第二十五話 エメはどうしてもミニドラゴンを使いたい
たった何日かの間でも、冒険者は随分と増えた。わずかにずつではあるもののメテオールの村で暮らす人も増え、一番近いシロシュレクとの間の乗合馬車は増便され、人の出入りも増えた。
増えた冒険者を受け入れるために改修が終わった宿屋も開店した。冒険者ギルドが調整していた仕入れルートも確定して、併設されている食堂も同じく開店を始めることになった。
村で唯一の食堂だったフラヴィの家は、増えた冒険者に対応しきれなくなりかけていたけれど、これで多少落ち着いて営業できるようになる。フラヴィの家は、これからも変わらず村の人たちで営業を続けるとのことだった。
魔法やスキルが絡まなければ、エメはさほど失敗することはなかった。基本的にはロイクを手伝いながら、事務所の片付けもやるし、職員の昼食買い出しもやった。宿屋や食堂の手伝いを頼まれることもあった。冒険者の中にはエメを見て変な顔をする者もいたけれど、最近は
買い込んだ食べ物を持って
正面の大きな
冒険者が増えたので、毎日手に入る魔水晶も増えた。ダンジョンレベルも順調に上がっていて、配置コスト
それでも500ではまだ足りない。RR《ダブルレア》のマジックバッグを手に入れてから、エメの目標はずっとRR《ダブルレア》のマジックバッグと
とにかくエメはその休日の朝、グリモワールを開いた時にはすでに、魔虹石錬成をするつもりでいた。
魔虹石30個のための18銅貨と、2個のための1銅貨、合わせて十九枚を用意していた。魔虹石は30個あれば足りると思っているのだけれど、限定はあと二日だし、なにせ1銅貨だ。そのくらいなら錬成してしまった方がお得だとエメは考えた。そしてエメは大きなベッドを用意するつもりはすでになくなっていた。
ローテーブルに開いたグリモワールの頁に銅貨を乗せると、それまで機嫌の良かったアーさんが、急に不安そうな顔でエメの腕を掴んで引っ張った。
「アーさん、どうしましたか?」
エメが首を傾けると、アーさんはエメの腕を掴んでいる自分の手を見詰めた。まるで、自分でもどうしてこんなことをしているのかわからないという様子だった。アーさんはしばらくそうやって、自分の手元とエメの顔を交互に見て、それから困ったように俯いて、小さく首を振って手を離した。
エメは首を傾けたままアーさんの様子を見ていたけれど、それ以上アーさんが何も言わないし動かないので、グリモワールの方に向き直った。アーさんの手が控えめに、エメの服の裾を掴むのをそのままに、エメは魔虹石錬成を進めた。
ついこの前も錬成したばかりで、やることはわかっている。手際良く19銅貨を魔虹石32個に交換する。虹色の光が形になってキラキラと降り注ぐのを見るのも二回目だったけれど、改めて眺めて綺麗だなと思う。落ちてきた魔虹石はグリモワールの隣に避けて、ローテーブルの上にまとめておいた。片付けてもどのみち
そこからエメは思い切って、配置コストを上げるために魔虹石20個を使った。配置コストはこれで600以上になる。今日魔虹石錬成をしたのはそのためだった。この前から全然完成しない
この時点で、
今日、エメには考えていることがあった。冒険者をやっていた頃、いつだったかどこでだったか、他の街にあるダンジョンの話を聞いたことがあった。そのダンジョンのマップには、強力なモンスターが一体だけ出てくる。そのモンスターを倒すと、非常に低い確率で非常に強力なマジックアイテムがドロップする。
ダンジョンマスターになった今のエメにはわかる。一体だけなら配置コスト上限に引っかからずに出せるのだ、お気に入りのモンスターを。そして、
エメは
モンスターが一体だけで良いなら、スタート地点とゴール地点とそれらを囲む壁と床だけあれば良い。
ドロップアイテムは他にも
最終的に、配置コストが570、一回の魔水晶消費平均が162で、エメは
ずっと使いたかった
エメは新しい
あまりに浮かれていて、エメは
当然のことながら、新しいマップはその日のうちはなんの効果を見せなかった。
次に訪れた冒険者パーティは、
新しい
落ち着いて考えれば当然のことではある。これまでのマップは初心者向けと中級者向けだけだった。当然集まる冒険者もその辺りのレベルだ。
新しく追加した自信たっぷりの
そもそも、
もちろん、ダンジョンマスターの
未知のマップ探索が好きな変わり者もいないではないが、そういう冒険者だって最大限の準備をして挑むものだ。どのみち、そういった新し物好きの冒険者は今のメテオールにはいない。
近隣のレオノブルやペティラパンのダンジョンは変化が少なくて安定したマップだったので、そういう冒険者が拠点にする街にはならなかったのだろう。それより遠い街から、メテオールの噂を聞きつけてやってくるほどの新し物好きがいるかどうかは、エメにはわからないことだった。
「うーん……でも、やっぱり
エメは
「エメさん、どうしましたか?」
「あ、ええっと、大丈夫です」
「疲れてますか? お腹すきましたか?」
心配そうに覗き込んでくるアーさんの言葉に、エメは何回か瞬きをしてから笑った。アーさんに言われて、自分の空腹に気付いた。ずっと集中していたのもあるし、何よりダンジョンの中で過ごしていると時間の感覚がなくなってくる。
「そうですね。ずっと集中して考えてたのでお腹が空きました。何か食べますね」
エメの笑顔に、アーさんも笑顔を返す。エメは両腕を持ち上げて大きく伸びをしる。ずっと同じ姿勢でいたので、体がすっかり硬くなっていた。
ローテーブルの上のグリモワールを開いたまま少し脇に押しやって、空いたスペースに持ち込んだ食料を置く。中からサンドイッチを出したところで、アーさんがそのエメの袖を小さく引っ張った。
「エメさん、わたしも
「魔水晶出しますか?」
「わたしは、魔水晶よりもエメさんの
エメは両手でサンドイッチを持ったまま、エメは少し考えた。
「じゃあ、わたしが食べ終わるまで、待てますか? これを食べ終わったら、手を握りますから」
「はい。待ちます」
アーさんは笑顔のままソファの上でエメの方を向いて、エメが食べる様子をじっと見ている。アーさんがあまりにもじっと見詰めるものだから最初は随分落ち着かなく思ってもいたけれど、いつものことなので、最近はすっかり慣れてしまった。
サンドイッチを食べ終わって、エメはアーさんとアーさんとソファに並んで座り、手を繋いで、
アーさんは時折、
「この人たちは、この前はこっちのダンジョンにいました」
アーさんが指差した冒険者の顔を見て、エメはギルドで見掛けたことを思い出す。ペティラパンからやってきた冒険者パーティだっただろうか。ちょうど初心者と中級者の境目くらいのレベルだった気がする。そして、彼らが初心者マップを卒業して、中級者マップに挑戦したのだと気付いた。
エメはエルヴェたちのパーティを思い出して、なんだか懐かしい気分になった。
あれからまだ一ヶ月も経っていない。それほどショックを受けずにエルヴェやイネスたちのことを思い出すことができて、エメはそんな自分に少し驚く。
ペティラパンを出る時にはひどく落ち込んで惨めな気分だったけれど、そのことすらも懐かしく思い出せる。もう冒険者をやめてしまったからだろうか。
懐かしく思い出しながら、自分のせいであのパーティの雰囲気が悪くなっていないと良いなと考えた。元気でやっているだろうか。
「エメさん?」
冒険者だった頃の思い出に耽っていると、アーさんがエメの方を振り向いて首を傾けた。
「このダンジョンで、初心者が成長して中級者になっていったんだなって考えていたんです」
エメの言葉を聞いて、アーさんは傾けていた首を反対側に傾ける。
「ええとですね。このダンジョンで冒険者が探索をして、強くなって、そしたらわたしはもっとすごいマップを用意します。そうしたら冒険者はもっと強くなる。それがなんだか楽しいなって思ったんです」
「初心者の人たちはすぐに強くなりますか?」
「そうですね、初心者はレベルが上がりやすいので」
「中級者の人たちは?」
「中級者になると、レベルは上がりにくくなりますね。でも、中級者でも生活はそれほど困らないので、そのままでも良いという人もいます。もっとレベルを上げたいと思う人もいるので、そういう人はもっと強いマップを……」
エメは説明の途中で言葉を止めた。レベルを上げるためのマップと、レベルを上げるよりもそこそこの稼ぎが欲しいというマップを区別して考えた方が良いのではないかと気付いたからだった。そして今ようやく、戦闘マップと採集マップがあった意味を知った。
冒険者だったときには、ただそういうものとしてしか認識していなかった。
「そうすると、もうちょっと調整したいかも」
初心者向け採集マップと戦闘マップ。中級者向けの採集マップと戦闘マップ。役割を明確にすることで、もっとそれぞれの
「エメさん?」
アーさんがまた首を傾けて呼びかける。
「アーさん、ありがとうございます。今良いことを思い付きました。アーさんのお陰です」
「わたしのお陰……わたしは、役に立ちましたか?」
「はい、アーさんと話していると、ダンジョンの
アーさんはしばらくきょとんとしていたけれど、やがてそっとエメの方に体を近付けた。エメは手を繋いでいない右手でアーさんの頭を撫でる。アーさんはその手の感触に、くすぐったそうに笑った。
これまでの
その合間、エメがおやつにと買っておいたナッツを取り出したら、グリモワールが勝手にエメの膝から離れてローテーブルの上に移動した。
──マスター、食べながらの操作自体は止めませんが、できれば膝の上ではやめてください。ナッツは油分が多いので、万が一汚れたら油染みができてしまいます。
「あ、その、こぼさないように気をつけたら大丈夫かなって、それに……いえ、ごめんなさい」
──お願いします。それと、油のついた手での操作もやめてください。
「はい。ごめんなさい」
──万が一、
「はい……気をつけます……」
グリモワールに説教をされてエメがしゅんと項垂れると、アーさんが手を伸ばしてエメの頭を撫でてきた。エメが顔を上げると、アーさんはほわほわと笑った。
「エメさん、頑張ってます、偉いです」
アーさんの大きな手は、エメの頭を包み込むように、優しく小麦色の髪を撫でた。繋いだ指先からはアーさんの高い体温が伝わってくる。
「ありがとうございます、アーさん……くすぐったいです」
エメはなんだか照れ臭くなって、目を伏せた。それでも、こうやって甘やかしてもらえるのがなんだか嬉しくて、口元が緩んでしまう。
「わたしも、エメさんに撫でてもらうの、くすぐったくて、気持ち良くて、好きです」
アーさんはエメの頭を撫でるのをやめて、エメの左手を両手で持ち上げてぎゅっと握った。子犬が懐くようにまっすぐにエメを見るその視線にも、エメは少しのくすぐったさを感じる。それからどこかほっとするような、安心するような気持ちになる。
食べ物でグリモワールを汚さないように細心の注意を払いながら、エメは休日の残りをのんびりと過ごした。時折グリモワールを操作する手を止めて、アーさんとお喋りをしていたので、アーさんはとても機嫌良く過ごしていた。
やがて、エメもアーさんも
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