第10話 その睥睨は正当か?

 僕の父親は、高レベルMAPにとって最も恐れなくてはならない異常状態、リミットブレークによって死んだ。


 リミットブレークとは、増大した魔力を体が制御しきれず、本人の意図しないタイミングで魔術が発現してしまう事象のことだ。もちろんこれはどのレベルMAPでも起こりうることなんだけど、魔力が低レベルである場合は対処法が何通りもあり、加えて魔力の意図なき発露があったとしても、それほど大事にならない事が多い。

 だが、魔術のレベルが高い場合はそうも行かない。あまりに強すぎる魔力は抑える術があまりないので難しい。しかも、もしも魔力が溢れ出ることがあるとするならば、その周囲にいる人間の命に関わる。

 魔術レベルが高いということは、そういう紙一重のところで生きている、とも言えるのだ。


 そんな最も気をつけるべき失敗を、僕の父はしでかした。町中で、スクウォートを暴発させてしまったのだ。家族連れが賑わうショッピングモールには轟轟とうねる水の塊が突如として現れ、阿鼻叫喚が幾重にも響き渡る地獄と化したのは言うまでもない。

 結果、死者四人、怪我人二十数人を出す大惨事となった。その死者四人の中には、僕の父も含まれている。自らが生み出した波濤に飲み込まれ、溺死したのだ。その時の直近の検査での父親の魔力はレベル6だった。聞いた話では、母との婚約話が出た頃から、少しずつリミットブレークの兆候が出始めていたのだという。

 そんな事故を引き起こした人間を父の持つ僕は、当然のように恐怖に怯えていた。レベル6と言えば、僕の一つ上の魔術レベルだ。僕もあと一段階上がれば、父と同じくいつかはリミットブレークを起こして他の誰かを殺してしまうのではないだろうか?いや、そもそもその時に僕の命もまた潰えてしまうのではないだろうか?

 そんな言い知れぬ恐怖に苛まれ、あの手紙を読んでから僕は自分の魔術を恨んだ。灯りの無い自室に籠り、自分の不遇を憎んだ。


 だけど、母は気丈なもので僕をやさしく、しかしやや強引に居室から引っ張り出した。母の言う通り、レベル5になった僕にはいくつか早急にやらなくてはならないことがあった。


 委員会からの手紙が来た次の日、僕は母の言いつけ通り学校を休んだ。母も午前中だけ有給休暇を取ったらしい。

 僕らは藍沢市役所に行き、必要書類を提出した。僕が常に携行するよう言われている魔術能力者証明書の更新をするためだ。平日だったので人もまばらで、待ち時間は思ったより少なかったので、その点についてはストレスも少なかった。

 しかし、窓口でレベル5になったことを告げた瞬間、対応した市役所職員の顔が固まるのがわかった。それだけでなく、後ろの方で夫々業務をしていた職員たちも、椅子から立ってこちらの様子を伺ったり、こちらに聞こえないように何かを話しているのが見えた。確かにレベル5のMAPは日本全土を見回しても少ないだろう。だけど、あんな好奇の目に晒されてはたまったものではない。


 気まずいような虚しいような気分にはなったものの、ほぼ午前中のすべてを費やし公的手続きは終了した。午後から出勤する母が職場へ行く道すがら、商店街の端に店を構える小さな魔術装具店に僕を下ろし、地方銀行のロゴが入った封筒を手渡すと、そのまま会社のある方面へ走り去っていった。後の手続きは新しいリングの購入だけなので、それは自分でやれ、ということらしい。

 その店は商店街の外れの方に位置している。中に入ると、普段僕が付けているような魔術力を抑制するリングや、逆に魔術を増強するための仰々しい道具がずらりと並べられていた。中には何に使うかさっぱり分からない大仰な器具も置いてあったりもする。商売っ気のなさそうな古い店らしく、そこはかとないカビ臭さを感じる。近くを見ると、一部の商品には微妙に色合いの違う何層もの埃を被っているものもある。店という雰囲気は一切なく、どちらかというと何だか人の家に上がりこんでいるみたいな気がして、少し居心地が悪かった。

 客の気配を感じ取ったのか、居住スペースと思しき奥の部屋から初老の店員がのんびりとした足取りでやってきた。よれよれのYシャツにくたびれたスラックスを組み合わせた出で立ちは、おおよそまともな商いをしようという気の感じられないものであった。

 今日来ることは既に連絡済みだったので、日本魔術規制委員会から送られてきた書類と先程役所で更新した魔術能力者証明書を提出すると、驚くほどスムーズに新しい魔術抑制リングが手渡された。真新しいリングを左手首に巻くと、ひんやりとした冷たい感触が体の中を駆け抜けた。

「どうかね、塩梅は。窮屈じゃないかい?」

 おじいさんの店員は、分厚い眼鏡の奥からねっとりとした視線を僕に向ける。

「・・・大丈夫そうです。ちょうどですね」

「あぁ、そうかい。それじゃあ一旦それで付けてみて、違和感があったらまた来てちょうだいよ。一回までは無料で調整するからね。それじゃあ、今回のお会計はこちらになります」

 店員が旧式のレジスターをパチパチと弾き、液晶画面に合計金額が表示される。

 それを見た途端、僕は腰が抜けそうになった。

 高い、あまりにも高い。

 少なくとも、僕はこれほどの額を自分の買い物で使ったことはない。あまりにも日常生活からはかけ離れた額なので比較しうる対象もなかなかないのだけれど、最新型フラッグシップスマートフォンくらいの額だな、ということくらいは分かった。

 母から渡されたお金で足りるだろうか―――僕は一抹の不安を覚えた。封筒から紙幣をつまみ出し、札の枚数を数えてみる。不安は杞憂だったらしく、魔術装具については無知蒙昧な僕には法外ともぼったくりとも思える金額をわずかに上回る額のお金が入っていた。そのお金を差し出し、目玉が飛び出すくらいの金額のやり取りとは思えぬほど、淡々としたやり取りで会計は終わった。


 店から出て、僕は帰路に着いた。商店街から家までは歩いて二十分程度なので、十分に徒歩で帰れる距離だ。今日も空は濃淡のある灰色の雲が占拠しており、地上では高湿度に起因する蒸し暑さが充満していた。少し歩くと否が応でも汗をかき、背中が湿ってきた。だけどこれは、単純に体を動かして発汗しているだけではないことを、自分でもよく分かっていた。

 決して裕福とは言えない我が家で、これほどのお金を捻出するのは間違いなく難儀である。僕が高レベルの魔術能力者であるばかりに、母には多大なる迷惑を掛けている―――そういう負の思いに襲われ、あっという間に僕を乗っ取り、さんざんに僕を苦しめた。


 次の日は普通に学校に行った。学校の様子は色々なところで変化していた。

 まずはこの前僕の魔術と楠木の魔術が衝突した場所では、早速補修工事が進められているらしい。パイロンが置かれ、マジックペンで書かれた「立入禁止」の紙が貼られている。

 また、先の事件の発端となった楠木とそれを煽った連中は、事前の噂通り停学処分となったらしい。ただし、上村綾音たち女子グループは誰一人実害的な咎めの対象には入らなかった。扇動したのは彼女たちのはずなのだが、あくまで実行犯とその周辺だけを罰したのか、あるいは上村たちが女子だから先生たちも手心を加えたのかは分からなかった。


 そして僕にとって驚いたのは、朝一番の上村綾音の急襲である。

 それはいきなりやってきた。僕が教科書類を机に格納し、トイレに行こうと教室を出た途端、別のクラスの知らない男子たちが僕の前に立ち塞がった。その顔は何故か引きつっている。突然の事態に呆気に取られていると、彼らは強引に階段の踊り場へと僕を引っ張っていった。そこには上村とその一派の尊大に僕を見下す目線があり、目の前に連れてこられた僕はこの一団に文句や怒りをぶつける前にビンタを食らった、という具合だ。

 上村の暴力に容赦はなく、頬を打たれた衝撃で僕は思わず踊り場に倒れた。コンクリートの壁面に乾いた音がぶつかって跳ね返り、いててと言いながら床にうずくまっていると、上村は見下した視線をそのままにして話し始める。

「酒匂瑞樹―――これは私に恥をかかせたお返し」

「何なんだよ、これは」

「一昨日はよくも私に貧乏くじ引かせてくれたね。あんたと楠木のせいで、無関係のあたしまで先生に怒られることになったじゃん。私がどんな思いだったかわかるかい?しかも、あんただけ何の罰則も無いなんてホント理解できないんだけど」

 何という理不尽な言い草だろうか。

 確かに、楠木はもちろんだが、僕だって不用意に校内で魔術を使ったのは落ち度かもしれない。だけどそもそもの原因を作った楠木を扇動したのは上村綾音だ。こいつが馬鹿な楠木をたぶらかし、周りを囃し立てさえしなければ、怒声に晒されることもなかったはずだ。

 自業自得以外の何者でもない。

 だが、美貌を鼻にかけて世間を見下し、ご都合主義で世を渡り歩いてきた上村にそんな負い目のようなものは備わっていないらしい。

「てか、あんたさあ、無口のキモ男のくせに魔術持ちとか生意気過ぎなんだよ。あんたのこと今まで眼中に無かったけど、私をここまでコケにしてくれた罪は重いよ?」

 上村の言っていることは滅茶苦茶だ。

 だけど何故こんな滅茶苦茶なことがこうも平然と上村がやっているのかは、大体わかる。恐らく、停学処分となった楠木たちに向ける道理なき怒りを、類似品たる僕に向けている、といったところなのだろう。

 上村はようやく立ち上がった僕に近づき、胸ぐらを掴んだ。びりびりと緊迫した雰囲気に似つかわしくない、ふわっとしたいい匂いがする。

「酒匂瑞樹、徹底的にあんたをいじめて、私を辱めた罪を償わせてあげる」

 相変わらず綺麗な瞳で僕を睨んでいる。僕は冷や汗が出てきた。

 上村の周りには、楠木の代替とでも言うべき男子たちが並んでいる。こんなに邪悪で性格が悪くても、上村綾音はみんなのアイドルなのだろう。彼らは彼女の男子格付けで楠木一派の次に属する輩らしく、繰り上げ当選で上村の脇にいることを許可されているらしい。上村の威を借り、そいつらも一緒になって打ち据えられる僕へやいのやいのと罵倒している。

 集団になって意味の分からないことをネタにして罵る彼女たちに、僕も少し腹が立ってきた。

「・・・別に、僕はお前から仕返しをされる筋合いは無い。悪いのは楠木たちと、お前たちだろ?自業自得だよ」

「は?あんた私に逆らう気?ゴミクズのくせに私に歯向かうなんて何様のつもりだよ!」

 上村は、力の限り掴んでいた僕の胸倉を思い切り突き飛ばした。僕はまたしても踊り場の冷たい床へ倒れた。頭がぐらぐらとしてくる。僕を取り囲む連中が、けらけらと嘲りに満ちた笑いをこだまさせている。

「ふん、いいザマだね。いい?またこんなことされたくないなら、私のことをもっと崇め奉ることだね。さもなくば、私またあんたの頬をひっぱたきたくなっちゃうかもね」

「くそ、散々勝手なこと言いやがって!」

 僕に向けられた哄笑に、柄にもなくキレた。すると、周囲にいる人間は僕が魔術を使うと思ったらしく、僕を取り囲む円をやや大きくして距離を取った。

「・・・ちょっと、魔術なんか使う気ないくせに、驚かせないでよ」

 流石の上村もちょっとビビったらしく、一歩二歩と後ずさりしている。だけど、上村もどうせ僕に魔術を使う気なんてさらさらないことを何となく知っているようで、挑発と睥睨の姿勢は緩めない。この前魔術関係で学校で騒ぎがあったわけだし、ここでまた魔術を使ったら今度は僕が針の筵になるだろう。

 いくら怒りが僕の中に巻き起こっても、ここで魔術を使うわけにはいかない。

「まぁいいや、これ以上はまた次にしようっと!あんたを怒らせてまた魔術なんか使われたらたまんないわ。おーこわ、これだからMAPは嫌だねえ。みんな死んじゃえばいいのに」

 いつもの高笑いを響き渡らせ、上村一行は辺りの人間を退かせて踊り場を去っていっく。

「酒匂、今度からは綾音ちゃんと俺らの前では口を慎むこったな」

「自分が綾音ちゃんに何をやらかしたか、しっかりと反省しろよ!」

 上村綾音の傀儡の一人が、調子に乗って僕に捨て台詞を吐いた。

 僕は周りを見た。廊下を通る人々は、僕と目があった瞬間に目をそらし、無言でどこかに立ち去っていく。それだけだ。


 やはり、僕はどうやったって普通の人間からは軽蔑の眼を向けられてしまうらしい―――そんなことを強く思わずにはいられなかった。

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