灰色の水塊

No.2149

第1話 魔術能力検査

 隔離チェンバーの中は、いつも通り少し蒸し暑い。今が梅雨というのもあるだろうが、この周りにはたくさんの機械が熱を放出しながら然るべき機能を果たしているせいでもあるだろう。

 一平方メートル程度の箱の中、僕は深く呼吸を繰り返し、今日のテストの開始を待っていた。

 チェンバーは前方百八十程度は透明なアクリル板が張ってあり、室外の様子が見える。ここから見える風景の大部分は、ただただ広いグレーの床だ。よくよく観察すると床板は格子状になっていて、それがいくつも連結してこの無味乾燥かつ広大無辺な床を構成していることが分かる。

 床と直角を成して立ち上がる壁の一部はせり出しており、透明なガラスや屋根が組まれて一つの大きな部屋のようなものを形成している。その中では、白衣を着た研究職員たちが、パソコンを操作したり、ホワイトボードに何かを書き込んでいるのが見えた。

 ここへ何度か来て、あの部屋はこれから行うようなテストで叩き出された結果を集積し、解析するためのオペレーションルームだということは当然知っていた。そのせり出しの真下には、何かのために使うであろうパイプがいくつもへばりつき、機械的な線形で曲がりくねってどこかへと繋がっている。

 そのどれもが数ケ月に一度のテストで見るいつもの風景だ。

 そして、体のいたるところに繋ぎこまれた電極や、頭に被さる不格好なヘッドセットが僕に不快感を植え付けるのも、またいつものことだ。

 

 ヘッドセットのスピーカーがやおら音を鳴らす。

「お待たせしてすまなかった。これより、魔術能力テストを開始します。よろしくお願いしますね」

 先程のオペレーションルームを見ると、米粒のような職員が、こちらに向かって何かを話しかけている姿があった。彼はこの煩雑極まりないテストを統括する立場の人間らしく、僕がここに来ると大体あの眼鏡のおじさん職員が応対する。

「それでは、あなたの名前と年齢、能力名、日本魔術規制委員会の定める魔術レベルを、順に話してください」

 僕は一度深呼吸し、職員の指示に従う。

「酒匂瑞樹、十七歳、スクウォート、レベル4」

「―――はい、結構です」

 はるか向こうに見える豆粒の研究員は、クリップボードに乗せた何かの書類を確認した後、平板な口調でそう言った。僕は一つため息を吐く。

 このテストの前はいつもこういう名乗りと僕自身の情報の開示を要求される。そんなことわざわざ言わなくても向こうだって知っているはずなのに、なんでそんなことをするのか―——僕はもうこの時点でうんざりしていた。

「それじゃあ酒匂君、今日もよろしくね」

「はい」

 必要最低限な声量で、僕は隔離チェンバーのマイクに返事をした。

 僕は左手の手首を右手で擦った。妙に冷たい肌の感触が、どこか不思議だった。

「それでは、現在あなたが持っている魔術を全力で使ってみてください。遠慮は要りませんよ」

「・・・わかりました」

 いつも通りのテストが、いつもと同じ具合に始まる。

 しかし、ここからは流石に適当に流しておくわけにはいかない。あのオペレーションセンターには多くの研究者がいて、僕の事を具に記録している。公的な記録が残るものだし、それなりにきちんとやる必要がある。

 まずは一度、大きく深呼吸をする。これで、精神を集中させる。

 すると、心臓の辺りから何か熱のあるものが腕を通り、手の先の方に流れていくのがわかる。その熱は、心臓がドクンドクンと鼓動するたび、手の先端へと集まっていく。

 よし、これくらいでいいだろう———十分に熱量が集まったと判断した僕は、電極だらけの両手を胸の前に出し、数センチ程度の隙間を作った状態で静止させる。すると、心臓で生み出された熱が、左腕から左手、そしてその隙間を飛んで右手に乗り移り、右腕を通ってまた心臓の辺りに戻ってくる。その行程が繰り返される。さながら僕自身がドーナツ状のパイプで、その中を質量のある鉄球か何かが絶えず転がっているような感覚を覚える。僕を循環するものは、その速度と重みを徐々に大きくしながら、高速で僕の体を駆け巡る。

 次第に、僕が掲げた右手と左手の間に、仄かな青い光を放つ球体が形成される。その球体の表面にはいくつもの波紋が生まれ、互いに干渉しあって複雑な幾何学紋様を作り出している。

 空中でふわふわと浮き上がる球体に十分なエネルギーが宿ったと認め、僕は球体を虚空へ優しく放り投げる。その後間を置かず、右の腕を頭の上に高く掲げ、それを弧状の軌跡で腰の辺りまで降り下げる。これにもコツがあって、あまりにも線形がまっすぐでは能力が落ちてしまう。この速度と線形が、レベル4の力を最も効率よく出せるのでできればそうしてほしいと、あの豆粒のような研究員さんが前に言っていた。

 次の瞬間、僕の前に浮いていた青い球体は銃声のような鋭い音を立てて弾け、今閉じ込められているチェンバーの半径1メートル辺りから膨大な量の水が突如として発生した。

 空中で生まれた水塊は、轟音と共に真下に広がるグレーの床へ落下した。水はエネルギーを持て余したように、津波のような勢いで瑞樹がいるチェンバーとは反対側向の壁めがけて驀進していく。途中壁面に飛沫を上げてぶつかった水の塊は、まっすぐ向かう水の流れと直角に近い角度でぶつかり、複雑に入り組んで立体的なうねりを形作り流れていく。まるでダムの放流か、大雨の暴れ川のように見える。

 そして、向こう側にある的に水の塊が衝突する。その時の音は、水の音というより、ミサイルが着弾したかのようなきなくさい音がした。少しだけチェンバーが揺れ、アクリル板がみしみしと音を立てた。

 最大威力の魔術を放出しきった僕は、最後に深い呼吸をする。

 精神は落ち着いている。その静謐な僕だけの世界に、ヘッドセットのスピーカーから騒々しい雑音が踏み入ってくる。これはオペレーションルームの研究者たちの声だ。何やら聞いたこともないテクニカルタームを駆使し、声高に連携を取って作業しているらしき雑然とした雰囲気が感じ取れた。

「結果出ました!ディスプレイに映します」

 結果が出たらしく、豆粒のごとき科学者が皆オペレーションルームの前部に集まっている。ここからは分からないが、恐らくあそこに全体の情報を見せるためのディスプレイがあるのだろう。

 ヘッドセットからは、それを見た科学者たちの感嘆の声が漏れ聞こえた。

「スクウォートの威力・・・まさかこれほどとは」

「すごい・・・これはちょっとした津波と同じレベルだ」

「間違いなく彼は、国内最高レベルの水系能力者ですね!」

 ヘッドセットから聞こえてくる幾つもの声は、どこか喜んでいる。

 それに対していい思いはしなかった。子供のようにはしゃぐ大人たちをみて僕は舌打ちをしたくなったほどだ。僕にとってこれ以上無いほどの悩みの種を、あの白衣の人間たちは無邪気に称賛しているのに、虫唾が走った。

 仕方なく、僕は深いため息でその思いを打ち消した。

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