第4話 騒動

 金森君に差し向けられた、優しさや親しみやすさの欠片もない声。

 僕はこの声の主を知っている。顔を上げて、声の主を見る。案の定、それは楠木駿弥だった。その周りには、彼の親しい友人が壁の様に並ばせ、金森君に対して精神的圧力を与えている。

 その壁を前にして、金森君は恐怖で小さな体を震わせている。

「あ、あ・・・楠木君・・・お、おはよう・・・」

 金森君の声は、体同様に震えている。

「お前、今日の英語の課題やってきたのかよ」

 岩で削り出されたかのようなごつごつとした楠木の顔に、にやりとした笑いが浮かぶ。対面する人物を見下すのがありありと分かるこの笑顔を、僕は何度も見ている。金森君のところへやってきたとき、最初に楠木が見せるのはこの顔だ。これだけで何だかげんなりしてくる。

 金森君の反応を聞かず、一方的に楠木は次句を継いだ。

「もしやってきたのならば、俺にその問題集よこしてくれよ。昨日と一昨日、遊びに行ってて課題してる暇なかったんだよ。なぁ、いいだろう?」

「いや、それは・・・駄目だよ」

「はぁ?今なんて?」

 楠木は金森君の机の両端を両手で握り、一度だけぐらぐらと揺り動かした。それと一緒に、低い声で僕の前で小さくなっている男性生徒を威嚇する。

「ぼ・・・僕も課題やってないんだよ・・・」

 幽霊のような声で金森君が呟くと、楠木は怒声を飛ばした。

「は?お前課題やってないの?授業前に予習してないとか最低だな!マジ使えねぇなおい!!」

 楠木は苛立たしげに金森君の机の脚を蹴り飛ばした。机のパイプで反響された金属音が響き渡り、金森君は女の子のような短い悲鳴を上げて頭を両手で抱えた。

 怒りが収まらない楠木は、机の上に今日の予習分の回答で埋められた問題集を見つけた。さっき金森君に手渡した僕の問題集だ。

「お、お前いいもん持ってるじゃん」

「いやぁ、駄目だよそれは!」

 僕の問題集を乱暴に鷲掴みにして引き上げる楠木の腕に、金森君は必死に腕をばたつかせて必死に追いすがるが、あっけなく楠木に手を振り払われる。

「文句ねぇだろ?これは俺を朝っぱらから怒らせた慰謝料としてもらっていくぜ」

 何という無茶苦茶な理論だろうか。

 楠木の金森君への乱暴も許せなかったが、何より僕の問題集を勝手に持ち去ろうとすることにも我慢できなかった。

「待てよ!」

 気付くと僕は楠木に対して声を荒らげていた。

 それを聞いた楠木とその取り巻きたちは、僕を睨みつける。

「酒匂―――なんだよ?」

「それ、僕の問題集なんだけど?金森君に見せたのであって、君に見せたわけじゃない。返してもらっていいかな?」

 できるだけ、僕は楠木の感情を逆なでしないように言ったつもりだった。何といっても、無用な折衝は避けたい。

 だが、奴は誰であろうと自分に抗う姿勢を見せた人間を許さないらしい。金森君の前に立っていた楠木は、今度は僕の席の前にやってきた。

「おい、陰キャが偉そうに言ってんじゃねぇよ。今お前の問題集は俺が持っている。だからこの問題集は俺のものだ。問題あるか?」

「そ、そんなの無茶苦茶じゃないか。大体、課題は自分でやってくるものじゃないか?他人に見せてもらおうだなんておかしいよ」

「笑わせてくれるぜ。それを言うなら、そこにいる金森だってやってなかったんだろ?じゃああいつだってお前の問題集を見ようとするのはおかしいだろ」

「金森君は課題をやろうという意思があった。君はその意思がない。そこが違いだ。この前も君怒られてたよね?また先生に怒られるよ?」

「だから!それはお前の問題集を俺らによこせば、万事解決だろうが!」

 楠木の手は、今度は僕の机を揺らす。しかも、金森君の時よりも強く、長くそれをやった。そのせいで、机の上に広げた参考書やシャープペンシルがばらばらと地面に落ちる。

 楠木達は僕の周囲を取り囲んで、見下ろすように睨みつけている。その様子を感じ取ってか、クラスメイトたちが織りなす談笑のボリュームは徐々に絞られていき、ひりひりと緊迫した空気が教室に満たされる。

 彼らの隙間から、怯えた様子でこちらを見ている金森君もいる。何かを言いたげだが、あの様子だとどうも恐れで声帯が上手く機能していないらしい。

「だけど・・・」

 たじろいだ僕は、知らず知らずのうちに自分の口から何の意味もない言葉が垂れ流されるのを聞いた。冷や汗が出てきた。

 それは、楠木達にガンを飛ばされているからもあるけれど、むしろ周囲の人々の衆人環視の元凶となっていることが、僕の心に恐怖を植え付けた。

「お前は俺をちょっとばかり舐めているらしいな・・・どうやら、MAPであるこの俺を怒らせたらどうなるか、お前のねじまがった性根に叩き込んでやる必要があるみたいだ!」

 楠木が目配せをすると、彼の取り巻きたちが椅子に座っていた僕の右の腕と左の腕を乱暴に掴み、無理やりに立たせた。その時に僕の体が椅子にぶつかり、盛大な音を立てて椅子は真後ろに倒れた。

「離してよ!」

 無茶苦茶に暴れてみるけれど、楠木が顎で使っている連中はやたらとガタイがいい。対する僕は十七歳としてはやせっぽちな体格だ。いくらもがいたところで奴らの拘束から逃れられそうもない。

 ちょうど正対するようにして立っている楠木。彼の右手がぼんやりと赤く光る。天井に向けた掌の上で、火の玉のような真っ赤な球体がやおら現れ、時折火花を散らしながらぐるぐると回転を始める。

「炎の魔術<エクスプロード>。こいつがお前の体に当たったらどんなことになるかなぁ・・・ちょっと怪我するくらいで済めばいいがな」

 あっはっは、と高らかに笑う楠木。それに同調して周りも笑いだす。

 奴の魔術レベルはそこまで高くないだろう。せいぜい、魔術能力があるかどうかすら疑う程の魔術を持っている微小魔術能力者か、レベル1かといったところだろう。

 レベル1の魔術能力が対人で放たれたとて、死ぬということはないだろう。だが、結構痛いということは容易に想像が付く。実際のところ、魔術能力の乱用により他人を傷つけるというニュースも耳に入ることは多い。

 僕は頭が白っぽくなったら。あれが放たれたら―――

「よっしゃぁ!そろそろ痛い目に合ってもらうぜ!」

 楠木が手の上で遊ばせる火球が勢いを増して回転し始める。それに伴い、火花のようなものも強くなり、爆ぜるたびにばちばちと大きな音を上げる。その勢いが十分に宿ったと判断したのか、楠木は球体を浮遊させている方の手をゆっくりと後ろへ引いた。

 今にも楠木が僕に魔術を行使する。

 僕が痛覚から過大な刺激を受けずにこの困難を凌ぐ方法は一つ。本当はこんなところで使うべきではないかもしれないが―――奴が魔術を放つ瞬間を見計らい、こちらもその魔法を相殺できるだけの威力を持った魔術を打ち当てるしかない。僕は右手に集中し、エネルギーを結集させていく。

 その時だった。

「やめなさい!」

 僕を取り囲む楠木たちの向こう側から聞こえる、凛とした女子の一喝。

 取り巻きたちが不機嫌そうにその声の方を向く。

 その先には、クラスの女子生徒が、屹然とした態度で楠木達を睨みつけている姿があった。

「お前は・・・蓮田陽菜か」

「あなたたち、いい加減にしなさい!酒匂君が何もしないからって調子に乗って!」

 肩越しに彼女を見ていた楠木だったが、今度は蓮田陽菜と対面するように体の向きを変えた。

「はぁ?学級委員だからって粋がってんじゃねぇよ!女のくせに男の話に入ってくるな!」

「女のくせにって何よ!馬鹿にしないで!」

 手に火球を浮かべたまま、楠木は蓮田さんににじり寄っていく。楠木は身長もかなり高い。あの図体で見下ろされたら並の人間であれば恐怖を感じるだろう。だけど、蓮田さんは違った。彼女は何倍も大きな体の男子と対面しているというのに、一切物怖じせずにずけずけと注意している。

 その丁々発止のやりとりに、周りの人間たちも固唾を飲んで見守っている。

「あなた、酒匂君がやってきた課題を脅して奪うような幼稚な真似して、高校生として恥ずかしいと思わないの?!」

「あぁ何だと?!」

「それに、そうやって課題を見せてもらっても無駄!先生たち、あなたたちのやっていることなんか、全部お見通しだよ!」

 蓮田さんがぴしゃりと言うと、双方何も言わず互いを睨みつけた。蓮田さんは依然として毅然としている。しかし、僕は彼女の固く握られた拳が、小刻みに震えていたのを見た。

 幾ばくかの間にらみ合いが続いた後、楠木は舌打ちをして、今にもはちきれんばかりの火球を握りつぶすようにして消した。

「けっ、クソアマのせいで白けちまったな―――酒匂、今日は勘弁しといてやるぜ」

 楠木がつまらなそうに嘆息を吐きながら、また取り巻きに顎で指示した。

 僕を拘束していた二人は、僕を床へと突き飛ばす。視界に天井が映ったかと思うと、次の瞬間したたかに体を打った。胃の辺りが気持ち悪い。

 楠木が僕から奪い取った問題集を倒れた僕の体の上へ打ち捨てると、蓮田さんがまたしても吠えた。

「ちょっと!乱暴しないで!」

「おいおめぇら!つまんねぇから一時限目はバックレようぜ!金森、酒匂!女に助けてもらうなんてダセェぞ!」

 僕に捨て台詞を吐いた楠木は、進路にある邪魔な椅子や机を苛立たしげに蹴り飛ばしながら教室を勢いよく出ていった。


 教室は嵐の後の様だった。最初は様子見をしていたクラスメイトたちであったが、徐々に彼らなりのいつもの朝が取り戻されていく。

 僕はその流れに取り残された。痛めた体を擦りながら、どうにかこうにか体を起こす。

 そこに、蓮田さんと金森君が駆け寄ってきた。

「酒匂君!」

「酒匂君、大丈夫?!」

 さっきよりもずっと蓮田さんの表情が見て取れた。それくらい近い。

 二年四組一番の問題児である楠木に対して、正面切って苦言を呈していた蓮田さんの顔は、相変わらず切迫したような緊張感のある表情が浮かんでいた。だけど、声音については先程のような尖ったものは一切感じられず、それとは真逆の人への労わりが滲み出ている。

「———うん、まぁね」

「大変!シャーペンとか教科書が散らばっている!私も拾うの手伝うよ!」

 蓮田さんは驚いたような声を出して、床に散らばった僕の物を丁寧に拾い集める。金森君も慌ててそれに加わる。

 僕はようやく体を起こして、僕の机の周りに散らばった二人をしかと見る。他の人たちが気づかないふりをしてこっそり見ているだけなのに対し、一生懸命になって落ちている物を拾い集めている。

 何というか、すごく恥ずかしい気持ちになった。

 僕はクラスで一人で生きていく決断を、もうずっと前にしたはず。だけど、些事とはいえこうやって他のクラスメイトに助けられている。自分の決めたことを自分自身で反古にしてしまったようで、心をどこに置いておくべきかわからなくなった。

「これで全部かなぁ・・・ねぇ金森君、そっちは大丈夫?」

「うーん、多分大丈夫だと思うけど・・・ん、あれは違うかな・・・?」

 蓮田さんは膝立ちになり、拾い上げた物を僕の机の上にばらばらと置いた。金森君はほぼうつぶせに近い体勢になって舐めるように床を捜索していた。

 僕は、もう我慢できなくなった。

「二人とも、ありがとう!もういいよ」

「いや、だけど消しゴムがまだ見つからな―――」

「本当に!もう大丈夫だから!」

 思わず、大きな声が出てしまった。

 二人は僕の方に顔を向けた。どちらも、びっくりしたように目を見開いている。

 蓮田さんは少しの間僕の顔と床とに視線を行き来させ、その後口を端を歪ませた。

「そっか・・・わかった。だけど、また楠木君に何かされたら私に言ってね」

 その時、タイミングを図ったかのように朝のホームルーム開始を告げるチャイムが教室を包んだ。それを聞いて蓮田さんは自席へいそいそと戻っていく。

 金森君もしばらくきょとんとしていたけれど、硬い表情で「ありがとう」と一言だけ告げて、自分の席へと戻っていった。


 

 

 

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