第30話 学園の姫は卓球の達人

 センチメンタルな気持ち一杯の夜を過ごし、うっとりした気持ちで家に着いた健人はその気持ちを抱きしめて眠りについた。

 今日はいい夢が見られそうだな、と布団に入ったのはよかったものの、つい寝過ごしてしまい、学校へ着いたのはぎりぎりの時刻だった。


 

 学校へ着くとクラスメイトから思いがけない話を聞いた。


「今日の体育で種目を選択しなきゃいけないのよ。覚えていた?」


 健人はゼイゼイしながら、あっそんな話があったっけと思い出した。


「卓球と柔道とダンスの中から自分の好きな種目を選ぶんだっけ?」

「覚えていたみたいね。もう決めたの?」

「あああ、どうしようかな。まだわからない」


 そんな話が前回の体育の授業の時にされていたが、うっかりして決めていなかった。


―――茜さんは何を選択するんだろうか。ダンスだろうか。


 急いで茜さんのところに行った。ホームルームが始まるまであと一分ぐらいしかない。昨日の夢のような場面を思い出してしまったが、茜さんはすっかりいつもの様子に戻っていた。


「健人は何を選ぶの?」

「まだ決めてなかった」

「今日は、希望を取って本格的に練習を始めるのは次かららしいわよ」

「茜さんは何を選ぶの?」

「私は卓球に決まり」

「卓球かあ。じゃあ僕もそうしようかなあ」

「私が卓球を選ぶって、意外だった? ダンスを選ぶと思ったんでしょ?」

「うん。まあ、そうだね。卓球なら僕にもできるから、同じのを選ぼうかな」

「楽しいわよ。一緒にやろうよ」


 と、こんな話をしていたらホームルームの時間になってしまった。その日は希望を書いて提出し、次回の体育の日から二クラスが合同で自分の選んだ種目別に分かれることになった。




 種目別の授業の日がやって来て、卓球を選択した生徒は体育館に集合した。体育館のステージ側にはダンスのグループが集まり、後方に卓球の選択者が集まることになっていた。


 茜と二人で夏用の短パンと半そでシャツでそこへ行くと後ろから呼び止められた。


「おい、お前と一緒なのか。卓球なんてやったことあるのか?」

「な、な、なんと。お前も一緒なのか!」


 そこには隣のクラスの神楽坂文吾の姿があった。


「茜さんと一緒に選択するなんて甘いな」

「何のことだ!」

「今にわかるさ。他の種目へ行った方がよかったってな」


―――こいつ何を言っているんだろう。


 するともう一人の強敵篠塚マコトがこちらを向いて睨んできた。マコトとは遠足の時の同じ班で行動したっけ。というか茜さんとよろしくやっていたんだ。マコトは挑むような眼で健人を見ていった。


「何だよ。また一緒かよ。いつも茜さんの傍にくっついてるんだな」

「余計なお世話だ。お前こそ一緒にいたいから卓球を選んだんだろ。柔道の方がお似合いだぞ」

「お前こそ。ダンスを選んだほうが良かったんじゃないのか。女子が大勢いるぞ」

「いや、卓球をマスターして温泉のスターになるつもりなんだ」

「ふん、せいぜい粋がってろ!」


 ったく、この二人に会うといつもこんな調子だ。


―――あれ、目黒ひとみちゃんもこのグループにいる。


―――そうか、俺がホームルームの前に茜さんと打ち合わせしていたのが聞こえたんだな。


―――俺と一緒に卓球がやりたいのかな。


「ひとみちゃんも卓球を選択したんだね。また同じグループになったね」

「ええ、私はダンスは苦手なのよ。できるのは卓球しかないから」

「大丈夫だよ。一緒に練習しようね」


―――あまり体育は得意じゃないのかな。


―――じゃあ、ここでも自分を頼りにしてくるかな。


 一緒に練習するのも悪くないな、と健人は思っていた。


 隣のクラスの七星まりんがいなかったのはせめてもの救いだった。ダンスのグループに入ったのだろう。



 チャイムが鳴り、体育の授業が始まった。


 最初に村上先生が基本的なラケットの振り方や球の打ち方を指導して、サーブ、レシーブの練習をすることになった。ほぼ初心者の健人はサーブを打って相手のコートに淹れるのも大変だ。自己申告で、初心者同士、経験者同士の組み合わせになり練習が始まった。


「ふう、やっと入った」

「よし、そんな感じだ」


 コツを掴むと、何とか相手側のコートに球が入るようになってきた。相手も初心者なので、なかなかラリーが続かない。二~三球続くとコートの外に出てしまう。


「結構難しいなあ」

「なんだよ、上すぎだ! 俺に当てるなよ1」

「うわー! そんなこと言っても、ちっとも思い通りに飛ばない」

「こっちだよ!」


 先生も苦笑しているが、いた仕方がない。


 ちらりと茜の方に目を向けると……。


 何と、低い位置からサーブを打ち次の瞬間には構えの体勢に入っている。相手は目黒ひとみちゃんだ。ボールを上に放り、落ちてきた球にラケットを回転させながら当て、相手のコートに叩き込む。ボールがコートに入りバウンドすると、くいっとコースを変えた。


「凄いっ! あんな技ができるんだ!」


 茜は気合を入れるために、声を出し集中した。


「さあ、ひとみちゃん行くわよ!」

「よしっ!」


 二人は卓球少女に変身していた。ひとみちゃんも、くいっとコースを変えた球を返球していく。いつしか他の生徒たちも手を止めて二人のラリーを観戦していた。


「凄い、うまいなあ!」

「かっこいい!」


 という言葉が聞こえてくる。ひとみちゃんはこれだけの腕があるから、卓球を選んだんだ、ということが分かった。失礼なことを言ってしまった。


 茜さんもこんなに上手だとは思わなかっただけに、驚きだった。


「何ぼーっとしてるんだ。茜さんが上手過ぎてびっくりしたか。彼女は小学生の時には卓球クラブでは超強かったんだ。俺ともよくやり合ったんだ」

「え、何だって。小学生の時に……」

「茜さんとは同じ小学校で卓球で鍛え合った仲なんだよ」


 神楽坂が得意げに言った。その彼も滑らかなサーブを放ち、ほとんどミスなくラリーを続けている。


 健人は自分一人がのけ者になったような気分になったが、負けてはいられないと必死に球に目を凝らし、ラケットを振った。振っているうちにラケットの角度が重要だということが呑み込めてきて、数回続けられるようになってきた。


 村上先生の指示に従って、最後の十分間は自由練習になった。すると、神楽坂が茜さんの傍へ行った。


「久しぶりに練習しようよ」

「神楽坂、いいわよ」

「まずはラリーを続けよう」

「そうね」


 二人はラリーを始めた。同じフォームで何回も何回も返球していく。どれ程の腕なのか見ていた健人だったが、全くボールは下へ落ちていかない。まるで重力がない世界でやっているみたいだ。


―――初めはみな初心者なんだ。


 健人は気持ちを取り直して初歩から練習することにした。この選択授業が終わるまでには、茜さんと対戦できるぐらいになろう、と心に誓っていた。

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