第7話 執事のお仕事②

 茜さんの家へ行きテーブルを拭いたり、食器のかたずけをしていると、健人を呼ぶ声がした。振り向くとそこには小学校低学年ぐらいの少年が立っていた。


「君は……誰かな?」

「僕は塁。この家の子供だよ」

「おお、そうでしたか。始めまして、僕は執事見習いのアルバイトで桜坂健人です。よろしくね」


 前回来た時は食事の席にいたのは茜さんだけだった。


「この前来た時は会えなかったね」

「ああ、風邪をひいてしまって、部屋でおかゆをもらって食べたんだ」

「他に兄弟はまだいるの?」

「茜おねいちゃんと僕の二人だ。アルバイトしてるってことは、まだ学生なの?」

「そうだよ。茜さんと同じ高校の一年生。執事の仕事に興味があったから父の紹介で働かせてもらうことになったんだ」


 塁はくりくりとした目を、好奇心いっぱいに輝かせて健人を見ている。


「じゃあ、茜お姉ちゃんと学校でもここでも一緒にいるんだね」

「そういうことになるね」

「ねえ、健人お兄ちゃん、今忙しい? ちょっとだけ時間ないかな?」

「忙しくはないけど、何もしてないわけではない。ここにいれば何かしら仕事はあるみたいだから」

「じゃあちょっとだけ僕の部屋へ来てよ」

「それじゃあ、厨房にのスタッフに断ってくるね」


 健人は厨房に戻り、塁に頼まれごとをされたから少しだけ出てくると断った。二十分ぐらいどうぞ行ってらっしゃい、と言われたので塁にもそのように伝えた。


「二十分ぐらいね」

「わあ、助かった」


 そういうと塁は健人に手を差し出した。健人はぎゅっと小さな手を握って塁の部屋へ付いて行った。


「実はね。宿題を教えてほしかったんだ」

「ああ、そうか。君は何年生なの?

「小学校二年生。このくらいお兄ちゃんなら簡単でしょ?」

「まあね。ちょっと見せて」

「助かった。茜お姉ちゃん今手が離せないんだって。本当は分からないからそんなこと言ってるのかなあ」

「いいや。色々忙しいんだろう。よし、どれだ」


 塁はランドセルの中から算数の計算ドリルを出した。俺もこんなドリルを小学生の時にやったことがあったな、と思い出した。


「宿題のページはどこ」

「ここと、ここ」

「フムフム。まずは自分で解いてみて」


 計算をし始めて、途中で止まってしまった。健人は計算用紙にメモをしながら説明した。塁は始めは計算をする手が何度も止まってしまったが、やり方を説明すると呑み込みが早いのかすらすらと答えを解いていった。コツをつかんでしまえば機械的にどんどんできそうだ。

 

「あれ、こことここの数字は?」

「繰り上がったらから左側に数字を足して……」

「引き算の場合は逆にすればいいんだね」

「その通り」


 宿題のページは難なく終わり、塁はオセロを出してやろうとねだってきた。しかし二十分という時間制限があり、これ以上は一緒に遊ぶことは出来なかった。


「御免よ。約束の二十分が過ぎちゃったみたいだ。時間が経つのは早いなあ。また今度一緒にやろう」

「絶対だよ。約束ね」

 

 塁は小さな小指を出し力強く健人と指切りをした。こんなぷよぷよの小さな指が自分の小指に絡みつくと、自然と笑みがこぼれた。


「健人お兄ちゃん。茜お姉ちゃんの同級生なんでしょ。お姉ちゃん家ではいつもジャージ姿だし、お転婆だし変わってると思うでしょ?」

「……う~ん、いや。特に思わないけど」

「無理しなくていいけど。学校に行くときは超綺麗にして素敵な女子高生の格好をしてるし。どうしてだかわかる?」

「どうしてかなあ。学校ってのはフォーマルなところで、いわば高校生の社交の場だから気を張っているんだろうね。高校生は勉強だけじゃなく、対人関係も学んでいるんだ。その反動で、家ではリラックスしたいんじゃないのかな。家に帰ればだれでも寛いだ服装で、ありのままの自分でいたいものだからね」

「それは普通の人の考え方だ。茜お姉ちゃんの場合は違うんだ。学校にいる時の茜お姉ちゃんが素顔で、家にいる時の方が気が張ってる」

「えっ、そうなのかい! 僕の考えとは全く逆だった」


―――なんだかキツネにつままれたような気持ちだった。


 塁は小さな腕を組んで考え込むような仕草で健人に一歩近寄った。


「だから、執事見習いとしては、家にいる時にお姉ちゃんをリラックスさせてあげて。パパとママはいつも仕事が遅いから大抵夕飯は僕とお姉ちゃんの二人で食べてるから、僕の事もよろしくね」

「もちろん君の面倒も見るつもりだよ」

「僕の場合は、時々勉強を教えて、後は一緒に遊んでくれればいいよ。だってお姉ちゃんとは少し年が離れてるし、お姉ちゃんは、もう少しだけ大人の世界に足を踏み入れてるんだから」


―――塁は本当に七歳なのだろうか。


 小さな体をして、こんなことをぺらぺらと健人に喋ってくる。


―――眼から鱗が落ちるとはこういうことを言うのだろうか。


 茜さんは自然体で学校で過ごしていて、全く格好つけたりしていないのに、男子がやたら寄ってくる。自分でもなぜなのかわからない。逆に家に帰るとお嬢様扱いされるのが嫌で、砕けた言葉遣いや振る舞いをして一生懸命突っ張っている。


「ねえ、健人お兄ちゃん。僕が今言ったことは内緒だよ。あくまで僕の推測だから」

「そうだろうねえ。僕だってぴんと来なかったんだから」

「へへ、じゃあまた後でね」


―――執事の仕事は口が堅くなければいけない。


 健人の父は、この家にいる人々の事や仕事の細かい内容を家で話したことがなかった。だから、二人とも先入観などなしで出会うことができた。それでなければ執事の仕事は務まらないのだろう。健人は秘密が増える度に、気が引き締まる思いがした。


―――姉の茜も、弟の塁も個性的で可愛い。彼と一緒にいる時間も、これから楽しくなりそうだ。


 そうこうしていると、茜さんの叫び声が聞こえてきた。


「健人! ちょっと来てよっ! 手伝ってほしいことがあるの!」

「今行きま~す! 茜さん、ちょっと待っててくださいよ」


 健人はスキップをしながら、茜さんの部屋へ向かった。

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