第36話 健人くららに告白される

 男たちのバトルを尻目に、くららが席を立ち、健人の席の方へ回り込み、耳元でそっと囁いた。


「あたしトイレに行きたくなっちゃったの。健人さん、案内してください」

「ああ、いいよ。着いてきて」


 健人は、くららと共にダイニングルームを出て、廊下をまっすぐ進んで行った。廊下の突き当りにトイレがあった。


「ここだよ」

「あっ。健人さん、あたしが出るまで、ちょっと待っててください。知らない家で、一人で戻りたくないの……。だって、トイレに入ってきたってばれちゃうでしょ」

「ああ、いいよ」


―――ばれて何かまずいことでもあるのかな。


―――誰でも、席を離れることはあるのに。


―――まあ、いいや。人じゃ心細いんだろう。


 と健人はトイレの前の廊下で、壁に寄りかかって待っていた。



 待つこと五分、いやもっとだろうか。まだ、出てこない。どうしたのだろうか、気分が悪くなってしまったのか。まあ、長いこともあるだろう。


 さらに、五分ぐらいが経過した。


「くららさん、大丈夫? 気分が悪くなったの?」

「大丈夫よ。ちょっと待ってね」


 すると、ドアがそっと開き、先ほどより血色の良くなったくららが健人の前に現れた。


―――あれ? 入る前とだいぶイメージが違う。


 唇にはリップクリームが塗られて、つやつやと輝いている。ほんのりと、頬にはファンデーションが乗り、肌のきめが整いトーンが明るくなっている。目元も心なしか潤んでいるように見える。先ほどより全体的にふんわりして、柔らかい感じがする。全身からオーラが発しているようだ。


―――お化粧直しをしていたのか……。


「お待たせしました。健人さん、ええと……健人さん、あのう」

「何かな?」

「聞いても笑わないでください」

「笑わないよ。言ってみて」

「そのう……二人しかいないから思い切って言います。健人さん、私と付き合ってください!」

「……僕と? 付き合う……」


―――そんな……即答できない。


―――しかしいつまでも黙っているわけにはいかない。


 断らなければ!と心が警告を発している。


―――だって、自分には茜さんがいるんだ。付き合うわけにはいかない!


 しかし、何と断わればいいのだろうか。はっきり断ってしまったらどんな反応をされるだろうか。

 そんなことを考えて、ぐずぐずしていた。


「すぐには……答えられませんよね……」

「ああ……あのう。あまりに突然だったので」


―――そう、今日会ったばかりだ。


 くららはそう言ってから泣き出しそうな顔になっている。必死に涙をこらえているようでもある。これ以上はっきり言ったら、涙がこぼれてしまうだろう。


「友達としてでもいいんです。いいえ、一つ年上だから先輩としてでも……」

「それなら……友達としてなら」


―――ああ、こんなあいまいなことを言ってしまったら、希望を持たせてしまう! 


「えっ、本当ですか」

「友達ですよ……」

「……うれ……しい……です。あたし、一目会った時から、健人さんが……」


 彼女の瞳の中で溢れそうになっていた涙が、もうそれ以上耐え切れなくなり、ぽとりとこぼれてしまった。ほとんど泣き顔になっている。


―――頼む! これ以上泣かないでくれ!


―――泣かれたら困るから、友達ならいいと言ったのに……。


―――まずいよ! まずいよ! ダメだ~~~! これ以上泣いちゃ!


 健人の意に反して、くららはしゃくりあげている。


 仕方なく、健人はクララの肩に手を置いて、そっと抱きしめた。すると、何ということか、彼女は健人の胸に顔を埋めて、頬を摺り寄せている。


―――こんなところで、こんなことになるなんて! 


 なかなか泣き止まないので、そのまま頭を撫でたり、背中をさすったりして、なだめていた。


「御免なさい……あたしったら……」

「まあ、いいから……暫くこのままで、落ち着いてから戻ろう」


 くららは、こくりと頷き、大人しく健人の胸でぽ~っとなっていた。


「健人さんの胸……あったか~~い」

「……」

「うっとりしてたの……」

「……」


―――いつまで、この状態で耐え続ければいいのだろうか。


―――完全に俺に甘え切ってしまっている。


 そろそろ戻らなきゃ。もう十分以上たっている。こんな長い間席を外したら怪しまれる。


「また会ってくださいね」

「まあ、いいけど」

「うれしい、です」

「……」


「あっ!」

健人は、絶句した。


「あっ、これには訳が……」


 人影はどんどんこちらへ向かっているが、健人の体は固まったままだ。


「あっ、あっ、これには……」

「健人君たち、どうしたのかと思ったら、こんなところにいたのね」


 人影に気づいたくららが、ようやく顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになり、抱き合っていたのでぽ~っと頬を上気させている。化粧は先ほどより濃くなっている。


「なかなか来ないから心配したんだけど、その必要は無かったかしら」

「いや、いや、いや、来てくれてありがとう。助かった」


―――茜さんに見られてしまった。こんなところを! 


―――すましているが、内心はきっと怒っているのだろう。


―――ああ、御免よ。


 後で弁明したらわかってもらえるだろうか。

 

 くららの方は、照れて泣き笑いのようになっている。


 ようやく気持ちが落ち着いたくららとともに、健人はダイニングルームに戻ることができた。

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