第40話 これは妄想なのか現実なのか

「ただいまー」

「あら、お帰りなさい。こんな雨の中、大変だったでしょう?」


 玄関を開けて挨拶すると、母親がキッチンから顔を出した。


「う~ん、もう大変だった。学校は途中で終わったんだけど、雨がひどいから駅で雨宿りしてたんだ……」

「あら、あら、そうだったの。お疲れ様。あれ、健人、見慣れないジャージを着てるわね」

「茜さんを送って行って……。びしょ濡れだから貸してくれたんだ」

「まあ、可愛いジャージ。茜さんに借りたの。よかったわねえ。茜さんとはうまくやってるの?」

「まあまあ」


―――もう、最高のシチュエーションでうまくやったな。


―――これは、自分の脳内に閉じ込めておこう。


「夕食の支度が出来てるわよ。早く食べなさい」

「わおう! やったーっ」


 キッチンからは良いにおいが漂っている。健人は喜び勇んで、夕食にありついた。


「お父さんと同じところでアルバイトさせてもらえるなんてえ、ラッキーじゃない」

「ほんと、ラッキーなことだらけだ」

「あちらのお家に失礼が無いようにね」

「信用して。もうばっちりだから。茜さんとも仲良くしてるし」

「お嬢様だから、大変なんじゃない?」

「それほどでもない。結構楽しい人だから」

「お風呂は?」

「入るよ」

「じゃあ、今お父さんが入ってるから、次に入りなさい」

「オッケー」


 茜さんの家でシャワーを浴びたことは隠しておいて、再び風呂に入った。


 裸になると、先ほどの妄想がよみがえってきた。妄想はいいところで終わってしまった。風呂から上がった健人は、さっさと部屋に戻ることにした。


「じゃあ、今日はもう疲れちゃったから、部屋で休むことにするよ」

「そう。じゃあ、ゆっくり休みなさい」


 時刻は九時だったが、部屋に入りベッドに横になった。目を閉じると、茜がすぐそばにいて、健人のベッドに入って来た。


「えっ、どういうこと?」


「健人、いいから。今日は一緒のベッドでね」


 そして、体を滑り込ませて、健人の横にぴったり体をくっつけてきた。


「茜さんも、やっぱり僕の事が好きなんだね」


「もう、そんなこと、いいから、いいから。今日はずっと離れないわよ!」


「僕も。さっきはいいところで終わっちゃったけど、もう朝まで離さないよ!」


 健人は、体を起こして茜の上に自分の体を重ねた。体の下には、茜のふわふわして柔らかい胸と、お腹がある。手の力を緩めると、ふわりと体のぬくもりが伝わってきた。健人は、そのままぎゅっと体を抱きしめた。


「何だか、海で泳いでいるようだ」


「健人、私も海で泳いでるみたい。二人でふわふわ波に浮かんでるみたいよ」


「う~ん、僕の体が茜さんの体の上にある」


 健人は、これはまるでバタフライのようだと思った。



「うっ! 溺れちゃうわあ……」


「茜さん、僕の体につかまって! 背中に手を回して!」 


 茜は、両腕を健人の体に巻き付けてしがみついた。


「……う~んん……。こんなに体が近いわ」


「そりゃそうだよ。僕と茜さんの間には……何もないんだから。誰も邪魔するものはいない」


「しかも、体が、温かい」


「そうなの。僕が抱きしめてるからだ」


「ゆらゆらして、波に漂っているみたいだわ」


―――一緒に漂っていよう! 茜さんっ、茜さんっ、好きだよ、好きだ、好きだ~~~~~っ! この気持ちは止められないよ~~~っ!


「そんなに怖い顔をしないで! 健人!」 


「あ、御免」 


「健人ったら、くすぐったいわ」


 健人は、手の動きを止めた。


「か、可愛いね。何もかも全てが」


 健人はじっとして、茜の唇に自分の唇を重ねた。


「うん、健人。素敵……」


―――茜さんの、恥ずかしそうに俯く、そんな顔も可愛い。目は真珠のようだし、唇は柔らかくてマシュマロのようだ。髪の毛は、う~ん、何に例えられるかな、ふわふわの子猫の毛のようだ。


「ああ……。私、もうくらくらしてきた」


「僕も。今日は離さないからね」


―――健人ったら、そんなに私の事が好きだったなんて。私も、健人が好き。


「だったら、キスだけじゃなくて、その次も……」


「ああ…健人、そんなあ」


「だって、好きだから!」 


 茜さんの体がピクリと震えた。健人の体にしがみついた。


―――け、健人~~、あっ……。


 健人は、体中を逸らせて、ぴくつかせた。

 ふう~~っ。




 ッと、気がつくとベッドには自分だけが横たわっていた。


―――またしても妄想だったか。


 しかし、妄想にしては妙にリアルだった。俺は、茜さんの事で頭がいっぱいになってしまい、こんな妄想をするようになったんだ。でも、これは明らかに俺の願望だ。いつかはこうなりたいと思っていたんだ。今まで一緒にいて、よく平静を装っていられたもんだ。


 自分も取り巻きの連中と、いつからか同じになっていた。いつも一緒にいられるのは、執事としての特権なんだ! 今は、自分の気持ちを押し殺して、執事として傍にいるしかないが……。


―――茜さん! 早く僕の気持ちに気付いて……。


―――そして、僕の事が好きだと言ってくれえ……。


 健人は先ほどとは打って変わって、自分の可愛いジャージ姿を見つめた。いつも彼女が着ているジャージ、僕と茜さんだけのお揃いのTシャツ。今日は彼女に急接近できた。妄想だけど。今日は、自分だけの記念日にしよう。


―――このお揃いのTシャツは俺の宝物にしよう。健人の目はウルウルしてきた。


―――茜さん、さっきはごめん。驚かせちゃった。君の事は大切に思っているんだ。




 するとどこからか茜さんの声が聞こえたような気がした。


―――健人、許してあげるわ。だからいつまでも私の執事でいてね。


 その声は、健人の心の中に優しく響いた。健人の瞳は本当に涙で潤んでいた。健人は膝を抱えてベットにもぐりこんだ。

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