第42話 学園の姫とプールへ行き、龍と勝負する

「わ~いっ、素敵なプールねえ!」


 真行寺の妹、くららちゃんの声が響いた。ここは○○○ホテルのプール。今日は植松に招待されて、健人と茜、そして真行寺兄妹とやって来たのだ。日曜日のプールなのに、予約制になっているせいか、他には数人しか人の姿が見えない。室内プールだがガラス張りのため、外からの太陽光が降り注いで明るい。


「植松さん、ありがとう。こんな素敵なプールに入れるなんて、夢のようだわ」


 茜さんも、心からのお礼を言った。茜さんは、ビキニを着ていて、すらりとした体に、フリルの付いた水着がお洒落だ。綺麗な肌に、薄いブルーの色が映えている。脚が細い上にウェストが引き締まっているので、とてもスタイルよく見える。胸を露出し過ぎないような可愛らしいデザインだ。それでも健人にとっては、ほんの少し見ているだけで眩しくなるようで、魅了されてしまう。


「わあ、ここにタオルを置いておこう」

「まあ、まあ、慌てなくても、席はいくらでもあるよ、くららちゃん」

「ああ、そうだったのね。私って慌て者だわ」


 大急ぎでデッキチェアに駆け寄ってタオルを置いたくららに、植松はおかしそうに笑っている。彼も、健人と同じような短パンのようなタイプの水着だが、体にフィットしてかっこいい。


「植松さん、私泳ぎは全くダメなの」

「泳げなくても大丈夫だよ。一番深い所でも百五十センチぐらいだから、一応足はつくはずだよ。奥へ行くほど深くなってるから、手前の方で泳げば大丈夫だよ」

「そうするわ」


―――そうか、くららちゃん泳げないんだ。


「茜さんは水泳はどう?」

「まあまあ、かな」

「まあ、まあ、とは?」

「二十五メーターがやっと、かな」

「じゃあ、くららちゃんとあまり変わらないね」

「もう、健人。あんたはどうなの?」

「僕は、まあ、まあ、だ」

「じゃあ、泳いでみて」

「いいよ!」


 健人は、足からザブンと水に入り、プールのスタートラインに立った。思いきり壁を蹴ってできるだけ体を延ばして進んだ。暫く潜ってから顔を出し、クロールですいすいと水面を進んでいった。端まで行くと、ターンしてそのまま元の場所へ戻ってきて顔を上げた。


「わあ、すっごーいっ!」


 くららちゃんの歓声が聞こえた。


「へえ、健人やるわねえ。こんなに泳げるなんて、どうして今まで黙ってたの」


 茜さんも、手を叩いて喜んでいる。別に黙っていたわけではない。言う機会がなかっただけだ。


「それほどでもない。昔やってたもんで」


 すると、真行寺が水に入って来ていった。


「よーしっ、競争するか」

「えっ、競争?」

「やってみようぜ」


―――ウォーミングアップのつもりで泳いだら、彼の闘争心に火をつけてしまったようだ。


―――別に競争したかったわけじゃないのに……。


 すると、くららちゃんまでが、あおってきた。


「ねえ、ねえ、やってみて。どっちが早いか競争してみて!」

「……え、くららちゃんまで、そんなこと言って」


―――困ったなあ。勝ったら、真行寺が気まずい思いをするだろうし、自分が負けるのも悔しい。


―――八百長はもっといけないことのような気がするし……。


「よし、やってみるよ」

「そう来なくちゃ。手加減するなよ」

「君もね!」

「じゃあ、往復で五十メーターで勝負しよう」

「よしっ!」


―――本気の勝負をしていい、ということらしい。


―――勝っても負けても、真剣勝負だ。


 二人でスタート地点に並んだ。植松さんがスタートの合図をすることになった。彼はなぜか、この試合には加わらなかった。


「よ~いっ、スタート!」


 健人は、今度は本気を出して壁を思いきり蹴った。体をくねらせてできるだけ長く泳ぎ体を水面に出した。相手がどこにいるかは全く考えなかった。そのまま、クロールでどんどん水を掻いた。顔を出して呼吸した時には、真行寺の姿は見えなかった。ひょっとして、ずっと前にいるんだろうか。健人はさらにピッチを上げた。


「健人~~っ、頑張れ~~っ!」

「龍、頑張れ~~っ!」


―――茜さん、くららさん、植松さんの声援が聞こえてくる。


―――茜さんは、どちらの応援もしているようだ。


―――彼女の立場上、仕方ないのだろう。


「その調子よ~~! 健人~~!」

「龍君、頑張って~~!」


―――さあ、ターンだ! 


―――小学校時代選手として鍛え、中学生になってからも、毎年夏になるとプールに通っては勘が鈍らないようにしていた。


―――今こそ、その成果を出すのだ!



―――よーしっ、ゴールは目前だ。


 ラストスパートに入り、ぐんぐん飛ばした。先週の日曜日に練習しておいてよかった。


「ゴール!」


 植松さんの声が聞こえた。健人は、恐る恐る隣のコースを見たが、まだ龍の姿はなかった。


―――ひょっとして、俺の勝ち?


 後ろを振り向くと、龍が喘ぎながら水を掻いている姿が見えた。


 数秒遅れて、彼がゴールした。


「ゴール!」

「お疲れ様!」


 健人は、龍に声を掛けた。龍は、ゼイゼイ言いながら、健人の肩を叩いた。しかしその表情は、悔しさに満ちていた。


「健人さん、凄いですね」

「えへへ、ありがとう、くららちゃん」

「応援してたのよ」

「うん。声が聞こえてた」


 茜さんも、驚いていた。


「健人、さっきよりもすごいじゃない!」

「そりゃあ、最初のは、ウォーミングアップだから」

「見直したよ!」

「茜さんも、応援ありがとう」


 肩を落としている龍に、植松さんが言った。


「真行寺君もよくやったよ。健人君は選手だったんだろう。僕にはとても太刀打ちできないと思った」

「そうだったんだ。俺調子に乗って、試合をしようなんて言って」


―――みっともなかったな、馬鹿だったな、と言おうとしたのだろう。


「久しぶりにスカッとした。どうもありがとう、真行寺君」


 健人は、右手を差し出した。龍は健人の目をじっと見据えて強く握手した。執事の自分が彼よりも優位に立てたことが、誇らしかった。

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