第3話 藍沢北高校の朝

 月曜日というのはかなり嫌いだ。

 だが、もしも月曜日も火曜日も、一週間ずっと平和で楽しい毎日だったら、月曜日が嫌いだという考えには至らないのではないか―――僕は考える。つまり、個々人によって月曜日というものをどう定義するか、というところが大事である。

 僕が月曜日を定義づけするならば、つまらない場所でつまらない事が起こる、つまらない上に少しだけ辛い日々の始まり、というところだろうか。

 とにかく、学校は好きじゃない。

 

 僕の通っている藍沢北高校は、僕と母が住んでいるアパートから徒歩二十分くらいのところにある。学校の偏差値でいえば、藍沢市の中で大体三番目か四番目くらいに位置している。毎年国立大学への進学者を一定数輩出していること、そして家から近く登下校にそれほど難儀しないという点を鑑みて、ここの高校に入った。

 藍沢市も既に梅雨入りしたとニュースで言っていた。しかし、今日は雲らしい雲もなく晴天だ。今はまだ朝なので、そこまで暑いとは思わない。だが、低い山々のわずかに上に浮かんでいる太陽は刺すような輝きを放っており、これから地上をじりじりと焼くことを予告しているかのようだ。

 高校へ向かう道を歩いていると、うちの学校の制服を着た大量の学生たちが校門へ向かって歩いている。その中に僕も紛れ学校へ向かう。歩を進めるたびに、背中のリュックの中で教科書やペンシルがぶつかる小さな音が聞こえてくる。これだけが、僕の登下校のお供だった。

 校門を通り抜け、昇降口から校内へと入る。朝の校内はどことなく活気づいている。そんな賑わいも人によっては爽やかさや一日の始まりを感じられる良き情景なのかもしれないが、そのどれもが僕には何ら関係のないものだった。様々な学年の生徒、教師たちが行きかう廊下を抜け、階段を上り、僕は自分が所属する2年4組の教室へと無言で侵入する。

 教室の中は、朝のホームルームが始まる前ということもあり、雑然としていた。クラスのところどころで仲良しグループたちが教科書や問題集を広げて談話混じりにペン先を走らせているし、ある者は一人机に座りスマートフォンをいじったりしている。それぞれが、一日の始まりの時間をめいめいに過ごしていた。

 この前クラス替えがあって、もう数ヶ月。

 普通であればとっくにクラスの雰囲気に慣れているのだろうが、僕にはいつまでたってもここが敵地な気がした。よく知らない場所で、よく知らない人たちと一緒に授業を受ける。その中で、僕は自分が油染みのように浮き上がっているかのような錯覚に、いつも襲われる。

 そんな僕にも一応席はあって、クラス名簿に名前が載っている以上はここにいてもいいことになっている。僕は机の上に静かにリュックを下し、中身を机の中へと移し替えていく。その際に先週金曜日に出された宿題と今日の授業で必要な教科書類がきちんと入っているかを確認する―――うん、大丈夫だ、全部入っている。

 僕の朝のルーティンは、大体が予習作業だ。今日授業でやりそうな部分について、先週の授業内容を鑑みて予め知識を得ておく。例えば数学だったら新しい公式の確認だし、古文だったら今日習いそうな活用法の意味を調べておく、などだ。

 今日の一時限目は、英語。

 僕は英語の教科書と参考書、ノートを机の上に広げる。そして、予めノートの罫線に従って半分に分割したノートの片方に英単語や文法を調べて書き込んでいく。

 ふと、このように予習や復習をしている最中に、刹那的に彼らの談笑がうらやましいと思うこともあるにはある。だが、僕は生まれながらの高レベル魔術者だ。多かれ少なかれ、普通な人たちから見れば排他的存在なのだ。

 一人でいることには慣れている。だから平気なつもりだった。そして、僕がクラスメイトたちと関りを持とうという気が無いのだということを周りの人間も察したらしい。積極的に僕に話しかけている人間はいなかった―――数人を除いては。


 予習をやっているうちに、もう朝のホームルーム開始十分前になっていた。

 僕が黒板上方の掛け時計で現在時刻を確認したのとほぼ同時に、慌ただしい様子で一人の男子生徒が教室へ飛び込んできた。彼は僕の前の席にせわしなく座り、背中に背負ったリュックサックを荒々しく机の上に下す。僕は彼に一瞥をくべたが、いたって日常的な風景なので、また目を戻した。

「はぁはぁ、何とか間に合った・・・おはよう、酒匂君」

「おはよう、金森君」

 僕の前席の男子生徒、金森遼太郎は息を荒くしながら僕に朝のあいさつを投げかけてきた。僕は一応礼儀ということもあって、脳みその一番取ってきやすい場所にアサインしておいたあいさつを返す。

「いやぁ、今日もまた寝坊しちゃってねぇ。目覚ましの奴、なんで鳴らないんだろう。昨日ちゃんとセットしたのに」

 金森君はポケットから携帯電話を取り出し、訝しげに設定を確認している。

「うーん、それは困ったね」

 金森君には悪いが、僕は適当な相槌と適当な返事をした。

 彼は首を傾げているが、僕には原因が何となくわかっている。恐らく、今までの傾向からみて、彼は携帯のアラームを休日だけに設定していたか、あるいは寝ぼけ眼で携帯が示した時間を一時間早く勘違いしていたかのどちらかだろう。

「まぁでも、間に合ったのは良かったね」

「そう!それは良かったよ。しかも、僕ってば今日は予習もちゃんとしてるからね」

 金森君は誇らしげな顔をして、手に持った問題集のページをぱらぱらとめくっている。こういう時の彼は危ない。何かミスをしている場合が多い。

「酒匂君、一応確認なんだけどさ、今日の課題は23ページまでだよね?」

 やっぱり―――僕は思わず言葉としてそれが飛び出してしまいそうだったが、何とか堪えて冷静に告げた。

「金森君・・・今日は27ページまでだよ」

 この事実を聞いた金森君は飛び上がらんばかりに驚き、焦りに満ちた声を発しながら胸ポケットからメモ帳を取り出し、ものすごい勢いで既に書いたページとまっさらなページの境界を探している。

「う、うわ!本当だ!27ページまでってメモしてんじゃん!うわぁやばいよやばいよ!ねぇ、酒匂君!お願いだ!君の問題集を見せてくれ!この通りだ!」

 金森君は頭の上で両の掌をバチンと音を立ててくっつけて、深々と首を垂れた。まったく朝っぱらから騒々しい奴だ。

 僕は少し逡巡したけれど、結局のところ今やっていた問題集のページを閉じて、それを金森君の方に押しやった。

「次以降はこんなことごめんだぜ」

「ありがとう!神様仏様酒匂様だよ!」

 彼は掌を擦り合わせて、繰り返すように謝意を示した。

 このように、金森君には忘れっぽいという悪癖がある。宿題、教科書、参考書に始まり、人との会話の内容や約束、取り決め事など、多岐にわたる。金森君は僕の一個前の席で、たまに話をするだけで元来より友人というわけではない。だから面と向かっては言わないけれど、もう少しちゃんとして生活すればいいのに、といつも思う。何というか、人間としてどこかが絶望的に欠乏しているのが、目に見えて分かるのだ。

 だけど、学校内での友情を醸造することを放棄した僕に話しかけてくるのは、金森君くらいしかいない。だから何となく、僕も彼には甘めの対応をしてしまうきらいがある。

 彼が僕の問題集を見て、それを自分の問題集へ写し取る。後ろから見ていると、その様子があまりにもせわしなくて、何だったら少し憐れな気持ちにすらなってくる。

 僕はやるべきものがなくなったので、ポケットから携帯を取り出してニュース記事を眺める。

 その時だ。

「おい金森!」

 乱暴な声が、スマホに目を落とす僕の斜め上方向から降り注いだ。

 

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