エピローグ エメとダンジョン

第三十八話 エメは翠の瞳の冒険者と再会した

 気付けば、エメがダンジョンマスターになってから、一年が経っていた。冒険者登録をしてからは三年、エメは十八歳になっていた。

 アダンは相変わらず夜中にをしていて、レベルは63になっていた。

 エメは夕方の仕事を終えると一度部屋ダンジョンに戻り、グリモワールを開く。その後には毎日のようにアダンの家を訪れていた。エメが夕食を買っていくこともあったし、二人でどこかに食べにいくこともあった。

 その日もエメは仕事の帰りで、アダンの家に向かっているところだった。夕暮れ時で、通りはダンジョン探索を終えた冒険者たちで賑わっていた。今日出会ったモンスターのこと、ドロップアイテムのこと、次のマップ入れ替わりがそろそろじゃないかという噂話、そんなざわめきの中をエメは通り過ぎる。

 最近通りには菓子を売る店ができた。甘いにおいにつられて思わず足を止めてしまい、店員に声をかけられて扁桃の飴がらめアーモンドのカラメリゼの小袋を買う。

 夕飯もどこかで買わないとと思いながら扁桃アーモンドの包みを肩掛けのバッグにしまって、ふと顔を上げると不安そうな顔で辺りを見回している少女の姿が目に入った。十歳くらいだろうか、柔らかな栗色の髪をお下げにしている。少女は立ち止まって振り向いて、それから街並みを見渡して、困ったような顔でまた歩き出す。

 エメだってメテオールに暮らす子供を全員知っている訳ではない。でも、この辺りでは普段見掛けない子だと思った瞬間、エメは足早に彼女を追いかけた。追いついて、後ろから軽く声をかける。


「あの、大丈夫……?」


 エメの声に、その少女はびくりと振り向いた。華やかな明るい色合いの翠色の瞳が、目一杯見開かれている。


「突然ごめんね。何か困っているように見えたから。あ、ええと、わたしはギルド職員で、エメと言います」


 エメは自分の胸元からギルド職員タグを引っ張り出した。一緒に冒険者タグとお守りアミュレットまで出てきてしまった。

 少女は、警戒心を露わにしながら、エメが引っ張り出したタグを見る。エメがタグに触れてみせると、小さな宝石がきらりと光った。エメの顔を伺うように見上げる少女に、エメは笑ってみせる。


「何か困ってるなら、助けられるかもと思ったんだけど」


 少女は、ためらうように視線を伏せた。エメは少女の前にしゃがみ込んで、少女の顔を下から見上げる。少女は横を向いて、さらにエメの視線から逃れた。


「別に困っているわけじゃ……ないです。帰り道が見付からなくて、でも、この辺りの道だってのはわかっているから、一人で帰れると思います」

「この辺りに家があるの?」


 エメの問いに、少女は服の裾を両手で掴んで、しばらくなんと言うか困っている様子を見せた。やがて、静かに一言だけ応える。


「……はい」


 家があるならメテオールで暮らしているのだろう。それなのに迷っているというのは、最近越してきたばかりだろうか。


「住所はわかる?」

「あ、はい。カンセール通りにある、115というプレートの家です」


 エメは立ち上がって、通りの向こうを指差した。


「カンセール通りはあっち、で、115ならこっちから行くと良いよ」

「はい、あの、ありがとうございます」


 少女は戸惑いながらお辞儀をする。


「わたしもその向こうに行くところだから、良かったら途中まで一緒に行かない?」


 歩き出そうとしていた足を止めて、少女は戸惑うように視線を揺らす。


「もうすぐ日が沈んじゃうし、暗くなると道がわかりにくくなっちゃうから。案内するよ」

「えっと、じゃあ……よろしくお願いします」


 少女はそう言って、またお辞儀をした。




 少女はリゼットと名乗った。九歳なのだという。父親が冒険者ギルドの職員で、今日越してきたばかりだと話した。


「あ、じゃあ、イジドールさんだ」

「お父さんのこと、知ってるんですね」

「今日少し挨拶しただけだけど。それに、担当は違うから、今後も仕事ではあまり話す機会はないのかな」


 リゼットは歩きながら、ちらとエメを見上げる。リゼットは、最初こそひどく警戒していたけれど、それが解ければ物怖じせずにエメと喋るようになった。大きな瞳には好奇心が浮かんでいた。


「エメさんの担当はなんの仕事なんですか?」

「わたしの担当はマップ情報ガイドブック作成で、ダンジョンのマップの情報を冒険者の人たちから聞いて、他の冒険者の人たちにも伝えるのが仕事」


 リゼットは、少し黙って何かを考えている様子だった。エメは、リゼットが話すのに任せて、ただゆっくりと隣を歩く。


「冒険者もやってるんですか?」

「え?」

「さっき、職員タグと一緒に冒険者タグも持ってたから」

「ああ。ううん、あれは、前に使ってただけ。今はもう、冒険者はやってないよ」

「どうして? エメさんも、結婚して冒険者をやめちゃったの?」


 エメは瞬きをしてリゼットを見下ろした。それから、静かに笑ってゆっくりと首を振った。


「わたしは、結婚はしてないよ。冒険者をやめたのはうまくいかなかったからだけど……でも、一番の理由は自分がダンジョン探索をするよりもずっと面白いことを見付けたから、かな」


 エメの回答に納得いかなかった様子で、リゼットは口を尖らせて黙ってしまった。エメは困ったように首を傾けてリゼットを見下ろす。

 リゼットの周りに結婚をして冒険者をやめた誰かがいるのだろう。そして、それはリゼットのとても身近な人で、リゼットはそのことに対して複雑な気持ちを抱いているように思える。

 エメがその答えに辿り着いた時に、カンセール通りの向こうからリゼットを呼ぶ女性の声が聞こえてきた。




 リゼットの母親は、リゼットの姿を見ると安堵を滲ませた溜息をこぼした。そして、素直に母親に駆け出すことができないでいるリゼットの前まで進むと、有無を言わさずに抱きしめた。

 その姿を見て、エメは目を見開いて動きを止めた。

 リゼットの母親は、明るい金色の髪と華やかな翠の瞳で、エメの記憶の中に比べて順当に年をとってはいたけれど、その姿は確かに魔法使いソーサラーのロラだった。


「あの、リゼットをここまで送ってくれて、礼を言います。どうもありがとう」

「お母さん、子供じゃないんだから抱きつくのはやめて。それにわたしは別に一人でも帰れたの。ちょっと、お喋りしながら歩いてただけ」

「またそんなことを言って。あなたもきちんと礼を言いなさい」


 リゼットは母親ロラの腕から逃れて、エメの方を向く。そして、エメが動きを止めたまま自分の母親を見ているので、不思議そうに首を傾けた。


「エメさん、どうかした?」

「あ……」


 エメはリゼットの声に視線を動かして、それでも混乱したまま、声も出せずにロラとリゼットを見比べていた。ロラは顎に手を当てて、少し考えるようにエメを見た。その仕草は、エメの記憶の中のロラそのままだった。


「ええと、もしかしたら前にどこかで会ったことがあったかな。すまないけど、覚えてなくて」

「ロラさん、ですよね。魔法使いソーサラーで、あの時は夜みたいな色の藍色インディゴのローブを着てました。それで……十年ちょっと前にはレベル50で、レオノブルにいて」


 ロラはちょっと目を見開いて、それから笑った。リゼットが不安そうに、ロラのスカートを握る。


「確かに冒険者だった頃はレオノブルを拠点にしてたし、レベル50になってたかな、その頃は。藍色インディゴのローブも、確かに持っていたけれど」

「わたし……あの……」


 エメは何を話せば良いのかと、口を開きかけては閉じて、また開いてを繰り返す。リゼットはロラのスカートを握ったままロラとエメの間で視線をさまよわせ、ロラは穏やかにエメの言葉を待つ。

 エメは首を振って、自分の首からずっと下げていたお守りアミュレットを取り出して、両手で握りしめた。そして、その手のひらを開いて、ロラに向けた。

 ロラは目を細めてお守りアミュレットを見詰め、記憶を辿っているようだった。


「これを……もらったんです。わたしは五歳で、冒険者になりたいって言ったら、ロラさんがこれをくれて……それと、串焼き肉も」

「ああ……あの時の。お兄さんとはぐれていた子か」


 ロラの声に、エメはお守りアミュレットを握り締めて大きく頷いた。




 日が沈んで、街灯の灯りが目立つようになってしまった。少しお茶を飲んでいくと良いと言われて、エメはロラに案内されるままロラの家にお邪魔する。

 家には昼間ギルドで挨拶をしたイジドールがいて、エメは改めて挨拶する。目を丸くしてエメとロラを見比べていたけれど、ロラが小さな声で二言三言話すと「ごゆっくり」と言い残してリゼットを連れて部屋を出ていった。

 ロラが暖かなお茶を出してくれた頃、エメはようやく落ち着いてきた。ロラは穏やかにティーカップを持って、エメが話し始めるのを待っていた。お茶を一口含んで、それから改めて口を開いた。


「あの、突然すみません。ロラさんに助けてもらったあの時から、ずっと、ロラさんに憧れていたので、こんな形で会えると思ってなくて……びっくりしてしまって」

「憧れか……気恥ずかしいな。わたしは、そんなにすごい冒険者ではなかったんだけれど。レベル50なんてたいしたことでもないし、それにわたしはそれ以上にはなれなかったからね」


 エメは大きく首を振った。


「わたしは小さい頃、ずっと、テオドールが好きだったんです。レベル100の魔法使いソーサラーの」

「あの時もずっとその話をしていたね」

「そうでしたっけ。恥ずかしいな。でも、レベル100はダンジョン話おとぎばなしだってことはわかってたんです。そうはなれないって。冒険者っていうのは自分とは違う世界の話で、自分は小さな村でずっと暮らしていくんだって。小さかったからそこまではっきり考えていたわけじゃないんですけど。でも、暮らしていくってそういうものだって周りを見てなんとなくそう感じてた。

 だけど、ロラさんは応援してくれたんです。だから、わたしは冒険者になろうって」

「ああ……」


 ロラは静かにカップを置くと、悲痛な表情を浮かべてエメを見た。


「随分と無責任なことを言ってしまったね、わたしは」

「そんなこと思ってません。わたしは、冒険者になりたいと思ったし、ロラさんみたいになりたいと思ったんです」

「本当に済まない。あの時、迷ってたんだよ」


 エメは口を閉ざしてロラを見た。ロラが悲しそうに笑うと、目尻に皺が目立った。


「レベル50になんとかなれたけど、それより高レベルのマップは難しくて……何度か失敗してね、パーティがうまくいっていなかったんだ。無理に高レベルに挑戦しなくても良いんじゃないかって言うメンバーもいたし、挑戦したいってメンバーもいたし……わたしは、高レベルマップでうまく動けなくて、自分の失敗だって気持ちになっていたし、それで自分がどうしたいのかわからなくなっていて。ちょうどそんな時だったんだ、君に会ったのは。

 君があまりに無邪気に憧れを口にするから……君の出会うダンジョン探索が楽しいものであれば良いと思ったんだよ」


 エメもティーカップを置いて、それから小さく溜息をついた。


「自分のせいで探索が失敗して、パーティがうまくいかなくなったこと、わたしもあります。それで、もう冒険者は続けられないなって思ったんです」

「やはり、無責任に幼い子供の夢を煽るようなことはすべきじゃなかったんだ。わたしの気紛れで、本当に済まないことをした。冒険者なんか、そんなに良いものじゃなかっただろう」

「そんなこと、ないですよ」


 エメの声に、ロラは俯いていた視線をあげてエメを見た。エメは笑顔でロラを見返す。


「良い人たちだったんです。優しくしてもらったし、楽しかった。うまくいかなくなった時はすごく悲しかったし、自分のせいだって惨めな気持ちにもなったけど、でも冒険者にならない方が良かったなんて思ってません。

 ロラさんも、わたしにとっては、やっぱり憧れの魔法使いソーサラーです。ロラさんのお陰で、楽しかったんですよ」


 エメはお守りアミュレットをロラに差し出した。


「これ、お返しします。ロラさんにもらったこれは、ずっとわたしの宝物でした。これがあったから頑張れた。結局わたしは冒険者はやめちゃったけど、ダンジョン探索は楽しかったし、今だってダンジョンに関わることをやっていて、それだってすごく楽しいです。だから、わたしにはもうこれは必要ないんです」


 ロラは困ったように眉を寄せて、エメからそのお守りアミュレットを受け取った。自分の手の中のそれを眺めて、ロラは小さな笑みを浮かべた。


「君は、律儀だね。こんなCコモンお守りアミュレット一つを」

「わたしにとっては、それ以上の価値があったんですよ。レベル100は無理でも、いつか50にはって思って……結局30にもならなかったんですけど」

「30じゃあ、黒竜ブラックドラゴンは難しいね」

「ええ、パーティを組んでも無理ですね、きっとマップに入るのも無理です」


 ロラとエメは、そう言って顔を見合わせると、笑い合った。


「そうだね。ダンジョン探索は楽しかったよ。いろいろあったけど、楽しかった」


 ロラは溜息のようにその言葉を吐き出した。それからまた、ふふっと笑って、エメを見る。


「わたしも今は大事なものがあるから、それで手一杯だし、満ち足りてる。……手一杯だったからね、今まであまり、思い出すこともなかったんだ。でも、わたしは確かに冒険者だったよ」


 ロラはそう言って穏やかに微笑んだ。その表情は確かに、エメがずっと憧れていた冒険者のものだった。

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