第8話 金森遼太郎

 楠木の魔術を防いだ僕は、騒動後に生徒指導を担当している先生に呼ばれた。

 生徒指導室に入り適当な椅子に座るよう促された後、校内で無暗に魔術を使わないようにと念を押すように窘められた。学校には僕が高レベルMAPであることは入学時に申告済みだ。だからといって―――もとい、だからこそ、学校にいる間は魔術を使わないようにと言われていた。それを破ったのでお説教を受けることは道理が通るのだけれど、もう少し感謝されてもいいのではないのだろうか?少しそんなことを考えた。まあ、別に何か罰則を受けるわけでないので、別にいいんだけど。

 十数分後、僕は開放された。

 廊下に出ると、校内は随分と静かになっていた。先程まで金森君を保険室へ運んだり教室の復旧作業をしたりでてんやわんやだったので、余計そう感じるのかもしれない。楠木がやらかしたのは昼休みの後半の方だったので、今はもうとっくに五時限目が始まっている。どこかの教室からは、物理教師の眠りを誘う平板な声が聞こえてきた。

 一方で、僕がいた教室の隣にあるもう一つの生徒指導室からは、殺伐とした怒声や机を叩く音が漏れ響いていた。生徒指導室では、楠木や彼の取り巻き、「私は関係ない、私は何も悪くない」の一点張りを決め込む上村綾音たち一派がいっしょくたになってしぼられているらしい。彼らに非があることを差し引いても気の毒になるくらいの怒鳴られっぱりだが、何と言っても素行の悪さが満点のカシオペア座の如くさんざめくような連中である。これくらい灸を据えるくらいがちょうどいいのかもしれない。


 僕は教室に戻り、静かに引き戸を開ける。教室に戻ると、数学の授業が粛々と行われていた。一瞬時が止まり、教師、生徒の分別なく、僕に注目が向けられる。

「すいません、遅れました」

「ああ、話は聞いてる。席に着きなさい」

 事情が事情なので、数学教師は叱りはしなかった。ただ授業を中断させられてやや不機嫌なように見えた。

 僕は机と机の間を静かに歩いて自席へと戻る。その間、クラス員たちから突き刺すような冷たい視線で睨まれた。事件直後に周りにいた人々がひそひそとやってた話の通り、やはり僕は疎みの対象であるらしい。いくら僕が楠木の魔術を打ち消したと言っても、MAPである以上、騒ぎを防いた僕も愚行をやらかした楠木と同類―――そういう見解を無言で僕に示しているかのようだった。

 こういうのは慣れっこのはずだった。しかし、如何様にも抗い難い惨めさや悲しみが、僕の心を真っ黒にした。


 結局のところ、事件を起こした一味はその日授業に復帰しなかった。誰かが話しているのを小耳に挟んだのだが、騒ぎの元凶であるあの一味のうち、楠木たち男子生徒については少しの間停学処分になるだろうとのことだった。信憑性については怪しいところだが、僕にとっては利益にしかならない話なので、そうあってほしいところだ。

 最後の授業が終わり、窓の外を見てみる。ついさっきまでは絶え間なく雨が降っていたが、今はもうほとんど雨は止んだらしい。未だに空は大量の雲に占領されていたが、陽光を背後に隠しているらしく、空は明るい。二階から街を観察しても、傘を差して歩いている人はごくごくわずかだ。

 一応、バッグの中に折り畳み傘は忍ばせている。でも、どうせなら雨の無いうちに帰った方がいいに決まっている。僕は机の中に収納していた教科書類を急いでバッグの中に移し替える。

 ふと、僕を呼ぶ声が聞こえた。

「酒匂君」

 顔を上げると、そこにはようやく自席に戻ってきた金森君がいた。魔術が衝突した時、僕と金森君はその衝撃で吹き飛ばされた。僕はちょっと痣が出来たくらいだったが、金森君は違った。仔細は不明だが、しばらく保健室に留まって怪我の処置をしていたらしい。手には絆創膏、頬にはガーゼが貼り付けられている。

「金森君!怪我はもういいの?」

「うん、まぁね。まだ少し痛むけど」

 口元には綻びがあるものの目は無表情なままで、金森君は頬に貼ってあるガーゼに優しく触れた。第三者から見た金森君は実に痛々しいが、怪我だけで済んだのは僥倖だった。

「そりゃあ良かったよ。じゃあ僕は―――」

「酒匂君」

 僕がさっさと帰ろうとすると、今一度金森君が僕を呼んだ。

 声に反応して彼の方を見ると、そこにはいつもの呆けている金森君とは違う金森君がいた。

「今回の事、ちゃんと君にお礼を言いたい。本当に、ありがとう。君がいなければ、僕は間違いなく死んでいた」

 彼は体をまっすぐにした後、上半身だけをかくりと前方向に曲げて深々と礼をした。あまりにも礼儀正しい謝礼を受けて、どう対応すべきか判らずこちらが焦ってしまった。

「そんな・・・いいよ、金森君。あれは僕の身を守る行動でもあったわけだし・・・」

 僕が継ぎ接ぎの言葉を並べていると、金森君は頭を上げて僕の眼をしっかりと見た。

「いや、僕は本当に感謝しているんだ。常日頃から、君には迷惑を掛けてばかりだし。そこで、今日は一つ提案があるんだ!」

 

 アルファベット小文字のmを象った黄色い看板が、ロードサイドに浮かんでいる。その根元には、茶色と黒を基調としたポップながらも落ち着いた色合いで配色された店。透明なドアを押し開けると、この店独特の匂いが鼻の中に入ってきた。これが具体的に何の匂いなのか分からないが、これがこのお馴染みのハンバーガーショップを暗示する一種のアイコンであるという認識を持つ人は結構いるのではなかろうか?斯く言う僕もその一人だ。

 僕は、金森君と共に藍沢北高校からほど近いこのハンバーガーショップにいる。

「さぁさぁ、酒匂君!」

 前を歩く金森君は、自分の肩越しに僕を見ながら笑う。彼の声はやけに弾んでいる。

「今日はお礼として僕が奢るから、好きなものを食べてくれよ。因みに、僕はこの店だったらやっぱりダブルチーズバーガーかな」

「あ・・・ありがと」

 ここまできて、今更ながら僕はこの状況に気後れしていた。

 言葉だけでなく、きちんとした礼がしたいから、良かったらこの後ハンバーガー店にでも行かないか?———金森君に真摯な態度で打診されて、僕はそれを無下に断ることができず、こうやって二人でこの店にやってきたのだった。

 しかし、ちょっとした疑問もある。過失は無いにしろ、僕は今日の大事件の中心人物であり、蛮行を働いた楠木と同じく魔術を持つ人間だ。そして、僕もまた奴と同じく冷ややかな目で見られている最中だ。それなのに、金森君はそんなことなどお構いなしに僕とこうしてつるんでいる。いくら助けられたからといって、僕のような危険で普通じゃない奴と積極的に関わろうとするだろうか?

 僕たちはカウンターで各々注文をしてお盆を受け取った。奢るとは言われたもののそれを安易に受けることもできず、僕はこっそりとバッグから財布を出そうした。すると「いいからいいから!」と金森君に制され、結局金森君が全て奢ってくれた。ここでも、嬉しいような恥ずかしいような気持になった。

 ざっと見回しても、店内で空いている席はほとんどなかった。客層としては圧倒的に藍沢北高校の学生たちが多く、空腹に任せてバンズに齧りついたり、参考書やノートを広げたりしている。

 お盆を持った僕たちはようやく空いている席を見つけて、そこに陣取った。僕の前には金森君の嬉しそうな顔と、痛々しい傷跡がある。

「それじゃあ小腹も空いていることだし、取り合えず食べようぜ」

「そうだね」

 その短い会話の後、僕たちはハンバーガーを頬張った。

 僕は部活動しているわけではなく、ただ学校に行って授業を受けているだけだ。体を動かすことは体育の時間以外でほとんどしていないはずなのに、どういうわけか僕の体は夕暮れごろに執拗に空腹を訴える。だからこそ、ただのハンバーガーがこんなにもおいしいのかもしれない。肉の旨味もさることながら、レタス、マヨネーズといった他の具材との調和も絶品だ・・・!

「うーん、うまいな・・・うまい」

「酒匂君、すごいうまそうに食べるねぇ」

「こういうとこ、あんま来ないから。普段は家で食べるし」

「へぇ、そうなんだ」

 金森君は僕をとっくりと眺めた後、咳払いをした。

「酒匂君、学校でも言ったけど―――」

 僕はシェイクを飲んでいたけれど、またさっきの真面目な雰囲気の酒匂君の声が聞こえてきたので、一旦食を進める手を休めた。

 シェイクのカップをお盆に戻すのを確認し、金森君は言を継いだ。

「あの時は、僕を助けてくれてありがとう」

 ここでもまた、金森君は小さくだが首を垂れた。

「いいよ、そんな。本当に、あまり大事にならなくて良かったよ」

 薄い笑いを顔に貼付して、僕は彼を宥めた。

 内心、僕はちょっと意外な側面を目の前の金森君に見た気がした。

 金森君はとにかくずぼらだ。物忘れや勘違いなんて日常茶飯事で、大小様々なミスを連発している。何をやるにしても人よりノロノロとしていて、その要領の悪さで他人に苛立ちを植え付ける場面も多い。また、誰かが指示したこと、望んでいることに対して、誰がどう見ても的外れなことをしだす。何から何まで支離滅裂で、言動の前後の整合性がまるで取れていない。そういう、言葉の悪い言い方をすれば、僕は彼を駄目人間だと思っていた。

 しかし、今は違った。

 僕に命を救ってもらったことに対し、一切の衒いもなく真正面に感謝の意を表している。何というか、こういうことは僕だったら恥ずかしくてできないだろうなと思うのだけど、彼はそれをやっている。ちょっとすごいな、と思った。

「酒匂君、優しいんだね」

「うーん、そうかな?」

 正直言うと、結構適当に話したつもりだった。だけど、金森君はいたく感激しているみたいだ。

「僕はどう努力しても人の足を引っ張ることしかできない人間だからさ。今回のことも、君に迷惑を掛けてしまって申し訳ないと思ってるんだ」

「そんなことは・・・」

 ないよ、という言葉を接続することはお世辞にもできなかったし、言ったら言ったでそれはそれで失礼な気もした。だから僕は黙るしかなかった。

 唐突なダンマリに金森君も戸惑ったらしく、目を泳がせながら手元にあったシェイクを口に含んだ。時折突如として発生するこういう気まずさだけど、今日の場合はシェイクと店内の新商品宣伝放送がその間を埋めてくれた。

「だ、だけどさ!ちょっとびっくりしたよ!」

 シェイクのストローを口の中から抜き去って、金森君は声を上げた。

「酒匂君って、水系のMAPだったんだね。知らなかったなあ。あの時使った魔術、すごいかっこよかったよ!」

 対面している金森君は、テーブルの上に若干身を乗り出し、嬉々として僕を褒め称えた。その目はきらきらと輝いている。

「いいなぁ!魔術を使えるなんてうらやましいよ!」

「うーん、そうかな?」

「そうだよ!もっと自信持った方がいいよ!MAPなんてなろうと思ってなれるわけじゃないんだから」

「いや、MAPは君が思っているほど大層なもんじゃないよ」

 無意識に、僕は溜息を吐いた。金森君は首を傾げて僕を見つめている。

「魔術が使えたって、何にも得なことなんてない。基本的に、今の社会では魔術は無くしていこうという方針だし、進学や就職でも多少不利になるしね」

「うーん、もしかしたらそうかもしれないけど、それは君の何にも代えがたい個性じゃないか。僕は君の魔術能力は素晴らしいと思うけどなぁ」

「個性ねぇ――—君も知っているかもしれないけど、魔術が強くなってくると専門の機関に行って色々と処置をしてもらう必要があるんだ。時間も金もかかる。僕にとって魔術は、ただただ邪魔なだけのものだよ」

「そんなもんかなぁ・・・」

 彼にとっては、魔術はかっこいいこと、なのかもしれない。だけど、僕にとっては逆だ。ポジティブなイメージなどはそぐわず、むしろネガティブな言葉でレッテル貼りするのが相応しい。そういう類の、負の性質に過ぎない。

 少しの間沈黙が挟まり、金森君は語りだす。

「僕さぁ、小さい頃ヒーローになるのが夢だったんだ」

「ヒーロー?」

 彼は首を縦に振った。

「たまにテレビでも紹介されているじゃないか、日本魔術規制委員会直属の魔術特殊部隊<AMSF>———彼らの活躍を見て、僕も絶対にあぁいう風になりたいなぁって思ってたんだ。だけど、五歳の健診の時にお医者さんにはっきりと言われちゃってね。君には魔術能力がまったく無いって」

 金森君は苦笑いした。気のせいか、目の前の彼の姿が一回り小さくなったような気がした。

「だから、普通に生きていくしかないって何となく思ったんだけど―――どうやら、それも難しいってことが分かってね」

「え?」

 自分のこめかみのあたりを人差し指で何度か突いて、金森君は話を続ける。

「その時の検診で分かったんだけど、僕、ちょっと障害があるらしくって。ざっくり言うと、人と比べて脳みその働き方がちょっとだけ違うらしいんだ。それによって何が起こってるかっていうと、例えば物忘れや時間管理がダメだったりとかかな。多分、君も何となくは感じているんじゃないかな?」

 金森君の言葉を聞いて、得心のいった気がした。

 確かに、彼は他の人間とは違う気がしていた。何というか、人———もとい、集団の中で生きていく人間として、必要な様々なスキルの全てにおいて、全てが平均点以下を叩き出している。

 だけど、それは彼の持つ障害だという。

「それは、治療して治るものなの?」

 金森君は笑いながらかぶりを振った。

「僕のは病気じゃなくて、あくまで物事の考え方の傾向が偏っているというだけの話だから、訓練にしろ薬にしろ完全に治す方法はないんだって。現状できることは、そういう自分の性状を理解して、可能な限り予め対策を打っておく、ということくらいなんだ・・・まぁ、こればっかりは文句を言っても仕方ないよね」

「そう・・・なんだ」

 金森君はあははと笑った。僕は何だかいたたまれなくなった。

 確かに、テレビやインターネットで、社会の中に一定数そういうハンディキャップを持つ人がいるというのは見たことがある。彼らが社会生活を普通に生きられず、辛い毎日を送っているということも知っている。だけど、僕はどこかでそれを特殊な環境の特殊な人たちの話だと思っていた。

 けれど、目の前に座っている、高校の中では比較的近しい男子生徒がそういう障害を持っているんだと聞かされると、何だか急に身近なもののように感じた。同時に、これは何だか他人事でもないな、と痛烈に身につまされた。

「ねぇ、金森君」

「何だい?」

「君は、そういう―――その、障害を持ってて、辛いと思ったことは無いのかな?」

 単純に、気になった。だから質問をぶつけてみた。

 すると、金森君の笑顔に一瞬影が差した。

「辛くない、と言えば嘘になるよ。小学校、中学校もこんな調子だったから、常に同級生から疎外されたり、先生からも敬遠されたりだったよ。だけど、こればっかりはどうしようもないからね。最近は、これもまた僕の個性なんだと思って、受け入れることにしたんだ!まぁ、ご都合主義の考え方かもしれないけど、そのせいで落ち込むより無理矢理明るくしてた方がずっとマシだからね」

 再び、金森君の顔に笑みが戻った。

 僕にはその笑いが、とても輝いて見えた。今の僕には、いくら手を伸ばしても金森君のようにはなれない。そういう気持ちが心を満たした。

「ごめんね、なんか暗い話になっちゃったね!なんか明るい話でもしようよ、僕、君とは前からちゃんと話したいと思ってたんだ!」

 店内には相変わらず高校生たちの活気づいた声、そして夏の新商品を予告する宣伝放送で賑やかだ。金森君はそれにも負けない明るい声で自身の卓球部の事を語りだした。

 彼には悪いと思ったけど、それ以降、僕は彼の話がまったく耳に入ってこなかった。


 

 

 

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