第58話 学園の姫と海辺で過ごす
「ねえ、そうだ、海へ行ってみない?」
健人は、休日の前に茜に提案した。もうすぐ夏が終わってしまうが、夏らしいことを何もしないまま季節が秋に変わってしまうことが、名残惜しかった。そんな気持ちになったのは、茜のせいだった。
「あら、今頃海へ行くの?」
「一緒に海でも眺めて、チョット夏の気分を味わいたくなったんだ。いいだろう?」
「そうねえ。じゃあ、休みの日に行ってみようか」
ということで、健人の思惑通りに話が進み、二人は海へ行くことになった。
「もうすぐ夏も終わりなんだね。人影が少ない……」
「なんだか、もの悲しいわねえ」
ここ湘南海岸では、九月も終わりに近づくと、遠くの方にサーファーの姿が見えるだけで、海岸を歩く人の姿はまばらになった。時折近所の人が、犬を連れて散歩している。水着姿で海水浴をしている人はほとんどいない。
健人は靴を脱ぎ、波打ち際まで行った。そのまま、波が来るのを待つ。足の裏に、まだ暖かい砂の感触が伝わってくる。
ザーッと大波が来て、足首に白に波が打ち寄せた。
「わあっ!」
それを見ていた茜もサンダルを脱いで、波打ち際まで寄ってきた。スカートの裾を持ち上げて、波が来るのを待っている。
「ほら、大波が来るよ!」
「うわっ!」
ザバーンと波が来て、今度は膝頭まで水が押し寄せた。
「わあ~~っ」
健人は、慌てて後ろへ下がった。短パンを履いてきたのだが、祖のズボンのすそまで波がかかってしまった。
「結構、大きい波だったわ」
茜も、急いで後ろ向きに走ったが、スカートの裾は濡れてしまった。それでも健人は、再び波打ち際まで行ってみた。大波が来たら、少しだけ後ろへ下がる。そうすれば、それほどひどく濡れることはない。
「大丈夫だよ。来る前に、さっと逃げれば」
「あら、本当ね。面白い!」
二人は、何度も何度も波打ち際へ行っては、波が来るのを待ちバシャバシャと足を濡らしては、波で遊んだ。
「少しだけ、海で泳いだ気分になった」
「そうお? 少しだけね」
二人は、そのまま裸足で砂浜を歩いた。日の光は眩しく、波が揺れる度にキラキラと太の光を反射して光の粒を放っている。
「海を見てると、気持ちが大きくなるなあ」
「そうね。遠くのほうまで行ってみたくなる。それに、空が広く見える」
大海原の向こうに、船が見える。
「うわ~っ! 船が見える!」
「嬉しそうねえ」
船を見て喜んでいる健人を、茜はおかしそうに眺めている。海にぷっかりと浮かぶ船は、遠くで見ると何だかおもちゃの船のようでもある。
「また来られるといいね」
「来られるに決まってるじゃない」
―――そう、きっと来年もここへ来ることができる。
―――そう、僕は信じたかった。
―――この時茜さんは、父親から一年間英国に留学するように言われることをまだ知らなかった。
―――事前に知らされていた僕は、彼女との思い出を作るために、ここへ来たのだ。
―――彼女の姿を胸に焼き付けるために。
「絶対二人で、ここへ来るって約束だよ」
「うん、分かった」
「よかった、よかった……」
健人の目からは、涙が溢れて止まらなくなった。
―――ああ、茜さんに不思議がられてしまう。
―――隠しておかなければならないのに……。
「変な健人ねえ、そんなに感激しちゃってるんだ」
「まっ、まあね」
「よっぽど私といるのが嬉しいのね」
「ん、まあ、そうだな」
外国へ行き視野の広い人間に育って欲しい、語学力を身につけさせたい、という両親の願いで、茜さんは来月から英国留学することになっている、と先週告げられた。当の本人だけがまだ知らないままだったのだが、好奇心の強い茜さんの事だから、きっと了解するだろう。
「茜さん、あの船に乗ると外国へ行けるんだろうなあ」
「どうかしら、外国行きだかわからないわよ、健人」
「行けたら、行ってみたい?」
「そうねえ、行ってみたいわね」
―――やっぱりなあ。
―――茜さんは外国へ行ってみたいんだ。
―――一年間のお別れだ。
―――ああ今まで楽しかったなあ。
―――彼女のために苦労したことは、今となっては良い思い出だ。
―――これから一年間、僕は何を頼みに生きればいいんだ!
健人と茜は、全く別の思いを胸に海岸を歩き、家路についたのだった。
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