第三十六・五話(前)エルヴェは諦めたい
エルヴェがエメを誘わなくなるまでの話です。
エルヴェがいろいろ拗らせ過ぎてたせいで、前中後の三話になってしまった。
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その日の早朝、エルヴェはダンジョンの
アダンが夜にダンジョン探索をしているというのは有名な話で、なのでこの時間にここで待っていれば会えるだろうと思っての行動だった。
探索するでもなくそこにいるだけのエルヴェは、
「
「あ、いや、そういうつもりは……わかってます、大丈夫ですから」
そんな、居心地の悪い時間を過ごした後に、魔法陣が光を放ち始める。
エルヴェが見詰める前で、やがてその光は人の形を作り始めた。ひょろりとした猫背のシルエット。フード付きのローブと、手には杖。後ろで雑に束ねたぼさぼさの髪。
徐々に弱くなる光の中で、アダンの琥珀色の瞳がエルヴェの姿を映して、大きく見開かれた。そして次の瞬間、魔法陣の光が消え去るよりも早く、アダンは後ずさってエルヴェに向かって杖を構えた。
「悪い、人がいるとは思わなかったから、びっくりして……咄嗟のことで。大丈夫、何もするつもりないから」
アダンはそう言って、骨ばった手で顔を覆って溜息をついた。ギルド職員は
アダンは顔を覆っていた手を外す。その下からはうんざりした顔が出てきた。
「頼むからさ、待ち伏せとかやめてくれよ。ロクな思い出がないんだ。うっかりするところだっただろ」
エルヴェはちょっと申し訳なさそうに眉を寄せて、返事をする。
「すみません。捕まえるなら、ここが一番確実かと思って」
アダンはまた溜息をつくと、「歩きながらで良いか?」と言って返事も聞かずに歩き出した。エルヴェはそれを追って、ダンジョンの
ダンジョンの
平地のレオノブルやペティラパンはダンジョンを囲むように街ができているけれど、メテオールはこの山道の途中に街を作ることができなかったのだろう。
エルヴェとアダンは、しばらく無言で坂を下っていた。しばらくして、アダンが問い掛ける。
「それで、何の用」
足元を見ながら、それに応える。
「俺と、パーティを組んで欲しくて」
「はあ?」
よほど予想外の言葉だったのだろう、アダンは足を止めて、信じられないものでも見るように、エルヴェを見た。エルヴェも合わせて足を止めて、顔を上げてアダンを見る。
アダンは小さく舌打ちをすると、また歩き始めた。エルヴェはそれを追って隣に並ぶ。
「もちろん、この先ずっとって話じゃない。一回だけで良いんだ。一緒に、ダンジョン探索して欲しくて」
アダンは後頭部を掻きむしって、小さく舌打ちした。
「俺とパーティ組んでも、エメはダンジョン探索しないぞ」
アダンに顔を覚えられているのか、エルヴェは自信がなかったのだけれど、どうやら認識はされているようだった。エルヴェは足並みに合わせてほっと息を吐く。
「それが目的じゃないよ」
「じゃあ、何が目的なんだよ」
アダンの声音は、すっかりエルヴェを警戒するものになっていた。エルヴェは小さく苦笑する。もともと、断られるだろうなとは思っていたのだ。
「いや……彼女のことを諦めたくて」
「はあ?」
アダンの声は、さっきよりも大きい。アダンは気味の悪いものでも見るかのようにエルヴェを上から下まで眺めて、それからまた口を開いた。
「いや、それでなんで俺とダンジョン探索する話になるんだよ、意味がわかんねえよ」
「彼女はもう、ダンジョン探索をしないんだろう? だけど、俺は気持ちの整理がつかなくてさ。すっぱり諦めたいって思うんだけど、何かきっかけが必要だなって」
「だからそれでなんで俺のところに来るんだよ。人を巻き込むな。一人で勝手にやってろ」
「だって、あなたは彼女とだいぶ親しいみたいだから。あなたのことを知ったら、諦めもつくかなって思ったんだけど」
アダンは大きな溜息をついた。
「さっぱり意味がわからないけど、もう良い。理解するつもりも起きないよ」
「うん、まあ、理解して欲しいワケじゃないから、別に構わないかな」
話がうまく噛み合わなくて、しばらく二人で無言で坂道を下った。やがて、アダンが小さな声で言った。
「だいたい、二人でダンジョン探索しても、なんの
「俺の方は、だからきっかけが欲しいだけだから、別に
「足りないだろ。だったらパーティなんざ組まないで
アダンが手に持っていた杖を持ち上げて、その杖頭で自分の肩を叩いた。アダンが使っている杖は、相変わらずあの杖だ。エルヴェが彼女と二人で買い物に行って、彼女にと選んだ杖。
アダンがその杖を持っているのを見るまで、エルヴェにとってもその杖はそれほど特別な思い出ではなかった。ただ、パーティメンバーになって、同じ
だと言うのに、アダンがその杖を持っていると、エルヴェはいつまでも諦めきれないような気がした。
「そうか、じゃあ、杖を」
「はあ?」
「新しい杖を渡すよ、報酬ってことで。それでどうかな」
「いや……意味がわからなくて余計気持ち悪い」
どれだけ話しても、二人はお互いを理解できないままだった。
メテオールに到着すると、エルヴェはアダンに追い払われた。エルヴェはいったんは大人しく引き下がる。
エルヴェは翌日も、朝に
「だから、待ち伏せはやめてくれって言っただろ」
昨日と同じ下り坂を昨日と同じように二人で歩く。
今日はすぐに、アダンが話を切り出した。
「俺は今から寝るから、夜でも良いか?」
なんの話かと、エルヴェは瞬きする。
「探索だよ。どうせあんた、俺が頷くまで毎日これやるつもりなんだろ。あんたが諦めるまで待つより、さっさとやった方が早い」
「ああ……時間は、合わせるよ」
思っていたよりもあっさりとアダンが了承したので、エルヴェは戸惑っていた。アダンは溜息をついて後頭部を掻き回した。
「ああ、でも、パーティ登録が必要なんだっけ。面倒クセェな。それだけ朝のうちにやっとくか」
「それと、杖を」
エルヴェの言葉に、アダンは顔をしかめた。
「杖?」
「報酬。昨日話しただろ、あなたへの報酬が必要って」
「要らねえよ。俺にはあんたの意図がさっぱり理解できないし、理解できない相手から物もらうなんざ気持ち悪い。ドロップアイテムは全部俺が取って良いんだろ、それで良い」
「それは……あなたがそれで良いなら」
自分で言い出したことだというのに、エルヴェはぼんやりと戸惑ったままアダンの言葉に頷いた。それを見て、アダンは舌打ちをする。
「ああ、それともう一つ条件があった」
「ええと、俺でできることなら」
エルヴェが頷くと、アダンは鋭い視線をエルヴェに投げかけた。
「もう金輪際、待ち伏せみたいな真似はすんなよ。マップから出た時に
吐き捨てるようなアダンの言葉の意味を、エルヴェは「つきまとうな」だと理解した。エルヴェも、待ち伏せが行儀の良いことじゃないのは自覚していた。ギルド職員にも警戒される程度の行為なのだ。
それを受け入れない理由はエルヴェにはない。エルヴェは「わかった」と頷いた。
アダンというのは、噂には事欠かない男だ。
噂話の中には
そんな噂の中からいかにもありそうなものを繋ぎ合わせて見れば、アダンという男が冒険者になったのはここ一ヶ月ほどで、その前は
エメとは、
エルヴェは、エメとアダンの噂もいくつか聞いた。噂を聞かなくても、あの時に二人のやりとりを少し見ただけのエルヴェにもわかる。あの二人は随分と親しげだった。
エメはアダンの姿を見ると嬉しそうに笑うし、アダンの方もエメには随分と気安く振舞っていた。鋭い視線と横柄な態度で周囲を寄せ付けないアダンが、エメに対してだけはごく近い距離感を許している。噂によれば、エメは毎日仕事の後にアダンの家を訪ねているらしいし、アダンは毎日そのエメをギルドの寮まで送り届けているらしい。
冒険者たちの下世話な推測の通り、二人は
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