第7話 スクウォート vs エクスプロード

 呆気にとられている蓮田さんに対し、上村はきれいにパーマされた毛先を指で遊びながら続ける。

「あたしはただ、駿哉の魔力がどれくらいか見てみたいだけなんだ。その的が金森だろうが、あんただろうが、こっちとしちゃあ構わないんだし」

「なるほど、確かに綾音ちゃんの言うとおりだ」

「えへへ、でしょ〜?さぁ陽菜!どうすんの?!やるのやらないの?!どっち?」

 自らの損得勘定を隠しもせず、見事に態度と声音を切り替えながら蓮田さんに迫る上村。

 一方で、楠木は蓮田さんを睨みつけ、掌に浮かべた球体を眼前に掲げた。

 それはさっきよりも大きくなり、球体の表面には幾千もの小さな炎の迸りが見える。やはり、この前のレベル1の楠木とは訳が違うらしい。

 僕は蓮田さんの背中しか見えなかったけど、それだけでも彼女がひどく動揺しているのがよくわかった。少しの間押し黙った後、蓮田さんも反撃する。

「それは・・・上村さん、そういう問題じゃないよね?私はあなたたちの乱暴が許せないと言ってるんだよ?誰が相手だろうと駄目なものは駄目だよ」

 それを聞いて、上村は高校生には似つかわしくない邪神の如き高笑いをした。

「ねぇ、あんた今話逸らしたよね?今のですっかり分かっちゃった。あんたはさぁ、金森の代わりに魔術を受ける覚悟がないんだ!クラスメイトの為に犠牲になることを避ける―――そんなことで学級委員が務まるんですかねぇ・・・」

 悦に入ったように、上村は蓮田さんを煽った。

 それが多かれ少なかれ図星だったのか、蓮田さんは珍しく言葉を飲み、足元へ視線を落としている。そりゃあ、レベル3の魔法なんて誰だって食らいたくない。それは学級委員であろうと無かろうと変わらない。蓮田さんの言動は至極当たり前のことだった。

「おいおい蓮田陽菜!いつもの威勢が無いんじゃないかぁ?!」

「いいぞぉ!楠木!」

 レベル3の魔術が炸裂しようとしているというのに、楠木の周りのギャラリーは手を叩いたり黄色い声を上げたりして賑やかにほめそやすばかりだ。類は友を呼ぶ、ではないが、やはり性根のねじ曲がった人間の周りには似たような人間が自然と集まってくるということなのだろうか。

 僕は金森君を見た。

 金森君はすっかり怖じ気ついてしまい、目からはぼろぼろと涙を零している。もはや万事休すか―――僕はそう判断し、万が一のために手の先に気を集中させる。

「や、やめてくれぇ!僕は嫌だあ!うわああ!」

 そう叫ぶと、金森君はばたばたと足をばたつかせ、両手両足で床を掻くようにして体を立ち上がらせると、何かを喚きながらいきなり走り出した。

「あっ、コノヤロ!待ちやがれ金森!」

 金森君に一瞬の虚を付かれた楠木は、彼の小さな背中に怒鳴った。しかし、金森君も足をもつれさせ、時折バランスを崩したりしながら必死に楠木との間隔を稼ぐ。まるで大型肉食動物に捕食されそうな小動物のように、金森君は無我夢中でこちらへ逃げてきた。

 これは、もしかすると僕もやばいのでは?―――体中でアラートが立ち上がるのが分かった。

 今まで恐怖で腰砕けになっていた金森君が、何の予兆もなく突然走り出した。それに対して、楠木たちも対応しきれていないらしい。

「ちょっと、何してんの駿哉!早く金森に魔法をやってみせてよ!」

「わ、わかってるよ綾音ちゃん。畜生!ちょこまか逃げやがって!狙いが定まらねえ!」

 そうこうしているうちに、金森君は蓮田さんの横を通り過ぎ、足がもつれた彼が僕の足元に転がってきた。金森君は目から涙を流しながら、僕の足にしがみついた。

「しゃ、しゃこう君!たすけてくれぇ!このままじゃ僕死んじゃうよぉ!」

「ちょっと、金森君!離してよ」

「うわぁぁん嫌だ嫌だぁぁぁ!」

 慟哭を続ける金森君は未だ僕の足に抱きついている。その力は意外に強く、僕はその場所から離れることができなかった。

 僕はMAPであることをクラスで公言していない。だから金森君も僕をMAPだとは思っていないはず。その状況で、金森君は本気で僕がこの窮地を救う存在になりえると思っているのだろうか。いつものように、課題を見せてやるのとは訳が違うのだ。

 僕と金森君が固まっているのを見て、楠木一派たちはさらに図に乗った。

「おぉっと!こりゃあ、ガリ勉酒匂じゃねぇか!ちょうどいい、お前にもこの前の一件で腹が立ってたんだ、まとめて始末してやるぜ!」

 楠木は、魔力が凝集された球体を浮かべた手を振り上げた。今にも魔術を行使しそうな勢いだ。

「おい楠木!やめろ!」

「やめなさい楠木君!」

「やれ!駿哉!フルパワーであいつらを殺しちゃえ!」

 嗜虐心と優越感、それと上村達からの熱い視線とがないまぜになり、楠木の理性を簡単に吹き飛ばした。

「喰らえぇぇ!これがレベル3のエクスプロードだぁぁ!」

 掌に浮かべた真っ赤な球体を、楠木は力一杯に投擲した。球体はばちばちと音を立て、周りの酸素を消費しながら梅雨の湿っぽい空気を切り裂いていく。途中、騒ぎを聞いて飛び出してきた要領を得ない生徒を球体が掠めていく。その生徒は途端に小さな爆発に巻き込まれ、その場に倒れこむ。これだけでもどれだけの威力かが分かった。幸い、速さはそこまで速くない。僕はその球体を凝視し、動向を注視した。

 楠木の周りを固めている連中の興奮もいよいよ最高潮に達した。みんながみんな、にやにやとした笑いをこちらへ向けたり、指を差して「死ね」と連呼したりしている。

 逃げを打とうにも、恐怖で地蔵の如く動かぬ金森君に足の自由を奪われている。それに、あの勢いよく爆ぜる球体がどこかにぶつかったら、多かれ少なかれ怪我人が出ることは明々白々だ。いずれ、あれをそのまま漂わせているのは危険だ。

 僕がやるしかない―――それだけはわかった。

「ひひぃん!僕はもう終わりだぁ!助けてくれ酒匂君!」

「わかった、わかったから一旦離れてよ金森君」

 足にまとわりついて泣いているばかりの金森君を、やや強引に引きはがす。彼は情けない声を出して、ひっくり返った。

 僕は一歩だけ前進し、あの球体と対峙する。球体はなおもこちらへ近づいてくる。あまり余裕はないけれど、あの距離であれば―――いつも研究所でやるように腕の先に意識を集中させる。

 自分の中ではいつも通り気を巡らせているつもりだったが、それが手首を通過する辺りで一気に感触が無くなる気がする。恐らく、これが魔術を抑制するリストリングの効果なのだろう。研究所外で魔術を使うことなど皆無なので、少し戸惑った。

 だが、それでも僕の掌には魔力が凝集されていき、球体が形成される。大きさは先程の楠木のものより小さく、奴とは違って仄かな青色をしている。

 取るに足らない魔術だが、レベル1相当の魔力ならこんなものなのかもしれない。この感覚についても普段から魔術を常用してるわけでないので、いまいち分からなかった。

 既に球体は二個先の教室の前部出入り口付近を通過している。炎が迸る乾いた音が、否が応にも聴覚を汚し、心拍数を跳ね上げる。

 一刻の猶予もない―――僕は適当な魔力が手に宿ったと判断し、虚空をなぞるように手を動かす。すると、バランスボール大の水の球体が現われ、ふわふわと浮かび始めた。これがレベル4の最大魔力であればこの前研究所でやったような鉄砲水にもなるのだろうが、制限が課された状態ではこれが精一杯だ。

 頼む!これで何とかあの魔法を相殺してくれ―――心の奥で願いながら、僕は腕を振り下げる。

 すると、空中に浮かんでいた水の塊はクロスボウで射られたかのように勢いよく前方へ飛んでいった。表面に波紋を浮かばせながら、水の球体は楠木の放った炎の球体との距離を一気に縮める。

 そして、遂に両者が数メートル先で激突した。

 その瞬間、金属質の鋭い音が辺りにいた生徒たちの耳に突き刺さり、辺りは真っ白い光に包まれた。廊下の窓が一部割れたらしく、窓ガラスが破片となって床に落ちたのが見えた。

 次にやってきたのは、すさまじい波動のような何かだ。それは空間を歪にさせながら僕と金森君に襲いかかり、いとも簡単に僕らの体を数メートル後方へと乱暴に持ち去った。

「きゃあ!恐い!助けて!」

 天地がひっくり返り、体のあちこちが痛覚を脳みそへ伝送する。何が何やら想像すらできない凄まじい轟音の中に、金森君の阿鼻叫喚が微かに混じる。

 僕らはその衝撃波によって二度三度としたたかに体を打ち付けた後、学内掲示板にぶつかってようやく体が静止した。

「いってて・・・」

 僕は思わず呟いた。そして、僕らがいた二年生の廊下を見た。

 そこは、なかなかに凄惨な現場と化していた。

 スクウォートとエクスプロードの魔力が衝突した場所では、床、壁、天井が煤けていた。折衝店の近くにあった窓ガラスは粉々に割れ、直近の教室の引き戸の一部も外れてどこかに吹っ飛んだみたいだ。近くで事の成り行きを見守っていた生徒たちは、軒並みなぎ倒されたらしい。彼らも事の収束を感じてやおら起き上がる。

 これが無事と言えるかどうかは怪しいところだけど、何とか生きているらしい。とりあえず僕は胸を撫で下したが、未だ横で倒れこんでいる金森君に近寄って彼の様子を見た。

「金森君!大丈夫かい?」

「うーん」

 金森君は唸っている。意識は判然としていないようだが、生命に関わることではないらしく、僕は改めて一抹の安堵を覚えた。

 そのうちに、蓮田さんがこちらへ近寄ってきた。

「酒匂君!金森君!大丈夫!」

「うん、僕は大丈夫だけど、金森君が」

「大変だ!こりゃあすっかり伸びちゃってるね!私、先生に話してくる!あと、保健室の佐藤先生にも言ってくるね!」

 蓮田さんは踵を返し、職員室の方へと駆けていった。相変わらず、蓮田さんは段取りが良い。僕が金森君の上半身を腕で抱えながら呆然としている間にどこかへ行ってしまった。

 僕はどうするべきか―――散らかった頭で考えながら、ぼろぼろの体を起き上がらせる。

 廊下の向こう側では、ぼさぼさの髪を振り乱しながら、上村が楠木を詰っていた。

「あんたねぇ!加減ってもんを考えなさいよ!ったく、私のパーマが台無しじゃないの!もう最悪」

「え・・・だけど、綾音ちゃんが魔術見たいって言うから、俺は―――」

「言い訳するな!とにかく、私は関係ないからね!あんた、先生に何聞かれても私は関係ないって言っといてよ!いいね?!」

「ちょちょ、ちょっと綾音ちゃん」

 上村は自分の事を棚に上げて怒鳴り散らした後、何事も無かったかのようにそこから立ち去ろうとした。しかし、駆け付けた教師たちに進路を阻まれ、あえなく御用となった。

 僕がそんなひと悶着を呆けて見ていると、いつの間にか集まってきた他クラスの連中の話声が小さく聞こえてきた。

「なぁ、酒匂がさっき使ったあれって魔術能力だろ?」

「あいつ、水のMAPだったのか。でも、さっきの魔術なんか強くね?」

「えぇ!もしかして酒匂君も違法魔術者なんじゃないの?」

 金森君や、ひいては周辺の生徒たちの危機に対して、スクウォートを使った僕。

 そんな僕に待っていたのは拍手喝采などではなく、表情も無く僕を見つめる幾多もの顔だけだった。

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