第三十一話 エメはアダンにゲスト権限を付与した

 アーさんがいなくなってアダンが現れたと知って、グリモワールはしばらく絶句フリーズしていた。あまりに反応がないので、心配になったエメが頁をつつくと、今度は一気に文字が浮かび上がる。頁上に、次々と文章が綴られ、そして消えてゆく。


──これまでの不具合バグは全部あの男のせいか。

──アバター機能! あれは随分昔に廃止になって。

──起動時間がおかしい、強制停止シャットダウンの間に何をされていた。

──ダンジョンマスター以外にダンジョンマスターと知られたのは問題では。

──アバター機能の不具合バグなんて気付くのは無理だ。

──あの男せいだ、全部。

──魔虹石錬成に制限ロックがかかってる。

──いやでも、せっかくここまで大きくなったのに、契約破棄はしたくない。

──権限剥奪バンしてやる、いや、もう権限剥奪バンされてる、これ以上どうすれば。

──せっかく逸材を見付けたのに。


 エメは目まぐるしく現れては消える文字列を追っていたけれど、あまりのスピードに、全部を読むのは諦めた。


「あの、グリモワールさん……? 大丈夫ですか?」


 エメがそっと声をかけると、ぴたりと文字が止まって、それからふわりと全てが消えた。


──失礼しました。取り乱してしまいました。


 グリモワールは丁寧にそう綴った後、咳払いでもするかのように頁をめくった。新しい頁に綴られる文章は、もういつものグリモワールらしい硬質な文字だった。


──そうですね、いくつか後始末フォローが必要な状況のようです。

──まずは、アーさんのために特別に増やしていたモンスター用の部屋数を戻します。アーさん用の部屋が減るだけなので、ダンジョン運営に影響はないでしょう。

──モンスター一覧リストには、アポロンもアーさんもいない状態になっていますが、SRスペシャルレアモンスターについては以前補填済みですので、今回は何もありません。

──ダンジョンマスター以外の者にダンジョンマスターであると知られてしまった件ですが、これをもって契約破棄はありませんので、安心してください。ただ、ダンジョンマスターの存在を知ってしまった者との契約が必要になります。


「アダンさんと契約するってことですか?」


──はい。マスターのダンジョン運営に支障がないように、契約してもらわなければ。


「まずは契約書を見せろ。契約するかどうかは、それから決める」


 エメの隣でエメと一緒にグリモワールを覗き込んでいたアダンが、グリモワールにそう告げた。アダンの態度とグリモワールの言葉に不穏な空気を感じて、エメはアダンとグリモワールの間で視線をさまよわせた。


──

秘密保持契約

 アダン(以下「甲」という)と■■■■■■(以下「乙」という)とは、メテオールのダンジョン及びダンジョンマスターについて、以下の通りの秘密保持契約(以下「本契約」という)を締結する。

第一条(秘密情報)

 本契約における「秘密情報」とは、甲または乙が相手方に開示し、かつ開示の際に秘密である旨を明示した技術又はダンジョン運営上の情報、本契約の存在及び内容その他一切の情報をいう。

──


 錆色ラスティーの色合いの細かな文字をエメは久し振りに眺めた。エメは最初の何行かで読むのを諦めてしまったけれど、アダンは真剣な目で全部読んでいるようだった。


「これじゃ駄目だな。俺はエメとなら契約する。エメの秘密なんだから、エメと契約するのが妥当だろ」

「え」


 突然自分の話になって、エメはぎょっとしてアダンを見た。アダンは頁上に連なる文字を指先で追いながら、言葉を続ける。


「それから、さりげなくダンジョン探索の禁止を盛り込んでるんじゃねえよ。エメがダンジョンマスターだってことは秘密にしてやるけど、それ以上の契約をするつもりはないからな」


──ダンジョンマスターから得た情報を使用して探索行為で不正が行われる可能性があるので、この条項は必須です。


「そもそも、俺にメリットがなさすぎるだろ。別に俺は契約しなくても困らないんだよな。だったら、俺が契約したくなるか、せめてしても良いって思える内容にしろよ。ダンジョンそっちにばっかり都合の良い内容書きやがって。それとも」


 アダンはにやにやしながらグリモワールの頁を覗き込んだ。吊り上がり気味の目が面白そうに細められて、その強気の表情はまるっきり悪人の顔だ。


「エメみたいに契約書を読み飛ばすのを期待してたか? 俺がそれをやると思ったか?」


──契約書に必要なのは、同意の意思と本人のサインです。内容を確認してサインをお願いします。


「この契約書にはサインしない。作りなおせ。俺とエメの契約だ。俺はエメがダンジョンマスターだということを秘密にする。その代わりにそうだな、エメのMPマナをもらおうかな。エメから得たメテオールのダンジョンの情報も秘密情報に加えて良い。それ以上は無理だ。なんなら、今から外に出てダンジョンがどういうものなのか、叫んで回っても良いんだぞ」


──それは脅迫行為ですか?


ダンジョンそっちのそれは詐欺行為だよな」


──詐欺ではありません。契約の内容はきちんと提示しています。本人が読んで同意した上でサインをしています。


「読みにくい色合いの小さな文字で読み飛ばされるのを期待して提示してるだろ。サインさえすれば良いって思わせて」


 雰囲気だけでなく、出てくる言葉まで不穏なものになっていたけれど、エメは口を挟むこともできず、ただ黙ってじっと成り行きを見守るしかできないでいた。

 アダンがグリモワールに対してひどく強気でいられるのは、もうダンジョンマスターではないからなのだろうか。エメはハラハラと一人と一冊の間で視線を動かす。


「ああ、それと、契約破棄とアバター機能については完全にそっちの不具合バグだよなぁ。俺が百五十年の間どうなってたのか、そっちの話を先に解決した方が良いか?」


 グリモワールはそのまましばらく沈黙していた。アダンは、まるでこの先どうなるかがわかっているかのような表情で、グリモワールの言葉を待つ。

 やがて、グリモワールが何かに堪え兼ねたように言葉を綴り始めた。


──ダンジョンマスターとの契約は認められません。ダンジョン我々と契約してもらう必要があります。


「なんでだ?」


──管理上の理由です。それ以外は譲歩可能です。


 グリモワールの綴った言葉を見て、アダンは口角を吊り上げる。


「秘密情報は、エメがダンジョンマスターであることと、エメから得たメテオールのダンジョンに関する情報、それからこの契約自体、その三つだ。そして、俺は秘密情報を注意義務を持って厳重に管理する。その代わり、俺が秘密情報を適切に扱っている限り、ダンジョンは俺に報酬を支払う」


 グリモワールの頁に書かれていた細かな文字が空中に溶け出すように消えて、そこに新しく文字が綴られる。アダンの言葉を追うように綴られる文字に目を走らせて、アダンは満足そうに頷いた。


「報酬は、そうだな……エメとの契約じゃないなら、エメのMPマナをもらうわけにはいかないな。なら、銅貨だ。月に何枚出せる?」


──毎月ですか。


「当たり前だろ。秘密はこの先もずっと秘密だからな」


──月に150銅貨でどうでしょう。


「600」


──200銅貨で


「なあ、時間の無駄だろ、これ。さっさと本当に出せる額を言え、契約したいんだろ」


──では、


 グリモワールはそこで、一度綴るのをやめた。アダンは何も言わずに黙って続く言葉を待つ。エメが息を潜めて何度か瞬きをするくらいの間が空いてから、グリモワールは文字を続けた。


──300銅貨でどうでしょう。


「450……いや、400にしといてやる」


──わかりました。月400銅貨で。


「支払いはエメを経由で構わない。あと、かさばるから銀貨でくれ。月4銀貨だな」


 グリモワールは新しい契約内容に毎月4銀貨の支払いについて追記した。その後もアダンは細かなところまで指示を出し、グリモワールが書き直す。そして秘密保持契約は出来上がった。ようやくアダンが納得すると、キラキラした光エフェクトをまとった羽ペンが空中に現れた。

 その羽ペンでアダンがサインをするのを見届けて、エメは体の力を抜いて長い溜息をついた。その場で一番緊張していたのが、なぜか何もしていなかったエメだった。

 アダンは初回の報酬として、早速4銀貨をグリモワールから受け取る。受け取りにはグリモワールの操作が必要なので、エメが受け取ってアダンに渡すことになった。アダンは受け取った4銀貨をローブの内ポケットにしまった。




「金も入ったし、飯でも食いに行くか」


 腕を持ち上げて背中を伸ばしながら、アダンが言った。エメは椅子に座ったままきょとんとアダンを見上げる。


「ほっとくとあんた、また芋だけで済ませるだろ。俺も魔水晶だけで生きられなくなったし、せっかくなら肉が食いたい」

「えっと、いってらっしゃい?」

「あんたも行くんだよ」

「え、でも、わたし今月もうお金が」

「だから、俺が食わせてやるって言ってんだっての」


 アダンはエメの腕を引っ張って立たせる。部屋のドアに向かって踏み出したアダンをエメが慌てて止めた。


「あ、待ってください! ええっと、今までうっかりしてたのですが、ここ女子寮なんです。なので、男の人が出入りするのは、その、ちょっとマズくてですね……ダメってことはないと思うのですが……」

「ああ、じゃあ、ダンジョン経由だな」

「え、アダンさん、ダンジョンに入れるんですか?」

「ダンジョンマスターの権限でゲスト権限を付与してくれたら、確か。なあ、できるよな、グリモワール」


 アダンの問い掛けが聞こえているのかどうか、グリモワールはぴくりとも動かなかった。エメがグリモワールの表紙を開いて、頁に指先を触れて呼びかける。


「グリモワールさん、アダンさんと一緒にダンジョン内を移動したいのですが、できますか?」


──その男をダンジョンに入れるのですか?


 エメはグリモワールが綴る言葉を見て、困ったようにアダンを見上げた。アダンは指先でグリモワールの頁の隅っこを弾いた。


「エメ、命令は『アダンにゲスト権限を付与』だ」

「え、でも……」


 エメは今度は横目でグリモワールの頁を見る。


──をダンジョン内に入れるのはお勧めしません。そんな男、さっさと追い出せば良いのです。


「私情を挟んでないでダンジョンマスターの質問に答えろ、グリモワール。それが情報端末おまえの仕事だろ」


 グリモワールが次の言葉を綴るまで、少しの間があった。ようやくという様子でゆっくり文字が綴られるので、グリモワールが乗り気でないのはエメにもよくわかった。


──マスターの質問は、部外者と一緒にダンジョン内を移動することでしたね、可能かどうかで答えるなら可能です。ゲスト権限を付与することで、ダンジョン内への出入りのみ許可することができます。ゲスト権限では一切の操作ができないので、安心してください。

──ただし、ゲスト権限を付与するためには、秘密保持契約が必要になります。


「もう、さっきやったよな、それ」


──あの秘密保持契約でゲスト権限付与の要件が満たせているか、微妙なところです。新たに秘密保持契約を結び直す方が良いと判断します。そもそも毎月の報酬は銀貨ではなくゲスト権限付与にするべきだったのでは。


「それで契約したのはそっちだろ。たまたま秘密保持契約した後に、たまたまゲスト権限が必要になっただけだし。まあ、俺は別にゲスト権限なくても困らないけど。それならそれで単に部屋から出るだけだ」


 アダンはそう言ってエメを見た。エメはどうしたら良いかわからなくなって、困ってグリモワールを見た。


「グリモワールさん、あの……アダンさんは元々ダンジョンマスターですし、アーさんだった時もずっとダンジョンにいたわけですし、ダンジョンに入ってもらっても大丈夫だと思うのですが……駄目でしょうか」


──マスターがそう言うなら。どうぞしてください。


「はい、ありがとうございます。アダンさんにゲスト権限を付与」


 グリモワールの頁の上で、虹色の光がいっぱいに広がる。エメが手を離すと、グリモワールはぱたんと表紙を閉じて、それからまた開いた。エメのステータスが書かれた中表紙が開かれる。


──MPマナ認証のためにMPマナ登録を行います。右手のひらで触れてください。


 エメの脇から手を伸ばして、アダンが中表紙に手のひらを押し付けた。アダンが触れたところから、白い光が波紋のように頁上に広がっていった。


──「アダン」のマナ登録中。登録完了。MPマナ認証手続き完了しました。「アダン」にゲスト権限を付与。もう手を離しても大丈夫です。


 アダンはグリモワールから手を離すと、視線をあげて壁を見た。そしてそこに、ダンジョンに続くドアが見えるのを確認して、口元だけで笑う。


「要件ていうのは満たせてたみたいだな」


 グリモワールはアダンの言葉を無視して、ただ静かに表紙を開いていた。エメは労わるようにグリモワールの頁に触れる。


「あの、グリモワールさん、ありがとうございます」


──いえ、仕事ですから。


 エメは「出かけてきますね」と呼びかけて、グリモワールの表紙を静かに閉じた。

 そして、エメとアダンは二人でダンジョンの中を通って、裏口から出た。アダンは裏口のある岩場を眺めて「この場所は変わってないんだな」と小さく呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る