第4話 彼氏のお仕事①
茜さんは男子たちの視線を一身に受け、困ったように俯いている。そんな表情は男子たちの保護本能を刺激し、ヒロインとしての存在感を高めていく。
彼女はつかつかと健人の方へ寄っていき、とてつもなくしおらしい態度でいった。
「健人君、ちょっと話があるのよ~~。 こっちへ来てえ~~」
「は、は、は、はいっ、茜さん。どこへでも参ります」
健人は茜さんの後ろをついて廊下へ出た。そこで何たることか、彼女は壁際に健人を追い詰め腕を健人の顔の後で突っ張った。いわゆる壁ドンというやつだ。
―――な、な、なっ、これは話で聞いたことがあるが、壁ドンというやつか! まさか自分がやられることになるとは! しかもみんなの憧れの茜さんから! どっ、どっ、どっ、どうしよう~~~~っ!
「あのねっ、健人君っ……」
「……は、はい、茜様」
―――こ、こ、こんなに顔を近づけて、男子たちの視線が痛い! もう少しで、顔にくっついてしまいそうだああああ~~~!
「話っていうのはね。彼氏のお仕事について」
「ほっ、ほお~~っ。何でございますか?」
「ルールその1。健人君は偽装彼氏なんだから、私に指一本触れないこと」
「勿論そのつもりです」
―――言われなくても触れるつもりはない。
「ルールその2。私が行くところにはどこでもついてくること。ただし女子トイレには入ってはならない」
「わかってます」
女子トイレに入らないのは当たり前だ。努力する必要は無い。
「ルールその3。言い寄ってくる男子がいたらうまく蹴散らすこと。ただし、私に好きな人が出来た時はその限りではない」
「了解しました」
「では、以上よ」
茜さんはやっと壁についた手を離し、健人を解放した。
遠巻きに一部始終を見ていた神楽坂文吾が鋭い視線を健人に投げかけている。この男クールだがなかなか洞察力があり、茜さんを密かに愛していた。文学や音楽を愛する芸術家タイプで、ピアノの腕はなかなかなものだという。そんな彼が健人の至近距離に迫ってきた。
「なあ健人、茜さんと何の話をしていたんだ?」
「ちょっと、愛を告白されちゃってさ。茜さん、ああ見えて意外と情熱的なんだ」
「なななな、なんだってえ~~~~っ!」
文吾はもだえ苦しんでいる。天を仰いで、その胸の内を吐露している。これじゃちっとも密かな愛じゃない。
―――彼は情熱的な男なんだな。ちょっといたずらが過ぎたかな。勘の良いこいつには偽装がばれないように細心の注意を払わなければなるまい。
「ねえ、健人君っ!」
「はっ、はい」
茜さんはつぶらな瞳で健人を見つめていった。
「喉が渇いちゃったわ。何か冷たい飲み物はないかしら?」
「何がいいですか。すぐに買ってきます」
「そうしてくれると嬉しいなあ。シュワッと爽やかになる炭酸系の飲み物がいいわ」
「では買ってくるので少々お待ちください」
こんな暑苦しい男に傍へ寄られたんじゃ爽快な気分を味わいたくもなる。茜さんの気持ちはよくわかる。すると、茜さんは再び健人の耳元で囁いた。
「それから、ねえ。敬語は使わないほうがいいわ。彼氏っぽくないから」
「そうですね。これではまるで召使ですから」
健人はみんなに聞こえるように言った。
「それじゃあ行ってくるね。茜さん。バア~イ!」
健人は手を上にあげ、かっこよく合図した。文吾の羨望のまなざしが痛い。
―――特別感半端ないっ! 偽装彼氏も悪いもんじゃないな。
健人は財布を握りしめ自動販売機の並んでいる食堂前へ急いだ。このお金は後で必要経費として請求すれば返してもらえるのだろうか、それとも自分のおごりということになるのだろうか、と考えながらコインを滑り込ませた。
キンキンに冷えた炭酸飲料のペットボトルを抱えて教室へ戻ると笑顔で茜さんが出迎えた。彼女は隣へ座るように手招きしている。彼女の指示通り隣の席へ座った。
「お待たせっ! 茜さん」
「わあ嬉しいわ。早速飲みましょう」
茜さんは蓋を開け、美味しそうにのどを潤している。ごくごくと数回飲むとふっとボトルを机の上に置いた。
「自分の分は買ってこなかったの?」
「うん。急いでたから」
「あら、これ一口飲む?」
―――そ、そ、そ、そんなあ~~~っ。どうやって飲むんだ。そんなことしたら間接キスになっちゃうじゃないかあ。人が見てるぞ~~~っ!
―――でも、これは茜さんの命令なんじゃないのか。もし逆らったら……バイトは首かあっ!
しかもその成り行きを大勢の男子が見守っている。これを断ったら、彼女の顔を潰してしまうことになるんじゃないか。彼女のプライドはいたく傷つくことだろう。もう立ち直れないかもしれないっ。
―――よしっ! ここは意を決して飲むしかないだろう。俺を男と見込んで命じたんだから。
「ありがとうっ」
健人は机の上のペットボトルをぐいと手に持ち、飲み口を自分の口の上に持って行った。それから、ボトルを傾け勢いよく数秒口の中へ直接流し込んだ。ボトルの口に自分の口を付けないで飲む方法だ。健人はこの方法をよく使って飲んでいた。そうすれば、口の中の雑菌が中へ入らない。
「うん、うまいっ!」
「ねっ」
健人は一仕事終わった後のように、ふ~っと息を吐いた。茜さんは、何事もなかったかのように再び炭酸飲料を飲んでいる。こんなにみんなの心をかき乱して、悪いやつだなあ。でも憎めない笑顔。しょうがない人だなあ。
ある程度のどを潤した茜さんは残りを鞄にしまい、中から財布を取り出した。
「これ、飲み物代」
「お金なんて、別にいいのに……」
「そんなこと言わないで。はい」
「いいから、いいから。喜んでくれたからいいよ。俺のおごりってことで……」
「そうなの。悪いね。ご馳走様」
茜さんは丁寧にお礼を言ってくれた。さっきはお金のことを心配していた健人だったが、みんなの手前おごることになってしまったのだった。まあ、いいっか……。
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