第三十九話 エメはテオドールが好き

 ロラの家を出ると、日はすっかり沈んでいて、暗い夜道の反対側の街灯の光の少し外側に不機嫌そうなアダンが立っていて、エメは危うく叫び声を上げるところだった。鋭い目付きが、いつにも増して悪くなっている。

 アダンはエメが出てきたのを見ると、不機嫌そうに大股に近寄ってくる。アダンの剣幕に思わず一歩下がるエメに、アダンはぐいっと顔を近付けて見下ろした。エメの背が逃げるように反らされる。

 エメはそこでようやく、アダンがグリモワールを持っていることに気付いた。もしかすると、ダンジョンで何かあったのだろうか。

 エメの姿を頭から爪先まで眺めた後、アダンは不機嫌そうな表情を変えないまま、ぽつりと呟いた。


「無事で良かった」

「……え?」


 アダンはその手のグリモワールをエメの胸に押し付ける。エメはアダンの言葉の意味を捉え損ねたまま、グリモワールを受け取ってその腕に抱いた。アダンはそのままエメの腕を掴んで歩き出した。エメも慌てて足を動かした。


「飯は?」

「あ、まだ買ってなかった」


 アダンは舌打ちして「そんなこったろうと思った」と、そのまま歩くスピードを緩めない。

 途中で食堂に寄って出来合いの料理を包んでもらうテイクアウトする。その間もアダンはエメの腕を掴んで離さなかった。まるで、離したらエメがどこかに行ってしまうかのようだ。

 その料理弁当を持ってアダンの家に行く。アダンは弁当の包みを乱暴にテーブルに置くと、エメをソファに座らせる。グリモワールをその腕の中から取り上げて向こうのソファに投げ出す。そして、エメの左手を取ると、脱力したように床に座り込んだ。


「え、あの……アダンさん……? 何かありましたか?」

「何かあったかはこっちの台詞だ。真っ暗になるまで音沙汰なしで……何かあったかと思ったんだよ」


 アダンはエメの手を両手で握りしめて、エメの膝に額を付ける。エメは瞬きしてアダンの姿を見下ろしていた。

 そのまましばらくアダンが動かないので、エメも動けなかった。


「わかってはいるんだ。あれから百五十年経ってる。あんなに治安は悪くないし、女の一人歩きだって珍しくない。でも……」


 エメの手を包むアダンの手に、ぎゅっと力が入る。


「あんたが無防備すぎるのがいけないんだ。危機感なさすぎるし。ぼんやりしてて騙されやすくて」


 そこまで言われて、エメはようやくアダンに心配されていたのだと気付いた。エメにとっては随分と大袈裟に思えたけれど、きっとそれは百五十年の違いなのだろう。アダンから聞いた百五十年前の様子は、エメが想像もできないくらいに治安が悪かったみたいだから。

 エメは、以前アーさんにしていたみたいに、アダンの頭にそっと手を置いて髪の毛を撫でた。アダンの黒い髪は硬くて、アーさんの柔らかかった髪とは随分手触りが違う。それでもこうしているとまるでアーさんが拗ねたときのようだった。


「あの……心配かけてしまったみたいで、ごめんなさい。迷子の子を家まで送ったら、思わぬ再会がありまして、それで少しだけのつもりでお話を」


 エメの言葉に、アダンはまた舌打ちをした。


「なに簡単に謝ってんだよ、謝るようなこともしてないのに」

「え、でも、わたしがアダンさんのところに来るのが遅れたから……」

「それだって別に……あんたがここに来るも来ないも自由なんだよ、好きにして良いんだ。ここはあんたの家じゃないし、ここに来る必要もない。だから、あんたがここに来ないからって、こんなになってる俺の方がおかしいんだ」


 そう言いながらも、アダンはエメの手を離そうとしないし、エメの膝にはアダンの額がくっついたままだ。エメは何を言えば良いのかわからなくて、ただアダンの頭を撫でていた。


「自分の反応が過剰なのは自覚してる。今はもう、前みたいな心配しなくて良いってこともわかってる。それでも、もしかしたらって、いつも来るはずのあんたが暗くなっても来なくて嫌なことばかり思い出して」

「アダンさん」


 エメは背中を丸めてアダンの頭に顔を近付けると、静かに呼び掛けた。アダンは言葉を止めたけど、まるでエメの声に応えるように、指先に力を込めた。


「そうやって心配してもらえて嬉しいです。迎えに来てもらったのも、さっきはびっくりしましたけど、嬉しかったです。ありがとうございます」


 エメが素直な気持ちを言葉にしてアダンに伝えると、アダンはその姿勢のまま長くて大きな溜息をついた。

 いつまでも続くかのような溜息が終わると、エメの手を解放して、アダンは立ち上がった。相変わらず目付きが悪くて、唇は不機嫌そうに引き結ばれていて、そして不健康に青白い頬に珍しく赤みが差している。顔を隠すように片手で前髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜている。


「とにかく……腹減った、飯食おう」

「はい」


 エメの返事にアダンは舌打ちをする。エメとは目を合わせずに、テーブルの上に置いたままになっていた料理の包み弁当を開き始めた。唇は不機嫌そうに結ばれたままだったけれど、中から挽き肉をたっぷりと詰めた揚げパンが姿を見せると、それを一つ持ってエメに差し出した。

 まだ少し赤みの残る頬で、ようやくエメを見ると、小さく呟く。


「ま、無事で良かったよ、ほんと」

「おかげさまで」


 エメはアダンと視線を合わせて、嬉しそうに笑うと、両手を伸ばして揚げパンを受け取った。




 エメがまだ半分も食べないうちに、アダンは一つ目のパンを食べ終えて、包みの中から揚げ芋を取り出して食べ始めた。


「そういえば、よくわかりましたね、わたしの居場所」

「ああ、グリモワールに探させた」


 エメは首を傾けて、向こう側に投げ出されたままになっているグリモワールを見た。


「アダンさん、操作したんですか?」

「まさか。俺には操作権限ないからな」


 普段からエメのMPマナを使ってやりたい放題やっているのにと、エメはまたアダンを見る。アダンはにやにやと笑っていた。こういう顔をしているときは本当に悪い人に見えると、エメは思った。


「グリモワールには状況を説明してしただけ。それでエメを探したのは、グリモワールの判断だ」

「グリモワールさんが、わたしを探せるんですか?」


 エメの声に反応したのか、グリモワールが表紙を開いて浮き上がった。エメは慌ててそれを止める。


「グリモワールさん、今はまだそこで。食事中なので。それに、揚げパンなので油が」


 エメの制止に、グリモワールはしゅんと表紙を閉じて、またソファに戻る。エメはほっと息を吐いてアダンに話の続きを促した。


「一定範囲内ならダンジョンマスターのMPマナを辿って位置がわかる。ダンジョンマスターだけじゃなくて、MPマナ登録した相手なら誰でも。だから、俺もグリモワールからは隠れられない。隠れたかったらグリモワールの範囲外に出るしかないな」

「へえ……便利なんですね」


 エメがぼんやりと感想を口にすると、アダンは微妙な表情を見せた。


「監視されてるようなものだぞ」

「でも、アダンさんはそれでわたしを見付けたワケですから、やっぱり便利じゃないですか?」


 エメは大きく頷いて「うん、やっぱり便利ですよ」などと言ってパンにかぶりつく。アダンはエメの姿を見て苦笑した。

 エメがきちんと一人前を食べるようになったのはいつからだったろうか。エメが屈託なく食べている姿を見るだけで、アダンは今でもほっとする。


「そうだ、飴がらめカラメリゼ買ったんです。扁桃アーモンドの。あとで食べましょう」

「あんた好きだよな、それ」

「初めてレオノブルに連れてってもらった時に、誰かにもらって食べたんですよね。ずっと田舎の育ちだったので、初めて見るダンジョン街都会の全部がすごくきらきらして見えて、わたしの中ではだからダンジョン街といえば扁桃の飴がらめアーモンドのカラメリゼで、扁桃の飴がらめアーモンドのカラメリゼといえば都会のお菓子なんですよ」

「レオノブルがきらきらね……俺にはぴんとこないな」


 ロラと初めて出会った時のことを思い出して、エメはふふっと笑う。その笑い声にアダンが拗ねたように目を細めた。


「なに」

「あ、ごめんなさい、思い出し笑いです。今日再会した人なんですけど、初めてレオノブルに行った時に会った人だったので、懐かしいなって。わたしが冒険者になりたいなって思ったきっかけの人だったんです」


 話しながらも自分の言葉で何を思い出すのか、エメはまたくすくすと笑った。


「ふうん……何歳いくつの時」

「ええと、確か一番上の兄が成人して……わたしは確か五歳でした」

「あんた今何歳いくつだっけ」

「こないだ十八になりました。そういえば、アダンさんの歳も聞いたことないです」

「あー、俺は……どう数えたら良いんだろうな」


 アダンは指先についた油を舐めながら、視線を天井に向けて考える。


「契約破棄された時は、確か二十四だったかな。ダンジョンマスターになって五年目。アーさんとして召喚されてから一年は経ってるから、二十五になってるのか。それとも生まれ年考えたら百八十歳ってことになんのかね」

「百八十は、さすがに違うと思いますけど……姉が二十五なので、同じですね。どうりで大人っぽいです」

「その感想が子供っぽいだろ。成人前のガキか」

「え、そうですか?」


 アダンは揚げ芋を一切れ摘んで、ぽかんと開いたエメの口に押し込んだ。エメが思わず閉じた唇に挟まれて、アダンの指がエメの口から離れてゆく。


「それで、その冒険者になるきっかけってのは、なんだったんだ?」


 アダンは揚げ芋を自分の口にも放り込んで、エメが口の中の揚げ芋を咀嚼して飲み込むのを待つ。エメは頭の中で何を思い出したのか、またふふっと笑った。


「ええっと、そうですね、どこから話したら良いものか。初めてレオノブルに行った時に、兄と市場に行ったんですけどそこで兄とはぐれてしまってですね。あ、そもそも、わたしの出身はジェルメっていう村で、レオノブルから馬車で一日のところにある田舎なんですけど」


 アダンは包みの中からパンをもう一つ出して、それを食べながらエメの話を聞く。エメの話はあっちこっちにふらふらと寄り道しながら危なっかしく進んでゆく。それでも、楽しそうに語るので、子供の頃のエメは幸せだったのだろうなとアダンは思った。

 幸せに育って、だからこんなに無防備で、だからこんなに危なっかしく見えるのだろう。アダンはエメといると自分までその幸せな世界の中に巻き込まれている気持ちになる。自分の境遇を不幸だとも思ってないし、人の幸せを羨ましいと思ったこともなかったのだけれど、エメの幸せの隣にいるのは存外心地が良くて、最近は手放すのが惜しくなってきていた。

 エメはアダンに向かって、ロラという名前の魔法使いソーサラーがどれだけ優しくて格好良かったのかを語り、そして今はレベル100伝説魔法使いソーサラーテオドールがどれだけ格好良くて凄くて、どれだけ好きだったかを語っている。

 アダンは、エメが他の魔法使いソーサラーを褒めているのがなんだか少し面白くないような気がしていた。いくら子供の頃の話とはいえ。




「あんたはさ、レベル100の魔法使いソーサラーになりたかったのか? テオドールおとぎばなしみたいに」


 アダンの問いかけに、エメは言葉を止めて首を振った。


「まさか。自分がテオドールみたいになれるなんて、子供の時だって思ってなかったです。でも、MPマナの量が普通じゃないって聞いて、その時はちょっと期待しましたけど」

「まあ、あんたのMPマナ量は確かにダンジョン話おとぎばなしみたいだな、それに性質の珍しさも。使い方さえ知っていれば、本当になれたかもしれないのに。もったいない」


 エメはまた首を振って、笑ってアダンを見る。


「良いんです。代わりにわたしは、ダンジョンを作ることにしたんですから。

 SRスペシャルレアのモンスターを配置して、それでダンジョン話おとぎばなしのような設計デザインができれば、すごく強い冒険者がメテオールに来ますよね。そしたらわたしはその探索の様子を近くで見れるし、冒険者ギルドに来たその人から話を聞いてマップ情報ガイドブックに記録を残して、それって本当にダンジョン話おとぎばなしみたいじゃないですか」

「ふうん」


 アダンは指先の油を舐めながら、エメに目を向けた。


「レベル100を目指すのも、面白いかもな」

「え……」


 アダンは、返答に困って口を閉ざしたエメに向かって、にやりと笑ってみせた。


「俺がなってやるよ、レベル100テオドールに。それで、あんたの作ったダンジョンを探索してやる」


 エメは目を瞬かせてアダンを見た。今までレベル100なんて、それこそダンジョン話おとぎばなしの中だけのことだと思っていた。でも、とアダンを見つめる。

 アダンはいつもの余裕ぶった笑みを浮かべていた。その表情を見ながら、この人なら本当にやってしまうかもしれないとエメは思ってしまった。そして、アダンが一人ソロ黒竜ブラックドラゴンを倒すところを見てみたいと思った。


「作ります! レベル100になったアダンさんが面白いって思うようなマップを設計デザインしますから! だから、わたしのダンジョンを探索してください! テオドールおとぎばなしみたいに!」


 身を乗り出してアダンを見上げるエメの瞳がきらきらと輝いて、頬が上気している。あれこれと悩みながらも楽しそうに設計デザインする姿が見えるようだった。


「そうだな、あんたが作るマップ、俺が全部一人ソロ攻略クリアするよ」

「はい! アダンさんのために設計デザインします!」


 エメが嬉しそうにそう言ったとき、グリモワールがエメの目の前にやってきて表紙を開いた。エメは油でべたべたになった手で触ってしまわないように、両手のひらを肩の高さにあげた。


──マスター、特定個人に対して利があるようなダンジョン運営は不正行為です。


「え、あ、えっと、今のはそういうつもりではなくてですね、アダンさんのためではあるんですけど、もちろんアダンさんのためだけのつもりはないですし、ちゃんと他の冒険者のことも考えますし」


──そもそも冒険者とダンジョンマスターがダンジョン運営や、まして設計デザインについて話すこと自体、不正行為と判断される可能性があります。マスターはその辺りがわかっていないようです。


「え、あの、ごめんなさい、でも」

「空気読め情報端末グリモワールすっこんでろ、揚げ芋ぶつけて揚げ油でべとべとにしてやるぞ」


──マスター、この男を出入禁止バンしてください。


 エメに近寄ってくるグリモワールに油がつきそうで、エメは背中をそらして懸命に距離をとる。


「グリモワールさん、今は手が汚れてます!」


 叫ぶようなエメの言葉に、グリモワールは動きを止めてそっとエメから離れた。


「油まみれの手で強制停止シャットダウンしてやれ」


 アダンからはグリモワールの綴る言葉は見えていないはずだ。だというのにアダンは何が綴られているのか知っているかのように、苛ついていた。見なくても想像はついているのだろう。


──この男を即刻出入禁止バンすべきです。


「グリモワールさん、とにかくもう少し離れていてください。まだ食事中ですから」


 グリモワールはしゅんとソファの上に身を横たえて、そして静かに表紙を閉じた。アダンは苛立ちのままに舌打ちをする。

 エメはほっと息を吐いて、改めてアダンに向き直った。 


「そうだ、あのですね、わたしまだ黒竜ブラックドラゴンと契約できてないんです。契約のためには」


 そこまででもう、アダンにはエメの言いたいことが想像できてしまった。アダンはエメの言葉を遮って、口を開く。


召喚ガチャしたいから錬成の限度額リミット上げろって言うんだろ。報酬リワードの分でもう少し頑張ってから言え。それにテオドールおとぎばなしの真似だけしてもつまんねぇだろ。だいたい召喚ガチャなんざ狙って契約できる仕組みじゃないんだぞ、わかってんのか」

「それは……そうかもしれないですけど、でも、もしかしたら契約できるかもしれないですし」


 エメの言葉を聞いて、アダンは大きな溜息をついた。


「やっぱまだ当分ダメだ。もしかしたらで召喚ガチャなんかやったらあっという間に全部持ってかれるぞ」


 エメは納得行かない様子で、唇を尖らせてぶちぶちとでもだってを繰り返している。直接アダンに言ってこないのは、エメ自身も自分の危うさを多少は自覚しているかららしい。

 アダンはその様子に苦笑して、少しだけ折れることにした。


「今後の生活態度次第で考えてやる。無理しない範囲で錬成用の銅貨を貯めてみろ。それが11連分溜まったら、錬成しても良い。少しでも無理してたら錬成なんざできないものと思えよ」


 アダンの言葉に、エメはぱっと顔を輝かせた。もしかしたら今日一番の良い笑顔かもしれない。エメの表情の素直さにイラっとして、アダンは手を伸ばすと油まみれの指先でエメのおでこを弾いた。




 その日の夜、エメはそのままアダンの家のソファで眠ってしまった。アダンもダンジョンに行きそびれたまま、手持ち無沙汰を持て余してそのままソファで眠った。

 翌朝、エメはアダンに起こされて小さな欠伸をしながら起き上がる。


記録ログ確認しないと」


 ぼんやりとグリモワールを探すのをアダンが止める。テーブルの上には昨日の食べ物の包みがそのままで、眠ったのも話している最中だった。エメもアダンも手や顔や髪が油で酷いことになっている。アダンがエメと自分に清冽クリーンをかけて、ついでにソファにもかける。

 手が綺麗になって真っ先に、エメはグリモワールを開いて定期報酬ログインリワードを受け取り魔水晶を確認する。最近はアダンを真似て夜に探索する冒険者も見かけるようになった。寝起きでぼんやりしたまま、召喚ガチャとレベル上げとアイテム交換に振り分ける。それからようやく、自分のバッグの中から携帯用の黄色いブラシを取り出した。

 エメがブラシで髪の毛を梳かしている間、アダンは膝に肘をついてその手の上に軽く顎を乗せて、少し離れたところにあるグリモワールをじっと見ていた。ちょうど朝の光が部屋に差し込んで、ぐちゃぐちゃのテーブルの上やぼんやりとした眼差しのアダンを柔らかく照らしている。


「なあ、エメ」


 アダンがグリモワールに視線をやったまま、エメに声をかける。エメが手を止めて「はい」と返事をすると、ようやくアダンはエメの方を見た。


「あんたさ、この家に引っ越してこないか。部屋は余ってるから」

「ええと……アダンさんの家で暮らすってことでしょうか」

「その方がいろいろと心配がないなと思って。それに、なんだかんだ毎日家に来てるんだから、同じことだろ」

「同じこと……ですかね……?」


 エメは首を傾けて考える。アダンは大袈裟なくらいに頷いてみせた。


「同じだろ。アーさんだった時とも同じだ」


 アーさんの名前を出されて、エメは笑った。アーさんがいなくなって、急に部屋に一人になって、寂しく感じていたのは確かだった。アダンももしかしたら、同じように思っているのかもしれない。そう思うと、なんだか嬉しいようなくすぐったいような、恥ずかしいような気持ちになる。


「そうですね、同じかもしれません」


 ダンジョンマスターと冒険者は顔を見合わせて、お互いの秘密を共有していることを確かめ合うように、ひっそりと笑顔を交わし合った。




 メテオールはやがて、初心者から超上級者向けのマップを一通り揃えた大きなダンジョンになる。それだけのマップ数がありながら、どのマップも一ヶ月ほどで入れ替わる。

 なのでギルドは冒険者からの情報の買い取りに熱心だ。ギルドが発行するマップ情報ガイドブックには、新しい情報がどんどん追加され更新され、冒険者はまた新しい情報を求めてマップ情報ガイドブックを購入し、ダンジョン探索をする。

 最近は「満月の女神 アルテミス」と「新月の女神 アルテミス」のどちらかに遭遇エンカウントするマップが上級者の中で話題になっている。

 順番登録がないので、レベル上げレベリングしたい冒険者たちにも人気だ。冒険者の中には周回が苦にならないタイプの者もいたし、周回まではしなくても、登録して二日後にようやく探索できる他の街に比べると、メテオールの方がレベルが上がりやすい。最近はレベル上げレベリングならメテオールとも言われている。




 ある日、メテオールのダンジョンに新しいマップが登場する。そのマップにはたくさんの階層フロアがあって、それからたくさんのモンスターとたくさんのマジックアイテムとたくさんのトラップが詰まっていて、まるでダンジョン話おとぎばなしに登場するダンジョンのようにめちゃくちゃで賑やかなものだった。

 そのマップを最初に攻略クリアしたのは、アダンという名の一人ソロの冒険者で、攻略クリアした時のレベルは86だった。

 その探索の情報はギルドによってマップ情報ガイドブックにまとめられた。メテオールのマップ情報ガイドブック担当の職員が情熱を込めて作成したそのマップ情報ガイドブックはまるでアダンの探索の様子を物語るかのようで、冒険者の間で話題になった。

 噂によれば、アダンはマップ情報ガイドブック担当の職員に対して、いたって不服そうに「レベル86とか中途半端だろ」と漏らしたと言われている。これも噂によれば、アダンはレベル100を本気で目指しているらしい。

 また、そのマップ情報ガイドブック担当の職員がアダンの恋人であるという噂はメテオールの冒険者の中では有名で、なので他のマップ情報ガイドブックに比べて情熱の込め方に不公平があったのではないかという意見を言う者もいたが、それは担当職員の普段の仕事振りダンジョン好きを知っている者たちから即座に否定されたという。




 メテオールのダンジョンは、また新しいマップを公開する。そして、アダンはそれを探索し、攻略クリアする。ダンジョンと冒険者の幸せなそのやりとりは繰り返される。

 そう遠くない未来に、アダンはレベル100になる。そして、アダンの探索の情報をまとめたマップ情報ガイドブックは冒険者以外にも広まって、いつかの未来には、それは新しいダンジョン話おとぎばなしにだってなるのかもしれない。

 メテオールのダンジョンマスターは、そんな未来を夢見ている。




 めでたしめでたし。多分、いつかは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る