第三十六・五話(後)エルヴェは諦めた
アダンは、
アダンはHPを減らしながらも、木々に紛れた
飛んできた矢を杖を持った腕で受けて、アダンは地面を転がってから立ち上がり、また走り出した。
エルヴェは
とてもじゃないけれど、あんなところには入っていけないと、両手で杖を握り締める。エルヴェが手を出したところで、それでアダンの勝率が上げられるとも思えなかった。
逆に、エルヴェが手を出さなくても、アダンが
エルヴェは木の幹から覗かせていた顔を戻して、そのまま幹に持たれかかって座り込んだ。
レベルが足りない。経験も足りない。パーティでの動きしか知らない。レベルを下げて、探索しやすいマップだけを選んで、それで生活できているし、それで良いと思っていた。
エルヴェはまた少しだけアダンの様子を伺う。
アダンの周回というのはつまり、こういうことなのだろう。こんなぎりぎりの探索を、アダンは毎日何回も繰り返している。それが、アダンとエルヴェのレベルの差なのだろう。
エルヴェが様子を伺う先で、アダンが
どういう仕組みなのか、ダンジョンの中だというのに、木々の向こうには青い空が見える。その空に向かう光の粒は、やがて溶けるように消えていった。
「またここで
アダンは地面に座り込んで、立て続けに三本のポーションを
エルヴェはドロップアイテムを回収する。さっき拾った弓が木の枝に引っかかって動きにくいことこの上ない。今度は
今のエルヴェには荷物持ちくらいしかやることがないので仕方ない。拾い集めたアイテムをバッグに入れて、杖を手にアダンの前に戻った。
「連理樹の杖か。ちょっと見せてくれ」
アダンが差し出す手に、エルヴェは拾った杖を渡す。
「
鑑定のスキルでも使ったのか、アダンは二本の枝が絡まったその杖を眺めてそう言った。そして、杖を片手で握って上下させたり、軽く振ってみたりしている。
エルヴェは脇に置かれた杖に目を向けた。
「今使ってる杖、エメさんのだろう」
「ん? ああ、そうだよ。もう使わないからって。あいつ、レベルの割に良いもの使ってたんだな。なかなか替わりの杖が見付からなくて」
「俺が選んだんだ、その杖。確かにあの頃の彼女には少し
アダンはエルヴェの言葉に、「あぁ」と声を漏らした。
「こんな程度じゃ、
「ちっともね。杖の効果がどのくらいあったかもわからない」
エメがパーティを抜ける前のことを思い出して、エルヴェは溜息をついた。
「もったいないことしたな、あんたは。そんなんでエメを手放すなんて」
「言わないでくれよ、わかってるから」
「いや、わかってないだろ、絶対」
アダンがにやにやとエルヴェを見る。その表情に苛ついて、エルヴェは顔をしかめてその場に座り込んだ。
エルヴェの態度に、アダンはまた悪魔の如き笑顔をエルヴェに向けた。
「あんた、秘密は守れるか? あんたは本当にもったいないことをしたんだ。でも、それをわかってない。せっかくだから、それを教えてやるよ」
「秘密?」
エルヴェがまともに返事をする前に、アダンは言葉を続けた。
「あんた、エメとパーティを組んでいたんだろ? エメがいる間、
「え……」
思いがけない言葉に、エルヴェは口元に手を当てて思い出そうとする。
最初に探索したダンジョンで、
ペティラパンでも、彼女と探索した時は
「心当たり、あるだろ? エメの
本当の効果は『確率への影響』だ。
エメが魔法を使う時は、ほとんどエメ自身の
「なんで、そんなこと……」
アダンの言葉がすぐには理解できなくて、エルヴェは呆然と呟いてアダンを見た。そういえば、アダンは
「エメの
口ではそう言いながら、アダンはちっとも残念そうでない顔でにやにやと笑っている。
「もしそうなら、彼女とパーティと組みたいと思う冒険者は多いだろ。だったらダンジョン探索できるのに。なんで彼女は……」
アダンは不意に意地悪そうな笑みを引っ込めて、真剣な眼差しをエルヴェに向けた。その視線の強さに、エルヴェは口を閉ざす。
「エメがそれを望んでないからだろ。あんたに誘われて、エメがなんて言って断ったか俺は知らないけどさ、あいつのことだ、どうせ嘘は言ってないだろ。エメは、今は……自分がダンジョン探索するより面白いものを見付けたんだよ」
エルヴェはアダンから視線を逸らして俯いた。
「それにさ、あいつは規格外だなんて言われて、それも嫌になったんだろ。エメの
ふ、とアダンが小さく笑う息遣いを聞いて、エルヴェは顔を上げた。アダンは相変わらず目付きは悪いけれど、さっきまでの意地悪そうな笑顔ではなく、今は柔らかく微笑んでいる。
「だから、あんたもこのことは秘密にしててくれよ。言いふらされると、きっとエメが困る」
アダンの琥珀色の瞳が、優しげに細められる。この男は、きっとエメにはこんな表情を見せているのだろう。
なんだか負けたような気分になりながらも、エルヴェは最後の、ささやかな抵抗を試みた。
「俺が……言いふらすかもしれないだろ」
「あんたはしないだろ。それで困るのはエメだ」
エルヴェは両手で顔を覆って、息を吐き出した。
「そうだね。こんなこと……とても人には言えない。まったく、秘密なら言わないでおいて欲しかったんだけど。知りたくなかったよ、こんなこと」
「秘密ってのは
わかったようなわからないようなことを言って、またにやにやと意地悪げな笑みを浮かべるアダンというこの男に、エルヴェは腹が立ってきた。
さっきまで、そんなことは思ってもいなかったのに、あまりの腹立たしさに「殴りたい」と思ってしまった。人を殴りたいと思ったのは、生まれて初めてのことだった。
アダンを殴ってしまえば、わだかまっていた気持ちも、全部諦められるような気がした。
アダンは結局、
ボス戦では、これまでのように隠れる場所がない。エルヴェはボスの攻撃範囲から外れることと、次々とやってくる
「
アダンがそう言っていた通り、エルヴェはこの一回の探索で、レベルが6も上がってしまった。エルヴェにとっては非常に不本意ではあったけれど、結果的には、アダンにレベルを上げてもらったことになる。
そんなふうに、一つのマップを
ダンジョンから帰る下り坂を並んで歩く。エルヴェは元から今日はこの一回だけのつもりだったし、アダンも「気分じゃなくなった」と言って、帰ることにしたらしい。
エルヴェは、アダンと話すのもこれで最後だと思って、一応礼を述べておくことにした。
「今日は、どうもありがとう。俺のワガママで」
「いやほんとだよ。こういうの、もう二度とやめてくれよ」
容赦のないアダンの言葉に、エルヴェは苛立ちを抑えられずに、溜息をついた。
「俺が一応はと思って礼儀を尽くしてるのに、なんなんだあなたは」
「そういうの良いよ、面倒くさいから。何やったって、どうせ俺のこと気に入らないんだろ。だったらそういうの無駄だ。時間がもったいない」
興味なさそうな顔でエルヴェに向かって言い放つアダンの顔を見て、エルヴェは不思議に思う。「アダンは実は某国の王子様」だなんて噂があったけれど、なんでこれがどこかの国の王子に見えるのか。あまりに信憑性がなさすぎる。
「これが王子とかあり得ないだろ」
エルヴェの独り言のような小さな呟きを拾って、アダンは猫のように目を細めて笑った。
「ああ、あの噂な。あれがどっから出てきた話なのか、俺もわからないけど」
アダンはそのままエルヴェの方を見て、にぃっと口角を吊り上げた。
「世が世なら王子らしいぞ、俺」
「は?」
エルヴェが胡散臭いものでも見るかのように、眉を寄せてアダンを見る。その表情の何が面白かったのか、アダンは声を出して笑った。
アダンがあまりに笑うから、エルヴェはからかわれたのだと思って、返事をする気も失せた。アダンから視線を逸らして、真っ直ぐに前を向く。
「百五十年以上も前に滅びた国だけどな」
「もう良いよ、その話」
エルヴェのうんざりとした声に、アダンはなんでか機嫌良さそうに「あんた結構性格悪いよな」と言って、また笑った。
エルヴェがアダンを殴ったのかどうかは、もちろんダンジョンの中でのことなので、本当のことは二人にしかわからない。タイミング良く目撃してしまったダンジョンマスターは別として。
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