第3話 交際宣言

 今日からの学校生活が不安で不安でたまらなくなり、健人はいつもより早く登校してしまった。

 教室にはまだ生徒は数人しかいなかったが、彼らに挨拶してみた。


「おはよう……」

「おはよう……」


 そこで会話は終わった。健人の事を気に掛ける生徒はいない。というのも、それ以上会話をしないから続かないだけなのだが……。


 自分の席に着き、授業の道具を机やロッカーの中に入れたり、一時間目の授業の教科書を出してぱらぱら眺めていた。内容など全く頭には入らない。一通りお決まりの動作を追えると、机の前に座り廊下と窓の外を交互に見て時間を潰した。その間も特に変わったことはなく、静かに時が過ぎて行った。


 生徒がどんどん増えて教室の中に八割ぐらいがそろった頃、後ろから茜が現れた。


 健人の心臓がピクリと跳ねた。


「おはよう」

「茜さん、おはよう。今日も一段と可愛い!」


 茜さんに好印象を持ってもらおうと、皆猫なで声ですり寄っていく。猫が人間に転身したらこうなるんじゃないかと思う。


「ありがと、優しいのね……」

「そんなことは……」


 言われた奴は感激でその日一日を幸せな気持ちで過ごすことができるらしい。長身のまことが真っ先に挨拶する。彼の名前は篠塚まこと。頭が良くてスタイルがいい。まことはことあるごとに茜に声を掛ける。茜は人当たりが良くすぐ返事をしてくれるものだから、すっかり特別な友達気取りで、まるで態度は十年来の旧友のようだ。教室までくっついてきたお伴の男子たちは、教室の入り口で名残惜しそうに羨ましそうに指をくわえて見ている。


「今日はみんなに報告があるのよ」

「報告って……何なの?」 


 まことが、期待のこもった目で茜さんを見ている。


 ああ、どうしたらいいんだ。あの話だろうか。朝いきなりするなんて、早すぎるう!


「私は、今日から……」


 茜さんは、ひと呼吸おいて皆を顔を眺めまわす。みな固唾をのんで次の言葉を待っている。


「今日から?」

「健人君と、付き合うから!」 ☆彡


 怒涛のような反応が起きた。


「え~~~~っ! 嘘だろ~~~~っ!」

「どうしてだ~~~~~っ!」


 一緒についてきた男子も、教室の中にいた男子も唖然としている。開いた口が塞がらないようだ。しかし、こいつらの反応、あんまりだ。そんなに俺が相手じゃおかしいのか!


 健人はすっと立ち上がり彼らの方を向いて言い放った。


「そうなんだ。これから俺は茜さんと付き合うことになったから」

「分かってくれたかしら、みんな。今日から健人君が私の彼氏なの」


 彼らの目は一様に悲しそうだ。まことの眼は怒りに燃え、嫉妬の炎にあぶられたようにぶるぶる震えている。


「なぜだあっ! いつのまに、こんな奴と。いつ、抜け駆けしたんだ!」


 ああ、こんな奴とか。抜け駆けとか……余計なお世話というものだ。茜さんが誰かと付き合ったからって別に抜け駆けとか言わないし、付き合う時に誰かの許可を取ってから付き合わなきゃいけないなんて理由はない。


 だけどこの問いに何と答えたらいいのだろうか。打ち合わせしてなかった。


「昨日決めたの。そう言うことだから、皆さん」

「まあ、そういうことで……」


 健人は話を合わせた。これで皆信じるんだろうか。俺だったら信じないな、と思うが言われた通りに答えた。


「よりによってこんな奴と。こいつのどこがいいんだ!」


 まことは怒りの矛先を健人に向けた。そういう妬みにも耐えなければならないのか。何とも辛いアルバイトだ。いやいや、アルバイトに付随する契約だ。


 茜さんはすました顔で、彼らを眺めている。何とも罪な女性だ。


「こんなに上品で、可愛くて、チャーミングな人と健人のような地味な奴が釣り合うはずがないんだ」


 そこかよ……。だけど、上品ってのはどうかなあ。みんなは茜さんが家ではジャージで過ごしていることを知らない。


「確かに彼女は、上品だ。だけど俺だって十分上品で、かっこいいと思うが」

「いや、俺のが男っぷりは上だ!」


 確かにそうだな。まことは身長は優に175cmはあるだろう。顔だって誰が見てもいいしほれぼれするような美男子だ。余計なことを言ってしまった。別にこいつと争うつもりはないし、争ったら勝ち目がない。


「僕は別に君と喧嘩したいわけじゃないんだ。わかってくれ」

「茜さんと付き合ってること自体が、俺に喧嘩売ってるのと同じなんだよお!」


 物凄い理屈だ。というか屁理屈だ。まるでついて行けない。茜さん、こんな時はどうするつもりなんだ。事の重大さに、気付いてなかったのか。


 茜さんが困ったような顔をして小首をかしげている。長い髪がはらりと顔にかかり、丸くつぶらな瞳には涙が溢れている。十五歳とは思えない大人びた色っぽい表情だ。こんな表情をされると、何でも訊いてあげたくなるのが男心だ。


「みんな、お願い。健人君を責めないで。私まで悲しくなっちゃう」


 素晴らしい言葉だ。それに演技力……。


 に違いない。健人はもう何も言わないほうがいい、彼らを刺激しないほうがいいと決め込んだ。


「そんなつもりでは……。茜さん、ああ、ぼ、ぼ、僕は、ただ……あああああ……泣かないで!」


 まことは彼女のお願いの前では非力だった。茜さんに嫌われてしまったら元も子がない。


「御免ね、ああ、茜さん。茜さんを苦しめたりはしない。だけど僕は……いつか君を振り向かせてみせるよ」


 まことの手は悔しさで震えた。健人の傍へやって来て耳元でつぶやいた。


「昨日付き合い始めたからっていい気になるなよっ! 必ず、茜さんは、お前から奪い返してやる!」


 想像した以上の反応だった。茜さん分かってたのか、こんな状況になるって……。


 これから毎日が試練の日々だ! 不登校にならないように頑張らなきゃ。


 健人は黒縁眼鏡の下で決意した。

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