第25話 学園の姫の前に謎の男現る

 健人が森ノ宮家に執事見習いのバイトに行くと、厨房はいつもよりもあわただしかった。夕食に重要な客人を迎えるということで、フランス料理の準備をしている。シェフの掛け声がかかり料理人は忙しく働いていた。


―――重要人物って誰だろう。


―――自分のような見習いがいてもいいのだろうか。


 と思っていると、厨房のスタッフから声を掛けられた。健人がいつもはやっていないダイニングルームの掃除を命じられた。と言っても床は既に磨き上げられていたのでテーブルを拭いたり椅子の位置を確認する程度だったが、緊張感がみなぎっている。健人は誰が来るのか茜に心当たりがあるか訊きに行った。


「茜さん、今日は重要人物が来るらしいんだけど、どんな人か知ってる?」

「えっ、そうなの。全然知らなかったし、何も聞いてないわよ~」

「茜さんも知らなかったんだ……そのお客さんのために、今日はフランス料理の準備が進められてるよ」

「へ~~~っ。へっ、へえ。やったあ! フランス料理ですって! すっごい久しぶり」

「スープから始まって、前菜に魚料理に肉料理、デザートも作ってるんだ」

「うわー! 楽しみ~~~。でも、誰が来るんだろう。偉い人だったら緊張しちゃうし、それに両親も帰って来てないのよ。私一人で大変だわ!」

「僕も粗相がないように給仕しなきゃ、大変だな」

「服装は、これでいいのかなあ」


 すると茜の部屋にノックがして家政婦の直子さんが入って来た。直子さんは茜が子供の頃から働いていて、その当時の茜にしてみれば祖母と同じくらいの年齢だったため、彼女のことを今でもばあやと呼んでいる。


「ばあや、何か用かしら」

「茜さん、旦那様と奥様から申し付かっているのですが、今日は大切なお客様がお見えになるということで、服装はいつものジャージではなくせめてワンピースなどをお召しになるようにと申しつかっておりまして……」

「ええっ! 二人とも帰ってこないのに、私だけお洒落して接待しろって言うことなの! 大変、大変~~~」

「まあ、そんなわけですので準備してくださいませ」

「ばあやは誰が来るか知らないの?」

「私は……、存じ上げておりません。でも茜さまが以前にお会いしたことがある方だそうですので、丁寧に接待してくださいとのことです。では、また」

「あ~ん、ちょっと待ってよ。一体誰が来るのよ。誰なのか教えてくれたっていいじゃない……」


 家政婦の直子さんはバタンと戸を閉めて出て行ってしまった。彼女も客人をもてなすために準備があるのだろう。


「う~ん、私が以前会ったことがある人って……いったい誰なんだろう。直子さん知ってるんじゃないの……。全く~~。誰だと思う?」

「僕は会ったことがないんだから、茜さん以上にわからないよ。あまり深く考えないでまずは着替えをしたらどうかな」

「あ、ああ。そうだった。ジャージじゃまずい相手らしいから着替えることにするわ」

「それじゃあ、僕はもう行くね」

「うん。また後でね」

「はい」


 茜も全く見当がつかないらしかったが、着替えを済ませた彼女が部屋から出て来た時ははっとして息をのんだ。紺色で控えめな色に上品なプリントがしてあり良家の令嬢といった雰囲気だ。束ねていた髪の毛はほどいて肩のあたりにかかっている。先ほどとは別人のように変身していた。


「お待たせ! あたしが先にいないと悪いから、座って待ってることにする」

「そうだね。その方がいい」


 厨房は既に準備が整ったようで、客人を迎えるだけとなっている。



 

 チャイムの音がして家政婦の直子が玄関に迎えに行った。茜は緊張して立ち上がった。直子がつれてきた人は、何と健人と同じ年頃の青年だった。チノパンにブルーのシャツを着て、赤いベルトをしていた。長身ではっとするようなハンサムな男だった。


―――あれ、こんな若い男か。


―――っていうか自分と同じぐらいの年じゃないか。


―――この人が重要人物?


「あら、あら、ひょっとして……あなたは……」


 茜は目をぱちくりして驚いている。何かを思い出そうとしているようだ。


「覚えていてくれた? ずっと昔よく遊んだでしょ。あれは小学生の頃だったなあ」

「ああ、そうだった。小学生の時に会ったのね」

「高学年の時だったけど……」

「そうだったわね」


 正直、茜さんの方はあまり印象に残っていない様子なのだが、この人の方は覚えていて当然だと思っていたらしい。


「改めて、自己紹介するけど僕は真行寺龍、君の幼馴染です。お互いの父親同士が知り合いだったので昔よく会っていたんだ。今日は父に使いを頼まれてきたんだ。遠方へ行って来たんでお土産を持参した。お父様にお渡しください」

「あら、ご丁寧に。ありがとう」


―――だけど、どうして父親同士のお使いにこいつが派遣されてきたんだろう。


「君のお父さんから、成長した茜さんに会って是非友達になってあげてくれと頼まれたと、父から聞いたんだ。僕も茜さんがどんな風になっているのか興味があったしね」

「ふ~ん、そうなの。その時から比べると変わったでしょう、私? まあ、座ってね」

「茜さんとは同じ年だから高校一年生。あの時と同じ隣の市に住んでいて、そこの高校に通っている」


―――隣町の高校の一年生か。


 自分で来た理由も説明してくれた。


―――だけど何だって、茜さんの友達になるためにわざわざ来るんだよ。


―――怪しいなあ、こいつ。


―――目的はただ一つ。


 そんなことを考えながらテーブルにグラスの入った水を運んでいると。


「ああ、どうもありがとう」


 そう言うとちらりと健人の方を見た。何か聞かれたらいやだな、と思ったがその時は何も聞いては来なかった。ほっと胸をなでおろしてフォークやナイフを二人のテーブルに並べた。その仕事はここへ来てから教わったものだ。二人は向かい合うように座っている。テーブルが大きいので少々距離がある。


「茜さん、昔と変わらないなあ。小学生の頃のお転婆だった頃と。昔はよくジャージを履いていたなあ。僕はジーンズだったけど、よく裏庭で翌木登りをしたっけかな……」

「そんなことしたかしら」

「忘れちゃった? 茜さんの方がどんどん先に登って行ってしまって、僕は下で悔しがっていた」

「あら、そうだったの」

「今日は、女性らしいワンピースを着て、すっかりレディーらしく見える」

「こんなのめったに着ないのよ。似合わないでしょ」

「まあ、人間中身はそうそう変わるものではない。お転婆で気の強い茜さんも魅力的だった。今でもそういう所は変わらないんだろうあ」


 健人は今日は端の方に控えているように言われていた。料理を運ぶのはもっぱら家政婦の直子さんの役割だそうだ。矢張り重要人物なので、自分には給仕はさせてもらえない。


 離れて見ていると心配でしょうがない。かと言って近寄って話しかけるわけにもいかない。


―――まるで一方的に龍の方から茜さんに言い寄っているように見える。


―――茜さんどんな気持ちなんだろう。


「そうね、相変わらずお転婆で気が強いかもね。今日は無理やりこんな女の子らしいドレスを着てるけど、本性を知ってると嫌でしょうね」

「そんなことはない。そこが茜さんの魅力でもある」


―――こいつが自分と同じ高校一年生だからまだしも、大人でお酒なんか飲んで迫っていたら許せないなあ。


―――自分が許す許さないの問題ではないが、間に入って行って何か言い出しそうで自分が怖い。


―――ここへ来てから気がついたのだが、茜さんの着ている紺色のワンピース光線の加減で良く見ると透けている。


 胸元に視線を向けるとブラジャーや胸のラインが丸見えなのだ!


―――茜さん気がついていたんだろうか。


―――ああ、教えてあげるんだった! 


――そうすればこのワンピースを着て、こんなきざな野郎の前に出てこなくてもよかったのに……。


 健人はじりじりしてきた。そしてそのまま会話を聞きながらひたすら耐えた。


「ああ、そこの君。ずっと気になってたんだけど、僕たちと同じ年位だよねえ」


急にこちらへ向かって話しかけてきた。


「はい、茜さんとは同級生です」

「ああ、そうだったんだ。どうも若いと思ってたんだ。僕たち三人同い年だったわけだ」

「はい」

「でも、どうして彼女の同級生の君がここにいるの?」

「執事見習いをしているもので……」

「ふ~ん。じゃあ、いつも茜さんの傍にいるんだ?」

「ええ、まあそうです」


 答える時についついにやけてしまった。それを見逃す龍ではなかった。


「じゃあ、前もって注意しとくけど、茜さんとは仲良くしないでよ。僕がいるんだからね」

「はあっ?」


―――僕がいるとはどういうことだ! 


―――意味が分から~~~ん!


 しかし聞き返すわけにもいかず、絶句してしまった。そんな健人を見て茜さんは助太刀した。


「まあ、龍君。あの話は昔親が勝手にしていただけじゃない」

「勝手にとは何? 君だって大人になったら僕のお嫁さんになりたいって言ってたじゃないか」

「そうだったっけ?」

「確かにそう言った」

「子供だったからねえ」


―――何だこいつ。


―――小学生の時の約束を後生大事にのこのこやってきたのか。


 茜さんからは軽くあしらわれながらも、いつまでも巧妙に話をしながらフランス料理の晩餐は続いていた。そして帰りがけに俺の耳元で囁いた言葉が傑作だった。


「でもまあ執事君、いくらそばにいても君には茜さんを口説く権利はないから! 残念だな!」


 きざな男の後姿を見ながら、茜さんは苦笑いしていた。相変わらず奴の視線は茜さんの胸元にあった。

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