第三章 ダンジョンマスターと魔虹石

第二十一話 エメは引き篭もり生活を改める

 冒険者ギルドから調査のための冒険者が来たのは、そこから八日後のことだった。それまでの間に、エメは初心者向けのダンジョンを二つと中級者向けのダンジョンを二つ設計デザインしていた。エルヴェからもらった携帯食お弁当や自分で持っていた携帯食干し肉を食べて、ダンジョンの再奥に引き篭もって、ずっと設計デザインをしていた。

 設計デザインの保存数は最大三つだったので、魔虹石を使って四つに増やした。配置コスト上限も魔虹石で450まで増やした。せっかく契約したアルテミスはまだ配置できていない。

 調査にきた冒険者パーティは何度か探索してからメテオールの村に戻っていった。メテオールの村は、これからギルドや冒険者向けの施設がやってきて、きっと街になるだろう。冒険者の何回かの調査でダンジョンレベルがいくつか上がり、魔水晶も増えて、エメのやることも増えた。

 メテオールに新しいダンジョンができたという話は近隣の冒険者たちに伝わり、仮の冒険者ギルドと宿泊施設が作られて、冒険者たちがやってくるようになったのは、そこから更に七日かかった。

 その頃には、エルヴェにもらった携帯食お弁当が底を突きかけていた。ダンジョン内では食べ物が手に入らない。

 ダンジョンマスターになってから初めて、エメはダンジョンの外に出ることにした。




 メテオールの村はまだ小さく、外から入ってきた冒険者は目立つ。一回だけなら気にされないだろうけれど、エメは今後何回も食料や日用品を買いに行く必要がある。


──つまり、ダンジョンマスター以外の生活が必要です。


「他のダンジョンマスターの人はどうしているんですか?」


──様々です。大きなダンジョンの街であれば、冒険者風の人が一人ふらふらしていたところで、気にする人は少ないでしょう。そのような人は多いです。そうでない場合は、家を買って暮らしたり、街で仕事をしたりなどすることもあります。

──マスターの場合は、メテオールの村に拠点を用意した方が良いでしょう。


「拠点……ですか?」


──拠点というのは大袈裟ですが、働いて暮らしているという生活が必要でしょう。なのでまずは、仕事を見付けてください。それから生活する場所。メテオールの村は小さくて人が少ない。村人でもなく、宿泊もしてない人間が出入りするのは目立ちます。マスターがうろうろしても不自然に思われないようにしなくては。


「ダンジョンマスターだって、知られない方が良いんですか?」


──それは契約内容に含まれています。契約書にも書かれているので、マスターは一度読んでいるはずです。


「ええっと……そうでしたっけ」


 契約書の途中で読むのをやめてしまったと言い出せなくて、エメは忘れた振りをした。グリモワールはエメの態度については特に何も反応せずに、言葉を続けた。


──はい。これはマスターを守る契約でもあるのです。昔、ダンジョンマスターの正体を明かしていたために問題トラブルに発展するケースがあったのです。


問題トラブル……」


──マスターが契約を守っている限り、契約もマスターを守るので安心してください。


 曖昧な理解のまま、エメは頷いた。




 エメがアーさんを置いて出かけることを、アーさんはひどく嫌がった。


 アーさんのMPマナ不足は、あれ以降発生していない。

 エメのスキンシップ以外にも、アーさんが魔水晶か魔虹石を飲み込むことで、MPマナ不足の対策になるようだった。とはいえ、これはアーさんの自己申告なので不安要素ではある。いくつかの魔水晶を飲み込んだ後、アーさんのレベルが上がることもわかった。レベルが上がってもステータスはマイナス値のままで、他には何もできないのは変わりがない。

 それが判明してからも、アーさんはエメにくっつきたがった。エメのMPマナの方が良いと我儘を言って、夜も当たり前のように同じベッドに入ってくる。


 一緒に行きたいと駄々をこねるアーさんに魔水晶を多めに渡したけれども、アーさんは拗ねたようにエメの手を離さない。

 そもそも、モンスターはダンジョンの外には出られない。仮に出られたとしてもアポロンの見た目のアーさんを連れて歩くのは非常に目立つ。それはあまり良いことにはならないだろうと思われた。


「帰ったら一緒にいますから」

「どうしても一緒に行けませんか?」

「アーさんはモンスターなので、ダンジョンの外には出られないそうです」

「……いつ帰ってきますか?」

「えっと、多分、夜までには……」

MPマナ、くれますか?」

「はい、帰ったら……」


 アーさんはようやく、渋々ながらエメの手を離した。




 ダンジョンの入り口エントランスはすでに冒険者ギルドに管理されていて、そこから出入りすると面倒なことになる。グリモワールは、ダンジョンマスターが出入りする時用の裏口に案内してくれた。メテオールの村から少し離れた岩場の影だ。

 馬車道から少し逸れている上に人避けの魔法陣も書かれていて、人が近付かないようになっているとグリモワールは説明した。岩場からひょいと馬車道に降りて、村まではすぐだった。


 メテオールの村がダンジョン街として栄えたのは百五十年以上も前だったという。ダンジョンが無くなって、冒険者ギルドや宿屋、冒険者向けの店などは撤退し、残っている建物も改修なしに人が出入りできる状況ではなかった。新しくダンジョンが発見されてから、建物の改修は急ピッチで進められている。

 冒険者ギルドは受付ができるようになっていた。受付業務以外の開始は未定。

 宿屋の運営は、必要な物や働く人員の手配が間に合わずに建物の改修も後回しにされていて、これも開始は未定。代わりに、村にたくさんある空き家を冒険者ギルドが買い取って、それを宿代わりにしている。冒険者ギルドの職員も、そういった空き家が寮として割り振られている。

 冒険者向けの店は、小さいながらも一軒開店している。ギルド加盟店で、品揃え豊富とは言えないけれども、最低限の物は並べられていた。ダンジョン産アイテムの買い取りも行なっている。

 村人は変化に戸惑いつつも、冒険者に対しての距離感をそれぞれに築きつつあった。最初に冒険者に対して商売を始めたのは、フラヴィという名の老婆だった。子供たちは山間の田舎を嫌って別の街や村に移り住んでしまい、夫にも先立たれて一人で暮らしていた。

 そのフラヴィが、庭先で冒険者たちにスープやパンを振る舞ったのが商売の始まりだった。

 自分で料理する冒険者は多くない。食堂や酒場などは宿屋と同じく手配が間に合っておらず、冒険者たちは携帯食で凌いだり慣れない料理をして失敗したりしていた。隣の家の惨状を見兼ねて、フラヴィが多めに作ったスープを振る舞ったところ好評になり、翌日には噂を聞き付けて他の冒険者もやってくるようになった。

 最近では何人かの村人がフラヴィの家に集まって、料理を作っている。材料の手配は後手に回りがちだが、近所で助け合ってなんとか食堂としての体裁が整いつつあった。


 エメはきょろきょろとしながら、街になる途中の村を歩く。フラヴィの家の庭先にテーブルと椅子が置かれて、何人かの冒険者がそこで食事をしていた。パンの焼ける良い匂いに誘われそうになりながら、エメは食事を後回しにして冒険者ギルドに向かった。

 仕事も住む場所も、冒険者ギルドで紹介してもらうつもりでエメは冒険者ギルドにやってきた。引退した冒険者へのサポートもギルドの仕事だったはずだ。

 ちょうど冒険者ギルドから出てきたパーティが、すれ違いざまにエメの顔をじっと見る。もしかしたらのことを知っている人だったのかもしれない。振り向いて反応を確認したくなる気持ちを押しとどめて、エメは冒険者ギルドに入った。

 冒険者ギルドは、建物のほとんどがまだ改装中だった。改装中の建物の中で、受付だけが機能していた。受付には誰も座っておらず、待合室には一組の冒険者が座って何か話している。その冒険者の一人が、入ってきたエメを見て隣の冒険者を肘で突いて何事かを囁く。ここにいる冒険者はレオノブルやペティラパンから来た人たちだろうから、エメ規格外のことを知っていてもおかしくはないけれど、あまり良い気分はしなくて、エメは気付かない振りをして受付に向かった。

 受付の奥に事務室があるのだろう。慌ただしい人の気配はあった。


「あの……誰かいますか?」

「はーい」


 エメの呼び掛けに返事はあったものの、しばらく誰も出てこなかった。やがて、何かが倒れるような音と「あぁ……」と絶望したような声が聞こえて、それからばたばたと小走りに男の人が出て来た。

 癖のある赤毛があちこち跳ねている。タレ目がちな青い目は落ち着きなく、エメを一瞥したっきり、手元の書類に視線を落とした。エメからは一番上の兄バジルと同い年くらいに見えた。


「はい、すみません、お待たせしました、なにせ人手不足でばたばたしてて、冒険者の人? この村でのタグ登録はこれから? タグ登録だけしたらダンジョンは今順番待ちないからあとは自由に出入りして問題ないですよ、あ、ひょっとしてパーティ募集? そこに用紙あるから先に記入を」

「あ、えっと、違うんです。その、冒険者ではあるんですけど、冒険者はやめようと思っていて」

「はあ、じゃあ、冒険者ギルドになんの御用ですか?」


 赤毛の男は、訝しげな視線で改めてエメを見た。


「あの……この村で暮らしたいなって思って、仕事と家が欲しいんです」

「仕事と家……」


 そこでようやく、赤毛の男は姿勢を正した。エメを上から下まで眺めると、ニッコリと笑って受付の奥にエメを招いた。タレ目の目尻がさらに下がって、ソバカスのせいもあって、とても愛嬌のある笑顔だった。




 赤毛の男はロイクと名乗り、メテオールの村に来たことを貧乏籤と表現した。

 受付奥のソファに向かい合って座ったが、ローテーブルの上、二人の間にも箱やら紙の束やらが積み上がっている。


「僕一人ってわけじゃないですよ、ただちょっと今は宿屋の手配とか、食堂どうするとか、あとはダンジョンの入り口エントランスの警備もありますし、そうするとここにいるのが気付けば僕一人でね、いや、もうじきレオノブルからの増員が来るはずなんですけど、ほらここ田舎だし山の中だからみんな来るの嫌がっててね、僕なんか結婚してなくて身軽だからなんて押し付けられたようなもんですよ、やんなっちゃうったら、結婚して一人前なんて風潮ももう古いと思うんですけどね、ああ、すみません、話が逸れました」


 ロイクは喋るだけ喋ってから、エメの名前を聞いて冒険者タグを確認した。エメはロイクの勢いに圧倒されている。


「それで、冒険者はやめるんでしたっけ? まだ引退って歳でもないでしょう。レベルもこれからってところですし、あれ、このMPマナ量、ああ、そうか、あなたあの……っと、失礼」


 エメのステータス身元を確認しながら、ロイクは一人喋って頷いてを繰り返している。「規格外」の言葉に、エメは曖昧に笑ってみせた。


「冒険者を続けたかったんですけど、パーティはうまくいかなくて。独りソロも難しいし。でも、何か冒険者の近くで働けたらとは思っていて、新しいダンジョン街だったら何か仕事があるかもって」


 ロイクはエメの言葉にふんふんと頷くと、改めてエメの姿を上から下まで眺めた。


「冒険者以外で仕事の経験はありますか?」

「あ、あります! 姉がレオノブルの『赤獅子の尻尾』って宿屋にいて、そこで子守と下働きをしてました。後は、兄が商人ギルドにいて、そこで雑用バイトも」

「『赤獅子の尻尾』っていったら高レベル冒険者向けの老舗じゃないですか、まあでも僕としては、商人ギルドの雑用バイトの話を詳しく聞きたいですね、どんなことしてたんですか」

「いろいろでしたけど……例えば、書類の整理……ええと、記入漏れとか間違いとかあるものを見付けたりとか、倉庫の品物の仕分けとか。今思うと、あまりたいしたことはしていなかったかもしれません」


 自分のやっていたことを話しながら、エメはだんだんと自信がなくなってきた。エメの仕事は本当にただの雑用で、きちんとした仕事なんか何一つやっていなかったなと振り返って思う。

 ロイクの反応はエメが思っていたのとは逆で、エメの話を聞いて身を乗り出してきた。


「身元もしっかりしていて、雑用バイトの経験もあって、素晴らしいじゃないですか、是非とも冒険者ギルドここで働いてもらいたい、冒険者ギルドで買い取った家の一部を職員用の寮にしています、部屋はそこで問題ないですか、台所などは共用ですが寝室は一人一部屋ですよ」

「あ、はい……わたしはとても嬉しいですけど……本当に良いんですか……?」


 あまりに即決だったので、エメは戸惑ってロイクを見ている。ロイクは目の前に積まれた紙の束を軽く叩いた。


「なにせこの状況ですからね、村人から手伝いを頼む予定で動いていたところですけど、元冒険者であれば話が早い部分もありますし、事務仕事の経験もあるみたいだし、こちらとしても願ったりですよ、この村のギルドでの人事権は僕が持っています、押し付けられただけですけどね、あ、早速今日から手伝ってもらっても良いですか、あ、いや、先に手続きしないとか、今書類用意するので少し待っていてください、逃げないでくださいね」


 その後、ロイクと雇用契約を結んで、ギルド職員タグを発行してもらった。冒険者タグは返却しなくても良いと言われて、職員タグと一緒にしておくことにした。ダンジョン探索はもうできないけど、冒険者だったという証が手元に残るのは嬉しかった。

 最初の仕事は、奥の部屋で倒れた箱から部屋中に散らばった書類を片付けることだった。




 この日からエメの首には、幼い頃にもらったお守りアミュレットと冒険者タグに加えて、ギルド職員タグも下げられるようになった。

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