第13話 イグナイト

 魔術を披露する―――東雲さんはそう言って、再び後方にいる僕に背を向けた。そのすらりとした体の向こう側に、堰き止め湖の深い青に染まった水面が見える。時折、水生生物が吐き出した泡がぽこぽこと浮き出て波紋を生み出しているが、それでも全体を見通せば凪いでいると言って差し支えない。

「私は、炎系のイグナイトという能力を持っている。炎系にも―――温度を操れるもの、爆発を引き起こすもの等なのだが―――いくつか系統がある。私の能力は特に発火現象を操ることができるものだ。その能力により、私は発火を自在にかつ正確に調整することができる。例えば、これはレベル1」

 東雲さんが人差し指が立てると、その先端に小さな火が灯った。それはまるで誕生日ケーキの上に飾り付けるろうそくのような弱々しい火だ。東雲さんが口から強く息を吐くと、その儚げな火はあっけなく消えた。

「そして・・・次はレベル3」

 そう言って、東雲さんは湖目掛けゆっくりと手を振り下ろした。次の瞬間、陰鬱としていた湖の上に突然大きな炎の塊が現れ、周囲をぱっと明るく照らした。炎は周囲の酸素を食い尽くすと、数秒後には跡形もなく消え去った。このレベル3の魔術を使っている間、東雲さんが時間を費やして手の先にエネルギーを凝集させている素振りはほとんどない。この人が魔術を扱い慣れているのはすぐにわかった。

「その次は・・・瑞樹君、ちょっと車の方に下がっててくれよ・・・次はレベル5の魔術だ」

 僕に目配せをして注意喚起をしながら、東雲さんは掌にエネルギーを宿らせる。僕はその言葉通り、数メートル引き下がる。

 東雲さんの手には、エクスプロードの使い手である楠木と同じ、真っ赤に燃える球体が生まれた。魔術的エネルギーの結集された状態である球体が赤く光るのは、炎系MAPに共通する特徴だ。しかし、東雲さんの魔力は楠木のそれがお遊戯だと思えるほどに強力みたいだ。両の掌を向かい合わせて間もなく、球体は爆発的な勢いで体積と回転速度を増していく。僕が研究所で最大火力の魔術を使う時には、たっぷり十数秒はエネルギーの増幅及び凝集にかかる。しかし、東雲さんはものの数秒で僕が本気で作り出した球体と同等のものを生成してみせた。

 東雲さんが片方の掌に魔力が詰まった球体を載せる。大きさはバランスボール大程度。それが回転するたび、時折何かが爆発するとも激突したとも取れる短い轟音が響き渡る。

 球体は、自身の回転運動を周りの空間にも伝播させ、小さな竜巻を発生させた。質量の軽い葉っぱや砂塵が猛烈な勢いの渦に絡め取られ、空高く舞い上がっていくのが見える。僕はといえば、ランドクルーザーのメッキバンパーを両手で掴み、体を支えることで精一杯だ。そして、僕が地面に留まる拠り所とするこの大きなクロカン車両ですら、球体が放つ豪風に晒されて重たい車体をゆさゆさと揺らしている。

「ちょちょちょっと、東雲さん!これは流石にヤバいですよ!」

「なーに、これくらいなんてことないよ!心配御無用さ!」

 危険極まりない物体を手に浮かべた東雲さんは、周囲の激烈さとは似ても似つかない落ち着いた声で僕を宥めた。この球体が作り出す強風が台風ならば、東雲さんは台風の目・・・そんな気がした。

「よぉし、見ててくれよ瑞樹君!」

 聴覚を満たす風切り音の中、東雲さんは湖に向かってパンパンに作れあがった球体を投擲した。

 凄まじい強風と爆発音を伴いながら、球体は斜め下方向へすっ飛んで行き、この湖岸から数十メートル向こうの湖面に水飛沫を上げて没した。

 それからややあって、先程真っ赤な球体が沈んだ辺りの水面がみるみるうちに盛り上がっていく。

 そして次の瞬間、耳をつんざくような爆発音が辺りを震わせ、湖を取り囲む木々は幹の太さに関係なく爆風で大きくしなった。その中心部では、水中から炎の塊が飛び出し、それと連動して水が空高く噴き上がった。その爆発に巻き込まれたと思しき小さな魚や水草が空高く舞ったのが見える。このとんでもない衝撃はどんよりとした水の塊では減衰しきれなかったらしく、地震となって僕らの足元を襲う。僕は思わずよろけてしまい、車の黄色い車体に手を付いた。

 次に起こったのは、小規模な津波だ。爆心地から幾重にも山を成した波は、岸に波を打ち付ける。砂防ダムの堰堤までやって来た波は堰堤の天辺を越流し、岩ばかりの涸れ沢に水の流れを生み出した。こうなると僕らがいる岸も波に襲われそうなものだが、ここが湖面から若干高さがあるせいか、ぎりぎり波の侵入は無かった。

 湖中心からやってくる波と、湖岸から跳ね返る波がぶつかり、徐々に湖は元の陰鬱として澱んだ存在へと姿が戻っていく。

 湖面に形成される複雑な合成波を背に、東雲さんはここへ来たときと何も変わらない様子でこちらに歩み寄ってきた。

「大丈夫かい?瑞樹君」

「あ、はい、なんとか」

 僕は足に力が入らなかった。それを見て、東雲さんは僕の二の腕を掴み、しっかりと立ち上がらせてくれた。

「あ、ありがとうございます」

「礼はいらんよ。こちらこそ、びっくりさせて悪かった」

「いえ。しかし、すごいですね、こんなに細かく魔術の強さを切り替えられるなんて」

 本当に、僕は喫驚していた。

 僕も多少は魔力の調整はできるが、加減としてはせいぜい強火か弱火かの二段階程度。それ以上に細かくはできないと思うし、魔術を積極的に使うことも無いので使い分けをしようという発想がまずなかった。

「そう、私が伝えたいのはまさしくそれだ」

「え?」

「魔術装具品や内服薬の外的措置に依存せず、MAP本人の意思によって魔術を積極的にコントロールをする―――魔術を研究していく中で培った私の技術を、君に伝授したいと思っている」


 東雲さんの圧倒的力量を見せつけられた後、僕は東雲さんに指示を受けて自分の魔術を見せた。

 今は、東雲さんの指示で最大火力のスクウォートをやってみせているところだ。スクウォートはいつも通り幾重もの波濤を発生させ、この静かな湖は再度大きな波と堰堤の越流を経験した。

「なるほど、あいつの能力を受け継いだというだけのことはある」

 東雲さんが呟いた。口調は相変わらずクールそのものだが、目を丸くしているのを見ると、本当に感心していたようだ。

 一通り東雲さんによる魔術テストが終わると、僕らの上には真っ黒い雲が集まり、やおら大きな雨粒を落とし始めた。これ以上外で何かをするのは厳しいほどの激しい雨だったので、東雲さんと僕は急いでランドクルーザーへ乗り込んだ。

「瑞樹君、君の能力を見せてくれてありがとう。少し温くなってるが、これでも飲みたまえ」

 東雲さんはバッグの中からペットボトルのお茶を取り出し、僕へ手渡した。さっき出てくるときに冷蔵庫から出したのだろう。表面には汗をかいており、ちょっとだけ温い。

「ありがとうございます」

 魔術を使うというのは運動をした時と同じで、喉が乾く。キンキンに冷えているとは言い難いお茶でも、口から流し入れると体の隅まで染み入る気がした。

「さて、さっき話したことだが・・・君に魔術の制御方法を教える前に、色々と話さねばならないことがある。君は、そもそも魔術がどのようにして発生しているか、知っているかな?」

「いえ、あんまり」

「そうか。では、本題に入る前にそこいらを説明しておく必要がありそうだな」

 手に持ったお茶を一口だけ喉に通すと、東雲さんはペットボトルを後付のカップホルダーに置いた。

「君はかなり魔術レベルの上昇を気にしていたね。確かに、この値が大きければリミットブレークを起こす危険も比例して大きくなる。ただ、勘違いしてほしくないのだが、魔術レベルはあくまでMAP個々人が内包する魔力の総量を示しているに過ぎないのだ。」

「そう、ですか。しかし、それではリミットブレークを何故引き起こされるのですか?」

「うん、それはだね・・・」

 少し間を置いてから、東雲さんはシャツの上から自分の腕を擦った。

「君も経験があると思うんだが・・・高い魔術を使う時、体の中を何か熱いものが通り抜けていく感覚があるだろう?あれは心臓の辺りにある魔術的エネルギーが体の中を走っているゆえに起こっていることなのだ。魔力の流れは管のようなものだと考えられている。私たち研究者は、これを水や油が流れるパイプに見立て、「魔道」と呼んでいる。言うなれば・・・そうだな、魔術レベルはダム湖の貯蔵量、そして魔道はその下流にある川の幅、といったところだな。リミットブレークは、魔術の総量に対し、魔道の容量が足りない状態にある時に起こると考えられている」

 魔道―――聞き慣れない言葉だった。だが、東雲さんが目の前に見えるダム湖と枯れ沢で視覚的に説明してくれたので、何となくは理解することができた。

「えぇと、つまり、魔術レベルが高いとしても、その魔道が太ければリミットブレークは回避できるし、たとえ魔術レベルが低くても魔道があまりに細い場合はやはり魔術の暴走が起きてしまう、ということですか?」

「理解が早いな。そう、その通りだ」

 運転席の東雲さんはにやりと笑い、指を鳴らして人差し指で僕を差した。

「魔術レベルについては、君が服用している薬である程度上昇を抑えられるが、高レベルMAPの場合は薬効に対して魔力増大のペースの方が大きい場合が多い。一方でこの魔道というものは、鍛錬すれば強く、太くできることがわかっている。それに伴い、魔力を制御する力も自然と備わっていく。事実、私もこうして私の中にある魔力を制御できている」

「それじゃあ、僕もその制御方法を学べば魔力をコントロールできるようになるんですね!」

 東雲さんは言葉は、ほんの少しの希望を提示したに過ぎなかった。だけど、自分がどうするべかきかわからず、ただただ暗闇の中にいた僕には、それが何条もの眩い光のように思えた。

 だが、東雲さんの表情は相変わらず固いものだった。

「そう、なんだがね・・・本格的に鍛錬を積む前に、いくつかやってもらう必要がある」

「え・・・それは何ですか?」

 遮音材の乏しい鉄の屋根には、雨粒が激しく打ち付けている。僕ら以外の車内の余白は、乱暴な雨粒が猛々しく踊る音で埋められる。

「よろしい。ちょっと雨が強くなってきたみたいだし、さっさとうちに戻ろう。続きは家でやろうじゃないか」

 東雲さんはエンジンを始動させ、小さな広場を利用して先程来た道へと車を転回させた。フロントウィンドウには未だ勢いが収まらない雨が全面を叩きつけ、滝のようになったガラス面を独特な摩擦音を伴ってワイパーが拭き取っていく。

 車は豪雨をものともせず先程来た道を戻っていく。もう知っている道だし、家からもさほど遠くないということはよくわかった。だから別に心配することは何も無いはずなのだけど、僕の心の内側は乱雑に散らかり、とうとうログハウスに戻るまで凪ぎを見ることはなかった。

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