第55話 学年の姫は神楽坂の心変わりに驚き涙する
学校でのことだった。神楽坂が健人と茜の傍でこういった。
「俺、まきちゃんと付き合うことにしたんだ。彼女から付き合ってほしいって、告白されちゃってさ……」
茜は一瞬言葉が見つからず、表情が固まった。
「へえ……。神楽坂がまきちゃんと……」
健人もびっくりして、つい大声を出した。
「えっ、嘘だろう」
健人は、まきが神楽坂に気があるのは分かったが、その気持ちを受け入れ、本当に付き合うことになるとは思ってもみなかった。神楽坂の心はてっきり茜だけに向けられているものと思い込んでいた。他の女性の入る隙などないと信じ、警戒していた。それが、まきに告白されたから、ハイそうですか、では付き合いましょうといって付き合うなど、冗談だと思った。
―――それなら、今までの茜に対する気持ちは何だったのだろうか!
―――いい加減な気持ちでだったのだろうか!
―――そして、それに振り回されてきた俺たちは、何をしていたんだろう!
驚きは次第に猜疑心に、そして怒りに変わっていった。
―――本気で付き合うつもりなんだろうか。
―――もしや、茜さんの気を引こうとして、付き合うふりをするつもりなんじゃないか。
―――それじゃあ、あまりにまきちゃんがかわいそうだ。
「おい、神楽坂! 本気で言ってるんだろうな」
「ああ、本気だよ。俺は嘘や冗談で、女の子と付き合ったりはしない。俺の心はいつもピュアだ」
―――どこが、ピュアなんだか知れたものではない。
「お前、まきちゃんをからかうつもりで付き合ったら、彼女を傷つけることになるんだぞっ! 分かってるんだろうなっ!」
「ああ、そんなことはないから、心配ご無用だ。それに、誰と付き合おうが、お前に心配される覚えはない」
「何だよ。わかった。この前までは茜さんに夢中だったのに、どういう心境の変化だ?」
「まきちゃんの純粋さと、心の美しさに気がついたんだ。彼女に告白されて、嫌な気はしなかったしな……それなら付き合ってみるのも悪くないかなと思ったんだ」
「俺はてっきり……」
神楽坂は、健人の顔を覗き込むようにいった。
「彼女の気持ち、お前も気づいてたんだろ? 俺が断ると思ったんだな」
「……まっ、まあ。そんなところだ」
「今でも茜さんと付き合いたい気持ちは、充分あるけどな……。でも、いいんだ。まきちゃんと付き合ってみることにしたんだ」
「そりゃそうだが……」
健人はその説明を聞いても、全く納得できなかったが、これ以上は訊かないことにした。
―――・―――・―――・―――・―――
そして、その日の放課後、思いもしないような出来事が起こり、みんなを驚かせた。それは、帰りのホームルームが終わり、生徒たちが廊下へ出始めた頃の事だった。
神楽坂がまきちゃんを呼び止めた。
「まきちゃん、これが俺の答えです!」
そう言うなり、彼はまきのそばへ近寄りおもむろに顎に手をすっと伸ばした。きょとんとしているまきにそのまま接近して、唇にいきなり自分の唇を近づけた。
―――この体勢って、な、な、な、何だ!
―――ひょっとして!
―――やっぱり、そうなのか。
そして、神楽坂はまきの顔に最接近して、彼女の唇に己の唇を重ねた。二人のシルエットは一つになっていた。まるで、映画の一シーンのようだった。
―――うわっ、こんなことって!
「あっ」
健人はとっさに声を出してしまった。その声に気付いた周囲の生徒たちの視線が、先ずは健人に集まり、次に健人の視線の向かう方向へ移動し、二人のところで彼らの視線が止まった。
「うをっ!」
「え~~っ、何、何、うっそ~~~っ!」
「まきちゃんと神楽坂がっ!」
「ああ~~っ」「きゃ~~っ!」
彼らは口々に歓声とも、驚きともつかぬような声を上げた。二人の唇はくっついたままだ。まきちゃんは、相変わらずきょとんとしているが、その表情は嬉しそうだ。いったん彼は、体を放したが、皆の視線が二人に集まると、再びまきの唇にキスした。ぎこちない動きだったが、堂々としていた。周囲に有無を言わせないような、何か悪いことしてる、別にいいでしょ、と言わんばかりの雰囲気だ。
廊下の雰囲気に気付いた茜も飛び出してきて、その光景を目にした。
―――あ~~っ、茜さん。
―――こんな二人の様子は見ないで欲しい。
「茜さん、見ないほうがいい!」
健人はつい、口に出してしまったが、彼女の視線は二人のところで止まっていた。
「あっ」
茜も言葉が出なかった。
―――茜さんは神楽坂の事など、何とも思っていないはず。
しかし、健人はこの光景を目にした時の、彼女の気持ちは気がかりでならない。
「茜さんっ……」
彼女は、呆然と立ち尽くしている。その顔は赤らんでいる。じっと唇を噛み、その眼には、ああ、涙があった!
―――あってはいけないものだ!
―――ああ、なぜだ!
―――なぜ涙が溢れているんだ。そんなのおかしいじゃないか!
健人は茜の傍へ寄った。
「あいつらこんなところで、何やってるんだよ。全く、茜さん、気にするなよ!」
健人は、茜をそっと抱きしめようとした。その瞬間、彼女は健人の腕を振り切って二人の姿から離れるように、走り出した。
―――えっ、なぜ。
―――茜さん、俺の手を振りほどいて、行ってしまうんだ!
健人はぼおっとしていたが、すぐ我に返り彼女の走り去った方向へ、全速力で走り出した。
「茜さん! 茜さ~~ん!」
―――これはどういうことだ!
健人は、息を切らせて走り、ようやく彼女に追いついた。
「どうして、どうして、茜さん! もしかして、神楽坂の事がっ!」
―――好きだったんじゃないのか!
―――だから、涙なんか流してるんじゃ……。
―――そんなの、嫌だ!
「べ、別に、好きじゃないけど、あんなやつ。だけど、悔しいじゃない、みんなの目の前で、そして私の目の前で、あんなものを見せつけるなんて!」
「悔しかっただけ? 本当にそうなの?」
「ま、まあ。そうよ」
それでも、彼女の涙の理由は気になって仕方がない。今度こそは……健人は、茜をぎゅっと抱きしめた。そこには誰の目もなかったが、涙を一杯目に貯めた茜は、思わず健人の胸に顔を埋めていた。
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