第5話 執事のお仕事①

  大変な一日を終えた健人は、夕方アルバイト先に向かった。勤務先は森ノ宮家である。黒いズボンに白のワイシャツ姿で、勝手口からそろそろと入りキッチンに向かった。


「健人!」


―――あれ、どこかで俺を呼ぶ声がする。この声は……茜さん……?


「茜さん? ですか?」

「健人君、こっち、こっち~~っ!」

「どこ……ですか?」


 後ろを振り向いても姿が見えない。調理場からダイニングルームに入り姿を探した。すると、出口の戸をそっと開けて顔を半分ぐらい出して口元に人差し指を当てて、手招きしている。静かにしろということらしい。


「茜さん、なんでしょうか?」

「ちょっとこっちへ来て」

「どこへ……」


 彼女はシャツの健人のシャツの裾を引っ張っている。ついて来いということか。廊下へ出て、階段を昇っていく。再び廊下を歩き、ある部屋の前まで来て止まった。


「ここで待っててよ」」

「な、なっ、何の用ですか。ここはひょっとして茜さんの部屋ではありませんか?」

「そうよ。決して入らないでね」

「そりゃあ、もちろん入りません」


 茜さんは部屋の中へ入り、小さなものを握りしめて出て来た。


「あれ? それは?」

「ありがとう。お金立て替えてくれて」

「学校で買った炭酸飲料のお金ですか?」

「初日にしてはよくやったわ。おごってくれたことにしてくれて、演技もよくできていた」


 ああ、そうか。おごったことも彼氏の演技のうちだったのか。そのくらいいいかなと、諦めたんだけど、ちゃんと覚えていてくれた。


「じゃあ、お金。取っといて」

「あれ、あれ、ちょっと多すぎるけど」


 茜さんは健人に百五十円渡した。飲み物の値段は百三十円。


「お釣りですね。今持ってきます」

「ああ、いいわよ。手間賃」


 二十円はチップということか。ではもらっておこう。健人は百五十円を握りしめてキッチンに戻ろうとしたが、彼女のスタイルを見てなぜか一言言いたくなった。


「今日のジャージは可愛いですね。赤に白のラインがいかしてます」

「余計なことを言わないで。ジャージを着ていることは秘密だからね」

「髪型も決まってます」


 学校ではロングヘア―をさらりと流し、その髪の毛が風で揺れているところがキラキラ光っているのだが、ここでは後ろで黒いゴムで一つに束ねている。まるで運動部の生徒のようだ。


「それも秘密だから」

「勿論でございます。僕ほど口の堅い男はいません。信用してください」

「それで……健人。どうだった、今日の私は?」


 茜さんは手をくねくねさせて、僕の意見を聞きたがっている。


「上出来でございます。これで茜さんに言い寄ってくる男はいなくなると……思います」

「本当かな? 健人が私の彼氏に見えたかな?」

「それは難しいところです。僕なりには頑張ったのですが」


 付き合っていると宣言しても、取り巻きの連中が簡単に茜さんをあきらめるとは思えなかったが、ここは話を合わせておくしかない。あいつらの反応ときたら、こんな奴と付き合うなんて信じられない。いつか取り返してやるって、そんな殺気しか感じられなかった。


「茜さんの事はあきらめきれないようです」

「そうなのか……」

「もう、こんな偽装工作やめてしまいますか? どれほど効果があるかわかりませんから」


 健人はちらりと茜さんを横目で見た。


「諦めるのはまだ早い。私にいい考えがある」

「いい考えとは……」


 俺を偽装彼氏にしたのだ。次なるいい考えとは何なのだろう。


「健人! イメージチェンジして欲しい」

「どこを……チェンジするんですか?」

「どこを変えればいいのかな?」

「変えるところなんてありません。このままが一番いいんです。物心ついてからずっとこのスタイルですから」

「たまには気分を変えてみるのもいいものよ。やってみましょう」

「そうかなあ。そんなに言うなら。でもどこをどうするんですか?」


 茜さんは健人の顔や髪形を眺めまわす。ついでに髪の毛をぐしゃぐしゃにし、横分けになっている髪を上に立てたり、全部前におろしたりして腕組みをしている。


 茜さんの方から俺に触れるのは反則じゃないのか。


「茜さん、僕に触れてますよ」

「私の方から振れるのは構わないんだ」


 そんなの理屈に合わないじゃないか。雇用主の特権なのか?


「ちょっと眼鏡をはずしてみようか?」

「あああ~~~。それは取らないで。だめえ、見えなくなっちゃう」

「ふ~む。メガネはあった方がよさそうだな」

「そうですよ。茜さんの顔がぼやけてます」


 眼鏡を元に戻していった。


「ねえ、今度の土曜日開けといて」

「何をするんですか」

「ちょっとしたデートよ」

「休みの日までデートするつもりですか」

「特別手当を出すからいいでしょ?」

「かしこまりました」


 これもバイトの一環ということで、土曜日も茜さんと付き合うことになった。約束の場所へ着いた。特別手当を出してくれるバイトとは何なのか、相手が茜さんだけにドキドキしていた。


「私の後に着いてきてね」

「あの、どこへ行くんでしょうか?」

「心配しないで、悪いようにはしないから」


―――その言葉もあまり当てにならない。

―――うお~っ、ここは繁華街。向こうの方にはラブホテルが見える。目的地はどこだ~~~っ! 

―――もしや、ラブ・ホ・テ・ル!! なのでは~!

―――そんな~~~っ。心の準備が出来てない! あああ~~~!


「はい、ここよ」

「ここは……」

「ええ、私の行きつけの美容院。ここでかっこよくしてもらって。費用の事なら心配しないで」

「それならそうと、早くいってください。ドキドキしちゃった」


 茜さんはスマホの画面を健人に見せた。かっこいい男性が上目遣いにこちらを向いている。彼の髪の毛はほんの少し茶色がかっていてさらりと横に流した形になっている。ウェーブもかかっているようだ。


「ほら見て、この髪型ならいいでしょ?」

「こんな今風の髪型にするんですかあ。かっこいい人がやるからかっこいいんですよ、茜さん。色も少し茶色っぽいですよ」

「つべこべ言ってないでやってみて。きっと似合うと思うなあ。校則には引っかからないはずよ」

「そうですか。はあ~」


 健人は、美容師の優しい声に迎えられて座った。


「終わったら連絡してね!」

「はい」


 茜さんは健人のスマホに電話番号を入力していった。


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