第8話 学園の姫の部屋に入る

 健人は茜さんの部屋をノックした。確かにここから大声が聞こえたはずだ。


「は~い、今開けるわあ!」


―――何の用だろうか。この間は部屋には入ってはいけないと固く禁止されたのだが……。


 部屋が開くとジャージ姿で、髪の毛を黒いゴムできゅっと結わいた茜さんの顔が覗いた。


「今部屋の模様替えをしていたところなの。手伝ってえ!」

「でっ、でも。入ってはいけなかったんじゃあ……」

「今だけ特別に許可するわ。仕事だから」

「僕、厨房の仕事があるんです」

「それじゃあ、あたしが厨房にいって断ってくるからいいわ。一時間ぐらいだからいいでしょ」

「し、し、知りませんよ。僕は」


 茜さんは部屋を出ると、ダダダダと駆け足で廊下を通り階段を降りて行った。ほんの一~二分で戻ってきて中へ入るように言った。


「許可を取ったから大丈夫」

「本当にいいんでしょうか」

「いいの、いいの」


―――この家のお嬢様が頼めば、厨房の人たちも嫌とは言えないだろう。


 部屋に入った健人は驚きの声を上げた。


「うわっ! 何だこれはっ! 強盗にでも入られたんですか!」

「そんなはずないでしょ。部屋の模様替えをしてたの」

「それで……こんなに物が散乱しているんですかあ」


 始めて部屋に入った健人はその豪華さと、部屋の広さに驚いた。入ったところにはちょっとしたスペースがあり、その向こうにはソファが置かれている。ソファの前には専用のテレビがあり、すぐそばに電気ポットが置かれていて、突き当りの窓の傍にはティーカップなどの入った戸棚が見えた。出窓にはクマのぬいぐるみがちょこんと座っていて、健人はクマに見られているような気がした。そのいくつかあるソファのカバーが外され床に投げ捨てられている。


「これだけじゃないのよ」

「……わかります。向こうの方にもっと物が散乱しています」

「入れ替えようと思って出してたら、こんなになっちゃった。詰め替えて、クローゼットに入れ替えてね」

「はい。結構ありそうですね。でも一時間以内には終わりそうです」


 リビングルームの横にはベッドルームがありそこも丸見えの状態だ。


「本当に僕が入っていいんですか?」

「健人は執事見習いだからいいわよ」


―――執事の仕事とは違うんじゃないだろうか。


―――でも、自分はアルバイトの身。そんなことは言えない。


「冬物の服をこの辺の開いたケースにどんどん詰めて」

「お安い御用です」


 健人は服に皺が寄らないように丁寧にケースに詰めていった。ベッドの奥にはチェストがあるので、いつも使う服はそちらに入れているんだろう。一つ詰め終わると、次のケースに詰めていく。


「健人、とっても手際がいいわね」

「そうっすか。普通だよ」


 部屋に入ったことで、ため口が出てしまっが、茜さんは特に気にする様子はない。機械的に詰めていたのだが、あるものを目にしたときに思わず顔がほころんだ。可愛らしい動物がプリントされた布地だった。何の気なしに思わず頬ずりをした。ふわふわして柔らかい。暖かいセーターだな。


「茜さん暖かいセーターですね」

「えっ、それは。あ~~~っ、ダメ、ダメ。触っちゃダメ~~~~~っ!」

「どうしたの? そんなにうろたえて?」

「だから、それは~~~っ!」


 じろじろ服を見るつもりはなかったが、セーターなどの冬物の衣類などに交じって不思議な動物の描かれた布があったのだ。


―――しかし、どうしてそんなにうろたえる必要があるんだ。


 さらに手で触っているとするするとほどけて、それは細長くなった。


―――えっ、えっ、えっ、えっ。なにこれ? 


―――セーターじゃない!


 触ってはいけなかった、ましてや反応してはいけなかったのだ、と後悔したときには遅かった。それはずるりと長く健人の眼前に現れた。冬場に室内で履くスパッツだった。男の兄弟しかいない健人には初めて目にするもの、存在すら知らないものだったのである。


「や、や、や、止めて! 見ないで~~~~っ!」


 と、茜さんが叫んだ時にはそれは健人の目に晒され、もこもことした手触りを頬で感じてしまっていた。


「こ、これは……タイツですか?」

「ダメ、ダメ、ダメ~~~~っ!」


 茜さんは、健人の手から、もこもことしたそれをひったくるように奪った。


「どうもっ……大変失礼なことをしてしました。何とお詫びしてよいやら……」

「あ~ん。しっかり見ちゃったでしょう!」

「いえ、あまりよく見えませんでした」


 柔らかい手触りで、ふわふわのタイツはその柄までしっかりと目に焼き付いている。数種類の動物がまったりと座っている図柄だ。茜さんこんなものはいてたんだ。やっぱり冬は冷えるからなあ。


 なぜ下着の部類に入るタイツがセーターなどの衣類の間に紛れ込んでいたのは不明だった。


―――彼女にとっては下着とは分類が違うのかもしれない。


「はあ! はあ! もうやだっ! こんなところに紛れ込んでいたとは……」

「気にしなくていいですよ。下着だとは思ってないから」

「そして……」

「この事は勿論秘密です」


―――またしても余計なことを言ってしまったようで、顔は真っ赤だ。


―――ただし怒っているのか、照れているのかはわからない。


 そんなじたばたしている姿なんて普段は見られない。


 二ケース目を詰め終わ終わり、三ケース目に入った。それも詰め終わりウォークインクロゼットに運んだ。そこには旅行用のスーツケースなども置いてありかなりのスペースがあった。ベッドの上に積み上げられていた夏用の衣類は、茜さんがせっせと部屋の中にあるチェストにしまい込んだ。


 それが終わると、ソファのある部屋へ戻りカバーを取り換えた。


「これはどうして取り換えるの?」

「今までブルーのカバーでちょっと寒々しいと思ったから、明るい色に変えることにしたの。今度のはグリーンの葉っぱに赤い花柄で、部屋の雰囲気が明るくなるでしょ」

「そうだね。部屋がパッと明るくなる。じゃあ、カバーを付けちゃおう」


 健人は、いくつかあるソファにカバーをかぶせ、ソファの背に並べておいた。



「それで終わりだから、コーヒーでも飲もうか?」

「いいのかな。ここで休憩してて」

「いいの、いいの」


 茜さんは電気ポットでお湯を沸かし、丁寧にコーヒーを淹れてくれた。出窓から見える庭の景色を見ながらほんのひと時二人で休憩した。茜さんの淹れてくれたコーヒーはほろ苦く健人には少しだけ大人の味がした。茜さんとの秘密がどんどん増えていくからか、と健人は感慨に浸っていた。

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