カーテンコール

第九・五話 イネスは結婚について語った

色々あって本編には入らなかった話がいくつかあるので整理して投稿します。

本編を最後まで読んでいる前提の話なので、本編読了後にどうぞ。


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「エメも清冽クリーンしておこっか?」


 イネスの言葉に、ベッドに腰掛けて髪を梳かしていたエメが手を止めて顔を上げた。小麦色の髪は柔らかそうで、落ち着いた色の深い緑の瞳がイネスを見上げる。


「ええっと……はい、お願いします。その、いつもありがとうございます」


 エメはイネスと目が合うと、少し悔しそうな表情を見せて目を伏せた。

 冒険者は大抵清冽クリーンの魔法を使える。便利だからだ。エメも魔法を使えはするはずだけれど、イネスはエメが清冽クリーンを使っているのを見たことがない。


 レオノブルを出発したその日の夜、イネスは何気なくエメに聞いた。「清冽クリーン使わないの?」と。エメはちょっと困ったように笑って、それから目を伏せた。


大失敗ファンブルで何が起こるかわからないので、怖くて……試したことがないんです」


 モンスターにダメージを与える魔法の場合は、仲間にダメージがある。灯りライトであれば、光を発するのではなく逆に暗闇に。であれば清冽クリーン大失敗ファンブルではどんな事態になるだろうか。想像して、イネスはぞっとした。

 それ以来、イネスはエメにも清冽クリーンをかけることにしている。その度にエメは、申し訳なさそうな顔をしてイネスにお礼を言う。


 エメは素直な良い子で、頑張り屋だし、一生懸命だし、でもこういう時にイネスはわずかな苛立ちを覚える。一緒にダンジョン探索して、買い物したりお喋りしたり、それでもまだエメは周りと距離を置いている。

 エメから感じるその距離に、口をついて出そうになった溜息を飲み込んで、イネスはエメに清冽クリーンの魔法をかける。

 まだパーティになって日は浅い。これからもっと仲良くなれたら良いと考えて、イネスはエメに笑顔を向けた。

 エメもぎこちないながら笑顔を見せて、また改めてイネスに礼を述べる。そして、イネスの視線から逃れるように俯いて、携帯用の黄色いブラシでまた髪の毛を梳かしはじめた。




  イネスもエメのベッドに並んで腰掛ける。エメはびくりと肩をすくめて、驚いた顔でイネスを見た。


「あの……ええっと……?」


 エメが困ったように視線をさまよわせてから、伺うようにそっとイネスを見る。

 取り立てて特徴のない村娘といった見た目で、髪の色も瞳の色も地味だとエメ本人は言っていた。でも、それはエメの純朴そうな雰囲気によく似合っている。困ったような表情はまるで純情な乙女のようだし、素直な言動に心くすぐられる男もいるだろう。

 例えば、エルヴェのように。


 イネスはにっこりと笑ってみせる。


「寝る前に、ちょっとお喋りしたくて」


 エメは何回か瞬きしてから、嬉しそうに口元を緩めて、はにかんだ笑顔を見せた。




 エメはブラシを自分の肩掛けバッグにしまうと、中から扁桃の飴がらめアーモンドのカラメリゼの袋を出した。


「イネスさんも一緒に食べましょう。その……少ししかないですけど」


 イネスは遠慮なく、それを一粒摘んで口に含む。ぱりっとした歯ごたえを噛み砕くと、ぎゅっとした甘みと香ばしい苦味が口の中でほどける。


「ありがと。次はわたしが用意するから」

「はい。楽しみにしてます」


 エメはそう言って、自分も一粒口に含んだ。幸せそうに目を細めて口をもぐもぐと動かしている。

 イネスはそんなエメの様子をしばらく眺めてから、話を切り出した。


「ね、こないだから聞きたかったんだけど、エメってエルヴェのことどう思ってるの?」


 イネスの言葉に、エメはきょとんと動きを止めた。


「エルヴェさんのこと……?」


 何もわかっていないというように、エメは首を傾ける。


「そうですね。親切な人だな、と。それに、優しいですよね。あ、みなさん優しいですけど」


 そう言って、エメはイネスを見て「イネスさんも」と付け加えて笑った。イネスとしては、恋バナをするべく切り出したつもりだったけれど、エメには何も伝わってなさそうだということがわかった。

 エメは機嫌の良い表情で、ふわふわと言葉を続ける。


「みなさん良い人ですよね。こうやってパーティを組んでダンジョン探索できるなんて、わたし本当に嬉しくって。それに、みなさんしっかりしてるし、わたしなんてまだまだだなって……早く追い付きたいなって」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、ちょっと待って。わたしは、エルヴェのことを聞きたかったんだけど。わたしたちみんなのことじゃなくて」


 イネスに止められて、エメはまたきょとんとした顔になった。


「ええと……なので、優しくて良い人……あ、魔法使いソーサラーとしてもすごい人ですよね。攻撃役アタッカー支援役サポートを一人で両方こなすのって、大変なのに、今までずっとそうやってたってすごいと思います」


 エルヴェの気持ちが当分報われることがなさそうだということも、イネスにはよくわかった。

 無垢を通り越して幼い。その幼さは純粋さとも言えるのだろうけれど、エメときゃっきゃとお喋りしたかったイネスにとっては、小さな苛立ちの種だった。


「エメはさ……誰かを好きになったことある?」

「え……それは、あります、けど……?」


 答えながら、エメは首を傾ける。なんとなく、イネスが聞きたいことと自分が答えていることが噛み合っていないような気持ちにはなっていた。でも、何が違うのかエメにはわからない。

 エメの表情に、イネスは苦笑を返す。


「んー、多分エメの考えてる意味じゃなくて、恋愛的な意味でね」

「恋愛……」


 エメは口元に手を当てて、難しい顔をしたまま考え込んでしまった。その顔に、イネスは「そこまで考えることだとは思わなかった」と吹き出した。


「んー……わたしはさ、恋愛的な意味で好きな人がいるし、その……結婚したいなって思ってるんだよね、その人と。すぐにってわけじゃないけど、でも、そのうちにはさ」


 イネスはエメから視線をそらして、自分の足元を見た。自分から持ちかけた話題だけれど、照れくさいものは照れくさい。それに、他のメンバーにもまだ話していないことだった。もしかしたら、ユーグ辺りはもう気付いているかもしれないな、とイネスは思っている。


「結婚……」


 エメはぼんやりと呟いて、イネスを見ている。イネスの睫毛が影を落とす頰が、わずかに赤く色付いている。


「でも、それで子供が生まれるってなったら、しばらくダンジョン探索はできないでしょ? そうなると、タイミングとか難しいなって。エメはさ、結婚とか、考えたことある?」


 イネスの言葉に、エメは眉を寄せたまま黙り込む。イネスはその様子に、苦笑して言葉を続けた。


「まあ、『好き』もわからないんだし、わかんないよね。ごめんね」


 エメの幼さをことさら強調するような物言いになってしまったことに気付いて、イネスは小さく胸を痛めた。勝手に話し出して、その話がうまくいかないことに勝手に腹を立てている。その腹立ちをエメにぶつけているだけだと、自分で気付いてしまった。


「わたしは」


 エメは困ったような表情で、イネスを見た。


「その……結婚って、誰かに言われてするものだと思っていて……。村ではみんなそうでしたし、兄や姉もそうやって誰かに言われて結婚してました。それに、わたしは小さい頃から、親にはフロランのところに嫁に行くんだからって言われていて。あ、フロランていうのは幼馴染お隣さんなんですけど、同い年で小さい頃からよく遊んでいて」

「その、フロランって幼馴染のことが好きなの?」


 イネスの問いに、エメはやっぱり困った表情のまま首を振った。


「ええっと、嫌いではないですけど、その……家族みたいなものなので、よくわからなくって。向こうもそうだと思います。兄弟みたいな。でも、フロランは村で鍛冶屋をやらないといけないから村で暮らさないといけなくて、そのフロランと結婚するならわたしは冒険者を続けられないので、それは困るなあって思ってて。

 あ、でも、わたしがこのまま冒険者を続けていたら、多分親も結婚のことは言い出さないと思うし、だったら結婚もしなくて良いのかなって、そのくらいしか考えてなくって」


 イネスはぽかんと口を開けてエメを見た。エメの表情は大真面目で、何一つ嘘がない。それに、エメはこんな嘘を言うような子ではない。

 エメの言葉には、好きな人と一緒に暮らすという甘やかさもなければ、幸せな家庭といった柔らかな憧れもない。エメにとって誰かに言われて結婚をするというのは、頼まれてお使いに行く程度のことなのだろうか。


「その、ごめんなさい……イネスさんの言う恋愛的な好きは、わたしにはわからなくて……。ええと、でも、多分ですけど、回復術師ヒーラーのクレマンが戦士ファイターのデジレを庇ったような、そういう話ですよね。支援役サポートなのに前衛の人を庇ってHPを減らすなんてって、子供の頃はよくわかってなかったんですけど」


 回復術師ヒーラーのクレマンと戦士ファイターのデジレは、定番のダンジョン話おとぎばなしだ。物語の最後に二人の気持ちは通じ合って結婚をするので、確かにラブロマンスでもある。

 イネスは小さく首を振った。


「ごめん。わたしは自分のことで浮かれてたから、周りが見えてなかった」


 恋愛や結婚が個人の自由になるような人たちばかりではない、ということをイネスは初めて思い知っていた。そして、自分の言動はエメにとって随分と残酷なものだったのだろうかと、ふと思う。


「そんな、わたしこそ……その、うまくお話できなくて……」


 エメは申し訳なさそうに小さくなっている。エメが悪いわけでもないのに。その態度に、イネスはやっぱり少しの苛立ちを覚える。エメのことをエメ自身がもっと話してくれたらと。でも、それも身勝手な思いだと、すぐに気付く。

 イネスは小さく息を吐いて、俯くエメの顔を覗き込んだ。これ以上二人で謝り合っても仕方ない。できるだけ明るく笑ってみせる。


「今はわからなくてもさ、そのうち……もし、誰か好きな人ができたら、エメが誰かを好きになったら、教えて?」


 エメは相変わらず困ったように眉を寄せて、でも少しだけ笑って頷いた。


「はい。その……まだわからないですけど。もし、わかったら……話を聞いてください」


 冒険者になったエメは、もう自由なはずだ。イネスが自分の気持ちを自分で選んでいるように、エメだって自分で選び取って良い。


 イネスは扁桃の飴がらめアーモンドのカラメリゼをもう一粒もらって、口の中で噛み砕く。煮詰めた甘ったるさの中に、ほろりとした苦さがあって、カリカリとした扁桃アーモンドの歯ごたえが美味しい。

 エメも口に扁桃アーモンドを一粒含んで、それからイネスと目が合って照れたように笑った。

 イネスも笑顔を返して、それから心の中でこっそりとエルヴェに声援を送っておいた。大変だろうけど頑張れ、と。エメはそもそもまだ、自分が自由だってこともわかっていないのだ。急かすのは可哀想だろう。結果、エルヴェは苦労しそうだけれど、それは本人に頑張ってもらうしかない。


 そして、皮肉屋の回復術士ヒーラーの顔を思い浮かべる。エメの話を聞いて、お互い自由であることと、こうして気持ちが通じ合っていることがあまりに奇跡的に思えてしまった。

 だったら、いつかなんて言っている暇はないのかもしれない。


 飴がらめカラメリゼの甘さと苦さは、しばらくの間、舌の上に残り続けた。


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