第三十二話 エメはアダンと肉を食べる

 お昼時にはまだ少し早い時間だった。食堂がまだ混んでないのを確認してから、エメは宿屋の勝手口に向かう。アダンには後ろで少しだけ待っていてもらった。

 出てきたノエミはエメを見て、それから後ろのアダンを見て、またエメを見た。


「顔色が良くなってる。良かった」

「はい、あの、おかげさまで。昨日はすみませんでした。それと、サンドイッチもありがとうございます」

料理人コックに伝えておきます」


 ノエミはそこで言葉をきって後ろのアダンを見る。


「あの人は?」

「え! あ!」


 アダンについて聞かれることを何も考えてなかったエメは、うろたえてアダンを振り返った。アダンは何を思っているのか、静かに街並みを眺めている。


「あの、えっと……お世話になった人で……なんていうか、いろいろ教えてもらったりして、その……」


 しどろもどろになったエメに、ノエミは首を傾けた。


「冒険者だった頃?」

「そ、そうなんです!」

「ふうん」


 ノエミはそれ以上何も言わなかったので、エメはほっとして、改めて昨日の礼を告げる。ノエミは頭を振って、微かに笑うと仕事に戻っていった。


 今度は店の正面から、客として入った。食堂の従業員はエメを見ると「体調大丈夫?」と聞いてきて、エメはその度に「大丈夫です」「ありがとうございます」「すみません」と繰り返した。

 エメのすぐ後ろに立っているアダンを見て、エメと見比べる人もいたし、なんだか勝手に頷いている人もいたし、反応は様々だった。けれど、その観察の視線はエメとアダンが席に着いてからも続いていた。


「あんた、有名人かよ」


 席に着いたアダンが、受ける視線にうんざりしながら小さな声で言う。


「違いますよ、仕事で話す人が多いだけで」

「店員以外にも、冒険者で見てるやつもいるだろ」

「ああ、それは……」


 エメは少し言葉を止めると、水の入ったコップを両手で抱える。波立つ水の表面が静かになると、エメは顔をあげてアダンを見た。


って呼ばれていたんです、冒険者だったとき。規格外のMPマナ量と、規格外の大失敗ファンブル率、一緒にパーティを組むと大失敗ファンブルで全滅するって。パーティ募集の文面にはお断りって書かれるくらいだったんですよ」

大失敗ファンブル率……ああ、あんたのMPマナはそういうとこにも作用するのか」

「最近はダンジョン探索してないから、あまり言われなくなりましたけど。でも、こうやってるとパーティ組んでるみたいじゃないですか。だからですかね、多分」


 エメはできるだけさっぱりと言い切ってみせた。最近は本当にと呼ばれるのも気にならなくなってきていた。ダンジョンマスターが楽しいからだと、エメは自分で思っている。

 アダンはつまらなそうな顔でまるで睨みつけるように食堂の中を見回す。目付きが悪いだけで、本人には睨んでいるつもりはないのかもしれない。そして小さく舌打ちをして、エメの方を見た。


「もったいないな」

「え、何がですか」

「あんたのMPマナ大失敗ファンブル以上の価値メリットがあるのにな」

価値メリット……ああ、そういえばグリモワールさんにも言われました。低確率レアなドロップが出やすいって。でも、あまり実感はなくて。それに、結局大失敗ファンブルが出てしまうと、他の人に迷惑をかけるのは変わらないですし」

大失敗ファンブルなんざ発生するって分かっていれば大した問題じゃないだろ。どのくらい確率が変わるんだろうな。もう探索ができないのがもったいない。お互い冒険者だったらパーティ組んで検証するとこだけど」


 アダンの言葉に、エメは笑った。実際に冒険者として出会っていたとしても、うまくいっていたかどうかはわからない。それでも、エメはあまり嫌な気にはならなかった。アダンがもったいないと言うのは本音なのだろう。


「お互い冒険者だったら、こうして会えてないですよ。だってダンジョン」


 マスターと言いかけたエメの口元にアダンが指先を伸ばす。エメが唇を閉ざしたのを見て、アダンは頷いて手を戻した。そして、少しだけ身を乗り出して囁くような小さな声を出した。


「その話は、外ではやめておけよ」

「あっ……」


 エメはそっと辺りを伺った。エメは確かに周囲のことを意識しないで喋っていた。ある程度は食堂の喧騒に紛れるだろうけれど、ダンジョンマスターであることを隠すなら、こんな風に不用意に話してはいけなかった。


「すみません、考えが足りてなくて。あの、ありがとうございます」


 エメが助かりましたと笑ったそのとき、注文していた料理が運ばれてきた。


 最初に運ばれてきたのは野菜と燻製肉ベーコンが入ったスープだった。それから、焼いた厚切りの肉と蒸した芋がごろりと乗った皿。焼きたての肉がじゅわじゅわと音をたてて吐き出す湯気に乗って、ソースの甘酸っぱいにおいが漂ってくる。そしてふんわりとしたパンが籠にいっぱい。

 アダンはそのひょろりとした体のどこに入るのかと思う勢いで、食べ物を口に入れていった。エメがパンをちぎりちぎりスープを食べて、ようやく半分ずつ食べたくらいの頃には、アダンはもうスープも肉も付け合わせの芋も食べ終わって、二つ目のパンを手にしていた。

 肉を小さく切って二切れ飲み込んだところで、エメは手を止める。食事を残したくはないと思ってもう一切れを切り分けてみたものの、それ以上には食べられそうになかった。

 エメが溜息をついてナイフとフォークを置いたのを見て、アダンは何も言わずにエメの前の皿をとって、当たり前のようにその肉を口に入れた。


「胃が小さくなってんだろ」

「あ、あの……すみません」

「俺の金で俺が飯食ってるだけだ、謝るな。……食費切り詰めるようなことはもうやるなよ」

「う……はい」


 結局、運ばれてきた料理のほとんどをアダンは食べた。パンだけいくつか残ったので、袋に入れてもらって持って帰ることにする。

 料理代はアダンがグリモワールから受け取った銀貨で支払った。魔虹石16個と6個錬成できるくらいの金額だった。




 アダンはその場で宿をとった。前払いで一日分の値段を払って宿を出るのを、パンの袋を受け取ったエメが追いかける。アダンは宿屋の前で立ち止まって、周囲の街並みを眺めていた。隣に並んで立って、エメが不思議そうに訪ねる。


「宿、とるんですね」

「どこかに泊まらないと不自然だろ。こんだけ顔見られてうろうろしてるってのに」


 エメは瞬きをしてそうかと呟いた。アーさんとずっと一緒に暮らしていたせいでアダンともそのように暮らしていくような気がしていたけれど、ダンジョンから出られないアーさんと、人としての実体を持っている今のアダンは別なのだった。

 アダンはエメの方を見て、道の先に見える冒険者ギルドの建物を視線で示した。


「なあ、あそこが冒険者ギルドだろ? 冒険者登録ってギルドでやってるよな?」

「冒険者登録するんですか?」

「そう話したつもりだったけど」

「あ、そっか、そうですよね。えっと、メテオールではまだ冒険者登録ができなくてですね」

「はあ?」


 アダンがエメを見下ろすと、エメは自分のせいでもないのに申し訳なさそうな顔をした。


「あの、メテオールは大きな道から逸れた山間やまあいの小さな村で、わざわざメテオールに来て冒険者登録しようという人がいなくてですね、なので今のところ予定もないんです。この辺りだと、レオノブルかペティラパンの方が便利ですし、みなさんそっちに行ってしまいます」

「レオノブルとペティラパン……」


 アダンは何か言いかけて、途中で何かに気付いたように口を閉じた。ダンジョンマスターに関わる言葉を言いかけたのかもしれない。

 アダンは周囲を見回してエメの手を引いて往来の端に寄ると、気を取り直したようにエメを見た。エメは腕を引っ張られたまま、素直にアダンの前に立ってアダンを見上げる。

 アダンは声を潜めて、ぼそぼそと喋る。エメもそれに合わせて、小さな声で受け答えた。


「ペティラパンは……メテオールから馬車で三日くらいか? レオノブルよりもペティラパンの方が近いよな?」

「はい、そうですね」

「冒険者登録って時間がかかったりするか?」

「レオノブルでは二日かけて講習を受けました。講習の内容は街によって多少違いがあるみたいですけど、時間はそんなに変わらないと思います」

「金はかかるよな? いくらくらいだ?」

「ええっと……いくらだったかな、確か80銅貨くらいだったと思うんですけど……講習の内容によっては、もう少しかかります。わたしは魔法の講習を追加で受けたので、100銅貨超えてました」

「冒険者タグは必要か? ダンジョン探索、タグがなくてもできるってことは?」

「ええと、ギルド管理下にあるダンジョンでは入り口エントランスでタグの確認をしているので、ダンジョン探索するなら冒険者タグは必須です」

「そっか……参考になった」


 アダンは後頭部をかきむしると、ひとつだけ大きな溜息をついた。


「予定変更だ。ペティラパンに行って、冒険者登録してくる」


 アダンが冒険者登録をした頃、つまり百五十年以上前は、講習というものはなかった。冒険者登録自体が半日程度で終わるもので、その半日も冒険者カードを用意するのを待つ時間がほとんどだった。冒険者ギルドなら大体どこでも冒険者カードの発行をしていた。だからそのつもりで、さっさと登録して店で装備を見繕って、そしてそのままメテオールのダンジョン探索をするつもりでいた。

 アダンの時代にはそのくらい簡素だった冒険者登録だったけれど、冒険者による揉め事トラブルの多さから長年の間に冒険者登録の手続きが手厚くなっていったのだった。エメが冒険者登録をした頃には、その手厚い冒険者登録手続きは講習として完成されていた。その流れとともに冒険者ギルドは、冒険者が絡む問題トラブルにも積極的に介入するようになっていた。




 冒険者登録をするために、アダンはペティラパンに行くことにした。

 旅支度を検討するアダンを見て、エメはタンスに仕舞い込んだままになっていたリュックと杖のことを思い出し、それらを引っ張り出してきてアダンに譲った。リュックはペティラパンを出る時にエルヴェからもらったものだ。ダンジョン探索向けの消耗品は手付かずで残っているけれど、他に入っていた携帯食お弁当はもう全部食べたし、銅貨は全部使ってしまって財布は空っぽだ。

 杖は当時のエメにとって、まあまあ高価なものだった。だから多分、何もないよりは多少マシなはずだ。

 エメは寮の建物の前で、アダンにリュックと杖を渡す。


「良いのか、俺が持っていっても」

「はい、わたしはもう使いませんから。今まで忘れてたくらいですし……覚えてたら、とっくに売って魔虹石にしてました。でも、今は売ってもどうせ魔虹石にできませんし。もうちょっと早く思い出せていたら良かったんですけど」


 アダンはエメの言葉を聞いて、エメに呆れた目を向けつつ、遠慮なくリュックと杖を受け取った。それからエメの案内で店に行き、いくつか買い物をする。時間をかける意味もないからと、出発は翌朝に決めた。

 買い物の帰り道に、アダンはエメを宿屋の自分の部屋に連れ帰った。話があると言っていたので、ダンジョンのことだろうと思ってエメは付いていった。宿屋の受付で、アダンは夕食二人分を適当な時間に部屋まで持ってくるように伝えてその代金を先払いし、さっさと階段を登っていった。受付にいた従業員は当然のことながらエメの顔見知りで、アダンの後を追うエメの後ろ姿を見送ってからにやにやとしていた。


「予定が狂ったからな。そうだな、今日だけで話せてある程度即効性があって、でもってできれば応用しやすいヤツが良いよな」


 狭い部屋には椅子が一脚しかない。アダンはエメを椅子に座らせて、自分はベッドに腰を下ろした。エメのリュックと杖と買い物の荷物はベッドの上に投げ出したままだ。


「ダンジョンの話ですよね?」

「そうだよ。召喚ガチャがないと新しい設計デザインが作れないって言ってただろ。魔虹石錬成の制限だけしても、召喚ガチャ依存の方が治らないと意味がないからな。あんたが召喚ガチャなしでも設計デザインできるように、俺の知ってることノウハウでも話しておこうかと思って」

「え……あ、ありがとうございます……」


 考えてみたら、お昼はアダンにご馳走になっているし、このままだと夜もそうなりそうだ。ダンジョンのことまで教えてもらって、エメは随分とアダンに優しくしてもらっていることを自覚した。

 エメは、自分の袖を引いて不安そうにエメを覗き込むアーさんの顔を思い出した。あれは、アーさんがエメを心配する表情だったのだと今更気付く。そして、アーさんとは似ても似付かないアダンの言動に、ほんの少しのアーさんの気配を感じていた。


「いや……本当は少しずつ話していけばって思ってたけど、ペティラパンに行くなら、一週間以上……二週間はかかる。あんたの体調が心配だったとはいえ、錬成の限度額リミット設定は完全に俺のお節介だし、それだけやっていなくなるんじゃ無責任だ」


 それからアダンが話した内容は、利用規約に違反しない、至極真っ当なダンジョン運営の知識だった。

 ダンジョンの配置にパターンを作って、自分が今どのパターンを使っているのかを意識する。パターン同士がどれだけ似ているかを整理して、次にどのパターンを使うのかを考える。構造のパターン、壁や床や内装のパターン、モンスターやアイテムの組み合わせのパターン、そういったものを蓄積していって、パターンの組み合わせを作っていく。少しだけズラすポイントを作る。

 一度使った組み合わせをまた使っても良いというのは、エメは考えたこともない話だった。


「冒険者のレベルは上がっていくんだ。例えばレベル20くらい向けの設計デザインを作ったとするだろ。そのダンジョンを探索していた冒険者は、一年後にはもっと高レベル向けのマップを探索してるはずだ。じゃあ、その一年後にそのマップを探索している冒険者は誰か」

「あ、そっか……」

「その時、その冒険者にとって目新しいマップであれば良いんだ。冒険者は入れ替わっていく。一年二年も前のマップは、新しいマップになるんだよ」

「え、でも、わたし、これまで自分が作った設計デザイン覚えていません……」

設計デザインの内容はどこかにまとめておいた方が良い。パターン整理にも使えるからな。それから……あ、前と全く同じ設計デザインはさすがに駄目だ。以前の攻略方法がそのままだと役に立たないってことを印象付けるアレンジがあった方が良い。トラップの配置を変えるのは手っ取り早いな。あとは、モンスター関連の変更も印象への影響は大きい」


 アダンはダンジョンマスターとして、案外きちんとダンジョン運営をしていたのかもしれないと、エメは話を聞きながら思った。利用規約違反になるようなことをしていただけではなく。

 百五十年前のメテオールは冒険者が集まる賑やかな街だったらしい。よく考えてみれば、ダンジョン運営をきちんとしていなければ冒険者は集まらなかっただろう。


 夕食が運ばれてきて、二人はダンジョンの話を中断した。アダンは宿に椅子を一つ頼んで持ってきてもらって、それに座った。二人で囲む食卓として部屋のテーブルは少し狭いけれど、周囲に気を遣わずに話すことができる。


「アダンさんて、すごい人なんですね」


 腸詰肉ソーセージを一口齧って飲み込んで、思わずといった口ぶりでエメは言った。アダンは相変わらず食べるのが早い。エメがちまちま食べている間に、もう二個目のパンを手に取っていた。

 アダンはそのパンをちぎりながら、エメに目を向けた。


「何が」

「今日いろいろ教えてもらって、いろいろ知っててすごい人だなって。冒険者としてもレベル70超えてますし」

「レベル上げるだけなら、結構なんとかなるもんなんだよ。人の少ない夜中と早朝を狙って、経験値効率の良いマップに潜り続けるんだ。それでも探索順でめちゃくちゃ揉めたし、連続して潜るために順番買ったりもしてたし。だから、レベル高いなんて威張れる話でもない」

「連続して……ひょっとして、アダンさんの時代って、ギルドが探索順管理してなかった……?」

「探索順管理?」

「メテオールだとわたしが全部活性化アクティベートできちゃうから順番待ちがないんですけど、普通はダンジョン探索はギルドへの申請が必要です。冒険者の間では順番登録って呼ばれてますけど、ギルドにダンジョン探索の希望を出して、何日の何時頃って予約をするんです。レオノブルやペティラパンだと、順番登録してからだいたい二日後くらいに実際に探索することになってました」

「はあ? なんだそれ」

「ダンジョンの入り口エントランスでの揉め事トラブルが多くて、今の形になったって聞きましたけど」

「ああ……」


 アダンは腸詰肉ソーセージにフォークを刺して、それを持ち上げる。行儀悪くそれを揺らしながら、自分が冒険者だった頃を思い出す。


揉め事トラブルばっかだったな。横から入った入らない、譲れ譲らない、順番買った売った金払った払ってない、金が絡むと騒ぎも大きくなりがちだったな。入り口エントランスで揉めるとその隙に乗じて絶対先に入ろうとするヤツがいてさ、でもってそれもまた誰かに見付かって、乱闘みたいなことにもなるんだよ。運良く入れたは良いけど、出てきたところを待ち伏せされたりもザラだったし。とにかくダンジョン探索するまでが結構大変で。特にレオノブルは治安が悪くて有名だった」

「それで冒険者ギルドが探索順管理を始めたんですね。ギルドに順番登録しないで探索するのは登録禁止ブラックリストになる可能性もあるって聞いてます。入り口エントランスでの揉め事トラブルも」

「そっか、それでみんな律儀に数日おきに探索してんだな。そりゃレベルも上がらねえよ。今聞いといて良かった」

「冒険者講習でだいたい教えてもらえますよ」


 アダンはうんざりしたように腸詰肉ソーセージを飲み込んで、舌打ちをした。


「だいぶルールが増えてそうだな、面倒くせえ」

「なんだか話を聞いてると、アダンさんの時代だったら、わたしは冒険者になれてないだろうなって思いました」

「あー、考えたらそうだよな。あんたが冒険者になってるくらいだ、あんな治安が悪いわけがないわ」


 アダンの皿が空になったのを見て、エメは自分の皿を差し出した。


「もう食わないのか?」

「お腹いっぱいです」


 アダンは溜息をついて、エメから皿を受け取った。


「俺が戻ってくるまでには、もっと食えるようになっとけよ。メテオールに来たばっかりの時はもっと食ってただろ」

「ええっと……そうでしたっけ」


 アダンは付け合わせの茹で野菜にソースを絡めて口に運ぶ。それを飲み込んで、唇の端についたソースを親指で拭って舌で舐めとる。


「少なくとも、アーさんが見てた限りでは一人前は食ってたし、おやつだって食ってた」

「そうだったかも」


 アーさんと並んで、おやつを食べながら設計デザインしたこともあったと、エメは懐かしく思い出す。アダンの言葉にアーさんの声が重なって聞こえた気がして、エメは笑ってしまった。


「今月はもうお金がないんですけど、気を付けますね」

「そうだったな、ちょっと待ってろ」


 アダンはそこから、皿の上に残っていた腸詰肉ソーセージと茹で野菜をさっさと全部たいらげてしまった。それからローブの内ポケットを探って1銀貨を取り出す。


「ほら、これ」

「え……」


 エメは目の前に突き出される1銀貨をぽかんと眺めた。ぼんやりとしたエメに焦れたアダンは、エメの手を取るとその手のひらに1銀貨を捩じ込んだ。


「俺がいない間の食費に使え」

「え、ダメです! こんな、もらえません!」


 エメが慌てて突き返しそうとする前に、アダンは手を引っ込めてしまっていた。


「グリモワールから巻き上げたもらった金だからな、エメが使っても問題ないだろ。ああ、でも二週間だと1銀貨じゃちょっと足りないか?」

「でも、だって、1銀貨だなんて……魔虹石155個分じゃないですか!」


 エメの言葉にアダンは大きな舌打ちをすると、苛立ちを隠さない顔でエメのおでこを指先で弾いた。


「あいたっ!」

「魔虹石換算イラっとする! ヤメロ!」


 結局アダンはそのまま1銀貨を受け取らず、エメはその1銀貨を自分の財布にしまうことになった。

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