第50話 学園の姫と裏山へ行く

「暑いねえ、健人……」

「うん、暑いね、茜さん」


 言葉に出しても暑さが収まるわけではないが、ついつい口に出してしまう。本当に暑いのだ。それでも、授業が終わるまで、外へ出ることは許されない。黙って脱走などしたら、大騒ぎになってしまうから、どんなに暑くても、授業に出なければならない。


 健人も茜も、学校が始まり、暑い夏の熱気にあぶられながら登校していた。朝の早い時間はまだいいのだが、昼過ぎになってくると、その熱気は半端ではなかった。暑いという言葉が、生徒たちの挨拶の代わりになっていた。


「何処か涼しいところはないのかしら?」

「涼しい所ねえ」


 クーラーの効いた図書館ぐらいしか思い浮かばないのは、悲しいことだ。今の時期、屋外で涼しい所など、そうない。家で、エアコンを付けていいるのが、一番涼しいかもしれないが、それではつまらない。


「そうだ、放課後学校の裏手を探検してみようか」

「学校の裏手に、何かあったの?」


 殆どの生徒は気に留めないが、この学校の裏手はちょっとした丘になっていて、緑地が広がっていた。公園のようでもあるが、高校生はあえて散歩しようという気にはならず、健人も今まで一度も立ち寄ったことがなかった。


「公園のようだけど、木が生い茂ってるから、少しは涼しいかもしれない」

「へえ、じゃあ、行ってみようかな」


 二人は、放課後になると学校を飛び出すように出て、裏手に回った。目の前には、大木がそびえていた。


「へえ、凄いところがあったんだな」

「行ってみよう」


 道は曲がりくねっていて、上り坂になっていた。歩いていると、息が荒くなっていった。


「見た目よりもきついな」

「ふ~っ、汗かいちゃった」


 周囲には木が多いので、道は日陰になっている。それは良かったのだが、坂道を上っていると、かなり暑くなってきた。立ち止まってみると、眺めがよくなってきた。学校のグラウンドや、校舎が見下ろせる。


「あれ、向こうからも見えるんじゃないのか」

「そうかもしれないね」


 しかし、木が生い茂っているので、校舎の中からでは、ほとんど見えない。ここはちょっとした隠れ家になりそうだ。ある程度上ったところで、木製の小さなベンチがあった。二人がやっと座れるくらいの小さなベンチに座って、一休みした。


「ここは別世界だな、茜さん」

「ホント、どこか別の世界に紛れ込んだみたい。それに、日陰は少しは涼しいね」

「そうだね。クーラーの効いた部屋にはかなわないけど、自然の中の木陰もいいかもね」


―――こんなところで、茜さんと二人きりでいると、本当にうっとりした気持ちになる。


 誰にも邪魔されずに、安心していられる。


―――俺は、こんなところに来ないと、茜さんと二人きりになれないのか? 


―――そんなことはない。弱気になるな、健人! 


 と、心の中で、声がする。


「ヤッホー」

「楽しそうね、健人は……」


 健人は、立ち上がって思いきり伸びをした。


「もうちょっと上まで行ってみよう」

「は~い、健人様」


 茜が、立ち上がった。歩くのが大変そうなので、手を取った。


「あら、ありがとう。引っ張ってくれるの?」

「なんか、大変そうだから」

「そうなのよ。こう暑くちゃ、坂を上るのは大変よ」

「何か、付き合わせちゃったかな?」

「いいのよ。面白そうじゃない」


 健人は、茜の手を引きながら、ちょっと前を歩いて行った。誘った以上、エスコートしなければ、と元気よく歩き出した。さらに、木立の中を歩いて行くと、小さな岩肌が露出していて、横には穴がぽっかりと開いていた。


「何だろう、この穴は?」


 中を覗くと、途中から鉄格子がはまって、それ以上入れなくなっていた。


「防空壕か何かかしら?」

「そんなものかもしれない。ちょっと不気味だな」


 暗い洞窟の中には、湿った空気が漂っていた。すると洞窟の奥には黒いものがぶら下がっているのが見えた。あれは、こうもりなのか?


 鉄格子の奥に目を凝らすと、突然バタバタと音を立てた。


「ギャッ!」


 茜が悲鳴を上げ、健人の手を思いきり掴んだ。その声に刺激されたのか、黒い物体が、ものすごい勢いで、こちらへ飛んできた。


「キャーッ! 健人―っ! 怖い、怖い―っ」


 茜は、健人に抱き着いた。黒い物体から、身を守ろうと顔を埋めている。


「だっ、大丈夫だよ! 俺が付いてるっ」


 健人にも、それが何なのかはわからない。多分コウモリだろうと思っただけだ。


「わ、わ、わ、わ、どうしよう~~~っ! 助けて~~~っ! あ~~~っ!」


 茜は、もうほとんど悲鳴を上げながら、健人に抱き着いたまま離れない。これはじっとして、あいつらが大人しくなるのを待つしかない。健人も怖かったが、茜の頭や背中を撫でて気持ちを落ち着かせようとした。


 コウモリたちは、再び洞窟の奥にぶら下がり、動かなくなった。彼らも突然の侵入者に驚いたのだろう。


 茜は、まだ事態がわからずに、健人に抱き着いたままだ。健人は、暫く黙って、髪の毛や肩を撫でていようかと思った。


「あの……」

「なに?」


 健人は、まだ髪の毛を撫でていた。茜は黙っている。


「えと……」

「うん……」


 茜はまだ抱き着いている。さらに、髪の毛や背中を撫でた。


「あのさ……」

「ふん……」

「茜さん、もう大丈夫だよ」

「あt、ああ、本当?」

「コウモリは、洞窟の奥へ戻った」


 茜は、ようやく健人の胸から顔を離して、目を開けた。


「本当に?」

「もう大丈夫」

「あ~、良かった。あっ、あたし健人に抱き着いちゃった」

「そうだね」


 自然に、抱き着いてくれたのが嬉しかった。いざという時には、頼ってくれるんだ、ということが分かった。


 すると、今度は健人が茜に抱き着いた。


「今度は、僕が……」

「あれ、あれ、健人! 何が怖いの?」

「いや、別に……」


 好きだから、という言葉は飲み込んだ。すると、今度は茜が、健人の髪を優しく撫でてくれた。

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