第二十七話 エメはアルテミスとお茶会をする

 大袋で安く手に入れた芋を一つ、よく洗って鍋で少量の水と一緒に火を通す。一つだけ。それが、最近のエメの休日の朝食だった。

 火が通った芋を皿に乗せて、共用の台所を片付けてから部屋に戻る。部屋に入れば、椅子に座っていたアーさんがぱっと顔を輝かせて振り向いた。

 エメはアーさんの隣に座ると、熱々の芋の皮を指先で剥きながら、塩を振ってちまちまと食べる。パンよりも安上がりで腹も膨れる。最近エメは芋ばかり食べている。


 そうやって食費を切り詰めて、あとは少しの生活費、それ以外のお金はすべて魔虹石錬成に使っている。もうじきメテオールの村で三回目の給料バイト代を受け取るけれど、それの使い道も変わらないだろう。

 食堂のメニューを見ても「魔虹石6個分だな」とか「これが二回で魔虹石16個だな」としか考えられなくなっていた。他の何を見ても、値段を見ると「これで魔虹石が買える」と考えてしまう。


 朝食とはいえ、もう日はだいぶ高い。最近は睡眠時間を削って設計デザインすることが多いので、休みの日には朝に起きられないことが多い。

 仕事バイトが終わってから部屋ダンジョンに戻って、設計デザインを考えるのに集中していると、ベッドに入る時間はどんどん遅くなっていった。

 アーさんは夜になるとぐずってエメをベッドに連れていこうとする。エメも最初のうちは、それで切り上げていたけれど、そのうちに「ごめんなさいアーさん、もう少しだけ」と言って、アーさんの髪を少し撫でてから、またグリモワールに向かうようになってしまっていた。

 アーさんは毎日エメの手を引っ張ったり、腕にしがみついたり、エメの腰に巻き付いたりするけれど、ここのところのエメは、少し微笑んでアーさんの頭を撫でるばかりだった。




 エメが芋を食べ終わったのを見て、アーさんがエメの手をそっと握る。アーさんは体温が高いけど、熱々の芋ほどは熱くない。エメは指先に、アーさんの優しい体温を感じて握り返した。


「エメさん、ここのところパンを食べてません」


 アーさんの言葉に、エメは瞬きを返した。アーさんは、モンスターだからだろうか、今までエメが隣で何かを食べていてもそれを欲しがったことはなかった。エメが食べる様子をじっと見ていることはあったけれど、あれは食べ物を見ているのではなくて、エメの食事が終わるのを待っているだけだと思っていた。


「毎日パンを買うよりも、芋の大袋を買う方が安くてお腹がいっぱいになりますから。……アーさんも、食べたいんですか?」


 アーさんは、困ったように首を傾けてしばらく何か考え込んでいたけれど、やがてそっと首を振った。


「わたしは……エメさんのMPマナが良いです。でも……エメさんが……」


 アーさんは言い淀むと、困ったように眉を寄せて、それから視線をあちこちに動かして、最後には俯いてしまった。


「わからなくなりました、なんでもないです」

「もうちょっとダンジョンが落ち着いたら、お菓子とか買って食べたいなって思ってますけど」


 エメはグリモワールを開いて、定期報酬ログインリワードを受け取る。今日の報酬リワードは、モンスターの信頼度を上げるためのアイテム「薔薇のお茶ローズティー」だった。


「そうか、モンスター用のアイテムなら、アーさんも食べられるかもしれないですね。今まで贈り物プレゼントにしか使ってなかったけど、一緒にお茶したりできるのかな。試してみましょうか」


 アーさんの存在があまりに特殊すぎて、エメは今までアーさんにアイテムを使うことを思い付いていなかった。

 それに、小竜ミニドラゴンなんかは、部屋から出して撫でたりもしてる。だったら、例えばアルテミスとはお喋りしながら一緒にお茶を飲んだりだってできそうな気がする。

 モンスターの信頼度を上げるアイテムには、他にも焼き菓子クッキーやビスケットのようなお菓子もある。モンスターのレベルを上げるアイテムの星石果スターフルーツだって、お茶請けになりそうだ。エメは溜まった魔水晶をいくつかのモンスター用のアイテムと交換した。


 アーさんは、きょとんと顔を上げてエメを見ていた。

 ここのところ寝不足と栄養不足でぼんやりしていたエメが、今は楽しそうにしている。そのエメの表情につられてか、やがてアーさんもふわふわと機嫌良さそうな顔になった。




 投影石モニター部屋ルームのローテーブルに、エメはモンスター用のお菓子を並べた。エメダンジョンマスターが食べることはできるだろうかと一つつまんでみたけど、口に入れたところで消えてしまった。

 試しにアーさんに焼き菓子クッキーを一つ摘んで差し出すと、アーさんは鼻を近付けてにおいをかいで、それからエメと目の前の焼き菓子クッキーを見比べた。


「モンスター用だから、アーさんでも食べられるかもしれません。でも、食べたくなければ、無理に食べなくても大丈夫ですよ」


 エメの声に、アーさんは口を開けて焼き菓子クッキーを口に含んだ。不思議そうな顔で咀嚼している。


「どうですか?」


 焼き菓子クッキーを飲み込んだアーさんは、首を傾けた。


「不思議な味です。でも、エメさんのMPマナの方が美味しい」

「そっか……。でも、食べることはできるんですよね。良かった。一緒にお茶しましょう」


 エメが何を嬉しがっているのか、アーさんにはわからない。でも、エメがにこにこしているので、アーさんも笑顔を返した。


「はい、わかりました」


 エメは、グリモワールを開いて、モンスター一覧から小竜ミニドラゴンを呼び出す。小竜ミニドラゴンはエメに近付いてきて、足元に擦り寄ってきた。その頭を軽く撫でてから、次はアルテミスを呼び出した。


 輝くような黄金きんの髪をふわりと広げて、アルテミスはエメを見た。


「あら、なんの御用?」

「アルテミスさん、こんにちは。ええとですね、今日はアルテミスさんと一緒にお茶を飲んだりお菓子を食べたりしようと思いまして」


 アルテミスのつんと澄ました顔が、きょとんとしたものになった。それから、テーブルの上を見回して、何かに納得したように頷く。


「なるほど。わたくしの信頼度を上げたいのね。いいわ、付き合ってあげる」

「ありがとうございます。あ、今日はあと薔薇のお茶ローズティーがあるんですよ」


 エメはグリモワールを操作して薔薇のお茶ローズティーを取り出すと、それをアルテミスに渡した。アルテミスは「あら」と声を出してそれを受け取った。


「素敵ね。わたくし、これ好きなのよ」


 アルテミスが、わずかに首を傾けて、目を細めてうっとりと微笑む。アルテミスに薔薇のお茶ローズティーを渡すと、いつもこの表情をする。アルテミスの言葉の通り、これが好きなものなのだろう。




 アルテミスは薔薇のお茶ローズティーを受け取って、その包装パッケージを開いた。その瞬間にテーブルの上にティーセットが現れ、薔薇の香りが漂った。金の縁取りの白いティーポットが勝手に浮き上がって、揃いのティーカップにお茶を注ぐ。

 アルテミスはその香りを吸い込んで、ソファに座った。


「アーさんも、お茶飲みますか?」


 エメがアーさんを振り向くと、アーさんは首を振った。


「このにおい、わたしはあんまり欲しくないです」

「好き嫌いがあるんですね」

「そういえば、アポロンは薔薇のお茶ローズティーは好きじゃなかったわね。それがアポロンと同じかは知らないけど」


 アルテミスは、姿勢良くティーカップを持ち上げてそう言うと、自分は口元でその香りを楽しんだ。


「アルテミスさんが薔薇のお茶ローズティー好きなのは、前に贈り物プレゼントした時になんとなく知ってましたけど、他にもそういう好みがあるんですね」

「それはもちろん。そういうもの・・・・・・だから。人はそうではないの?」

「ええと、そうですね、人間ももちろん好き嫌いはあります。だから、そうですね、それと同じか」


 エメの返答に満足したように、アルテミスはにっこりと笑って、薔薇のお茶ローズティーに口をつけた。

 エメの足元にいた小竜ミニドラゴンが、ソファの上に跳び乗って、そしてエメの腿に前足を乗せた。エメは小竜ミニドラゴンを見下ろすと、慌てて目の前に置いてある皿から焼き菓子ビスケットを一つつまみ上げた。


「ちゃんと用意してあるよ、はい」


 エメが手のひらに乗せて差し出す焼き菓子ビスケットを、小竜ミニドラゴンは舌を伸ばして口に入れた。そして、鼻先を天井に向けると、そのまま噛まずに喉を通す。そして、もっととねだるように、エメの指を舌先で舐めた。


「可愛い……!」


 エメは小竜ミニドラゴンの鼻先を撫でて、それからまた焼き菓子ビスケットを摘んで差し出す。小竜ミニドラゴンはそれが待ちきれないと言うように、エメの腿の上に乗り上げてきた。

 その重みすら可愛く思えて、エメはしばらくの間、小竜ミニドラゴンにせっせとお菓子を差し出していた。合間に鱗を撫でれば、小竜ミニドラゴンは可愛らしくエメの手にじゃれついてくる。


小竜ミニドラゴンが可愛い」


 エメがほうっと息を吐いてそう呟いた時、アーさんがエメの左腕にしがみついてきた。エメの肩に額をくっつけて、ぐりぐりと押し付けてくる。


「アーさん、どうしましたか?」

「ずるいです」


 アーさんの声に、アルテミスは眉を寄せた。


「アポロンの姿でそういう態度はやめて欲しいものだけれど」

「あの、アルテミスさん、ごめんなさい。その……見た目はアーさんにはどうしようもないことなので」

「今は目を瞑っていてあげるわ」


 つんと顔をそらして、アルテミスはティーカップに口をつけた。


 エメは改めて、自分の腕にひっついてくるアーさんを見下ろす。反対の手には小竜ミニドラゴンがじゃれついているので、エメは身動きが取れないことになってしまっていた。


「あの、アーさん、どうしましたか?」

「だって……エメさんは、わたしにはくっつくなって言いました。手だけって。なのに、そのドラゴンは膝に乗せてます。だったら、わたしももっとくっつきたいです」

「え……」


 エメは、自分の膝の上にいる小竜ミニドラゴンを見下ろした。今はエメの手に鼻先を擦り付けている。可愛い。

 それから、またアーさんを見る。エメの腕にしがみついてぐずぐずとしている仕草だけなら、小竜ミニドラゴンとあまり変わらない。可愛いとも言える。

 エメも慣れすぎて時々忘れそうになるけれど、見た目だけなら神々しいほどに美しい、逞しい男性の姿なのだ。それを小竜ミニドラゴンと同じに扱って良いのだろうか、と今更ながらに考えてしまう。これまでも散々子供扱いや子犬扱いしていたというのに。


「ええと、でも、アーさんは体が大きいですし……小竜ミニドラゴンとは違って、人の姿ですし……」

「でも、ずるいです」


 アーさんは自分も構って欲しいのだろうか、とエメは考える。

 アーさんとの距離感に、エメは最近だいぶ慣れてしまったという自覚はあった。特に夜寝る時には、もうくっついていても平気になってしまった。今だって、こうやってアーさんがくっついてくることも、気にならなくなっていた。

 今のアーさんとの距離感は、小竜ミニドラゴンと、そう変わらないのかもしれない。


「わかりました。でも、アーさんは、普段いつも一緒ですから。小竜ミニドラゴンは今だけなので、今だけちょっと待っていてくださいね」

「今だけ? あとで、わたしも、良いですか?」


 アーさんが期待に満ちた瞳でぱっと顔を上げる。その表情に「何が?」と言うことができないまま、エメは頷いた。

 途端に、アーさんは輝くような笑顔を見せた。


「わかりました。じゃあ、待ってます」


 驚くほど大人しく、アーさんは引き下がった。エメの腕を解放して、エメの手だけを握って、そして自分で焼き菓子クッキーを摘み上げて食べる。

 アーさんがあまりにあっさりと引き下がったので、エメはかえって不安になった。自分はひょっとして何か対応を間違えたりしたのだろうかと考え始めた頃に、不意にアルテミスがくすくすと笑い声をあげた。


 アルテミスが口元に手を当てて、面白そうに笑っている。理由のわからないエメは困惑するばかりだ。

 やがて、アルテミスがエメを見る。蜂蜜色の瞳がまっすぐにエメを捉えた。


「あなた、随分と懐かれているのね。まあ、そのMPマナだもの、わからなくはないけれど」


 そう言って、アルテミスは自らの右手をテーブル越しにエメに差し出した。たおやかな指先が誘うようにエメに向けられる。


「わたくしの手に触れなさい。許します」

「え、あ、はい……」


 エメはわけがわからないまま、小竜ミニドラゴンを撫でていた右手を持ち上げて、アルテミスの指先にそっと自分の指を重ねた。アルテミスの手が、そのまま握手のようにエメの手を握り込む。


「ええ、そうね、とてもよくわかるわ」


 アルテミスは、可憐な唇を綻ばせて、ほうっと長い溜息をついた。冷たささえ感じられる整った顔立ちに、今はうっとりとした微笑みを浮かべて、頰にはわずかに朱がさしている。その眼差しを、エメの隣にいるアーさんにちらと向ける。


それ・・は、いつもこうやってあなたの隣にいるのね。そちらの方が随分とずるいのではなくて?」


 アルテミスは、ふふっと笑って、少し惜しむ様子を見せながらもエメの手を解放してくれた。




 エメはまたお茶会をすることを約束して、アルテミスと小竜ミニドラゴンを部屋に戻した。

 さっそく、いそいそと、アーさんがエメの膝に乗ろうとしてきた。慌ててエメが止めると、アーさんは泣きそうな顔になる。


「エメさんは、あとでわたしも良いって……頷きました」

「ええっと、でも、無理があるというか、小竜ミニドラゴンとアーさんでは体の大きさが違いますし、アーさんだと重くてわたしの足が持ちませんし」


 エメの必死の説得に俯いていたアーさんの顔が、不意にぱっと持ち上がる。大きく目を見開いて、赤い瞳がきらきらと輝いて見えた。


「良い方法があります!」


 アーさんの声と共にエメは体を抱えられて、アーさんの膝の上に乗せられていた。アーさんの腕が後ろからエメの体に回って、エメのお腹を柔らかく抱き込む。


「これなら、エメさん重くないです」


 アーさんは得意げにそう言って、エメの首筋に鼻を押し付けた。


「あの、えっと……これから、設計デザインしないといけないのですが」

「エメさんの体、ソファに座ってる時と同じです」


 エメはアーさんの声に、確かにと思ってしまった。この姿勢なら、膝にグリモワールを乗せて操作することもできる。


 だったら問題ない……だろうか。エメは首を傾けた。

 夜に寝る時だって、このくらいはくっついている。それと変わらないと言えば変わらない。


「なら、問題ない……のかな」

「はい。MPマナいっぱいです」


 アーさんが機嫌良く返事する。その声に、エメはまあ良いかと思ってしまった。

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