそのまま吐露してみた。

 だって、魔力の集め方と解放のやり方なんて、本屋の魔術専門コーナーに並んでいるハウツー本でも載っているくらいの、頭に超が付くほど基本的なことだ。もちろん、僕だってやり方を心得ている。

 少しの間沈黙のままにページがめくられていく乾いた音だけが断続的に聞こえていたのだが、東雲さんは理解しきれていない僕の様子にはっと気付き、少しだけバツの悪そうな顔をした。

「そんな初歩的なことを今更、と思ったかもしれないのだが・・・何事も基本がおろそかになっていては成就しないもんさ。案外、魔術の扱い方の基本が適当になっているということは結構多いんだ」

 僕は何も答えられなかった。確かに僕がMAPであることが判明して、小学校に入るか入らないかの時にどこかの施設で教えてもらいはしたが、それが今の今まで間違いなく履行されているかどうかは、はっきり言って不確かだった。

 僕があれこれと考えている間に参考にすべきページが見つかったらしく、東雲さんは自分の中指をその該当のページに挟み、一旦本を閉じた。

「よし、それじゃあ、早速始めていこうじゃないか」


 そう言って、東雲さんは僕に対して魔術制御の具体的な実践方法のいろはを教えてくれた。

 目を閉じて、深呼吸を数回する。十分に精神を落ち着かせ、そこから効率よく手の先へ魔力を集めるための力の入れ方、そして瞬時に体の中に残っている魔力を解放する―――学術書を片手にその原理を解説しながら、東雲さんは僕に正しいやり方を懇切丁寧に指導してくれた。基本的には口で手順を述べるだけだったが、時には自分で実践して手本を見せてくれたりもした。

 ログハウスの内部では、雨滴が木材を打つ音が切れ間なく続いている。窓は開け放っているが、少しだけ蒸し暑い。僕はじとりとした汗を背中に感じながら、指示された魔術の扱い方を、何回も、何十回も繰り返し行う。


 確かに、東雲さんの指導の通りにやると、今までより段違いに良いのが明らかに体感できた。

 なんというか、体の中の魔力の流れ方がこれまで経験したことがないくらいスムーズだ。そして、魔術の解放についても、正しいやり方で行うと体の中からすっきりと魔力の感覚が消えるのが分かった。

 一方で、僕が望んでいるものとは少し違う、という思いも同時にこみ上げてきた。確かに基本は大事なのだろうが、目下悩んでいることは魔術の調整方法―――ひいては、僕の中の魔道の強化だ。今日のこの訓練で、その問題がさっぱり一掃されるとは到底思えなかった。

 僕が疑念を抱いていると、それが見えるかのように東雲さんから指摘が入る。

「少し乱れがあったようだよ。魔力の凝集に集中して」

「は、はい!」

 僕は気を取り直し、一度は消えかかった魔力の凝集体へと力を入れ続ける。


 その後、一時間ほどみっちりとマンツーマンの指導は続いた。

 先程もらったお茶がテーブルの上に置いていたのを思い出してちらりと見てみる。お茶はすっかり室温と同化してしまい表面に張り付いていた玉状の水滴すら無い。

 東雲さんは壁掛け時計をちらりと見た。

「そろそろうちの奴と君の母さんが帰ってきそうだな・・・よし!それじゃあ一旦私に魔力の凝集と解放をやってみせてくれないか?」

「はい、わかりました」

 僕は言われたとおり、それをやった。

 まずは目を閉じて呼吸を整える。心のざわめきを可能な限り沈静化させた後、体の中心に感じる魔力を手の先へゆっくりと送っていく。手の中にゆっくりと魔力が集まっていき、野球ボールほどの球体が現出される。それはゆっくりと横回転をしながら手と手の間に浮かんでいる。レベル1程度の魔力の取り扱いに過ぎないのだが、僕は小一時間ほどの訓練の効果をはっきりと感じていた。

 これが魔力の凝集―――次は解放だ。

 手の先から、ゆっくりと力を抜いていく。このとき一気に抜くのではなく、数秒かけて少しずつ魔力を解いていく。そして、手の位置は魔力を集めたときと同じ位置でできるだけ固定する。こうすることで、魔道を流れる魔力に変化が少なく、安定して魔力を落としやすい。これは東雲さんの教えだ。

 みるみるうちに魔力の凝集体である球体は小さくなっていき、最後の方では「パチン」とシャボン玉が弾けたような小さな音を立て、消え去った。


 術が終わったと判断すると、東雲さんは小さな拍手を僕へ浴びせた。

「なかなかいいじゃないか」

「そ、そうですか・・・?」

「もちろん。少なくとも、さっき湖でやってくれたときよりは随分良くなったよ」

「ありがとうございます」

 東雲さんから褒められて、シンプルに嬉しくなった。

 お世辞かもしれないし、あるいは母から僕の日常を聞いていて慮ったのかもしれない。どちらにせよ、怒られたり滔々と説教を受けるよりは随分と良い気分だ。

「だが、これはまだ基本中の基本。強大な魔術能力を自在にコントロールするためには、まだまだ鍛錬を積んでもらう必要がある」

「そう・・・ですか」

 少しだけ上向いた心情が、幾分か押し下げられた心地がした。確かに、練習を始める前に今後も何度か東雲邸に通い、訓練が必要だということは聞いていた。けれど、東雲さんが冷静にそれを告げたことで、僕はまだまだ魔術を制御できる段階には至っていないのだということをより一層痛感した。

 そしてさらに、東雲さんは僕を不安にさせることを言った。

「それに、今後鍛錬を積んでいくにあたって、君には少し足りないものがあるようだ」

「え?足りない―――?」

「そうだ。その足りない部分を、本格的な訓練を始める前に身につけてほしい。それが、君にしてほしいことの二つ目だ」

 僕が魔術をコントロールできるために、足りていない部分。東雲さんが指摘するその要素を、僕はまったく想像できなかった。それは、自分に不足している部分が見当たらないというより、あまりにも何もかもが欠けているからどれが必要なものなのかがわからない、という方に近かった。

 頭上では大きな吊り下げファンが悠々と回転し、部屋の中の空気をかき回して温度を平衡な状態へと導いていく。僕はといえば、自分の中に澱んだ不自然な思いを溶かしきることができずにいた。

 このまま自力で考えを巡らしても埒が明かないので、僕は単刀直入に聞いてみた。

「東雲さん、僕に足りないものとは何ですか?」

「うん、それはだね―――簡単に言うと、自分自身を認めることだ」

 ほんの少しの空白。

 窓の外では、相も変わらず茶色の土に激しい雨が打ちつけている。その乱雑な音が耳に入り込んできて、そのまま通り抜けていく。ただただ、僕の精神の震えを助長だけして。

 東雲さんの言葉を聞いて、肩透かしを喰らったような気もしたし、一方でそうかもしれないと妙に納得できる気もした。

「認める―――自分自身を?」

「ああ、そうだ」

「それは、どういうことですか?」

 東雲さんは神妙な顔になって、先程まで指南の参考にしていた学術書をおもむろに手に取った。

「魔術というものは、すべてのことが解明されたわけではない。我々研究者でも不明な点が多いのだ。魔力を放出するということ、そもそも魔術というものは一体全体何なのか―――その輪郭はいまだ鮮明ではない」

 確かにそれはそうだろう。この世界にある学問には不明な部分を多分に含んでいる。だからこそ、人々は学校や研究施設で熱心に研究し、真理を捉えようと躍起になっているのだ。

 東雲さんが手に持っている学術書の表紙は、古めかしい装丁が施されている。それだけ長い間、学問という観点から人間が魔術に迫ってきた証に思えた。

「だが、一つわかっていることは、どうも魔道や魔力というものはそれを持つMAPの精神状態に大きく影響され、流動的に変化するということだ。精神が薄弱な状態の時、魔道も細く弱いものになってしまう。そして逆もまた然り、というわけだ」

「なるほど・・・ちょっと分かるような気がします」

 僕が今まで魔術の漏洩が起きそうになった時のことを思い出した。色々な場面でそれは起こっているけれど、学校からの帰りなど、精神的に何かしら叩きのめされている時に多い気がする。

「さて君についてだが―――さっき握手した時、君の魔道に流れている魔力について少し調べさせてもらった」

「え?あの時に?どうやって?」

「長い事研究を続けているせいかな。MAPの手を握るとその魔道を流れる魔力の流れが分かるようになってしまってね」

 東雲さんは恥ずかしそうにしながら、掌で首の後ろを擦った。

 なるほど、だからあの時握手した時に意味深な言動をしていたのか―――僕はあの行動を理解した。しかし、MAPと握手しただけでそんなことまで分かるとは、やはり東雲さんは魔術のスペシャリストに違いない。改めてそう思った。

 東雲さんは、ほっそりとしていながらも、年齢相応に皺が刻まれた自分の手を開いたり閉じたりした。

「君の魔術は、レベル相当に強いものだった。しかし、魔道を流れる魔力には大きな乱れがあった。時に強く、また時折魔力の流れが止まったかと思えば、次の瞬間には堰を切ったように流れ出す――—それは一時的な気の落ち込みなどではなく、もっと根本的な自己肯定の薄さや大きな悩みに起因すると私は思った。とにかく、安定した魔力の流れとは程遠いものであった。これでは魔道が魔力の突発的な強い流れに耐え切れず、破裂する危険がある」

「そう・・・ですか」

 僕は何だか恥ずかしいような、落ち込んだような気持ちになった。東雲さんの指摘はびっくりするほど的確だ。まるで普段の僕の振る舞いを具に監視してるかのようだ。

 精神状態は自分でもわかるほど乱れまくっている。特に楠木との衝突があってからこっち、見ようとしていなかったりそれ以前に見えていなかったりした悩みのタネが一斉に撒かれ萌芽しようとしている。

 僕が何も言えないでいると、東雲さんは窓の側まで歩いていき、外の雨をとっくりと眺め始めた。

「レベル5である自分とその原因、そしてそれによって引き起こされた事象、すべて自分の中に飲み込み、納得して受け入れる。それができなければ、遅かれ早かれ魔道を著しく弱らせることになるだろう。まずはその土壌をしっかりさせることが肝要だ。いずれ、本格的に魔術を扱えるためには、自分というものをしっかりと持つことが、シンプルだが大事な要素だ」

 自分で自分を認める―――それは有り体に言えば、自分に自信を持つということ。

 僕はそのように解釈した。解釈はしてみたけども、それはまるで自分の現状とは正反対の状態だった。僕はレベル5の高レベルMAP―――そういう自意識が生活のあらゆる場面で暗く濃い影を落とし込んでいる。またある時は、得体の知れない真っ黒い手が地面から生えてきて、僕の足を絡め取って前進することを阻止したりもする。

 MAPとして自信を持つ、という単純な一言で僕を取り囲む暗闇の正体を払うことができるとは思えないが、でもとても大事なことのような気がした。

 同時に、だからこそ僕にはそれがのっぺりとした巨大な壁のように立ちはだかっているような、軽い絶望感にも襲われた。

「どうだい、君にはできそうかな?」

 東雲さんはこちらへ振り向き、あっさりとした口調で言葉を投げかけた。その顔は、微かな笑みを帯びている。

「・・・僕には、まだそこまでを受け入れる自信はありません」

 意識していていないのに、僕は声が小さくなっていた。それは、ここまで良くしてくれた東雲さんに対しての申し訳なさや、不甲斐なさに起因していることは、自分でもよく分かった。

 その返答を聞いて、東雲さんは先程浮かべた笑みをそのまま固着させて僕を見つめた。

「———そうか。いや・・・そうだな、それが普通かもしれない」

 少しの間があって、ほとんど独り言のように呟いた。その後、東雲さんはさっきYシャツに放り込んだ魔術抑制リングを思い出したらしく、何も言わずにそれを手に装着した。バンドを留める時の金属質な音が、やけに響いた。

 僕の否定的な返事を受けて、東雲さんは落胆も期待も滲ませることはしなかった。いや、あるいは僕がそれを感じ取れなかっただけなのかもしれないけれど。

「私と君のお父さんは大学からの友人でね」

 東雲さんは目を細めて、雨の景色に視線を飛ばす。山の向こうの空は幾分か明るさがあるものの、直近の地面は未だに細かな凹凸に準じた水たまりが点在しており、雨粒が落下するたびに細かい波紋が浮き立っている。

「何せ、当時は今よりもMAPに対して理解が進んでいない時代だ。私は中学生の頃から高レベルMAPだったから、世の中じゃ白い目で見られてね。学校にも、町にも、時には家にも、どこにも居場所なんてなかった」

 東雲さんは一つ嘆息を吐いた。

「だけどね、俺は君のお父さんに会えたことが一つ救いになった。一緒にどこかに行って、酒を飲んだり遊んだり、単位のことや女の子や車の話をしたり―――自分だけではあり方に不安があっても、他の人と一緒にいて、それを見てると、案外自分の不安なんて他の人も同じように感じているとか、自分の不安は過剰だったんだとか、そういうことを気付くことも多いもんさ」

「そうでしょうか?」

「あぁ、そうともさ。何せ私は君のお父さんとの出会いのお陰でこうして強い魔術を扱えるだけの精神状態を備えることができたのだからね」

 莞爾と笑う東雲さんの肩越しには、未だに雨が降り続けている。打ち捨てられた田圃や山林のバックグラウンドには、爽やかさの欠片もない灰色が埋め尽くす。

「自分と他人との差異に、しっかりと目を向けることだ。自分とは一体何なのか―――驕りでも卑屈でもなく、正しくそれを把握すること。そこから自己肯定は始まる」

 東雲さんは、締めくくる様にそう告げた。

 

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