第三十六・五話(中)エルヴェはアダンを理解できない
足元は土。周囲は木の柵で囲まれている。木の柵の向こうに森の景色は見えるけど、柵の向こうに手を伸ばしても届かない。柵の向こうはダンジョンのマップの外側で、冒険者はマップの外側には出ることができない。ダンジョンというのは、そういうものらしい。
一方向だけ、柵が途切れている場所があって、その向こうがこのマップの進む先だ。
エルヴェは、探索するマップの選択をアダンに任せた。アダンは、想定レベル40のマップを選んだ。アダンのレベルは48で、エルヴェは32。二人の平均レベルぎりぎりのマップだ。
想定レベルは、平均的な六人パーティの平均レベルを元にしていると言われている。
エルヴェはメテオールに来てからずっと
エルヴェは柵の向こうの森を眺めて、杖を握り締めた。不安しかない。
「そもそも、パーティ向いてないんだよ、俺は。だから、連携とか期待しないでくれ」
アダンは森の森の奥に視線を向けたまま、そう言った。
「そうは言っても……正直、俺のレベルを考えたら、このマップのレベルは高すぎるよ」
「あんたは離れて隠れててくれたら良い。下手に手を出して
何もしなくても良いと言われて、エルヴェは少しむっとした。それでも、何も言い返す言葉が出てこない。
このマップでは、複数の
逃げ回ろうにも、樹木が視界を遮り、足元には草花が覆い茂って移動を阻害する。植物に擬態したモンスターや、沼や蔦の
一度に
要するに、今のエルヴェにとっては最悪なマップだった。それは同じ
「正直、このマップは俺も余裕がない。前よりもレベルは上がってるから、多少楽になってると良いけどな。まあ、俺が前に出て動き回るから、ほとんどの
「前に出て動き回る?
「じっと突っ立って魔法撃ってるだけの
アダンの言うことはもっともだ。けれど、それはそう簡単な話ではない。
魔法を使う時には集中が必要だ。それは、成功率や命中率、威力にも関わってくる。動き回りながら集中するのは、当然のことながら難しい。
アダンがどう戦闘をするのか、エルヴェには想像できなかった。
アダンは、自身に
「さっきも言ったけど、あんたは少し離れて隠れてろ」
エルヴェをちらりと見てから、アダンは森の中に踏み出した。
その背中が木々の向こうに小さくなるのを見て、エルヴェもダンジョンに踏み入った。
最初の
幾本もの矢が放たれて、うちの何本がアダンに当たっただろうか。攻撃を受けた後の一瞬の硬直時間が終わった瞬間、アダンは走り出した。
エルヴェもはっとして近くの木の後ろに隠れる。エルヴェは今時点では攻撃対象になっていないけれど、いつそうなるかはわからない。
息を潜めて様子を伺うと、アダンはずっと動き続けているらしい。木の陰に入った瞬間、一瞬足を止めて魔法の準備をして、出た瞬間に
最初は
アダンは弓矢の狙いを
アダンが何度も投げかけた
アダンはすぐに
どちらも、
別の
「
アダンは杖しか武器を持っていない。攻撃手段も魔法しかないようだった。モンスターに近接した時も、魔法で攻撃している。
身を守るものも少ない。それなのに、アダンは平然とモンスターに近接する。HPが減ることへの
そして、その距離感で、ずっと動き回っている。足を止めている時間が短い。
アダンがパーティ向きじゃないと言った意味も、エルヴェは見ていてわかった。
アダンの戦い方は、そこに自分しかいないことが前提になっている。誰かが攻撃を止めてくれることも、回復してくれることも、守ってくれることも、何一つ期待していない。
あれと一緒に戦えと言われても無理だとエルヴェは思う。何も期待されていないのに、何をどう一緒に戦えば良いのか。
アダンはその戦闘中、
戦闘が終わったのでエルヴェがそっと近付くと、アダンが視線だけを動かす。
「ああ、あんたが拾っておいてくれ、ドロップ」
アダンは息を整えるように大きく溜息を付くと、マジックバッグからポーションを出して
「ここで大丈夫なのか、休憩」
ドロップアイテムを拾い集めてアダンの前に立つと、エルヴェは不安そうに周囲を見回した。アダンは木にもたれたまま、ちらりとエルヴェを見上げた。
「次の
アダンは投げやりにそう言って、話すのが億劫になったように目を閉じた。
「アイテムはどうする?」
「
「ポーションが一つ」
「一つか、じゃあ休憩終わったらあんたが飲んどけ。他のアイテムもあんたが持っててくれ」
アダンは目を閉じたまま、長い溜息をついた。
エルヴェは
エルヴェも少し離れた木の根元に座って、そうやってしばらくの間、どちらも何も喋らない回復の時間が過ぎる。
やがて、
「あんたはさ、ほんと何がしたいんだよ。なんの
「別に
「それこそ
アダンが、心底困惑しているという顔でエルヴェを見る。エルヴェが返答に困って苦笑だけ返すと、そのまま言葉を続けた。
「俺からしたら、気に入らない殴らせろって言われる方が、まだわかりやすいんだよな」
今度は、エルヴェが困惑を返す番だった。
「いや、殴るって……なんでそんな話になるんだ」
「だってそりゃ、気に入らない相手をパーティに誘うのなんざ、ダンジョン内で後ろから刺したいくらいしか理由がないだろ。それよりは、殴るって言われた方がわかりやすい」
「いや、だからなんでそういう話になるんだ。そんな
「ダンジョン内なんざパーティメンバーしかいないんだ、ギルドにバレなきゃ中で何が起こってもどうとでもなるだろ。ほんとに死ぬワケでもないんだし」
「なんでそう発想が物騒なんだ、そっちの方が意味がわからないよ」
アダンはあぐらを組んで頬杖をつくと、エルヴェの方を見た。
「さっきの戦闘中もさ、あんたが後ろから
話の噛み合わなさに、エルヴェは溜息をついた。
「いや、気に入る気に入らないで言ったら、そりゃ気に入らないけどさ。でもだからって、殴りたいとか、パーティ組んで戦闘中に攻撃したいとか、普通はそういうこと考えないだろ。そういった
「タグの停止とか剥奪とかなければ、考えるってことか?」
「考えないよ。俺があなたのことを殴っても、攻撃しても、それこそ俺に
アダンはしばらく、何事か考えるように黙った。黙っている間も、その鋭い目付きでエルヴェをじっと見ているので、エルヴェは落ち着かないでいる。
やがて、アダンは眉を寄せて険しい表情で呟いた。
「諦めたいから一緒に探索してくれってのは、気に入らないから後ろから刺してやるってことじゃないのか」
「違うよ! そんな意図はないから!」
アダンの中では、自分が随分と物騒なやつになっていたのだと知って、エルヴェは思わず大きな声を出す。本気でわからないという顔をしているのが腹立たしい。
「普通は、そんなこと考えもしないよ。活動停止とか剥奪とかもあるだろうけど、そもそも考えもしなかったよそんなこと」
「そっか、あんたもエメと同類か。というか、今はみんなそんな感じなのか、冒険者は」
エルヴェの言葉を聞いてるのかどうか、アダンは何か一人で勝手に納得してしまった。そして、エルヴェに向かって笑ってみせる。悪人が何か企んでいるような笑顔だった。
「あんたは今までそんなこと思い付きもしなかったんだろうけど、でも、今はもう知ってしまったな」
「はあ?」
「このマップだと、俺は戦闘中余裕がない。この先には
エルヴェはぎょっと目を見開いてアダンの顔を見た。アダンの表情は変わらない。にやにやとエルヴェの顔を覗き込んでいる。
「さっきも言ったけど、複数の
でなけりゃ俺は戦闘中動き回ってるからな、モンスターに放った魔法が
「考えてもないよ、そんなこと」
「今まで
取引を持ちかける悪魔はこんな顔だろうというような笑顔で、アダンはエルヴェにその考えを吹き込んだ。エルヴェは頭を大きく振った。
「やめてくれ。なんだってそんな煽るようなことを言うんだ」
「そっちの方が理解できるからな。意図のわかんないやつが後ろにいるより、理解できる方が安心するだろ」
「攻撃されるかもしれないってのは、安心できないだろ普通は」
「攻撃されるかもしれないより、何し出すかわからない可能性の方が安心できない」
アダンの言葉はわかるようでわからない。嘘を言ってなさそうなのが
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