第15話 雨上がり
母たちが東雲邸に着くと、四人で少しだけ話をして、その後東雲さんから母に直々に二つ三つ何やら伝えてから、今日はお開きになった。帰る際に、東雲さんも奥さんもログハウスの外まで出てきて、お見送りしてくれた。
今はあのログハウスを後にして、再度母の車に乗って藍沢市への帰路についているところだ。今はもう雨は止んでいるが、アスファルトはまだ乾ききっておらず、N-BOXは時折水飛沫を飛ばしながら山道を快走していく。
「今日は悪かったねえ。いきなり連れ出しちゃったりして」
「いや、別に謝ることは無いよ」
母は謝罪の意を伝えながらも、どこかいつもより上調子だ。リアシートには、ショッピングモールに入っている服飾ブランドの袋がいくつか置かれている。僕が魔術について東雲さんからあれこれ教わっている間、母は母で東雲さんの奥さんとショッピングを楽しんだりしたのだろう。いつも家事に仕事にと忙しい母ばかり見ているので、何だかその様子を上手く想像することができなかった。
「・・・ショッピングモールはどんなだったの?」
あまりにも母の機嫌がいいので、僕も何となくその様子を聞きたくなった。
「うん、やっぱり土日なだけあって、かなり混んでたよ。どこに行っても人ばかりだったけど、久々に羽を伸ばして楽しかったな」
「そう、それは良かった」
「前行った時には無かった服屋さんもいっぱいできてたよ。その中には、瑞樹が着たら似合いそうな服が置いてある店もあったから、今度行ってみるといいわよ」
「・・・うん、そうだね。気が向いたらね」
適当に相槌を打ってはみたものの、今の僕は到底そういう気持ちになれなかった。
母と東雲さんの奥さんが行ったのは、この辺りでは最も大きいショッピングモールだ。先程の母の言葉通り、土日ともなれば吐き気がするほど大量の人が押し寄せてくる。その中には僕と同じ高校生のグループやカップルも大量にやってくる。何というか、そういう端から見ても感じ取れる楽しい雰囲気や言い知れぬ幸福は、それとはまるで別方向にいる僕にはあまりにも眩しいのだ。
それ以外にも、先程の東雲さんの言葉が引っかかっていて、何かそれ以外のことに興じる気になれなかったというのもあった。
自分を認める―――その言葉が、ぐるぐると頭の中を螺旋を成して渦巻いている。こうして帰り道の薄暮の道を睨みつけている間も、僕は自分を肯定できる理由を何一つ見つけられずにいる。
僕が黙っていると、母が話し始めた。
「ねぇ、今日は東雲さんと魔術のお話をしたんでしょう?今日はどんなことをやったの?」
「うん。今日は、魔術の引き出し方、抜き方の基本的な理論の解説と実践ってところかな。すごい、基本的なことだったよ」
「そっかそっか。東雲さんは、昔から堅実なタイプだったからね。それで、どうかな?東雲さんの教えは役に立ちそう?」
「うーん、そうだね―――」
母のざっくりとした質問に、僕は逡巡を挟むよりほかなかった。腕を組み、唸りを上げてどうにか間を捻出する。
今回の東雲さんとの邂逅は、もやもやしていた思いを消し去るきっかけにもなり得たし、反面僕が乗り越えなくてはいけない高い壁を改めて認識することにもなった。
「もちろん、東雲さんの話は、とても役に立った。だけど、やれるかどうかとなると話は別だな。教えをちゃんと理解してやれるようになるのは、難しいと思う」
「そう・・・やっぱり魔術を操るというのは難しいことなんだね」
「うん、僕も今日、それを思い知ったよ」
車を運転する母は、真一文字に口を結んだ。
母はMAPではない。だから、酒匂瑞樹というMAPの息子になりきり、僕とまったく同じ思慮を巡らすのは難しいだろう。だけど、それを理解しようという気持ちは痛いほど伝わってきた。本当に、痛みを覚えるほどに。
だからこそ、日頃より母には何となく僕の感情や苦悩を垂れ流すことは少しだけ遠慮してしまう。母には苦労をかけている。もう、これ以上は苦労を掛けたくないから―――。
車は山林を抜けて、広大な田圃の中をひた走る県道へと出てきた。障害物が何もないためか、藍沢市の隣にある県都・杜山市の中央部に聳え立つマンションやオフィスビルが薄っすらと見える。先程まで雨降りだったせいか、何となく空気が霞がかっている。
僕は杜山市の滲んだ灯りから目を背け、助手席の窓の方に顔を向ける。そこには、あからさまに疲労に染まった僕の顔が映る。
「ねぇ、母さん」
「うん?なぁに、瑞樹」
母の声は平板だった。助手席の窓に反射した僕は眉間に皺を寄せて、大きく息を吐いた。
「いや、変な事聞くんだけどさ―――母さんから見て、僕ってどうかな?」
「え?どういうこと?」
「えっと、つまり―――僕はどういう息子かな?」
本当に、変なことを聞いてしまったと思う。
話すことが無くなった車内での無言状態をかき消すためでもあったし、黙っている間に僕の中で相も変わらず引っかかり続けているものを解消するためでもあった。
母は一瞬呆気に取られていたものの、すぐに小さく笑いを零した。
「うーん、そうねぇ―――お母さんとしては、とてもいい子だと思っているんだけどねぇ。学校にも真面目に通っているし、成績もいいしね。それに、他のお母さんの話を聞くと、なかなか男の子って家事とか、家の事をしてくれないらしいんだけど、瑞樹は違うよね。お母さんが仕事でいないときも、よく家事をしてくれているし」
「うーん、そうかなぁ」
知らず知らずのうちに、僕は首筋をぽりぽりと掻いていた。
「だけど、それはうちが母子家庭だからだよ。二人しかいないから、僕も何かをしなければ家は立ち行かなくなってしまう。だから、やっているに過ぎないよ」
僕は苦笑いをしていた。何かを誤魔化すときに垂れ流す、いつもの情けない笑いだ。最近、こんな風に笑うことが多くなった。真っ直ぐな気持ちになりきれない時の、愚にもつかない逃げの一手。僕は最近その手をよく使う。
そんなどうしようもない僕に対して、母は大きくかぶりを振った。
「そんなことないよ。母さんは瑞樹が家の手伝いをしてくれて、とても助かってるよ?」
自信に満ちた声で話す母。それは客観的意見なのか、あるいは親の欲目なのかは判然としないところだが、どっちにしろ僕は素直には納得できなかった。
親が子供を褒めるというのは―――もちろん、そうではない家も大多数存在しているにせよ―――自然なことではある。だから、それが本当の自分の価値であるかどうかは、判断に迷うところであった。
「だけどたまにね・・」
母の声のトーンが幾分か下がった気がした。
「なんであなたはいつも自信なさそうにしてるのかな、って思うの。あなたには誇るべきところがいっぱいあるのに、まるでそれを隠して暮らしているような、そんな気がするの」
「え・・・」
ぐさりと突き刺さる言葉が、抑揚の欠片もない走行音を切り裂いて真っ直ぐに僕を射抜いた。
母の指摘に対して、心臓が一際強く鼓動した。東雲さんにも魔道の乱れをきっかけに指し示された僕の強過ぎる欠点。内情の擾乱は仕方ないにしても、僕はとりわけ母の前ではそれを発露させないようにと気を張っていた。たとえ母から見てそっけないと思われたって、そうすることが母のためだと思っていたから。
だけど、どうやら母には全部お見通しであってらしい。僕は池の鯉の様に口をパクパク動かすより他なかった。
「やっぱり、母さんから見てもそう思うかな?」
「うーん、そうね。日頃見ていると、何となくね」
母は小さく唸ってぽつりと答えた。
「実は、東雲さんにも同じこと言われたんだ。もっと自信を持ちなさい、って。それが魔力を制御していく上でとても大切なことなんだってさ」
今まで唸ったり、首を傾げたりしていた母だったが、僕の口を経由した東雲さんの言葉には大いに納得したらしく、今度は二回頷いて笑顔を見せた。
「そうでしょ?やっぱり他の人から見ていてもわかるのよ。まぁ、だけど自分を認めることっていうのはなかなか難しいよねえ。ふふっ、母さんも若い頃はよく悩んだものよ」
「え、若い頃?」
どうも、僕の返しが悪かったらしい。母は口を尖らせた。
「なあに、その顔は。母さんだって、昔からおばさんじゃあないのよ?」
「そんなことわかってる。気分を悪くしたなら謝るよ、ごめん」
「冗談よ、冗談―――だけど、瑞樹のそういうちょっと真面目ところは良いところでもあるけど、一方で悪く作用することもあるかもしれないね」
「え?」
先程少し母はおどけていたが、その明るさが少しだけ陰ったように見えた。
「あなたを見ているとね、真面目が行き過ぎて色々なことを我慢したりしているような、たまにそんな気がするの。もちろん、世の中多少は忍耐が必要だけど、そればかりだといつか爆発しちゃうよ。もっと肩の力抜いていかないと」
「———別に、僕は我慢なんかしてない」
自分でも笑えてくるほどの嘘っぱちだった。僕はいつだって我慢の連続だ。MAPであるという意識が、僕の自由を奪う。そうやって身の振り方を制限されていくことに対して、それは仕方ないんだと無理やり心の中で納得させている。母の言い分は正しい。
だけど、この段に至っても、やはり僕は母に対して自分の心の中を吐露することに対して抵抗を持っていた。
母は少しだけ僕を見てから、ぎゅっとハンドルを握り直した。
「そっか。だけどね、母さんはいつだって瑞樹の味方だからね。遠慮なんてしなくていいんだからね?」
母は優しく僕に言葉を投げかけた。
僕はまた、助手席の窓を睨んだ。もう街の中に入ってきたらしい。ロードサイドには大量の駐車車両を擁する大規模な駐車場と、それを取り囲むように集積された様々な業種の店舗が並んでいる。駐車場の地面は少し濡れていて、店の灯りや車のテールランプの光をぎらぎらと艶かしく反射している。
外側の雑多な風景のお陰で、僕は僕の視界が思ったよりも滲んでいることに気づいた。何か出てきそうだったけど、僕は今一度眉間に皺を寄せて、それをどうにか引っ込めた。
「あのさあ」
ちょうど車が交差点で止まり、母がこちらを見た。
「どうしたの?瑞樹」
「———今日はありがとう」
「・・・いえいえ、どういたしまして。これからも一緒にがんばっていきましょう」
「そうだね」
少しだけ、心が軽くなった気がした。本当に、ほんの少しだけではあるのだけど。
それからはまた母のショッピングモール話が始まった。僕はそれを聞きながら、適度に相槌を打ってそれを合わせるという繰り返しの中、車は自宅へと近づいていく。
それをやりながら、僕は前からやってきて後ろへ消えていく風景を眺めていた。
車が藍沢北高校の近くを通った時、路傍のコンビニが見えた。緑色と白色を基調としたカラーリングの看板が、煌々と光を放つ照明に照らされている。
そこは高校の直近にあるコンビニで、北高校の生徒たちがよく使っている店舗だ。斯く言う僕も、よくこのコンビニでおにぎりとかタブレットとかペンを買ったりしている。普通であれば中にも外にも藍沢北高校の生徒が溢れんばかりに屯しているのだが、今日は土曜日ということもあってか、学生服の姿は認められない。
しかし、コンビニの駐車場の空きスペースに、数人の人間が占領している様子が見えた。よく見てみると、それは僕と同じくらいの年代の男子四人だった。人気男性グループ風の今風な格好だけども、僕にはその一団が何だかあまり柄が良くない集団に思えた。髪が金髪の者もいるから、もしかしたらそのせいもあるかもしれない。
その中にいる一人に目が留まった。
やたらと大きなガタイ、それに相応しいごつごつとした輪郭の顔。そして見るからに不遜極まりない出で立ち。
あれは、楠木に似ている。
しかし、楠木は今は停学中のはずだ。他の高校は分からないが、うちの場合は停学というのは謹慎という意味合いも含まれる。不要不急の外出は控え、自宅内で反省をする時間だ。だからこんなところにいるわけがない。
しかし、一方であの楠木であれば停学だろうと何だろうと関係なく遊びに出かけるかもしれない、とも思った。何せ学校でも舐めた振る舞いをさんざんやっている男だ。停学中にも関わらずそうやって夜遊びに出かけるということに対して、罪悪感のようなものは何一つ思わないのかもしれない。
もう少し車の中から観察しようとも思ったが、ちょうど駐車場に入っていった車に阻まれ、それ以上はその一団を見ることはかなわなかった。
僕は僕で、楠木のような男子を見た、ということをほんの十数分ですっかり忘れてしまった。
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