第2話 母

 魔術能力の破壊力を計測する検査が終わっても、研究員たちの質問攻めや、医務室での健康状態確認が淡々と進められていった。ここにいる研究者たちはとことん事実を見極めたい性分らしく、自分たちが納得するまで約束の終了時間を過ぎても帰してくれず狼狽した。

 とはいえこの魔術能力検査は、僕が普通の社会で、普通の人間として生きるためには必要不可欠なものだ。公的な機関で三ヶ月に一度魔術能力テストを受けること———これは日本魔術規制委員会が高レベル魔術能力者に課している義務の一つだ。

 だが、このルーティンに徹頭徹尾沿った型通りのテストを受けるために折角の日曜日が半分以上潰れてしまうのは嫌だった。何も僕は好きで魔術能力者になったわけではない。たまたま、それを持っていたというだけ。それなのに、僕は三ヶ月に一度の割合で貴重な休みを差し出さねばならないなんて、何だかすごい不平等だ。


 諸々のテストが全て終わり、僕が彼らから解放されたのは午後二時半だった。

 「日本魔術規制委員会・藍沢支局」と書かれた札が張り付けられた施設を出ると、コンクリートの地面が濡れているのが見えた。今は雲の隙間に青空と太陽が覗いているが、舗装された地面の微妙な凹凸に準じて、大小さまざまな水たまりができており、空の青を映していた。恐らく、少し前までかなり大雨だったのだろう。

 もちろん、そんなことはわざわざ気にするほどのことではなかった。高レベルの水系魔術能力者が屋内とはいえ全力で魔術を使ったのだ。周辺地域のゲリラ豪雨の一つや二つあっても何ら不思議ではない。逆に言えば、気候にまで影響を及ぼすからこそこの研究施設は人里離れた山奥にあるのだ。


 さほど広くはない駐車場には、自衛隊関連の角ばった車や職員の自家用車、薬品などを運んできたと思しき営業車がまばらに停まっている。少し寂しい雰囲気だが、そもそもこぞって人が集うとは言い難い場所である。これくらいの駐車車両の密度が相場というところだろう。

 その中に、いつもの見慣れたホンダN-BOXを見つけた。グレーの車体には、おびただしい数の水滴が張り付いている。運転席には、僕の母親がスマホの画面を見ながら不慣れな感じで指先を動かしている。エンジンを掛けっぱなしにしているらしく、アイドリングストップ中ながら、時折エアコンのファンの単調な音が聞こえる。

 僕が車に近づくと、母親は僕に気づき、胸の前で小さく手を振った。別に誰に見られているわけでもないのだが、それに嬉々として応答するのがちょっと恥ずかった。母の笑顔を視界に認めた僕は、ほとんどノーリアクションのまま車の前を通り過ぎ、助手席側にまわってドアを開ける。

「瑞樹、お疲れ様。ごめんねぇ、ちょっと待ったでしょ?」

 中と外の境界が無くなり、母の声が耳に入ってきた。

 いつもの笑顔で僕を迎えに来てくれる母。何せこの辺りは公共交通機関など皆無なので、必然的に送り迎えしてもらわねばならない。

 少し申し訳ないような、安心したような気分になった。

「・・・いや。こっちも今終わったとこ」

 助手席に体を収め、ドアを閉めた。今日は何だか蒸し暑い。エアコンから吹き出された冷風が肌を撫でていき、とても気持ちいい。

「それじゃあ、今から帰るけど、どこか寄りたいところある?言ってくれれば寄るよ?」

「うーん、特に無いかな」

「そっか。それじゃあ、まっすぐ家に帰るね」

 狭い室内で短いやりとりを二つ三つ済ますと、母はギアをニュートラルからドライブへ動かし、車を発進させた。


 研究所の門を抜けると、そこからは国道とぶつかるまでひたすらに樹海の中を進んでいく。勾配としては下り勾配になるので、一本調子の味気ないエンジン音を伴い、車は快調に道を走る。

 この道はこの研究所にしか通じていない。大きな死火山の麓を横切っていく形になるため、周りには目立った建物や民家もない。道路建設の際の利権調整や土地買収が極めて単純だったせいか、研究所へ至る道はほとんどカーブが無く、鬱屈とした暗い森の中を機械的に書いたかのような一本線で貫かれている。はっきり言ってかなり退屈な道だった。

 極めて用途の少ない道だけに僕らの車以外に車はほとんど見られないが、先程駐車場で見たような自衛隊関係の車とたまにすれ違う程度はあった。

 車の中では、生あくびを連発する僕をよそに、母が一方的に話題を振っている。

「今日ちょっと遅れたのはね、実はケーキ屋さんに寄ってケーキを買っていたからなの」

「ケーキ屋さん?」

 後ろの席を見ると、確かにビニール袋に入ったケーキの箱のようなものが見えた。

「うん。昨日、地元の情報番組で紹介してたでしょ?お母さん、あれ見た時から食べたいなぁと思っちゃって。そういえば瑞樹が行ってる研究所の途中にあったなぁと思って、来る前に寄ってきたんだ」

「へえ、そっか」

「やっぱりテレビで紹介されたところは混むね~。余裕をもって行ったんだけど、結局三十分くらい待つことになっちゃって。今晩、夕飯後に一緒に食べましょ」

「うん、それいいね」

 こんな具合で、他愛もない会話が続いた。

 お喋り好きというのもあるのだろうが、母はとにかく僕に話を振ってきた。別に母が嫌いというわけではないのだが、何だか最近はそれに答えるのがちょっと面倒だ。だから、短い返事をしながら取り合えず相槌を打つだけのことが多い。

 そんなバランスの悪い会話の中で、母はまた話をしてきた。

「ところでどうだったの?今日の魔術テストは」

「いつも通りだよ。魔術能力テストして、職員さんの質問に答えて、心電図取られて、脈拍計ってもらって、それで終わり」

「そっかー。毎回のことだけど結構やること多くて大変だね。本当にお疲れ様」

「まぁ、大変ではあるけどね。仕方ないよ、僕は高レベルMAPなんだから」

 車のラジオからは、地元FM局の女子アナが誰かのインタビューをしていて、時折特徴的な笑いがかたかたと流れてくる。

 僕はラジオから時折聞こえてくる笑い声と同じ感覚で、適当に半笑いしながら答えた。

 MAPというのは、僕のような魔術能力を持つ人間の総称である。MagicalAbilityParsonという英語の頭文字を取った略称らしい。蔑称や雅名等含めて昔は色々な呼び名で呼ばれてきたそうなのだが、数年前に日本魔術規制委員会が呼び名を統一したことにより、MAPという呼び名で一本化されている。

「そう・・・」

 ここでこれまでずっと明るい口調で話続けていた母の顔に、わずかながら影が差したような気がした。それを見て、僕は何だか笑えなくなった。

 ちょっとの無言状態と気まずさの中、母は口火を切った。

「今日の結果が来るのって、一週間後よね?」

「そうだね」

「魔術レベル、上がってなければいいね」

「そうだと嬉しいんだけど・・・」

「大丈夫よ!瑞樹は真面目にテスト受けて、薬も飲んでいるのだから。きっと魔術もだんだん弱まるわよ」

 母は気丈に振る舞った。それが半分母の性分に依るもので、もう半分はどこかから強引に引っ張りだしてきたものだということは、すぐに分かった。

 ハンドルを握る母親に心配を掛けたくないので、見立てのない希望を言葉に吐いた。

「うん、きっとそうだね。ありがとう」

 

 僕がこの研究所に通っているのは、魔術規制委員会が定める高レベル魔術者への義務としてのものもあるが、それと同じくらいの理由で、僕自身が持つ強大な魔力を打ち消すための療法を受けるため、というものがある。

 超人的な魔術能力を持つということは、一見すると有用だと思う人が多いだろう。しかし、実際はどちらかといえば敬遠される傾向がある。圧倒的な力を持っているということは、周囲の人や物に対して甚大な被害を与える可能性が高いということの裏返しでもある。だから、日本政府としては高レベル魔術者には積極的に検診を受け、魔術抹消治療を受けてほしいというスタンスでいるのだ。

 僕は中学二年生の時にレベル4になった。

 日本魔術規制委員会の取り決める規約によると、一般的にレベル4以上の魔術者を高レベル魔術者と呼び、他の魔術能力者とは区別して対応している。具体的には、数ヶ月に一度のテストと、外出時の魔術能力抑制リング着用の義務などだ。その中に、魔術抹消治療の励行等も盛り込まれている。具体的には、朝と夕方に内服薬を数錠飲むという極めてシンプルなものだ。

 これで安心だ、と思っていた。

 だが、それはまったくもって甘い考えであった。

 普通、魔力というのは歳を経るごとに増大していき、男女ともに四十代頃にピークを迎える。だが、一般社会で普通に暮らしている魔術能力者は、生涯を通じてレベル2か、積極的に鍛錬をした者であればレベル3に到達することもまれにある、という程度のペースで増大していくことが多い。

 だが、僕らのような高レベル魔術者は、魔術増大のペースがかなり速いということが研究の結果で理論付けられている。

 その結果、普通であれば服薬を続けていれば魔力は下がるのだが、内服薬は功を奏さず、僕の魔術レベルは勢い知らずに右肩上がりを続けている。

 現に、中学二年生の時にはレベル4の低位魔術者だったのが、今やレベル5に片足突っ込んでる状態だ。そろそろレベル5になってもおかしくない。それが今でなくても、いずれはレベル5になる。

 僕は―――もとい、僕と母は、それを憂慮していた。

「ねぇ、母さん」

「うん?どうしたの?」

 助手席の窓に顔を向けて、奥行き感を持って延々と続いている樹海を凝視する。樹海は数メートル先までは何とか見えるが、その先は木立に隠れたり葉が光を遮ったりしているので、伺い知ることはできない。その手前側には、情けない顔をした僕が窓に反射している。

「父さんもさ―――父さんも、今の僕と同じ気持ちだったのかなぁ」

 母の方へ顔を向けないまま、僕は質問を投げかけた。

 母の顔を見るのが、怖かったからだ。

 場違いに明るいFM放送と、単調なエンジン音が少しの間、僕らの沈黙を埋める。

「そうね、きっとそうだよ」

 車は今、ようやく樹海を抜けて、大きな国道へ出ようとしていた。頭上には青看板が浮かんでいて、T字路の方に国道の番号が記された逆三角形が示されている。

 ぽつりと耳の中へ入り込んできた母の言葉。

 それは、僕の心をしくしくと痛めた。

 

 


 

 

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