第二十三話 エメはギルド職員として働き始めた

 朝起きたらまずはグリモワールを開いて、報酬リワードを受け取る。アーさんに昼間の分の魔水晶を上げる。それでも魔水晶が溢れそうな時は、モンスターかアイテムのレベルを少し上げておく。

 その後残っている携帯食で軽い朝食を済ませて、身支度をして家を出る。

 フラヴィの家は朝から冒険者で賑わっている。この村には他に食べ物屋がないので仕方ない。パンの焼ける良いにおいが通りに漂っている。

 すぐ隣の冒険者ギルドも、すでに入り口が開いていた。エメが表から入ると、ロイクともう一人が出迎えてくれた。ロイクの隣に立っている背の高いその男は、少しの警戒を滲ませた目付きでエメを見た。


「おはようございます」

「ああ、エメさん、おはようございます、昨日はよく眠れましたか? 朝食は? そうだ、昨日言い忘れてたんですが、一応事務所の裏側に職員用の通用口があるんですよ、タグで出入りできるので表が開いてなかったらそっちから、あ、別に表から出入りしてもらっても問題ないんですけどね、そうだ、この人もギルド職員でダンジョンの入り口エントランス警備をやってもらってます、モイーズさん、入り口エントランス警備は他にも後三人いるんですけど、まあ交代で」


 いっぺんに降ってきたいろいろな情報を処理しきれずに、それでもエメは慌てて頭を下げた。


「あ、ここで雑用バイトさせてもらうことになったエメです、よろしくお願いします」

「ああ、君が……」


 モイーズは少し目を見開いて、不躾にエメの姿を眺め回した。もしかしたら、この人ものことを知っているのかもしれない。それとも、突然現れたエメを不審に思っていたりするのだろうか。エメは頭を下げたまま、目線だけでそっとモイーズを見上げた。

 エメと目線が合ったせいか、モイーズは自分の不躾な視線に気付いたようだった。気まずそうに笑う。


「いや、よろしく、モイーズです」


 事務的な挨拶を交わしてすぐに、モイーズはギルドを出て行った。これから入り口エントランスの警備なのだという。


「ダンジョンの限界リミットがまだわからないんですよ、まだ冒険者パーティが少ないせいかもしれないけど今のところ入れなくなるってことがない、おかげで探索予約の業務をしなくて良いのは助かるけど、この先探索するパーティが増えてきたらどこかで限界リミットがかかるのかもしれないし、まあそれに、入り口エントランス付近は冒険者どうしの揉め事トラブルの可能性もありますから、警備はどうしても必要なんですよね、人数が少なくて無理させてますけど、いやあ、職員が少なくて無理してるのは僕もおんなじか、あはは」


 エメはダンジョンマスターになってから、ダンジョンの限界リミットというのはダンジョンマスターのMPマナ量に依存しているということを知った。

 マップを活性化アクティベートする時に必要なMPマナが足りなければ、活性化アクティベートが失敗してしまう。そうなると、ダンジョンマスターのMPマナが回復するまでは活性化アクティベートできなくなってしまう。

 エメの場合は、それこそ規格外のMPマナ量がある。ダンジョンマスターになってからもダンジョンレベルが上がるたびにMPマナ量は増え続け、今は14,000を超えていた。一回の活性化アクティベートで、現在の最大コスト450を使ったとしても、30パーティ以上をまとめて受け入れられる。

 一日の中でもMPマナは徐々に回復していくので、一日で考えるともっと数は多くなるだろう。なのでエメは活性化アクティベートできなくなる心配をあまりしていなかった。

 レオノブルでもペティラパンでも、一日に受け入れられるのは最大で10から20パーティ程度だと言われていた。もちろん、マップによる活性化アクティベートコストの違いもあるし、冒険者ギルドが調査した上で定めた数なので、単純な比較はできない。

 エメとしては、もっとたくさんの冒険者に探索してもらっても問題はないのだけれど、わざわざこんな田舎までやってくる冒険者は、まだそこまで多くないらしい。やっぱりドロップアイテムをもっと魅力的にしないと駄目か、アイテム召喚ガチャをしたいな、と仕事の合間にエメは考える。


 冒険者ギルドでのエメの仕事は、まさしく雑用だった。書類の不備のチェック、改築に来ている職人たちの食事の用意、改築を行なっている建物は村の中にまだいくつもある。それら全てに食事を届けに行って、改築の進み具合に遅れがないかを確認した。宿屋兼食堂になる予定の建物の壁の隙間に魔樹蜂まじゅばちの巣が見付かり、その対応のために遅れが生じているという話を聞いた。

 ダンジョンの入り口エントランスで警備しているモイーズにも食事を届けに行った。そしてここでも、問題トラブルが起きてないことを確認する。

 ロイクにも食事を持っていって、ギルドの事務所で一緒に食べる。これらの食事はフラヴィの家で毎日まとめて作ってもらっているらしい。今日は、固めのパンに塩漬け肉ハムと卵と野菜を挟んだ、素朴なサンドイッチだった。

 食べながら、エメは午前中の報告をする。宿屋兼食堂の遅れの話をすると、ロイクは額に手を当てて「魔樹蜂まじゅばちですかぁ……」と声を出した。


「作業の遅れについてはわかりました、魔樹蜂まじゅばちの駆除は最優先で構いませんし、それよりも怪我人を出さないように気を付けて、そう伝えてください」


 サンドイッチを食べ終えて、午後の最初の仕事はロイクの伝言を作業している職人に伝えに行くことだった。その後は改修が終わった建物の片付けを手伝いにいく。明日か明後日に新しいギルド職員が到着するので受け入れの準備の一つだ。

 夕方にギルドに戻ってロイクに挨拶をして仕事を終える。フラヴィの家にパンとスープを買いに行ったら仕事終わりの職人を見かけて挨拶をした。部屋にテーブルと椅子が欲しいという相談をすると、家具の入れ替えで処分扱いになる古い家具がいくつあると言われて、明日ロイクに相談しようと考える。




 フラヴィの家で5銅貨を払ってパンとスープを買って、部屋に戻る。アーさんは部屋にいなかった。グリモワールだけが、ベッドサイドの小さなテーブルで静かに表紙を閉じていた。


「ただいま」


 無言なのは落ち着かなくて、小さく声をかけるけれど、部屋はしんとしている。エメはグリモワールをベッドに置いて、空いたスペースに買ってきたスープの器を置いた。グリモワールを開いて頁に触れると、いつものように虹色の光が反応する。

 反応があったことにほっとして、改めて声をかけた。


「ただいま」


──お帰りなさい、マスター。通知事項お知らせがきてますよ。


「はい、確認します」


 エメは左手でスープの器を持って、右手でグリモワールを操作する。通知事項お知らせの内容を確認しながら、右手でスプーンを持ってスープを食べる。魔水晶は順調に溜まっているし、今日は魔虹石も増えた。ダンジョンレベルも上がっている。それでも、魔虹石召喚ガチャをするほどにはない。

 保存できる設計デザインや配置コストの上限リミットを増やすのにも魔虹石を使っていて、魔虹石はいくらあっても足りない状態だ。


「やっぱり目玉アイテムが欲しいなあ。RRダブルレアのアイテムと……そうすると配置コストももっと欲しいし……魔虹石がもっとあると良いんだけど」


 エメは柔らかく煮込まれた野菜をスプーンですくって口に入れた。


 ダンジョンに繋がるドアが開いて、昨日のようにアーさんが飛び込んでくる。アーさんはエメの姿を見て、ぱぁっと笑顔になった。スープの器を持っていたエメは、昨日のように飛び付かれては困ると、慌ててアーさんを制止するようにスプーンを持った手を前に出した。


「アーさん、待ってください。今ご飯を食べてるので、静かにお願いします」


 アーさんはそれで動きを止めて、そろりとエメに近付いた。


「ええと、隣に座るのは大丈夫ですか……?」

「はい、でも手を握るのは、もう少し待ってもらえると助かります。ご飯が食べられなくなってしまうので」

「わかりました」


 アーさんは大人しく頷いて、エメの隣にぴったりくっついて座った。


「エメさん、お帰りなさい。わたしは今日もずっと待ってました。もう少しこうやって待ってます」

「はい、ただいま帰りました。アーさんは独りでお留守番ができて偉いです」


 エメに褒められて、アーさんはふふっと笑った。エメはすっかり、アーさんを小さな子供のように扱っている。アーさんはそれで機嫌良くしているし、エメもそのつもりでいる方が気が楽だった。

 グリモワールに視線を戻そうとするエメを、アーさんが服を引っ張って引き止める。


「エメさん、今日はずっと、ダンジョンの様子を見てました」

「ダンジョンの?」


 スープに浸したパンを食べながら、エメはアーさんを見た。


「はい。壁にダンジョンの中に入った人が映ります。モンスターと戦ったりしてます」

「ああ……」


 アーさんが言っているのが投影石モニターのことだと気付いて、エメは頷く。本当はエメ自身が設計デザインの調整をするのに探索の様子を観察していたいけれど、仕事バイトがある日にはさすがに難しい。夜間に探索する冒険者はいない。


「面白かったですか?」


 エメの言葉に、アーさんは瞬きをして首を傾けた。そのまましばらく何かを考え込む。


「面白い……よくわかりません。でも、ええと、大蝙蝠ジャイアントバットが多すぎるみたいでした」

「……え?」


 アーさんの口からエメの予想外の言葉が出てきた。エメが動きを止めて聞き返すと、アーさんはいつものぼんやりした笑顔で、エメに話す。


大蝙蝠ジャイアントバットがたくさんで、ダンジョンに入った人は疲れてるみたいでした。毒鼠ポイズンラットと戦ってる方が楽しそうです」


 エメはスープを口に入れて考え込む。大蝙蝠ジャイアントバットを多く配置したのは、中級者向けダンジョンの一つだ。配置コストに苦労して、大蝙蝠ジャイアントバットの数で調整したものだ。コスト調整のためだったので、配置が雑だった自覚はあった。

 毒鼠ポイズンラットは弱体化させて配置しているが、それでもRレアモンスターだ。Cコモン大蝙蝠ジャイアントバットとはコストが違う。それを改めて調整するならと考えながらパンの最後の一口を口に放り込む。


「エメさん?」


 考え込んで黙ってしまったエメをアーさんが不思議そうに見詰める。エメはパンを飲み込んで、残りのスープも口に入れると、器をサイドテーブルに戻してグリモワールを手に取った。


「アーさん、ありがとうございます。参考になりました。本当は自分でそういう観察をしたいと思ってるんですけど、仕事があるとできないですし」


 エメの言葉に、アーさんは不思議そうな表情のまま、しばらくぼんやりしていた。やがて、ちょっと困ったように眉を寄せる。


「ええと、エメさんはなんでお礼を言いましたか?」

「アーさんの話が役に立ったからです」

「役に立った……」


 アーさんは何度か瞬きしてから、ようやくその顔に笑みを浮かべた。


「エメさんの役に立ちましたか? ダンジョンを見るのは役に立ちますか?」

「え、ええと……はい。設計デザインの調整ができそうです。ありがとうございます」


 エメの言葉に、アーさんははしゃいだ声を上げた。


「エメさんの役に立つの嬉しいです。エメさんがいない間はダンジョン見ます」

「む、無理はしなくて大丈夫ですからね」

「無理じゃないです。エメさんが褒めてくれます」


 アーさんはにこにことしたまま、エメの前に自分の頭を突き出すように上半身を前に出す。そして、期待に満ちた目でエメを見上げた。エメは左手で差し出された頭を優しく撫でた。アーさんはその指先の感触に、満足そうに目を細める。


「また役に立ったら褒めてください」

「はい、わかりました。でも、本当に無理はしなくて良いですよ」


 エメが仕事でいない間も、アーさんが暇を持て余したりせずにやることがあるのは良いかもしれない。アーさんの話が毎回役に立つとはエメも思っていなかったけれど、夜に探索の様子を聞くのは面白そうだ。

 アーさんは機嫌の良いまま、エメの左手を握って大人しくなった。




 エメは設計デザインの頁を開いて、大蝙蝠ジャイアントバットはばっさりと減らして、毒鼠ポイズンラットを少し増やす。モンスターの数は減ったけれど、調整後のモンスターの数を見ているうちに、確かにこれまでが多すぎたかもしれないという気持ちになってきていた。

 毒鼠ポイズンラットを増やしたので、ドロップするアイテムも少し調整した。お守りアミュレットをなしにして、替わりにポイズン状態を回復するためのキュアポーションを増やす。

 モンスターとの遭遇エンカウントが減りはするけれど、ポイズン状態になる可能性が高くなり、途中での休憩がより重要になりそうだった。休憩できそうな小部屋と、そこに配置するトラップも合わせて調整する。

 せっかくなので、ボスのドロップアイテムをポイズン効果が付与エンチャントされた短剣に変えてみた。Rレアなので効果発動の確率は低いけれど、マップの雰囲気に合っているような気がした。

 やたらと大蝙蝠ジャイアントバットが出るばかりのだらだらしたマップに比べて、ポイズンによる緊張感が増してメリハリのあるマップになったように思えた。調整後の設計デザインはまだ活性化アクティベートしていないから結果はわからないけれど、エメは確かな手応えを感じていた。

 出来上がった設計デザイン保存セーブして、エメは隣で大人しくしているアーさんを見る。アーさんはエメに見られて、嬉しそうに笑った。




 夜は相変わらず、アーさんに抱きかかえられて眠った。エメは仕事で疲れていたし、二日目だしで、前日ほどは緊張せずに眠れた。なんなら、アーさんは子供のように体温が高くて、包まれているとぽかぽかと心地良い。

 うとうとしながら、不意に昨夜見たアーさんの目付きの鋭さを思い出した。けれど、今のアーさんにはその面影は全くなくて、あれはもしかしたら夢だったのだろうかと思いながら眠りに落ちた。

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