第三十六話 エメはあれこれ思い悩む

 朝食を奢るから朝に宿屋に来て欲しいとアダンに言われて、エメはいつもより早い時間に家を出て宿屋のアダンの部屋を訪ねた。

 アダンはエメを椅子に座らせると、エメの首筋に手を当てた。


「ちょっと検証したいことがあるからMPマナもらうな。夕方にも来てもらって良いか、仕事バイトの後で良いから」

「わたしは構いませんけど……何に使うんですか、MPマナ

「んー……ちょっとな」


 そのまましばらくじっと動かないので、エメは居心地悪く視線を動かした。


「ちょっと多めにもらうから。時間かかって悪いな」

「いえ、それは構いませんけど……本当に何に使うんですか」

「んー……あんたダンジョンマスターだからな。今グリモワール持って来てるか?」

「グリモワールさんは家にいます」


 エメの返答を聞いてもまだ、アダンは少し渋った。


「まあ、あんたからMPマナもらってるわけだし、説明しないのも筋が通らないよな。できれば聞かなかったことにして欲しいんだけど」


 やたらに長い前置きの後にも、アダンはまだ話し始めずに少し間を置いた。エメが瞬きしてアダンを見上げていると、アダンは諦めたように小さく溜息をついた。


「あんたのMPマナがダンジョンの中でどう作用するのか検証したくて」


 アダンの言葉は、やけに渋ったほどの内容とは思えなくて、エメはぽかんとアダンを見上げているだけだった。エメの表情があまりにわかりやすくて、アダンは苦笑した。


「要するにだ、低確率レアなモンスターとかドロップとかをある程度狙って出せるんじゃないかって話だな。言っても確率が上がるだけだろうから、多少出やすくなる程度かなとは推測してるんだけど」

「それって……つまり?」

「魔水晶コストのバランスを見て確率を設定するだろ。その確率が変わったら、コストのバランスが悪くなる。まあ、そこまでの影響力はないだろうけど。ダンジョン探索するのは俺だけでもないし。それでも、ダンジョンマスターには聞かせたい話じゃなかったから」

「あ……」


 アダンのやろうとしてることをエメはようやく理解した。


「え、そんなのズルくないですか」

「その分、魔虹石が生成されやすくなるんじゃないかって、まあこれもただの推測だけど」

「魔虹石の生成ですか?」

「エメがダンジョンマスターでいた期間、探索で発生する魔虹石の生成量が多い。百五十年前の俺との比較なんでどこまで正確かはわからないけど、多いのは確かだ。ダンジョンマスターのMPマナの影響だと考えて良いと思う。魔水晶や魔虹石の生成は、活性化アクティベートに使うダンジョンマスターのMPマナも影響してるけど、探索している冒険者のMPマナの影響も受ける。だったら、エメのMPマナが探索時にあれば、魔虹石の生成確率はもっと上がるんじゃないかって、な。低確率レアをくれてやっても魔虹石が手に入るなら、収支としてはそこまで悪くないはずなんだ」


 エメは考え込んで唇を尖らせた。アダンの話はわかるところもあるし、よくわからないところもある。いくら魔虹石が手に入るといっても、そんなに低確率レアばかり出るのは問題にならないのだろうか。

 アダンはエメの首筋から手を離して、改めてエメを見下ろした。


「グリモワールにバレると面倒なんで、バレないようにはやるから。あんたも、内緒にしといてくれよ」


 アダンは猫のように目を細めた。とろりとした琥珀色の瞳がやけに艶っぽい。エメはアダンが大人の男の人なのだと今更に思い出して、ぽかんとしたままアダンを見上げていた。エメにとっては兄たちも随分と大人だったけど、それでもこんなふうに男の人だと感じたのは、初めてのことだった。

 そういえば、アダンの歳は幾つなのだろう。兄くらいだろうか。エメはぼんやりしたまま、やっぱりアダンを見上げるしかできていなかった。




 宿屋の一階食堂で二人で朝食を食べて、二人で冒険者ギルドに向かう。エメは仕事バイトだし、アダンは探索の前にタグの登録をする必要があった。


「夕方来てくれよ、待ってるから」

「はい。アダンさんは探索ですよね、お気をつけて」


 二人の様子はその場にいたギルド職員や冒険者たちにも見えていたし、会話も漏れ聞こえていた。噂話が好きな者たちが反応して微かにざわめいた。

 とはいっても、ギルド職員の中にいた者は仕事中なのでさすがに目立った反応はしなかった。一部の冒険者がお互い小突きあって下世話な詮索を囁き合う程度だ。それも、アダンが鋭い視線を投げかけたら静かになった。


 古い書類をまとめてファイルしている時にロイクに呼ばれて、エメは奥の部屋に入る。ロイクは心配そうな顔をしていた。


「エメさんの表情から大丈夫だということはわかりますけど、念のため確認させてください、ああ、プライベートに踏み込みすぎるようなら返答しなくても大丈夫ですが、ギルド職員の身を案じてのことだというのはあらかじめ伝えておきますね」

「はい……」


 突然呼ばれた理由がわからなくて、エメはぽかんとロイクを見る。ロイクの前置きは長くて、エメは首を傾げて本題を待った。


「昨日のあの冒険者の方は、問題ありませんでしたか?」

「あ……ああ、エルヴェさんですね、はい、大丈夫です。お話ししただけですし、お誘いも断りました」


 エメの表情は屈託のないもので、ロイクはほっとしたように頷いた。


「そうですか、問題ないようなら何よりです、今後も何かあれば相談してください」

「ありがとうございます」


 話が終わったと思い込んでエメが仕事に戻ろうとするのを、ロイクは引き止める。


「もう一つ別の話がありまして、実はですね、雑用バイトの人も増えましたし、いつまでもエメさんに雑用バイトをやらせておくのもという話になりましてね」

「え……」


 エメの顔が強張るのを見て、ロイクは慌てたように言葉を続けた。


「あ、いや、誤解しないでください、悪い話じゃないんです、雑用バイトじゃなくて職員になったらどうかって話がありまして、ポレット女史がですね、エメさんを助手にしたいって言ってるんですけどね」

「ポレットさんの……助手?」

「ええとつまりですね、マップ情報ガイドブック制作の専属になって欲しいという話なんですけれど、ポレットさんの強い希望なんですよ」

マップ情報ガイドブックの専属……」

「ポレットさんが言うには、エメさんはマップ情報ガイドブック制作に向いているそうですよ、ダンジョンのことがよくわかっていてまとめるのが上手いって、それに冒険者からの聞き取りも熱心だし楽しそうだから、きっと合っているんじゃないかって」


 自分はそんなふうに見えていたのかと不思議な心持ちで、エメは瞬きを繰り返した。

 まとめるのが上手い訳ではなく、自分が作ったダンジョンだからだけだと思う。冒険者からの聞き取りに熱心なのは設計デザインするのにとても参考になると思っているからだ。だから、それを評価されるというのは騙しているようで申し訳なくもある。


「僕から見ても合っていると思いますよ、まあ、職員になると立場が変わるので何か雑用バイトの方が都合が良いとかあれば考慮します、それだけでなく希望などあればきちんと聞きます、エメさんがどうしたいかというのが大事ですし、今日今すぐに返事が欲しいということでもありません、そうですね、今週か来週辺りにでもまたお話しできればと思ってます、ぜひ前向きに検討してください」

「あ……はい、ありがとうございます……考えておきます」


 考えておくとは言ったものの、エメはうまくイメージできないでいた。

 その時々でお手伝いをしているという感覚で雑用バイトをしていたけれど、専属でマップ情報ガイドブック制作する職員というのは、つまりはポレットのようになるということだろう。ポレットの仕事振りを思い出してはみたけれど、自分があんなふうになれるとは思えない。

 落ち着かなさを感じて、エメはそれ以上考えるのをやめてしまった。今は目の前のことをやろうと書類整理を再開することにした。




 エメは仕事が終わるとすぐに自分の部屋ダンジョンに戻って、グリモワールを開く。

 グリモワールと挨拶を交わして、今日の活性化アクティベート記録ログを確認する。記録ログの数が多めな日だなと思ってさらりと眺めたけれど、MPマナにはまだ余裕がある。探索制限は当分必要なさそうだ。

 魔虹石が生成されているのを見かけて、エメは「やった」と小さく声を出した。錬成をしなくなってから、こうやって活性化アクティベートで生成される魔虹石1個がとても嬉しくなった。

 増えた魔水晶で召喚ガチャをやって、残りの魔水晶は素材オブジェクトのレベル上げで使い切る。

 そうやって日課をこなしてから、エメはそっとグリモワールを閉じて、宿屋にいるアダンのところに向かう。




 エメが部屋を訪ねたとき、乱れた髪にぼんやりした寝起きの表情のアダンがドアを開けた。


「寝てたんですね。遅すぎましたか?」

「ん、大丈夫、もう起きるつもりだったから」


 アダンはぼさぼさの髪を搔きむしりながら欠伸をする。


「悪いな、わざわざ来てもらって。夕飯、もうじき部屋に届くと思うから」

「あ、はい、いえ、わたしは大丈夫ですけど。むしろ、いつもご飯ご馳走になっていて申し訳ないくらいで」

「あんたの食べる量なんざ誤差の範囲だろ。まあ、なんだ、MPマナを分けてもらってる礼だと思ってくれ」


 アダンは髪の毛を手櫛て無理矢理押さえ付けて後ろで一つにまとめると、テーブルの上に雑に置いてあった杖を持って、エメを見る。


「そういやこの杖、俺が持ちっ放しになってたけど、返さなくて大丈夫か?」

「わたしはもう使わないので……それに、代わりに羽ペンや帳面ノートも貰いましたし」

「代わりの杖が手に入ったら返すよ」

「わたしは……受け取っても売るくらいしか使い道がないですけど」


 アダンはその杖をベッドに置く。部屋の入り口付近に備え付けの武器置き場もあるのだけれど、どうせすぐ使うと思って適当にその辺りに置きっ放しにすることの方が多い。

 その後にはテーブルの上たくさん並んだポーション類をマジックバッグに入れて、そのマジックバッグをベッドの上にどかす。


「すごいポーションの数ですね」

一人ソロだとなー、どうしてもポーション頼みになるから。回復術士ヒーラーだったら違ったんだろうけど、そうすると火力不足になるだろうし。一人ソロで一番安定するのは盾役タンク構築ビルド回復術士ヒーラーだってのはわかってるけど、俺あれ向いてないんだよな多分、探索に時間かかり過ぎで」

「それでも……あんなに必要になりますか?」

「周回用だからな」

「周回」


 エメは意味がわからないと首を傾げたけれど、アダンはそれ以上は応えずに、ただエメを見てにやりと笑っただけだった。


「そういや、活性化アクティベートコストは足りてるか? 余裕ある?」

「そうですね」


 エメはグリモワールを開いたときに見かけたMPマナ量を思い出して応える。


「今日とかは、ピーク時に今の倍くらいの活性化アクティベートがあっても大丈夫だと思います。夜にまとめて確認してるので、自分でもはっきりはしないんですけど」

「いや、それがわかればじゅうぶんだ。夜は、探索されることほとんどないんだよな」

「そうですね。今くらいの時間にまだやっているパーティはたまにいますし、やたらと早朝に探索するパーティもたまにいますけど、夜中は動きがない状態です」

「まあ、自由に探索できるなら、わざわざ夜中に探索することもないのか。まあ良いや」

「アダンさん、ひょっとしてこれからダンジョン入るんですか?」

「ん、そのつもり。順番待ちないって言っても、昼間だと入り口エントランスにはそれなりに人いて面倒クセェし。それに、ダンジョンマスターのMPマナの消費効率で言ったら、全部の時間帯に満遍なく探索があった方が良いだろ?」

「それはそうですけど……でも、アダンさん、わたしにはきちんと寝るように言っていたくせに」

「ちゃんとそのつもりで昼間寝てるし、それにもともと俺の活動時間帯は夜だったからな、夜の方が落ち着く」


 エメが納得いかなげに唇を尖らせた時、部屋のドアがノックされて、夕食が届いたことが告げられる。アダンがドアを大きく開けると部屋に料理の皿が運び込まれた。




 食事の後はいつもの通り、アダンはしばらくの間エメの首筋を触ってMPマナを受け取る。大きな手がエメの首筋を撫でて、うなじに指先が触れる。

 やがて、アダンの指先が名残惜しそうに耳たぶを撫でてから離れていった。


 アダンはエメを送ると言って、二人で宿屋を出て夜道を歩く。アダンはそのままダンジョンに行くつもりなのだろう、ポーション類が大量に入ったマジックバッグと杖を持ってきている。


「本当にこれから探索するんですね」

「あんたはきちんと寝ろよ」

「人にばっかりそう言って」


 エメは少し唇を尖らせた。アダンはエメのその表情を見下ろして苦笑した。


「だから、俺は睡眠時間はちゃんと確保してるって。じゃあ、また明日な」

「あ……はい」


 当たり前のように投げかけられた明日の約束に、エメはくすぐったい気持ちで笑う。


「アダンさん、お気をつけて。明日また」




 翌朝、エメはグリモワールを開いて、活性化アクティベート記録ログの件数を見てしばらく固まった。

 昨夜行われた活性化アクティベートの回数は十四回。これは全部アダンなのだろうか。アダン一人で、一晩で、十四回。

 エメは取り急ぎ溜まった魔水晶をモンスターに渡してレベルを上げて消費すると、グリモワールを閉じる。そして慌てて身支度をして部屋を出た。

 アダンは部屋に戻ってきてちょうど荷物をテーブルに投げ出したところだった。これから食堂で朝食を食べて寝るのだという。


「アダンさん、ひょっとして夜中ずっと探索してたんですか!?」


 眠いせいかいつもの二割増しくらいに猫背が酷くなっているアダンに、エメは大きく詰め寄る。


「周回はレベル上げレベリングの基本だろ」


 そう言って、アダンは胸から下げていた冒険者タグを摘んで、エメの目の前に持っていった。一昨日メテオールに戻ってきた時には、レベル21と言っていたはずだ。それが今は31になっている。一日と少しで10もレベルが上がっていた。


「久しぶりで結構キツかった。HP0戦闘不能も回数多かったし、ポーションも想定より使ったし。まあ、でも、レベルの上がり方は大体想定通りかな」

HP0戦闘不能になったんですか……?」

「まあ、そりゃ。今はレベル上げレベリング優先だからヌルいところでちまちまやるより戦闘不能死ぬくらいのとこに突っ込んでった方が効率良いんだよ。まあ、それにしても今日はちょっと戦闘不能死にすぎたけど。百五十年差っ引いても五年のブランクあるんだよな、いや、鈍るワケだ」


 アダンの言葉に、何を言って良いかわからなくなったエメは、どうしようもなく溜息をついた。あの活性化アクティベート記録ログを見て、いてもたってもいられない気持ちでここまできたけれど、自分でもそれでどうしたかったのかがわからなくなっていた。


「それに、心配しなくてもドロップアイテム回収目的の探索もちゃんとやってるよ、じゃないと金がなくなるし」

「そういうことではなくて……その」


 アダンの言葉を否定しながらも、そこでようやく、自分は確かに心配をしていたのだと気付いた。エメはアダンの言うことややることの意味が理解できている気があまりしない。アダンはなんでもないことのように色々なことを言うけれど、あまりに平然としてるので、それは本当になんでもないことなのかもしれないけど、それでもエメから見ると心配になることに変わりはない。


「お金のことではなくて、体は大丈夫なんですか? こんなに連続で探索なんて、聞いたことないですよ」

「大丈夫、ちゃんと合間には休んでるし、ポーションも使ってドーピングしてるし。無理はしてない。それにこれでも加減してる方だって」


 アダンはそう言って欠伸をすると、部屋のドアを開ける。


「ま、とにかくなんか食わせてくれ。腹減った。肉食いたい」


 何かもっと言いたいことがあるような気がしていたけれど、やっぱり何を言って良いのかわからないまま、エメはまた溜息をつく。アーさん相手だったらもっと単純だったのにと一瞬頭をよぎったけれど、中身がアダンだったことを考えると、もしかしたらエメがそう思っていただけでそう単純でもなかったのかもしれない。

 エメは結局、アダンのこともアーさんのこともよくわかっていないのだ。アダンの言葉がうまく理解できないくらいには。

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